04 傷は治るもの
「目覚めよ」
「っぁあ!?」
突如、暗い闇の底へと落ちて行った意識に何かが突き刺さる衝撃を感じる。まるで、肋骨を直に握られ、そのまま力づくで引っ張られるように荒々しい衝撃が体中に響き渡る。
「うぐっ!? 俺、死んだはず……」
俺は腹部に手を添えるが、ユニコーンから刺されたはずの傷が無い。だが、狼から受けた右腕の傷は健在だった。
その後で辺りを見回す。
とても、白い空間だった。
といっても精神と○○の部屋みたいな感じではない。湯煙の様な煙が蔓延しているような白さだ。
足元には薄く水が張っており、時折水が無くなるほどに薄かったがとても熱い。まるで熱湯だ。
「これは……やっぱり死んだのかなぁ俺。ゲームオーバーからの最後のセーブ地点から復活とかないんですかね」
まあ見るからに貴方の冒険は終了しましたみたいな風景なんだけどさ。
そんな事を思ってると、ふと後ろから声が聞こえてくる。偉そうな、それでいて荒々しい声だった。
「ふん。誰かと思えば、無責任馬鹿の作った人形ではないか。人形風情が、誰の許しを得て私の前に立つ」
後ろを振り返るとそこは相変わらず湯煙が濃かった。しかし、その先に何か、人影のようなものが確認できる。無責任、人形、何の事かわからないが、俺に話しかけているのだろうか。
「それ、俺に言ってる?」
「貴様以外に誰がいる」
そして人影は続ける。
「作っておいて後は丸投げとは、実にあいつらしい。時にガキよ。貴様はなぜ此処にいる」
「わからない。てかあんた誰?」
「愚か者め」
本当のことを言ったのになぜか怒られた。しかも俺の質問に答えてくれない。
というか言っている事の七割がわからない。この場所に至っては十割がわからない。俺は一体どうすればいいのか。
「まあいい。では貴様に問いを与える。それに答えよ」
人影は湯煙の向こうで立ち上がる。するとザバァと水が飛び散る音が聞こえ、物凄い熱気がこちらまで漂ってきており、つい身構えてしまうほどだった。
「くっ……!」
「今貴様は何が欲しい?」
「何……?」
「二度は言わぬ。答えよ」
何が欲しいだとぅ? これはあれか? 大いなる存在的な何かからのお力授かりイベントか!?
「汎用性が高くて女の子にモテモテになれる戦闘に便利なチート能力が欲しいです」
取りあえずいい表現が思い浮かばなかったのでこう言ってみる。やっぱり異世界ものと言えばこれがなくては……あれ、でも俺死んだんだっけ?
「ふは、ふはははは! あいつも馬鹿だが貴様も相当だな!」
「失礼な。ってかあいつって誰だ?」
「む? その気配から察するに既に接触しているはずだが……ああなるほど、察したわ」
と人影は何かに納得したようでまたその場に腰を下ろす。するとまたしても水音が鳴るのだが、今度はその水が一気に蒸発するような音も聞こえてきた。そしてさらに湯煙が濃くなっていく。
「力だったか……それは叶わぬ。『牙』も『爪』も既に貸し与えておるのでな」
「はぁ、じゃあ何ならくれるんだよ? てかあんた誰?」
「たわけが、本来であれば貴様の様な偽物に与えるものなど無いのだがな。だがまあ、『とっておき』をくれてやろう」
無視されたけどやっぱりこれお力授かりイベントだ。何くれるのかな、やっぱりあれ? チート能力的な? ワクワクしてきた。
俺のスキルは発見できなかったんじゃなくて、まだ貰っていなかったんだと思った。
「だが、貴様は必ず後悔することになる。人には過ぎた力であるが故に。それでも欲しいか?」
「でもくれるのは力なんだよな? それなら欲しい、かな」
「そうか。では常に水を携帯しろ。それが貴様の治療薬となる」
「は?」
「ああそれと他の女に手を出し過ぎてハティを泣かすなよ? 英雄色を好むというが、貴様は間違っても英雄などではない。神という愚者が創り出した人形なのだからな」
と人影は言い、腕を上げて俺を追い払うような仕草をする。……ん?
