07 世界へ飛び出す
夢を見た。
こことは違う世界、違う場所で誰かを助けるために戦う夢を。
今回初めて助けることが出来た。
相変わらず血みどろであったが、
とても苦痛であったが、
守ることが出来た。
もちろん夢の話だ、妄想の話だ。俺はそこまで高尚な人間じゃない。人を庇うとか現実でやろうなんて思わない。こんな痛い思いをするのはごめんだ。
――それは、本心か?
誰だ? 頭の中に声が響く。
ああもちろん本心だ。痛い事を率先して受けに行くとかマゾのすることだろ。痛い思いをせずに、無造作に楽しく生きれるならば断然そっちの方がいいだろう?
俺は自分を善人だとは思ってないしな。
――そうかあれだ、つまるところ貴様は――
声が遠ざかっていく。これで何度目であろう暗闇へと意識が落ちていく。徐々に体の持つ感覚が取り戻されていく。浮かび上がる点の様に、ポツリ、ポツリと感覚が取り戻される。
意識が覚醒する。何やら腹部に熱いものを感じながらも俺は意識を取り戻す。目に突き刺さる光はとても明るく、まだ朝であることを示している。日の輝き具合から察するにあの空間にいた時刻はほんの一瞬にも満たないのだろう。
そんな光に目が慣れてくると耳元で静かな息遣いが聞こえる。それに俺の肩に置かれている手、一体何があったのか。そう思った瞬間、俺の体に走った痛みという名の電流が思い出される。骨は砕け、指は吹き飛び、体中を負傷したあの痛みを思い出す。体はゾクッと震え、口から大量の息が漏れた。
「ッはあ! う、カハッ……っはあ」
「……ヨル?」
耳元で囁かれたその声と同時に肩に置かれている細い腕に力が入る。この状況から見るにあの空間で痛い目を見る前とそう変わらない。
夢、だろうか。それにしては痛みがリアルに感じられたが、白い花畑空間なんて夢だよな。いや、そうとも言えないのか? ここは異世界だし何があってもおかしくはない。いやでも、
そんな思考を巡らせていると、俺の目の前を森の主、ユニコーンのパーシヴァルが横切った。
たった今感じたことが現実ではなく、自身の心のみが感じた体験、いや心験であったと思考の末に至り、俺はそこで出会った白いユニコーンに向けて、
「おい! 今のは……」
と聞くが、ユニコーンは反応を示さない。キズガラスとジェスチャーの様なものでコミュニケーションを取っていた。むしろ俺の言葉に反応を示したのは後ろの方で、
「ヨル?」
後ろの少女は肩から手を放し、俺の正面へと回り込んでくる。その表情には不安が感じられた。
「あ、ゴメン。なんか短剣を拾った時どっかに意識が飛んだ気がして……」
「そう、なの?」
「それで少し記憶が飛んでて、今何か起きた?」
そう言えば白い短剣を拾ったはずなのにそれが見当たらない。
「そういえば俺白い短剣拾ったよな。あれどこ行った?」
「その短剣はヨルが触った時に霧みたいに消えちゃったよ。どうしてかは……ん?」
そう言いハティは何かに気づいたように俺の腹部を指差す。その表情は何か、見慣れないものを見るような眼をしていた。
「何だこれ、魔法陣、か?」
俺の腹部が服越しに少し光っているのが見えたので、上着を少しまくって確認してみる。
俺の腹部、厳密にはヘソの僅か左に子供の拳ほどの魔法陣の様な物が白く輝いていた。これが何なのかはわからないが、この部位には心当たりがある。
「ここは、角で刺された場所だな。ハティ、この魔法陣。どういう意味か分かる? 俺死ぬとかじゃないよね?」
「流石に私もこれは見た事無い……」
「そうか……まあ街を見つけたら詳しそうな人に聞いてみるってものありか」
「どうするヨル? 今から行く? 具合はどう?」
「ああ行こう! 俺なら大丈夫さ!」
俺は上着を着た後で立ち上がり、目の前で心配そうな表情をしていたハティに手を差し伸べる。するとハティの表情は一転、嬉しそうな可愛らしい表情へと変わり、
「うん! 行こう!」
と言いながら俺の手を強く握った。
この笑顔のためなら、俺はこの世界でも生きていける。そんな気がした。
するとハティの顔が少し赤くなる。そして言おうか言わないか迷ったような仕草をした後に、
「ヨル、本音が漏れてるよ!」
「いっ!?」
顔を赤らめ、少し嬉しそうにはにかみながらハティはそう言い、俺たちからちょっと離れているユニコーンが『ケッ!』と悪態をついたような気がした。
