三章10 少女の願望
「お帰りヨルー!」
「っ……!」
結局ライナに持ち上げられたまま森の中の廃墟の屋敷へと連れ戻されていた。日陰になった屋敷の前ではその黒に溶け込むようにアルシアが佇んで出迎えている。
「アル……シア」
「んー? なーに?」
「鞭打ちなんてして、何の意味がある……!」
「あるよ、可愛いヨルが泣き叫ぶ姿がとっても好きなの」
ああ、知っている。
そういう言葉を返してくることは知っている。そしてそんな理由で平然と人を傷つけられる事も。だからこそアルシアは死体を操るなんて力を正気で使っていられるんだ。
「人を……虐めて、痛めつけて、殺して……それが楽しいなんて、どうかしてるよ……!」
「そんな事ヨルに言われてもなぁ」
「っ」
説得力が無いって言いたそうな顔していやがる。
俺が……独房で従者を殴り潰したからか……? それを知ってアルシアは、俺を同類だとでも―――
「っ違う! 俺は、お前ら何かと違う!! 人間が苦しむのを目の前にして楽しそうに笑っていられるお前らなんかとは――――」
「人間が……苦しむ?」
な……?
急にアルシアが疑問符を浮かべた。理解できていない? そんなはずは、アルシアは自分がやっている事に罪悪感は無くても理解はしているはず、
「私が人間の苦しむ姿を見て楽しんでるなんて……一体ヨルはどこで見たの?」
「な、に?」
今見せているじゃないか。
俺の目の前で、血を流して疲労と空腹でまともに動けない俺の前で、笑いながら俺の眼球の奥を覗くような目で、嬉しそうに笑っているじゃないか。
「今、俺を傷つけて笑っているだろ……」
「そう……自分では気づいてないんだね」
なん、だ。
意味がわからない。アルシアは何を言っている。
「じゃあ姉様、ヨルを実験室に連れて行って。ああ、あと面白そうだからこれヨルに付けてね」
「ええ」
「っうぁ、やめ、ろ……! 何だこれ……!?」
突然視界が真っ暗の闇になった。
何も見えない、視界が機能していない。次いで肌に何かが触れている感触と後ろに引っ張られるような違和感。
布か。
多分布みたいな物で目隠しをされているのか。
「……!!」
急に、悪寒が。
何だこれっ……身体が、まともに動かな、
「っぁぁ……うあぁ、あああ!!」
寒い。
おかしい。さっきまで汗が出ているくらい暑かったのに、視界が黒くなった途端に急に体温が下がり始めている?
それに何か、血の匂いが膨れ上がった。音が馬鹿みたいに大きく聞こえる。
しかも頭の中を蛇のような長いものが這いずり回っている様な、把握できない恐怖が込み上げて……
「や、ぁあぁあ!? これっやめ、はず、外し――――ぁぁぁあ!?」
「ん、あれ? 何かヨル錯乱してるけど」
「貴方何かしたんじゃないの?」
アルシアとライナの声が爆音のように聞こえる。耳が、おかしくなっている。会話の声どころか辺りの木々がざわめく音が絶えず聞こえて、心臓の音が杭を打つように鈍く聞こえる。
「何もしてないけど」
「そう……それじゃトラウマになったって所かしらね」
「トラウマ?」
「大人しくなるまで真っ暗な地下の独房にヨルを閉じ込めていたでしょ? だから、視界が意図的かつ完全に失われるのが怖くなってしまったんだと思うわ」
「でも一緒に寝た時はここまで怖がってなかったよ?」
「暗いと言っても目に何も付けていなければ多少は目が慣れるでしょうし、怖いのは無理矢理視界が奪われる事であって自分から目を瞑る分にはそんなに問題は無いって所かしら」
「なるほどー、可愛いなもう。暗いところが怖いなんて」
「っぁ……!?」
頬に何か触れた。これは……手か。
きっとアルシアが振れているのだろうが、落ち着け。落ち着けよ……ただ撫でられているだけだ。従者じゃない、怖がるな、大丈夫だ……引き裂かれるわけじゃない。
「服脱がせてあげるわ、そのままやると破れちゃうし。上着だけでいいわよね?」
「うん。それじゃあ移動開始、罰が終わったら食事にしてあげるから死なないでよね?」
また担がれているみたいだ。
移動するとアルシアは言っていたから恐らくライナに俺を任せて足の杭を抜いたあの部屋に向かっているんだろう。けど、暗闇がトラウマになっているなんて……そんなに怖かったのか俺は。いや、それもあるんだろうけど、従者を叩き潰したあの感触が蘇ってくるのがたまらなく怖い。
どうかしていたんだ。
極限まで消耗して俺はおかしなことをしてただけ……なら良かったんだけど。消耗した故に本性が出たというのなら俺は、
「はい着いたよヨル。じゃあ動けない様に拘束するからねー」
「ぐっ……」
考え込んでいたら重い扉を開けるような鈍い音と共に血臭が漂って来た。腐りかけの血の匂いもするが、それを掻き消すように昨日流した俺の血の匂いが鼻に付く。
「鞭打ちだから、吊ろうかな」
「っうあ、て……手枷、か?」
急に手首に冷たい鉄の感触。多分手枷だが、吊るって一体……
「うぁ、あああ!?」
急に手枷が上に引っ張られた。
それにこの音……鎖だ。
「っ」
手枷に鎖が付いていて、それが俺の身体を上に引っ張り上げているみたいだ。足が、つま先がギリギリ地面に届く位まで吊り上げられている。天井に鎖をかけるフックでもあるのかよ……! アルシア達が後から取り付けたのかもしれないけど、この廃墟どうなってやがんだ……!