「ハティを知ってるのか!? てかあんた誰だ、ここどこだ、神とか人形とか、少しぐらい答えろよ!」
「では少しだけ。ハティは私の『牙』を持っている。以上だ、とっとと行け」
「はあ? おい答えになってねぇぞ! お前は誰――っ!?」
グワンと脳内が揺れる感覚がした後に、視界がどんどんと狭まっていき、暗くなっていく。まるで俺という存在がこの場から消失しかけてしまっているかのように。
「ぐっ、っあ……」
頭を抱えてその場に倒れ込んでしまう。
痛い、痛い。痛い痛い痛い痛い。頭が割れる。右腕が痛い。息が苦しい。腹部が痛い。
まるでせき止められていた様々な痛みが凝縮され、それらが一気に襲いかかってきたような痛みを感じていた俺は意識を保つことが困難となり、薄れゆく意識の中で最後に人影の偉そうで、荒々しい言葉を捉えた。
「我が眷属を模して作られた人形が何処まで行けるのか、見せてもらおう」
そしてヨルの意識は再び暗闇へと落ちて行った。
______
俺は、どうなった?
暗い、何も見えない。フワフワとした浮遊感だけが感じられる。あの煙の人影は、俺に何かをしたのだろうか。それ程にあの時の痛みは凄かった。
しかし、痛みを感じるという事はまだ生きているという事なのだろう。そして、その痛みを覚えているという事は……
「ヨル……?」
聞こえる、耳が聞こえる。
指先に、くすぐったいような草の感触を感じる。
口に鉄の味を感じる。
鼻に嫌な血の匂いを感じる。
あとは目を開けるだけだ。
ゆっくりと目を開けていく。青い空が見える、雲が、太陽が、そして、ハティの泣きじゃくる顔が見えた。
「何だ、俺生きてるじゃん……」
「ヨル!!」
「う、うぉっと!」
ハティが地面に倒れ込む俺にボディプレスをかけるかのように倒れ込んできたのを、何とか支えてやる。不思議と腹部に痛みは感じられなかった。
「よがっだぁ!! 本当に、いぎででよがっだぁ!!」
「ああ、何か死んでなかったわ。心配させてゴメン、ハティ」
倒れたままハティの頭をポンポンと撫でる。ハティの白黒入り混じった髪は俺の髪と色こそ同じものの、モッフモフだった。そりゃもうずっとモフッていたいほどに。
そしてハティが泣き止むのを待ち、その後で起き上がってユニコーンに刺された傷を確認するために、おびただしい血が付き、穴が空いている上着を脱いで上半身裸になったのだが、
「傷が、無い……!?」
「うそ……」
背中から腹部にかけて大きな風穴が空いているはずだったのだが、そんな様子は感じられなかった。
まるで刺されたのが夢であったかのように俺の腹部は何ともなく、まだ未成長の肌がツルツルとしているだけだった。
傷らしい傷は右腕の傷跡ぐらいであったのだから。
俺たちは口をアングリと開け、驚くほかなかった。傷は無い。だが確かにそこにあったはず。
俺の口、体、地面、衣服、ハティに付着している大量の血痕がそれを物語っていた。
「うそだろ、ハティ。俺が倒れてから何刻過ぎた?」
聞いてはみたが、俺の体に付着している血はまだ液体のように滞留でそう時間が経っていないのは明白であった。
「何刻って、倒れてから半刻も立ってないよ……だって死んだと思って泣いてたら息してるんだもん」
「という事はハティも気づかぬうちに腹の風穴が塞がったという事はつまり……」
「つまり?」
「よくわからないけど生きててラッキー☆」
俺は笑顔を作り、口角を人差し指で釣り上げながらハティを正面から見据える。
どうやらよっぽど泣いていたらしい。既に泣き止んではいるが目がすごい腫れている。それに俺の血で両手が赤く染まっている。
俺はだいぶ吐血した。しかし口周りには液体の血が付着していない。恐らく、ハティが自分の手で拭いてくれたのだ。汚れるのも顧みず、俺のために。
「ほらほらハティ、笑おうぜ? 生きててよかったって一緒に笑おう!?」