______
ヨルはユニコーンを睨み付けていた。
腹部を刺され致命傷を負い、狼の異能が無ければ死んでいただろう。
夢のようなものを見せられた際、奴の突進で体をグシャグシャにされた。
ユニコーンから俺が受け取ったものと言えば痛みだけである。キズガラスは助けた際に恩義を感じたのか俺たちには友好的に接してくれる。女好きではあるが。
だがこいつはハティにのみ友好的であり、俺は一度現実で攻撃されている。正直に言えば嫌いである。だが奴が夢の中で言っていたことをよく紐解くと俺を殺したいとか邪魔だと思っているわけではないようで、むしろ俺を試している様な雰囲気ではあった。
「だからって刺さなくてもいいだろうに……」
だが手は出さない。勝てなそうってのもあるが、今はそんなことしている場合ではない。
「じゃあな。もしかしたらもう戻ってこないかもしれないからよろしくな、森の主さんよ。いや、パーシヴァルだったか?」
そう言い俺はパーシヴァルに向けてベーと舌を出して悪態をついた後、キズガラスの近くに立っているハティの方へと歩いて行った。ハティは遠出になるため薄いワンピースではなくエプロンドレスを着用していた。腰部分に短剣を提げているのだが、視線を頭へと戻すと何やら困った表情をしていた。
「どうかした?」
「キズガラスが、乗せてくれないの」
「え!?」
確かにキズガラスは俺たちが側面に回り込もうとすると頭をこちらに向くように回転し、その後で長い首を横に振る。乗せたくないようだ。
「何で急にこんな――ううぇえあ!?」
「ヨル!?」
突如後ろから服の襟を引っ張られ、空へと持ち上げられる。首筋には鼻息がかかり、どうやら人間に持ち上げられているわけではないらしい。何とか首を横に片向けて横目で後ろを見るとそこには、白いタテガミが映った。
パーシヴァルが俺を咥えていた。
「て、めぇ……! まだ何か用あんのかよ!」
相変わらずパーシヴァルは澄ました表情をしていたが、正面の黒馬、キズガラスは何かを頼むかのように、お礼を言うかのようにパーシヴァルに頭を下げている。
そしてパーシヴァルは俺を上へと放り投げ、数回転してパーシヴァルの白い背中へと尻で着地した。
「うおぉぉおお! お?」
俺はパーシヴァルの背でポカーンとしており、パーシヴァルは優雅に佇んでいる。傍から見ればアンバランスな佇まいのワンショットだった。
「乗せてくれる、のか?」
俺はポンポンと白い背中を叩く。そしてやはりパーシヴァルは鳴き声一つ上げない。しかし、夢の中ではパーシヴァルは言葉を発していた。あの夢がコイツの仕業であるのだとすれば、パーシヴァルは言葉を理解してることになる。
それでも否定する反応が無いという事は、自ら背中に人を乗せるという事は、それは肯定という事だろうか。
その時脳内に直接、いや、心に語りかけて来るように、
―――行きたい場所まで乗せてやろう
と聞こえた気がした。
「今の声は……お前か? 一体どういう原理で喋ってどういう心境の変化で乗せてくれんだ?」
しかしパーシヴァルは多くを語らない。ただ、初めて会った時よりも佇まいから伺える敵意は感じられなく、比較的温和な感じがした。
そして俺を乗せたままパーシヴァルは動き出す。軽快に、俺など乗せていないかのように足取りは軽やかだった。そしてハティの目の前まで移動し、横を向く。
「……どうせならこっちに乗せてってもらうか? ハティ」
俺が白い背中をべシベシと叩きながらそう言うとハティはキズガラスに視線をやる。それに気づいたキズガラスは首を縦に振り、俺たちの出発を祝うかのような鳴き声を上げた。
そして、ハティはあからさまに嫌そうな顔をしていた。いや俺だって気は進まないけどさ。キズガラスはコイツに任せたみたいで乗せてくれないし。
「でも、届かないね……」
「ああ確かに」
パーシヴァルはかなりデカい。子供のハティや俺ではまず自力で乗れない高さだ。例え大人でも鞍が付いてなければ乗れないであろう高さである。
しかしパーシヴァルは俺の乗せた時の様な手荒な乗せ方はしない。わざわざ長い足を曲げてその場に座り込み、しかも俺に手をとってやれと言わんばかりに鼻息を荒げてこちらを脅迫する。