「目隠しされた半裸の少年が鎖で吊られて怯えてる……最っ高だね姉様!」
「ホントに楽しそうね」
「ぐっ……ぁ、がっ……痛っ……! も、もうすこしっ、下げてっ……! 手首が千切れる……!」
自重が手首の枷にほとんど乗って喰い込んでいる。このまま立っている分には暫くは持ち堪えられそうだが、それで限界、追加で鞭打ちなんてされたら……!
「だーめ、これくらいが一番叩きやすいんだから」
悪魔め……!
ただ痛めつける事しか考えていないのかよ……!
「それに多少無茶してもヨルなら水かけるだけで治るもんね」
「っ俺は……何度でも修復可能な玩具って事かよ……!」
「じゃあ最初に水かけとくよ、今のまま鞭打ち始めたら多分ヨル死んじゃうしね。えいっ」
「……っ! ぶはっ、かはっ……」
冷っ……!?
水。一瞬の痛みの後に傷が治っていくのが感じる。切り傷はもちろん疼いていた打撲傷からも痛みが引いていく。疲労までは回復しないが、身体の耐久力は元に戻ったようだ。
「打つのは貴女がやるのかしら」
「うん。だって姉様にやらせたら確実にヨル死んじゃうでしょ?」
「まあ、そうね」
見えないが声から察するにライナも部屋の中にいて、どっちがやるかを話し合っているのだろうか。
「っよせ……止めろよ……! もういい加減にし――――っ!?」
「んー?」
また頬に何かが当たる感触が。
でも今度は感触が固い、とても人の手とかじゃない。細い……棒?
「っ……!?」
「どうしたのヨル? 昨日はあんなに大人しくて……抱きしめて寝られるくらい従順だったのに」
「……従順だろうが反抗的だろうが、結局酷い事するのは変わらないんだろ」
「そんな事無いよー、従順であれば……昨日の夜みたいに可愛がってあげるのに」
嘘だ。
大人しくしてた結果一方的な鬼ごっこを強要されて罰ゲームを受けさせようとしている。こんな状況になればとても大人しくしていれば優しくしてもらえるなんて思えない。
「嘘だって顔してるね」
「っ、ふん……」
「目隠しされて内心恐怖でいっぱいのくせに、もう可愛いなヨルはぁ……けど強がっても意味無いよ。どうせ罰が終わるころにはまた従順になっちゃうから」
「……」
足が震えてきた。
つま先で立たされているからっていうのもあるが、怖いんだ。もうすぐ鞭打ちが待っている、子供が三十九回で死んだ鞭打ちが四十四回に増えて行われる。死ぬかもしれない、そんな原始的な恐怖が心の中を渦巻いている。逃げる術も無くただ受け入れるしかない事が途轍もなく怖い。
「アハ。震えちゃって」
「言わないで上げなさいアルシア、ヨルが可哀想でしょう?」
「……っうるさいな! 可哀想だと思うんならこんな事するなよ……! 攫いたくなる位好きな奴を痛めつけるなよ! 自分より幼い子供を……虐めるな―――――」
「駄目だよヨル、飼い主が不機嫌になるような鳴き声を上げたら……お仕置きなんだからっ!」
「―――――――――っぎ!?」
何かがしなるような音が響いた後、露出した背中に衝撃が走った。
かなり強い衝撃だったがまだ痛みは無い。だがそれが逆に怖い、何をされた? 何が起こった? 反射的に状況を把握するために身体中の意識が背中へと集まっていく。
「ぁ――――――――――」
痛っ。
針が刺さるような小さな痛みが次第に大きくなっていく。あ……これ、ヤバい。痛みが、引いていかないどころかドンドンと大きくなっていく。
「ぁ、ぁぁあ……ギッ、ァアァァアアアアアァァァァアアア!?」
「ああ、ホント可愛い悲鳴……」
「痛っ、がぁぁぁぁあ!! ぁあ、うあぁああああ!?」
嫌な汗が出てきて痛みが……痛い、痛いぃ、ぁあぁぁぁぁぁああ!?
「かはぁっ、ひっゅ、はぁっああ!!」
「もうヨル、まだ一回しか叩いてないのに……これじゃ耐えられないんじゃない?」
アルシアの声が遠く感じる。
背中を殴られたのに、耳が聞こえなくなるってどうなってんだ。背中が、燃える。ただ燃えるみたいじゃない、これは……熱というよりは凍傷に、近い痛みがある……!?