「ヨル……?」
「よくわかんないけどさ、助かったんだから笑おう? 何か失血したせいかフラフラするけどさ、ハティが笑ってくれるならもう俺元気百倍になるからさ!」
「……笑えない、よ。ヨル、だって私が――」
ハティは暗い顔をしてそう言おうとする。言わせるものか、笑ってほしいなんて俺の自己満足を満たすために過ぎないんだ。けれど、だけれども、それでもハティには笑ってほしい。
初めて出会ったあの時のように、笑いながら希望ある未来の話をしてほしいんだ。不条理な境遇でありながらも、希望を、楽しさを捨てない。そんな人であってほしいから。
「それでも笑おう、笑って未来の話をしよう。ハティは一緒に暮らせれば楽しいといった。俺は楽しかった、楽しかったんだ!!」
「ヨル……」
「そりゃあ辛いことだってあった。痛いことだってあったさ。けどそれら全部をひっくるめて! 俺はハティに会えて良かったと思ってる!」
本当にそう思っている。
そうだ、俺は何をしていたんだろう。ハティの心に響くもの探しとか、いらなかった。大事だったのは、ものじゃなくて、この思いをどう伝えるかだったんだ。何回励ましても心に響いてくれなかったのは、俺のやり方が違っていたんだ。
人を笑顔にするには、まず自分が笑顔でいなくちゃ。
満面の笑みを込めて、ハティに手を差し出した。
「気にするとか気にしないとかそんなんじゃなかったんだよ。全てを受け入れて、生きていこう!」
「っヨル……ヨル!」
「涙を流したっていい。それでも笑って欲しいんだ!」
「うん……頑張る……! ありがとう、ヨル……!」
ハティは血だらけで泣いていた。目は両腕と大差ないほどに赤く、髪の白い部分にも俺の血は付着していた。その姿は一歩間違えれば惨状を体現するに相応しい恰好であったが、その血の付着した顔は眩しいほどの笑顔となっていた。
こうして三つ目の狼との遭遇から始まった俺たちの小さく大きな事件は、俺の右腕に傷を残し、俺とハティが血まみれになるという形で幕を閉じた。
ユニコーン、湯煙空間の人影、腹部の傷消失。様々な謎を残したままだったが、それでも血まみれの子供二人は近くの山小屋へと帰っていく。泣きながら、笑いながら、楽しそうに、嬉しそうに。
______
それはその日の夜だった。2人は湖でヨルの血を洗い流し、血まみれとなった衣服を洗濯して干し、様々な事があり、ぐっすり眠れるほどに疲れたその日の夜。
その日はヨルがベッドを使う日だった。ハティは違う部屋で毛布を敷き、床で寝ているはずだった。
「ヨル……」
そのハティが部屋の扉の前に立っている。質素な寝巻に着替えたハティが自身が愛用している枕を両手に抱え、そこに立っていた。
「ハ、ハティ?」
「わ、私もヨルも小さいから……2人ともベッドに寝れる、よね」
思いがけないアプローチだったため、完全に思考がフリーズした。ハティから見れば俺は目を点にしてさぞおかしい表情をしていたのだろう。
「ちょ、ちょっとまってよ! それは、それは何かまずいって!」
「……ダメ?」
「ダ、ダメというか、いや別に嫌なわけじゃないんだけどその」
「じゃあお邪魔します」
「ぅあ」
俺がアタフタしながら言った言葉を了承したと受け取ったらしいハティはピョンとベッドに飛び乗ってきた。
いくら十歳といえどハティは可愛い女の子であり、そして俺は元いた世界でもこんな経験無しのゲーマーであったわけで、ゲーム内で添い寝イベントをこなしたことが数在れど現実でとか恥ずかし過ぎアババババ。
「お腹、大丈夫?」
「う、うん。その後も何ともない」
「そっか。でも明日にでもしっかり調べよう?」
俺たちは背中合わせにベッドに横になっていた。
これは添い寝イベント、これは添い寝イベント、落ち着け落ち着け……
俺が心頭滅却し、邪念を何とか振り払おうとしていると、不意に耳元で声が聞こえた。