「ほ、ほら。ハティ」
「うん」
ハティの手を取り、そのまま俺の後ろに引っ張り上げる。俺たちが乗ったのを確認するとパーシヴァルは立ち上がり、キズガラスの方を一瞥する。
「じゃあなキズガラス。何、さっきはああ言ったが取りあえず様子見だからまた戻ってくるさ。多分。ハティ、街の方向は?」
「あっちの崖の方。迂回することになるけどそれでも一番近いはずだよ。お爺さんがそう言ってた」
「ようしパール、目指すのはあの崖だ。言葉わかるか? 手綱とか無いから理解してもらうしかない。いう事聞ければ俺を刺したのチャラにしてやるぞ」
無論だ、と言わんばかりにパーシヴァルは崖の方を向く。
やっぱり、パーシヴァルの思っていることが何となくわかる。夢を見せられて感覚でも繋がったのだろうか。それとも腹部の魔法陣が関係しているのか。
「ヨル。パールって名前?」
「そう! いつまでも主何て呼び名じゃ呼びにくいだろ? さっき夢の中でこいつがパーシヴァルって名乗った夢見たからそれからとってパール!……まぁパーシヴァルは普通に呼びやすいけど」
余計なお世話だ。パーシヴァルがそんな風に悪態をついたような気がした。
「それはいいんだけど……次ヨルに酷い事したら許さないんだからね。わかった?」
ハティが俺の後ろでパーシヴァルの背中をポンポンと叩きながら殺気を放つ。およそ子供が放っていい殺気ではなく、背筋がゾワッとした。まあ心配してくれるのは嬉しい。
パーシヴァルは白い角の生えた頭をコクリと動かして頷く、やはり知性があるらしい。そして後ろからの殺気も幾分か収まった。
「ありがと、心配してくれて」
「う、うん。ヨルは傷が治るけど、それでも怪我してほしくないから」
俺からすればハティの方が怪我してほしくないんだけどね。どういうつもりか知らないが、パーシヴァルは俺たちを乗せてくれるらしい。キズガラスが乗せてくれない以上こちらに乗るしかないのだが、
落ちるなよ。
その後でパーシヴァルがそう言った気がした。その瞬間、視界が一気に歪みだす。次いで訪れるのは前方からの途轍もない嵐。そして最後に体全体を揺らす衝撃だった。
「――っ!!」
「き――」
いきなりの衝撃にハティが悲鳴を上げようとする。だがその前に、パーシヴァルは木々が生い茂る森へと走り出した。
慌てて白いタテガミを掴み、ハティの腕が胴体に回されるのを感じた。さらにスピードを上げ森へと突っ込む。このスピードではとても木々を避ける事など不可能に近い。
まさか木々を張り倒していくのでは、そう思った背の二人の予想は横方向への衝撃によってかき消された。
「森の中をこんなスピードで走る馬がいるかァァァアア!!」
「きゃああああ!!」
まるで反復横跳びでもしているんじゃないかと思うぐらいの木々を避ける横方向の揺れに、二人は悲鳴を上げる事しかできない。最早速すぎて木々の茶色の幹が左右に壁を作っている様な錯覚が見えていた。
タテガミを掴んでいるだけじゃ吹き飛ぶ。そう判断したヨルは何かもっと確実に掴めるものを渇望する。だが、生憎とそんなものはない。故に自身を貫いた生物の首に抱きつく他なかった。
そんな状況がしばらく続く、そして何とか衝撃に耐えられる姿勢を見つけることが出来たあたりで森の進むスピードが緩み始める。そして、歪んでいた視界が戻り始めたヨルとハティが見たものは、
「壁、か?」
「崖、だね」
高くそびえ、湖畔の家からでもあちら側の景色を大きく遮る崖であった。しかし、驚くべきは崖ではなく、ここまで僅か足らずの時間で来たパーシヴァルのスピードである。
湖畔の家と崖は密接しているわけではない。その間には森があり、人の足で辿り着くには中々の時間を有する。仮に辿り着いたとしてもそこは崖。だから俺はここまで散策に来る必要性を感じなかったのだが、
「てかお前速すぎだこの馬鹿! 何考えてんだ殺す気か!?」
パーシヴァルの白い背をバシバシと叩く。ヨルの行動は当然と言えば当然のものであったが、肝心のパーシヴァルは聞く耳持たずといったようで、そびえ立つ崖のはるか上を睨んでいた。
「ヨル、後ろ辛い……しがみついてても吹き飛ばされそう」
「あ、ああそうだよな。どうする? 前にくるか?」
「うん。あ、でもヨルは動かなくていいよ」
