表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の吸血姫  作者: 渚月ネコ
1/5

序章

 

 そこは、食べ物に困らない土地であった。

 豊かな大地に自然、所々には獣の姿がちらほら見えている。遠くを見れば絶壁に滝が流れ、その音は遠く離れた()()にさえ微かに届く。下を見ればは透き通るような水が湧き、花々が咲き誇っている。

 幻獣達の多く住む森の、更に奥の奥へ行った場所。昼間は霧がかかり薄暗く、夜中は晴れ、月明かりで見通しのいい、物静かな地にこの城はある。

 王族の住まう城のように大きいとまではいかないが、それでも貴族の一角と同様の大きさであり、細やかな装飾は、朽ち果てかけていても、荘厳さと見事な風格を醸し出していた。一つ、装飾を取っても、庶民の5年分程の稼ぎに値するだろう。

 よくよく観察してみれば、城の周りには腐った木材、装飾品の数々が散乱している。

 昔は栄えてたであろうこの地の退廃が、目に見えるようであった。

 そんな人気ひとけのないこの地で呟き声が一つ。



「腹が減ったのぅ……ここ暫く、栄養源が来ぬ。来過ぎるのも御免被りたいが、全く来ぬのも問題よの」



 もう一度言うが、ここは、食べ物に困らない土地である。

 簡素な罠で引っかかる獣もいるに加え、力を持った幻獣は城に近寄らない。其処彼処(そこかしこ)に果物、野菜は見られ、川には魚が元気よく泳いでいる。どれもこれもとても貴重種であり、毒などかけらも持っていない。

 その呟きは極めて不自然なものであり、そもそもこの地に人がいることさえ摩訶不思議な事柄なのである。

 城から発せられた声は、もっと奥の方から聞こえてくる。やはり城の内部に声の主はいるようだ。



「加えて不味いものを寄越すのも御免じゃ。されど美味なもの程、慎重で面倒なのじゃがな」



 煌びやかであったであろう階段を登り、角を数回曲がって辿り着く最奥部の一室に、声の主はいた。



「のう?お主よ」

「!?」



 声の主は、朽ちた家具が調って置かれた部屋の中央に鎮座するソファにもたれかかっていた。

 現在は月夜。月明かりが中央まで届かないこの部屋では、声の主の姿を完全に把握することはできなかった。逆光により影しか見えない状態だ。逆に窓から見える赤々とした満月と、爛々と紅く輝く二つの眼が、とても目立っていた。



「男、か。少女の、特に処女ほどまた美味なのじゃが……ま、男にも良いものはおる。贅沢は言ってられぬのぅ」


「…………」



 脇に置いてあるグラスを取り、静かに眺める城の主。緩慢で、そして優雅な仕草の城の主は、紅い瞳で()()()を見た。



「さて。お主の血は何の味じゃ?甘いのか?苦いのか?それとも塩辛いか?」


「…………」


「中には獣の糞を食しているのではと疑ったヤツもおったが、どうやらお主はそうではなさそうじゃ……」



 グラスに入った赤、と思われる液体をに飲む城の主は、気怠さを持った、鈴のような声音をしていた。



「……………女?」


「他に何がある。声と外見で分かるじゃろう。まさかお主は目標についての下調べすら怠ったのか?先程の慎重さは何処へいっていた」


「…………」



 問いかけられる者は答えない。それもそうだ。命令者の希望通り、命令後直ぐに暗殺を目標に、気配を完全に消してここへ来て、暗器も最高なのを持ってきていた。設置型、結界型、装備型等、沢山の暗器を持ってきていたのだ。実際、この部屋に来る前に、数十個もの暗器を仕掛けていた。

 それなのに全てが無効化されている。どうやって無効化したかは分からない。とりあえず、全ての暗器が無効化されていたのだ。この部屋に入ると同時に全ての暗器を起動させたが、周りに異変は感じられない。やはり、()()がやったようだ。

 世界一の殺し屋とまで言われてきた自分自身の実力に自信を持っていた()の者は、今まであったこと無い状況に、どう対応していいか分からない。最善の選択が分からない。故に、問いかけに答えられないでいた。