「これをあと四十三回続けるよ、覚悟してね」
「ひぃっ、い、いやっ、やだぁぁぁああああああああぁぁあああああ!」
「はい二回目っ!」
「―――――――――――――――っぇっぐ!?」
また極低温の物を押し付けられたような鋭い痛みが背中を襲う。だが今度は一回目の傷に響いて余計に聴覚が揺さぶられるような不快感。
痛い、怖い、痛い、寒い、見えない。無理だ、こんなの四十何回も耐えられるわけが。そんな事したら俺の前に死んだっていう少年の二の舞になってしま――――
「三回目!」
「―――――――――――――――!!!!」
回数を重ねるたびに意識が薄れていくのだけがわかる。それに比例して痛みも小さくなってきているようだ、それはつまり、死に近づいているって事……?
嫌だ、それは、それだけは死にたくな……痛いのは、これは耐えられな、もう。
「よーん!」
「―――――――――――――――ひぎっぁぁあ!?」
ハ、ハ、ハハハハハハ。足の杭を抜いた時と同じだ。痛みで意識を喪失しかけ、痛みで引き戻される。拷問。違うのは……こっちの方がより痛みを与えられる拷問だという事。傷に傷を重ねて、更にその上から痛めつける事が可能なんだ。掛け算みたいに痛みが膨れ上がっていく。
従順になっても酷い事をされるなら、無駄だとしてもせめて反抗心だけでも捨てないでおこうと思った矢先にこれだ。もう心が崩れかけている、弱い……決めた決心が何度も何度もガラスのように砕かれる。
もう……何が正しいのかわからない。
「――――――――――」
「――――――――――」
「――――――――――く」
「――――――――――いち」
「――――――――――」
「――――――――――にじ」
「――――――――――」
「――――――――――」
「――――――――――」
「――――――――――じゅう」
「――――――――――」
「――――――――――」
「――――――――――」
________
死ぬ。
間違いなく、ゆっくりと死の沼に足を踏み入れていく感覚がある。背中から流れた血が本当に足を濡らしているのだろうか、足が濡れる感覚が恐怖に拍車をかけている。最早俺の身体がどうなっているかすらわからない程に意識が混濁しているようだが、踏ん張れ。死ぬな、転ぶな。足下が濡れているなら滑るかもしれない。滑ったら……手首がイカれるぞ。
「ヨルー? 生きてるー?」
「っぁ……!?」
口の中に何かが入って来た。
冷たい……水か?
ああ、叫んだからか。喉がカラカラだ。水飲みたい……もう少しだけ、これで生きられる。
「っぷぁ……んぐっ!? か、っぷかぁ、はぁ……!?」
「よく頑張って耐えたね、ほら沢山飲んで」
飲めとは言うが多過ぎる。
もう飲む量と口に注がれる量が逆転して口から溢れているのがわかる。拒否しようにも瓶の先を口に突っ込まれているみたいで拒否できない。気管にまで水が侵入してきて溺れそうだ。
「んかっぷぁ、かひゅ……ごはっがはぅあ、か……」
「あれ、ちょっと飲ませ過ぎたかな」
「もう…………終わり……? 鞭打ち、終わった…………?」
二十数回あたりから記憶が無いが、水を飲ませてくれているという事はもう終わったんだろう。血の匂いが酷い。水滴がつま先から垂れている、それに、そのつま先は地面に着いていない。という事は恐らく……手首が既にイカレているいう事なんだろう。鎖と手枷のコンビネーションに破壊されている。
「うーん残念、あと十回残ってます!」
「――――――――!」
「でも、どうしてもやめて欲しいって言うなら……やめてもいいけど」
だから……アルシアはそれが目的なんだ。
痛い事をして、追い詰めるところまで追いつめて。その崖っぷちで優しさを見せる、救いがあると思わせる。そうやって俺をアルシアに縋る犬にしようとしている。わかっている、わかっているのに拒み切れない。それがアルシアの、目的なのに。
「……て、お願いします……もうやめて下さい………もう痛いの、嫌だぁぁぁぁああぁ!!」
「でもヨルの悲鳴聞けなくなるのは嫌だなぁ」
「何でも……他ならっ、良いから………お、あああ、犯しても良いから、抵抗しないからぁあぁ……!」
「……意外とヨルって凄いこと言うね」
「うぅ……ぁあ」
「まあいいよ、やめてあげる。その代わり背中の傷は水で治さないからね。絶対に傷跡残るだろうけど、良いよね? 私が付けた傷跡が一生ヨルの身体に残る……凄い……興奮するから……!」
「……っ、……っ!」
良い。
傷跡が残ろうがどうなろうが今は痛みから解放される方が大事だ。だから俺は必死に首を縦に振った。見えはしない、動けもしない。だが、何故かその言葉を聞いたアルシアが恍惚の笑顔を浮かべて優しく凶悪な表情になっているんだろうという事が感じ取れた。