そう言ったハティはパーシヴァルの背中で立ち上がり、俺を飛び越えて前方へと入ってくるのだが、
「狭くね?」
「これなら吹き飛ばないでしょ?」
現状ヨルがタテガミを握れるくらいまでパーシヴァルの背を頭よりに乗っているのだが、そこにさらに割り込む形でハティが入り込んできた。パーシヴァルの首、ハティ、俺。ギュウギュウ詰めである。
大分密着していて恥ずかしい所ではあるが、確かに一番安全かもしれん。
「まあそうだな。で、ここからの経路なんだが……」
次の目的地への進路を確認しようとした時、またしても心に語りかけて来るような声が響く。先程とは違い、その声は鮮明に聞こえた。
―――登るか? であれば用意をするが。
「え? 今なんて言った、登る?」
聞き間違いだろうか。今パーシヴァルが、いやさっきから心に響いてくるこの声がパーシヴァルなのかは確証が無いが。ともかくその声が登るか? 確かにそう言った。
「ヨル、どうしたの?」
「いや、多分パーシヴァルがこの崖登るかって……ハティは何も聞こえなかった?」
「何も聞こえなかったけど……」
俺しか聞こえない、のか。
何か気味の悪いものを感じながらもヨルは思考を巡らす。
この際何故聞こえるかはあえて考えない様にしよう。となると問題は二つだ。
一つ、この声がパーシヴァル、つまりはパーシヴァルのものであるかどうか。
二つ、その声は登るといった。この、見上げれば首が痛くなるほどの崖が目の前にあるこの状況で。
「おいパーシヴァル、今の声はお前なのか?」
―――そうだが、それでどうする。登るのか?
なるほど。今のたった一つの質問で全てが解決した。
つまり、パーシヴァルは心の声的な何かで俺に話しかけ、あろうことかこの断崖絶壁を真正面から登ろうかと進言していると。なんだそれ。
「登れるのか、この崖を?」
―――造作もない。
「マジかよ……」
「ヨル? さっきからどうしたの?」
見れば正面にハティの顔があった。体をねじり、首をねじって後ろを振り返っていた。
「あ、いや。何かコイツの声が聞こえるんだよ。言ってることがわかるんだ」
そう言いながらパーシヴァルの白い背中を叩く。
「それでこの崖登ってやろうかガキんちょ共。って言ってるんだけど、登った方がいいのかな?」
「? 主、いや、パーシヴァルだっけ。の言ってることがわかるの?」
「うん」
「確かにここを直接登れれば近道にはなるけど……無理でしょ?」
「それは俺も思う。だけど登るのかって聞いてくるんだよ」
ハティの疑問は至極当然である。この崖は多少ではあるが離れている湖畔の家から見てもあちら側の景色が見えない程にデカい。
いくらパーシヴァルでも登るなんてことは出来ないだろう。そう思うのは当然である。
「おい、ホントに登れるんだろうな?」
―――ああしつこい! 登るんだな!? だったらこれでも握っておけ! やたら人外臭いガキが!!
お? パーシヴァルは今まで大分紳士的な振る舞いを見せていたが、ここに来て本性が垣間見えた気がする。いいよいいよ。そういう感情が見える方が俺は好きだよ……ん? 人外臭いってなんだ?
「おい人外臭いってな――」
パーシヴァルが俺にだけ届く声を荒げるのと同時に腹部が光り出す。厳密には、先程発見した魔法陣が光り輝いているのが上着の上からでもはっきり見えた。
「――っ!?」
「なに……これ?」
輝いている俺の腹部から何かが飛び出してくる。細長くて白く、淡い光を放つ縄に近かった。
感じるのはビリビリと肌を刺すような魔力の信号。魔法に関して魔力の放出方法すらほぼ我流の俺にでもわかる、恐ろしいまでに魔力が凝縮された縄だった。
「手綱、か?」
だがそう形容するには少々おかしい所があった。
その白い縄はパーシヴァルの胴体へと巻き付き、更に背に乗る俺たちを固定する形で巻き付く。結果として手綱ではなく、
「というより固定用の縄って感じか」
「みたいだね」
そう言ったハティの胴体にも光の縄が巻き付いていた。
二人は顔を見合わせ、何が起きたのかよくわからないといった表情を浮かべていたが、固定されるという事は、さっきまでとは比べ物にならない程の決死の移動になるとはいざ知らず、
「苦しいな。もうちょっと緩くならないのかこのシートベルトは」
などと呟いていた。
―――では、行くぞ!