「富に目が眩んだか?早く報酬が欲しかったか?そんなことで暗殺の基本を忘れる程度では、妾を葬るなど万が一にもないぞ」



 殺気を持たせて言う彼女は、暗殺者を睨み付ける。それだけで周囲の温度は幾度か下がった感覚に襲われ、動けなくなる。

 赤い液体の入るそれを置き、彼女はソファから立ち上がった。この場の雰囲気など感じさせない緩慢な動作だが、その鋭く紅い眼は対象を捉え続ける。



「……………………俺は…金の亡者っ…じゃない」



 全身が萎縮する中、必死に紡ぎ出した言葉。それは彼の首筋から数センチにある鋭く光るものを止めるのに充分な効力を発揮した。



「………ほう。ならば申してみぃ。お主は一体何と言うのじゃ」



 首の皮一枚繋がった。彼は先程の己をいたく称賛する。なんとか、彼女の吸血を止めることができた。自分の生きる可能性が大幅に増えた、と。

 彼は、少しだけ、身体が軽くなった気がした。全身は固く、直立したまま動かない。だが口だけは何とか動かせた。



「……ただ……()()()()雇われた……暗殺者、だ」


「妙じゃな。なんでそんな回りくどい言い方をする。口止めでもされておるのか?」


「…………」


「………そうか。そういうことじゃな。了解した」



 満足がいったのか、彼女は頻りに頷く。暗殺者の背後から首筋に齧り付く姿勢を解き、元の場所へ戻っていった。



「はー。全く……金で釣れる者に強者は居ぬとようやく悟ったか。さりとて、おまけに質を取って脅し、呪詛で従わせるなどするとは思わぬわ。堕ちるところまで堕ちたか、彼奴も。加えて呪詛など用いる者も現れるとは……些か魔術の進歩が早過ぎるのではないかの」



 数回の言葉の交わしで、暗殺者の状態、依頼主から世間の状況まで。彼女は理解した様子だった。

 一先ずの危機が去ったことに安堵する彼。



「さて……『戦闘準備状態を解き、妾の前に跪け』」


「うぐっ!?ガッ…!」



 安堵したのも束の間、彼女は何かをしたようだ。彼の中に耐え難い苦痛が走る。

 その場で転げ回りたいのに、彼は出来ない。彼女に【支配】を受けているからだ。

 まるで()()()みたいに己の意識と身体が切り離された感覚が襲い、その後、彼は彼女の目の前で跪いていた。



「一時的な乗っ取りは出来るみたいじゃな。さりとて効率が悪過ぎるの。相当な魔力を持っていかれた……」


「…………」


「ああ……『妾の問いを正直に答えろ。それに関するものならば話しても良い』。まずは呪詛の内容を話せ」


「っ可及的速やかに、最善を尽くして西の辺境の廃城にいるターゲットを殺せ」


「ふむ。先程は最善の選択が分からなかったから行動しなかった、というところかの。本人の思考によって令に影響が出るみたいじゃな」



 彼女はまだ意識の安定しない彼を置いて、次々と分析を行う。



「呪詛自体の構造は単純。強制的に掛ける事は出来ない。万が一にも妾への呪詛を行なったとして、妾が掛かる心配は要らなそうじゃ」



 痛みが消え、意識が安定した彼は考える。ならば解呪も-----



「残念じゃが、解呪は無理じゃ。お主にかけられた呪詛はお主の心にひしと根を張っておる。無理矢理剥がすとしても、お主の心が壊れるぞ?」



 彼女の残酷な告白に押し黙る彼。

 その告白は、彼にとって絶望でしかなかった。



「ならば………」



 一拍。



「俺の血を、技術を、知識を、やる。だから……」



 彼は、血の涙を流していた。俯いき跪く彼から、彼の顎から、紅い液体が滴る。



「命令をいいように解釈したな、此奴(こやつ)……まぁ良い。『顔を上げよ』」




 命令通り、彼は顔を上げる。そこで、初めて彼は彼女の姿を見た。

 白と黒が基調のゴシックドレスを着るのは、12、3歳くらいの外見の少女。美少女から美女になるその垣間を、丁度抜き取ったかのような姿である。

 ガーネットの瞳に、長い睫毛、その上を走る細い眉毛。そのまた上を流れるのはウェーブのかかった金髪だ。だが、先端にいくにつれ、少し赤みを帯びている。形の良い鼻にふっくらとした頰、柔らかそうな桃色の唇は、弧を描いていた。白くとも、健康的に見える皮膚はとても人間じみているように感じられる。