「ヨル……」
「ひゃい!?」
耳元で声が聞こえるだとぅ? それはつまり、ハティがこっち向いてるんですよね!? アガガガガ、理性がガガガガ……
「一緒にいてくれて、ありがとね」
「な、なーにこのくらいならお安い御用ですよ! 俺は何時でも可愛い女の子の味方ですん!!」
大分テンションがおかしなことになっていたが聞かないでください。
「そう。可愛ければ誰でもいいのね、ヨルは」
ちょっとむくれたようなハティの声が聞こえた。
これは言葉の表現をミスった。そう思い、焦ってそうじゃないと否定しながらついハティの方を振り返ったのだが、
鼻と鼻がぶつかり合うほど近くにハティがいた。
「ち、近くね?」
「近づかないと落ちちゃうから」
「じゃあ俺がもっと壁による――イダッ!?」
ハティと見つめあったまま後ろへ後退しようとしたら、ハティの軽い頭突きがおでこにゴツンと喰らった。
「いいの、この距離で」
「そ、そうですか」
しかし、こうして改めて見るとハティはとても可愛い。前に俺が髪を伸ばせばハティみたいになるんじゃね? とかいう表現をしたが、俺なんか比にならない程にハティは少女を極めていた。
……まあ当たり前か。
「と、ところでハティさん、何か御用ですか?」
そういえばなぜハティが夜這い……もとい一緒に寝ようなどと来たのか、その理由を聞いてなかったと思い聞いてみる。
まあハティの事だ。大方何かを思い詰めてここまで暴走してきたのだとも考えられたのだが、
「心配だからっていうのもあるけど、ちょっと言いたいことがあって」
そしてハティは少し間を置いた後、話し出した。
「私ね、ヨルを傷つけちゃったこと、本当に辛かったの。でも、ヨルが血だらけになって、死んじゃうんじゃないかって思って、自分の思いをようやく実感したの。」
「……どんな?」
「一番怖いのは、また一人になる事だって思っちゃったの。ヨルが痛い思いをして、怪我して悲しかったのは、辛かったのは、私が一人になっちゃうからだって」
「……」
「ヨルの事なんか全然考えてなかったの。傷を消毒しようとしたのは、ヨルを死なせて一人になりたくないから。魔法を教えなかったのはヨルが力をつけてどこかへ行かないように。そうやってヨルを、縛ってたの」
ハティの話は耳に入ってくる、だが俺は何故か猛烈に眠かった。
血を失ったからだろうか、さっきまでハティがベッドに入って来て高鳴っていた心臓は既に落ち着き、ゆっくりと体に血流を送り出す。足りない分を、補うように。ゆっくりと。
「私、実は自分の事しか――」
「それで、良いんじゃないかな……」
「えっ?」
「人なんて皆自分の事しか考えてないよ…自分がやりたい事をやる。そうやって生きるからこそ人は人なんだよきっとさ……」
眠い……もう自分でも何を言ってるのかアヤフヤになってきた。
あえ? 俺今なんて言った? 意識が……
「俺だって…自分の事しか……スヤァ」
「……あれ? 寝ちゃった!?」
ハティは驚き少し声を荒げる。
しかしヨルは既に熟睡モードへと移行していた。
「クスッ……それでいい、か。ありがと、ヨル」
目に涙をためていたハティはヨルを追うように目を閉じ、眠りへと落ちていく。
2人が顔を合わせながら眠るその光景はまさに、双子のそれのようだった。
そしてそんな二人を不思議な術を使ってか、遠方より眺める人物が一人、何処かの場所でこう言った。
「よしよし。一件落着ハッピーエンド。それにしてもまるで双子みたいだなぁ、ヨルとハティは。ま、当たり前か」
白いローブを着用し、白いフードを被った人物だった。飄々としたその口調は捉えどころがなく、抑揚が無いことも相まって男性か女性かわからないような声色をしていた。
「ハティ、後は君に任せる。楽しく生きなさい」
そう言った白ローブの表情はとても優しく、しかしどこを見ているのかわからない虚ろな目をしていた。