パーシヴァルはそう言うと、背に乗る二人の体がビリビリと反応する。まるでここら一帯の魔力が集められている様な張り詰めた感覚を覚える。そしてそれは次第に下の方へと収縮されていき、雷鳴の走るような耳をつんざく音と共に、パーシヴァルの四本の足の先が青白い電流を帯びていた。
「何か、電気帯びてるんだけど……魔法だよな」
「―――――」
前方のハティは後頭部しか見えないが、それでも平常心ではないとわかる。何故ならば震えている。圧倒的なまでの魔力量に本能が危険だと言っているのだ。もしあれが自身に向けられでもしたら、かすりでもしたらと思うと肝が冷える。
俺も夢の中で味わった、あの時の力。
「ハティ」
「うひぁ!?」
震えていたハティの脇に両手を突っ込んでワキワキと指を動かす。するともちろん飛び上がり、くすぐったそうにするのだが、生憎と光の縄で固定されているためビンッと体が張る。
「な、何するの!?」
「アッハッハッ! 怖がること無いって、むしろ誇るべきだ。こんな強そうな魔法みたいな使う奴の背中に乗ってるんだからな俺たちは!」
「……ヨルは怖くないの?」
「怖いも何も魔法の事とか全く覚えてないからよくわかんね!」
笑みを絶やさず言い切った瞬間、またしても視界が一気に歪む。次いで襲ってきたのは、後ろへと引っ張られる重力という名の世界の法則だった。
「ガッ――――」
「―――――――」
あまりの衝撃で声にならないとはこういう事なのだろう。
壁を、走りやがった……!!
雷鳴の様なけたたましい轟音を響かせて走り出したパーシヴァルは前方に迫った崖のという名の壁に前脚二本を掛け、壁を蹴り上げる。さらに休む間もなく後ろ脚を使い昇っていく。その途轍もない衝撃に崖の岩肌は耐え切れず、ガラガラと崩れていた。
重力により後ろへと引っ張られ、更に正面より来る風に煽られ俺の背骨が悲鳴を上げていた。それでも歯を食いしばり何とか耐えるがそれ+のけ反ってくるハティの体重も支えているため、背骨がいつ逝ってもおかしくない状況で、
――ああ、骨折も水かければ治るのかな。
と考えていた。
声も出なくなる程の崖登りを見事に達成したパーシヴァルは崖の上に佇み、白いタテガミを風になびかせていた。
そんな白馬の背の上に、白黒頭の子供二人が力ない姿勢で座っていた。
俺は腰を押さえ、頭を俯させながら呻いている。ハティは膨大な魔力に当てられてか、はたまた崖登りという未体験の直角ロデオを体験してか、放心したような表情で空を見上げているように伺える。
「もう二度とやりたくねぇ……」
俺は低く呟く。
「でもすごい近道できたのは確かだよ……」
空を仰ぎながらハティが呟く。
「せめて次やる時はもっと良い体勢しとかないと腰折れるぞこれ」
そうぼやきながらもゆっくりと顔を上げる。そこで俺のくすんだ赤に近い黒の双眸に飛び込んできたものは、
「おお! スゲェ景色……!」
緑に輝く山々、空を舞う鳥、蛇のように流れる川。そして遥か先に見えるは木々が少なく、そこは山ではないと主張している大地。手のつけられていない森林はまさに野趣と言った言葉が似合う。
俺の目にはほんの僅かではあるが、異世界『ガルム大陸』の姿が映し出されていた。
「そうか、家のあるところは山と崖の間にあったんだな」
言うなればあそこは崖下という表現で正しかったのだ。中々に広い場所であったから実感が無かったが。
「これが、ガルム大陸。ハティはここまで来たこと……無いみたいだな」
「うん!」
前にいたハティの横顔は眩しいほどの笑顔だった。
「街の方向、わかるか?」
「崖を登ってそのまま真っ直ぐ。そう言ってた!」
「じゃあ行きますか! もう俺この景色だけでもテンション上がりまくってるけど更に上がってきたぁ!!」
「私も!」
そして白黒まみれの二人と一頭は正面に見える森の中を走り出した。この雄大な景色を前に、この世界に希望を抱いて。まだ見ぬ土地へと足を踏み出す。
辿り着く先は希望に満ちた世界か、それとも不条理が蔓延る世界なのか。