 一言で言うのならば、正に『傾国の美少女』だろう。



「お主は今、誰に望みを言うているのか理解しておるのか?」


「……き、吸血姫…」


「気付いたか?それとも半分予想しておったか?一国の姫が手段を選ばず殺したいモノは、この【傾国の吸血姫】であるぞ」



 不快そうにフンと吐き捨てた後、彼女は言葉を続ける。



「噂は聞いたことがあるじゃろう?残忍で、人の想いや生命なども簡単に弄ぶ妾に、それでも請うか?」



 沈黙が流れる。

【傾国の吸血姫】とは、世界中で恐れられている存在だ。名前の由来は、昔、大国であった国の王を(たぶら)かし、国民全員に残酷な死を迎えさせたことだ。その国は一夜で滅亡したと言われている。今はどこにあるかさえ不明だ。

 子が悪い事をしたら、親は言う。「そんな事すると、あの傾国の吸血姫が夜に襲いに来ちゃうわよ」と。

 最恐の中の1人、と彼女は言ったのだ。

 馬鹿げてる、と普通は思うだろうが、実際、彼女は老若男女問わず見惚れる美しさを持っていた。

 彼は、彼女は本当の事を言っている。そう思った。

 しかし、嘘を言っている、とも彼は思った。



「…………所詮は噂、か」



 その言葉を聞いた時、彼女はハッと、彼の眼を見た。

 紅い涙を流したまま、彼はじっと、彼女を見ていた。その眼は憎悪や世評に縛られず、だが後悔の念が見える。己の最期を覚悟し、己の後悔を目の前の人にさせない、させたくない、と感じさせる眼だった。



「もともと噂なんて信じてないし、会って、見て、よく分かった。アンタは俺と同類だ」


「対して妾のことも知らずに何を()かす。そもそもお主と同類などと、死んでも有り得ぬ!」


「初印象は冷静、妖艶な雰囲気だったのに、怒鳴ってどうした。図星だったか?」



 おちょくるように笑う彼に、彼女の顔は真っ赤に、震えた。



「そんな訳がなかろう!たった数分の間で妾を理解するなぞ、何者にも出来ぬわ!」


「ああ。俺と同類のことしか分からねぇ…よ」


「……は?」



 間の抜けた顔で、彼女は彼を見ていた。



「ハハッ……あの【傾国の吸血姫】も案外人間らしいじゃねぇか」



 天井を見て笑う彼に、ムキになって言い返していた彼女は、反転して静かに見つめた。



「………もう【支配】は解いておる。()()()、意思の力のみで呪詛に抗っておるな?」


「…………………流石、だな…」


「見栄を張るでない。妾を誤魔化そうなど一千年早いわ!………じゃが、そんな死に焦る事はないと思うぞ。術者を倒せば呪詛は消える。生き残る可能性は無きにしも非ずじゃろう?」



 彼は悲しそうに、だが嬉しそうに笑った。声も細く、彼の命が消えかけているのがありありとわかる。呪詛とは心を蝕み、強制的な令を植え付ける。彼女の行った【支配】はその上から心を包むように支配していたのだ。

 呪詛と【支配】を同時に受けると、心への反動は大きい。加えて【支配】が解けた後も、受けていた感覚を元に抗っていたとなると、心は急激に消耗していた。



「もう……限、界……だな……さ、最後に………」


「他人に己の望みを押し付けた上に、次は何を吐かすというのじゃ、まったく……」



 彼女は近づいた。声が段々と細くなり、聞き取りづらくなったからだ。とりあえずは先程の距離でも聞こえるのだが、彼女は()()()()()()のだ。



「俺は………シン………シン・アルファード」



 そして、彼は首を傾けた。

 彼女は呆れた。彼のしたい事、知りたい事はわかった。ここにきてそれを知りたいなどと、奇矯だなと思った。だが己の贄となる彼の最後の望みだ。聞いてやるのも良い、と思った。



