三章11 暗闇のディナー
「いっ…………だぁ………!?」
「大人しくしてなさいヨル」
熱を持った背中が激しく痛む。
無理も無い、傷に傷を重ねるように殴りつけられた背中は適切な処置をしなければすぐに血が足元まで流れ出てくるほどの傷だ。ライナが後ろで手当てをしてくれているが……この傷は水で完全に治しては貰えない。
「よい……しょ!」
「いぎっ……!?」
「はい、包帯巻き終わったわよ。余りに酷い裂傷は縫っておいたからつっぱるだろうけど、我慢なさい」
アルシアはひとしきり俺を痛めつけると満足げに部屋を出て行った。次いで俺も血だらけのまま別な部屋へと移されて手当てをされているようで傷を処置するライナは見た目とは裏腹にこなれているように見える。包帯を巻く位なら誰でも出来るだろうが傷を縫って塞ぐなんて技術を……死体であるライナが持っているというのも何とも言えない気持ちになる。
「何か言いたげね」
「っ、ぐっ……あ!?」
………っぐ!?
急に後ろから覗き込むように視界に現れたライナに顔にビックリして力んだら背中がまた痛む。皮膚が引っ張られるような不快な痛さだ。けど的確な処置ではあるんだろう……でなければ今頃痛くて動けすらしないだろうから。
「医者でもないのに、処置が上手いんだな……」
「まぁね。貴方達が従者と呼ぶ屍が生活の近場にいて、いつもこんな傷を負った生物の手当てをしていて、暇つぶしに本でも読んでれば誰でもこうなるわ」
「傷を負った生物ってのは、俺みたいな子供か……」
「そうね」
「そう、だよな……」
自分の事を語ったかと思えば急にそっけない返事で返答してくる。そこがライナの不気味なところの一つでもあるが、何か……アルシアよりは抵抗感が無い。死体であるという時点で相当の抵抗感があるだろうと言われればそうなんだが、見た目からじゃそんなの全く分からないし、何より俺よりも小さいという点が威圧感を感じさせない。
もちろんそれは全くの誤認であり、小さかろうが俺の抵抗を力で捻じ伏せて制圧するなんてことは訳ないといった膂力を誇る。けど、見た目だけの威圧感で言えばライナはそれ程じゃない。
むしろアルシアの方が威圧感がある。
二人共黒髪でよく似た顔立ちではあるが、アルシアの方が優しくない感じがする。何の根拠でそんな事がという事になるが、ライナは理性的に痛めつけるのが楽しいといった印象だが、アルシアは本能的に人に害するのが楽しいといった雰囲気だ。
上手く表せないが……ライナには計画性があってアルシアにはそれが無い。
それが怖い。
医療の心得があって計画性のあるライナであれば人を引き千切る膂力を持っていたとしても怖くは無い。けど、アルシアは根本からおかしい。大好きなペットを手違いで殺してしまい、普通なら悲しんだり惜しんだりするところを笑顔で『やっちゃった!』と言ってしまいそうな危うさがある。そんな行き当たりばったりの危うさから生まれる恐怖が恐ろしい……
……殴られた影響だろうか。頭がボーっとして思考がグルグルと頭の中を回っている。口に出すのも億劫なので自然と考えが頭の中で積み重なっていく、そんな感じだ。
「はぁ……っあ……っ……」
「辛そうなところ悪いんだけれどアルシアが待っているわ」
「っ……?」
「言ったでしょう、これが終わったら食べ物をあげるって」
ああ、そう言えばそうだった。
喋る事すら辛いこの状況でまともに物を食べる事が出来るのかどうかも怪しいが、それでも食べておかなくてはならない。いつまた食べ物にありつけるかもわからない、だから無理してでも食べなくては。
「……わかっ、た」
「じゃあ付いてきなさい」
そう言いライナは部屋の扉へと近づき手招いている。歩けるか……?
「くっ……ぎぃ!?」
痛っ……てぇ……!!
