俺氏、帰路につく
浮気された上に、趣味のコレクション類を売られてその相手に貢いでた、だと?
プロデューサー同僚氏は、元は一部上場のいわゆる一流企業に務めていた。
離婚して娘さんの親権を確保したあと、残業ほぼ無しのウチの会社に転職してきたのだ。
前のところだと残業が多すぎて子供の寝顔しか見れないって事で。
元嫁の浮気の理由も仕事にかまけて相手してなかったから、だと。
法的な制裁を加えて慰謝料貰って、と。
元の会社では八桁に届いていた年収が半減したと言うが、後悔はないそうだ。
「思わず昼休みを潰す勢いで読みふけってしまった……」
飯食いながらのまとめ拝読。
後味わりい事この上ない内容であった。
不倫でラリってる人って怖い。
て言うか、よくもまあこんな事ができるもんだなぁ。
子供を親に預けて不倫とか……。
「結婚までした人を裏切るとか、なんでやねんって話だわ」
「まあ最悪の状況の一例だ。あんまり真剣に受け止めるなよ」
「お? ああ、おかえり。読ませていただきました」
外で飯を食ってきたプロデューサー同僚は、感想とか労いとかいらんからな、とだけ俺に言って自分の席に戻っていった。
というか、むしろ何も言えねぇ。
「山本さん、コーヒーいかがですか?」
「ん? ああ、ください」
言い忘れていたが、俺の名前だ。
山本紀昭。
子供の頃のあだ名は山本山のノリだ。
プロデューサー同僚を見送って暫く、昼休み終了のお知らせの前に、事務員の娘がコーヒーポット片手に俺の席にやってきたのである。
うちの事務所の紅一点、ではないが、事務専門の中で若い娘さんといえばこの子しか居ないので皆に可愛がられている。
素直で気の利く娘なので、お局さんですら可愛がってる。
相撲用語的な意味でなく、言葉通りの意味で。
コーヒーを煎れる係は持ち回りで、男女関係なく当番制である。
ココで一番偉い役職持ちも容赦なく当番制に組み込まれているが、決めたのが当の本人なので、誰からも文句は出ていない。言い出せない。
マイカップに残っていた昼前に注いで冷たくなっているコーヒーを一気に飲み干し、注いでもらう。
立ち上る湯気がなんとも嬉しい。
「ありがとう、柏木さん」
「どういたしまして!」
実にいい子である。
ヲタを社内でカミングアウトしている俺にすら、笑顔を向けてくれるんだから。
俺じゃなかったら勘違いしてるレベルの笑顔である。
首元あたりで切りそろえられた、内向きに緩くカールさせているボブカットというのか? が、よく似合っている。
柏木、なんと言ったかな、下の名前。
お局様はみっちゃんとか呼んでたからみつことかみちことかその辺だろうか。
まあ下の名前で呼ぶようなことはないので構わないけども。
「あ、柏木ちゃーん。僕にもコーヒーいれてよ」
「あ、もう保温器においてきちゃったのでご自分でお願いしまーす」
俺よりちょいと年かさの、プロデューサー同僚とは別の男が柏木さんにコーヒーを頼んでたが残念、既にコーヒーポットは保温器に戻されていたようである。
持って回ってくれてる間にお願いすればよかったのだ。
さて、仕事仕事。
★
現在時刻十七時。
終業である。
うちの会社は残業が基本的にない。
突発的な事案をフォローするために、という場合くらいである。
「おつかれっ」
「あー、おつかれさん」
プロデューサー同僚氏は毎度のごとく、定時が来ると娘さんを迎えに行くためささっと退出していく。
俺は特に急ぐ用事はない日は、ゆっくり後始末をしてから会社を出るのが常だ。
「あ、山本さん、お疲れ様です」
「おつかれさま、柏木さん」
会社を出てすぐに、例の柏木さんとばったり会った。
スマホを手にしていたので、どうやら誰かと連絡を取っていたのか何かだろう。
歩きスマホをしないのは良いことである。
俺もしないようにしているしな。
前に歩きスマホしながらエスカレーターに乗ったら、前の方に居たお姉さんがあからさまにおしりの方にバッグを移動させてたからな。
盗撮疑惑などかけられたくもなし。
柏木さんに声をかけて駅の方に歩きだすと、何故か柏木さんが横に並んだ。
「あ、あの。山本さんも電車ですよね」
「ん? ああ、そうだけど?」
「私も同じ路線なんですよ! ぐ、偶然ですね」
「ああそうなんだ」
「わ、私はいつも各停に乗ってるんですけど。山本さんは――」
「俺? 区間急行だなぁ。流石に各駅停車だと時間がねぇ」
駅までの道のりを、柏木さんと並んで歩く。
待ち合わせの連絡とか済んだのだろうか。
いや待ち合わせとは限らないか、ただの世間話的なのだったかもしれないし。
「それでですね、最近は女性専用車に乗ることが多いんですけど」
「ソレは大変だなあ」
何度か痴漢被害にあっているらしい。
大人しそうで可愛いものなぁ。
痴漢の狙い目なのかもしれない。
俺は他人様に触るの自体が苦手だが。
そうです、年齢=童貞期間ですが何か。
「なので女性専用車両がない時間帯はちょっと苦手なんですよ」
「ふむふむなるほど」
ふむふむなるほど、あの路線は朝のラッシュ時しか女性専用車両がないと。
ソレは知らんかった。
大変だねぇ。
駅についた。
ホームに上ると、そこにはプロデューサー同僚が居た。
なんでやねん。
「お、柏木ちゃんまで居るのか。どうした一緒になってまた」
「いや、会社の前で一緒になっただけだ。ソレよりなんでまだいるん?」
「トイレに立ち寄ったら前の区間急行に乗り遅れたんだよ」
ああなるほど。
トイレ混んでたのか。
まあ、一時間に一本とかのど田舎じゃないんだから、焦らなくてもいいよな。
「柏木ちゃんは次の各停に?」
「え、はい。そうなんですけど……」
「……ああ、なるほど。おい山本」
「なんすか」
「おまえ、柏木ちゃんが降りる駅まで一緒に行ってやれ」
なんでや。
俺だって区間急行でさっくり帰りたい。
各停で帰ったら倍以上かかるんだぞ。
と心の中で反論したが。
いつも世話になっているプロデューサー同僚の言葉に頷くしか無かったのである。