「何を言うと思ったら、まさか、名を聞くとはのう……」



 一拍。



「妾は、妾の名は〝シャルロット・シュメッターリング・ノイン〟。12人おる〝王〟の中の1人じゃ」



 おとぎ話で登場する12人の王。

 1人は、悪魔の始祖。

 1人は、妖精の始祖。

 1人は、龍族の始祖。

 1人は、人間の始祖。

 その4人は手を取って世界を創り出したという。

 妖精の始祖は大地と森を。悪魔は人間に魔術を教えた。龍族の始祖は獣を生み出し、生きる知恵を人間に与え、人間は他種族にはない繁殖力で、与えられた技術、魔術を発展させた。

 それが〝世界の起源〟。

 次に、その4種から派生した者が次々と現れた。小人族、妖魔族、獣人族、森人族、竜人族、吸血鬼、と。その中で、力のある者は自らを〝王〟と名乗り、その種族を束ね、国を作った。

 そして互いに牽制し、時には戦争をして〝王〟が死んだこともあった。するとまた力を持つ者が現れ、〝王〟が生まれる。

 何百年と激しい戦いが続き、最終的に残ったのは。

 獣人の王。妖魔の王。死霊の王。竜の王。そして吸血鬼の()

 戦いの中には、〝魔の王〟を名乗る者も現れたのだが、その全てが悪魔の始祖に潰されていた。そのせいか、現在でも〝魔の王〟を名乗る者は居ない。永遠に近い寿命を持った悪魔の始祖は、まだ生きている。

 そうした〝王〟の激闘の時代が、〝世界の発展〟と言われる。

 その間、戦いに関係のなかった人間達は、国同士、己の領土を着実に伸ばしていった。他の種族は大体が領土どころの話ではなく、〝王〟の戦いに駆り出されていた。故に人間は爆発的にその人口を増やしていったのだ。

 だが〝世界の発展〟が終わり、〝王〟が領土を増やしていくと、人間の活動範囲も少しずつ狭まっていった。

 手先の器用さと、持ち前の技術の吸収力以外は何も特徴のない人間達は、ただ縮こまって怖がることしかできなかった。悪魔の始祖は、人間の始祖は死んだと明言していた。しかし、希望となる者が現れたのだ。

 人間の王。人間達からは〝勇者〟と呼ばれていた。

 人間の王は他の〝王〟と渡り合える力を有しており、それが牽制になったのか人間達への領土侵攻は止んだ。

 同時期に、鬼を統べる者が〝王〟の名乗りを上げた。吸血鬼は、鬼を統べると豪語する鬼の〝王〟にあまりいい感情は持っていなかったが、戦うような事はしなかった。当時、〝世界の発展〟を生き抜いた吸血鬼の王は、突如として現れた()()()に殺されていた。そして、その吸血姫が〝王〟を名乗った。その者は、国を作らず、吸血鬼を滅する者に対峙するだけだったのだ。故に吸血鬼達の多くは群れずに国々を漂浪していた。

 そして、正体不明の〝王〟。いつ、どこで生まれたかすら分からず、その正体すら分からないままであった。現在もその詳細は語られず、謎に包まれたままだ。


 これが12人の〝王〟のおとぎ話。ごく普通の民家で、子の寝付けや老人の孫への教えなどで語られる話。



「………記憶も……知識も………」


「血も技術も、じゃな。ああ、分かっておる。〝王〟というのに、反応が薄いのは何なんじゃ……」



 軽く不貞腐れた様子の彼女に、彼は薄い微笑を浮かべる。身体がもう自分の力で支えられないのか、彼は彼女に正面からもたれかかった。



「……………………あり…あ……」



 彼の眼は遠くを見ていた。その先に何を見ているのか、彼女は何となく理解したような気がした。



「シンよ。そなたは頑張った。もう眠れ」


「……………」



 彼女は、首筋に牙を立てた。とても優しく、貴重な物を扱うように。

 彼は、微笑を浮かべたまま、静かに息を引き取った。
















気ままに更新していくので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