俺氏、およばれする。
「美智子の職場の! うちの娘はどこか抜けてて周りに迷惑かけてないかいつも心配で」
「いえ、お嬢さんは細かなところにも気がつくと評判で上は社長から下はアルバイトの子まで、皆に可愛がられ慕われてますよ」
俺の目の前では50過ぎほどの、白髪交じりの男性が一人、ビールの注がれたグラスを片手にニコニコとしている。
その横にはその奥さんであり、柏木さんの母である女性がビール瓶を手に微笑んでいる。
そして柏木さんが俺の隣の席に座っている。
どうしてこうなった――。
「ただいま、おかあさん。会社の人連れてきたんだけどー」
「まあまあ、会社の同僚の方ですか?いつも美智子がお世話になっております。どうぞお上がりになってくださいな」
「はっはじめまして、山本紀昭と申します。しっ、失礼します」
俺は、何故か知らんが柏木さん家にお邪魔している。
電車の中で盛大に腹の虫が鳴いた為に、彼女が家で飯を食ってけと誘ってくれたからだが。
まさかの女性からのお誘いである。
対女性応対能力など皆無な俺に、どう抗えというのか。
なし崩しに彼女に腕を取られ電車から降りた俺は、そのまま彼女の家まで半ば引きづられてついて行ってしまったのである。
駅から歩いて5分ほど、閑静な住宅街と言えるだろうそこに、彼女の自宅はあった。
結構でかい。
俺はかなりビビりながら彼女につれられて玄関をくぐったのである。
「いつもの時間に帰ってこないから何かあったんじゃないかって心配してたんですよぉ。娘からメール貰うまでは」
柏木さんのお母さんはよく喋る人だった。
会話が続かなくて沈黙の中で食事することに比べればとても気が楽だが、相槌しか打てない自分がとても情けなく思えてしまう。
出された食事は純和風、と思いきや。
「ごめんなさいねぇ。昨日の作り置きなのよ」
「私が作ったんですよ、たくさんありますから一杯食べてくださいね!」
そう言われて出されたのは、カレーライスだった。
なるほど、これならば急に人が増えても大丈夫なわけである。
むしろその寸胴鍋のほうが気になるレベルの大量作成だ。
ダイニングキッチンのテーブルに座らせられ、目の前ではカレー皿に湯気の立っている純日本風カレーライス。
ご丁寧にらっきょうや福神漬も並べられ、お好みでトッピングとして唐揚げや温泉卵、とろけるチーズに納豆まで用意されている。
「おかわりありますからどんどん食べてくださいね」
「うちの娘ときたら、カレーを作らせたら味はいいんですけどいつも作りすぎちゃって大変なんですよ」
「は、はあ。そうなんですか」
逃げたい。
すごく逃げたい。
こういう一家団欒に紛れ込んで平気なメンタルなんぞ、俺は持ち合わせていないのである。
「ただいまー」
「あらお父さんね、はいはい、おかえりなさい」
「お父さん今日は早いなぁ。ああ、私が遅かったんだっけ」
てへぺろといった感じで舌を出す柏木さん。
可愛い。
あざと可愛い。
でも助けて。
お父上まで追加投入されるとか聞いてない。
俺この空間で息していける自信がない。
「おお、あなたが美智子の職場の。話は聞きましたよ、帰りの電車が事故の影響で大変だったらしいですな」
「あ、はい」
「いやいや、まずは一杯。いける口ですかね?」
「あ、イタダキマス」
さっきまで美味しかったカレー、正直味がワカラナイデス。
★
「いや、ごちそうさまでした」
「山本君、泊まってってくれてもイイんだぞ? 布団は美智子と一緒でも構わんし」
「ヤダーもうお父さんたら」
「すいません山本さん、うちの人酔うとすぐこうなっちゃって」
「いえいえ、トンデモナイです」
二回お代りしてビールを何度も注がれ、腹が破裂しそうなくらい食ったあと、暫く雑談という名のおっさんトークに巻き込まれて帰るに帰れなかった俺であったが。
お母さんが気を利かせてくれて、なんとか終電には間に合う時間に御暇させてもらえることになった。
「ソレじゃ山本さん、また明日」
「うん、ごちそうさまでした、柏木さん」
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そう言って、俺は柏木邸をあとにしたのであった。
「お土産まで貰っちまった……」
冷凍パックに入れられたカレーとか。
どれだけ作ってるんだ。
まあ美味しかったからご飯炊いて明日……はアレだから金曜に食うか。
海自的に考えて。
そんな事を思いながら終電前の電車に乗れた俺であったが、一つ忘れていたことがあったのを、スマホのメッセージ着信で思い出したのである。
「なまたまご氏? どうしたんだ?」
覗いてみると、そこには事細かに本日口にした食事が映像添付とともに書かれていた。
忘れていた。
生活改善、まずは食生活を整えるのだという彼との約束を。
毎日の食事を相互監視しようと決めたのだ。
「めっちゃカレー食いまくってしまった……」
『俺結構抑えたぞ。お前はどんなだった?』
そう書かれたメッセージに、俺は正直に答えることなど出来ないまま。
『朝はいつもどおり抜き。昼はコンビニ弁当、夜は帰り道の牛丼屋で抑えめに食ったよ。写真取るの忘れてた』
そう送り返したのだった。