足を踏み込む度に激痛が走る。腕を少し揺らすだけで背中に服の布が擦れて痛い。歩くのすら困難なくらいに背中のダメージは深刻みたいだ。
「歩くのくらい頑張りなさい。さっきズボンを履き替えるのは手伝ってあげたでしょ?」
「っ……ぁあ!?」
あんまり上半身を動かさずに歩くしかない。そうすれば幾分かは痛みも安らぐか……
「……っ」
「それじゃ、こっちよ」
こっちは、まともに歩けないのにそんなに早く歩かれたら……見失ってしまう。
「っぁ……くっ」
「ほら遅い」
常にライナは俺の前を行っているがそれでも多少は俺に合わせてくれているようだ。でなくてはとっくに見失っているだろう。俺を連れて行くという必要があるためにそうしているのだろうが、それでもライナには心を感じる。既に死んでいる死体なのに……そう言った意味ではアルシアよりも人間らしい。
そうやってしばらく屋敷の中を歩いていると他とは明らかに大きさの違う扉が見えてきた。階層は一階、恐らく正面玄関から一番離れている部屋だ。無論その大きな扉もかなり古くなっているようだが、食事にすると言っていたという事はここが食堂に当たる部屋という事だろうか。
そんな考えを肯定するかのように扉の隙間から廃墟には場違いな食材の香りが漂ってくる。
「ここよ」
そう言ってライナはその大きな扉を開く。
するとそこには椅子に座り料理が置かれたテーブルへと向かうアルシアの姿があった。
「―――どうぞ、席に着いて?」
既に室内どころか外も暗い闇に覆われている。
そんな中所処に置かれたロウソクの光が室内を淡く照らしており、眩く光る石の照明とかいうベルウィング邸とは明らかに違う雰囲気を纏ってアルシアはそこにいた。そのまま闇に溶けてしまいそうな程に――
「っ、痛めつけて楽しむような奴隷を同じ食卓に向かわせるって……?」
「床にお皿を置いて手を使うの禁止で食べさせた方が良かった? それも見たいとは思ったんだけどね、流石にその身体じゃ無理でしょー?」
そう言いながらニコリと微笑みアルシアは自身の向かいの椅子に誘導するように手を振っている。見たところ料理の用意がされている席は俺が座るであろう席とアルシアの席だけだ。振り返る事すら困難な身体でライナの方へと視線をやると相変わらず無言で佇んでいるだけ。さっさと食えと言うような顔をしている。
「……っいただきます」
背もたれには背を預けられないが椅子に座り正面を見る。
見たところアルシアと俺の料理に差は無いみたいだ。どちらも採れたもの全部乗せといった料理だ。肉、野菜、木の実と様々だがこんな木の実俺は見つけられなかった。多分、採り尽くしているからだろう。皮肉にも人手は死人で代用できるのだから。
「……っんく、あむっ……」
美味い。
そもそも死ぬかもしれないと思う位には腹が空いていたんだ。そんな所に食い物を渡されれば誰だって何だって美味く感じる。香ばしく、甘いものを渡されれば尚更だ。
いつまた食えるかわからない、骨だろうと種だろうと全て喰らって糧にしないといけないだろう。でなければあの日骨を齧っていればと後悔する羽目になりかねない。
「もーヨルってばそんなにがっついちゃって」
当然だ。
血を流しすぎている。確かに水をかければ傷は治るだろう、だが体外に飛び出た血液までは補充されていないのがよくわかる。だからこそ身体が血肉となる食べ物を求めている。頭にぼんやりと霧がかかったみたいになる程食べること以外に考えられない。
「背中がスッゴイ痛いけど……優先順位は食べる事で痛みは二の次って感じだね」
そう言いアルシアは俺の正面でクスクスと笑いながら料理をフォークで口へと運んでいる。
「この料理はねぇ、全部私が作ってるんだよ。だっていくら私の言う通り動くと言っても死体にご飯作らせるのはちょっと不衛生でしょ?」
死体を人形のように操っているくせにそんな事を気にしてるのか。
いや、違うか。自分で操っているからこそ一番気にしているのかもしれない。従者に食材を触らせて料理をさせるなんてアルシアくらいしか出来ないだろうから。
「……っ」
「……ん? ヨル、どうしたの?」
美味い……腹が減っているから当然で、当然料理に伸びる手が止められないのだが……また頭がボーっとしてきた。美味い、味が次第に薄れていくように感じる。おかしいな、もっと食べておかなくてはいけないのに……身体もうまく動かなくなってきている様な……ああ何か、熱い。まるで背中に火が点いたみたいな、
「ヨル……ヨル! 姉様!」
「……ぁ、はぁ、はっ……」
いつの間にか頭がテーブルに置くみたいに触れている。支えきれなくなってぶつかったのはわからないが額が少し痛む。ただそれよりも比較にならない程に怠い、動こうという気力が湧いてこない。背中の痛みだけが頭を殴り付ける様に響いて……死にそうだ。
「当然かもしれないけれど傷が熱を持ってるわね。ほぼ絶食状態であれだけ無理させた後に痛めつけたんだから当たり前だけれど、食料を与えられて張っていた気が抜けたんでしょう」
ライナの声がする。
意識は薄れてきているのだが、失うか失わないかのギリギリのところで止まっている。そしてこのまま意識は失わないだろうという予感がある。失神するのであれば感じる痛みも鈍くなっていくはず。けれど痛みと気怠さが鮮明に感じられるからだ、例えるなら風邪で高熱を出した時に近い。
どこまでも辛いけれど……絶対にその感覚は消えない。そんな……感じだ。
「そっか……じゃあ寝かせる? それなりに食べるものも食べたし、そのまま死んじゃいそうなくらい衰弱してるし……」
「それが良いわ。でもまあ安心なさい、無理が祟って衰弱してるけれど死んだりはしないわ」
「……うん、うん!」
「……随分嬉しそうね」
安堵したようなアルシアの声の後に複雑そうに呟くライナの声が聞こえた。多分、その呟きはアルシアには聞こえない程に小さなものだったんだろう。その証拠にアルシアはその答えを返しておらず、ライナ自身もそんな呟きは無かったように俺を担いで部屋の扉へ向かっているようだった。




