三章09 擦り減る心身
「はぁ……ぐっ、ぁあ……!」
手に上手く力が入らない。
腹部に強烈な違和感、それに引っ張られているように体全体が重い。ダメージを受けるってこういう事なんだろう。身体全てが稼働するためのエネルギーを修復に回しているみたいな……そんな不快感だ。
「はっ……はっ……はぁ……!」
足がふらつく……駄目だ、一回木の陰で休憩を。もうライナは見えないし従者の気配も感じない。逃げるためにも休まないと。
「っ……!」
痛っ、て……!
辺りに従者がいないのを確認して木陰へと座り込んだが痛みがひかない。追われていない今の内に水があれば治せるが、川も無ければ水溜まりだって見当たらない。それに何故か魔法で水を生み出そうにも全く魔法が使えなくなっている。
アルシアに何かされたのか? 魔法を使えなくされた?
だとしたら俺が意識を失っている間だろうか。得意では無かったとはいえ使える技術が全く使えなくなるというのは不便に感じる。
とにかく、早急に水が必要な傷なのか見ておかないと。
「っぅあ……!?」
アルシアに渡された服を捲って見たら腹部に酷い痣がある。
内出血した血が辛うじて体外に流れていないという感じだ。既に触れると熱を持っているのがわかる。
「とにかく、水を探しながら従者の隙間を縫って逃げないと……」
そう、やるべきことは変わらない。
けれど、やれるのか?
ここまではなるべくアルシアのいる屋敷から遠く離れるように出来るだけ一直線で逃げてきたが、ここからもそうするべきか? それしかない、屋敷周辺を逃げ回ったところで逃げることは出来ない。一直線に進めばもしかしたら森を抜けることが出来るかもしれないから。
だから正面に見える二体の従者は蹴散らして進まないといけない。後ろに戻ればいるのは怪物。だからこそ、やるしかない。力は込めるな、腹部が痛む。入れるのは腕力だけだ。
「っぁぁぁあああ!!」
右にいる従者に一気に近づいて下から上に払うように槍で一閃。基本だ、武器を振る時は身体の近くから振り始めて体から離れた場所で振り終わる様に。離れた場所から降っては力が出ない。力が出なければスピードが出ないし、スピードが出なければ俺の腕力では軽く槍を掴まれて終わりだろう。
「っうあ、ああ!!」
続けざまに二撃三撃。三回斬られれば動かなくなるというルールがあるんなら相手に動き隙を与える必要は無――――
「っぁ……!?」
視界がいきなり歪んだ!?
肩から首にかけて殴られたような衝撃。
そんな、目の前の奴は三撃入れてもう動けないはず――
左にいたもう一体の従者か。
いつの間にか接近してきていた、それに思いっきり死角から殴られたのか。
「っうぁ、ぐ……」
視界がドンドン歪む。
衝撃からして殴られたのは肩のはずだが、どうやら殴られた衝撃が顎にまで届いたみたいだ。脳が揺れるような不快感がいつまでも消えない。くっそ、立て。来るぞ、追撃するために従者が来る。
「ガアァ、ァア!!」
「っ子供を……殴るんじゃねぇよ!!」
……あ。
しまった、やらかした。
この鬼ごっこのルール上最も効率が悪い攻撃は『突き』だ。ナイフで三回傷付ければ動きを止める従者に対して刺突では刺して抜いての動作が必要になってしまう。だからこそ、上手く立てない俺に対し覆い被さる様に襲ってきた従者相手に刺突の対処は間違っていた。
……殴られて咄嗟に心臓部分に刺突が出るって事は、やっぱり俺は殺したがりなのかもしれない。
「っうぁあ! 死ね、死ねよ! 死ねぇぇええ!!」
半狂乱みたいな声が出ているが刺してしまった以上やるしかない。二回三回と従者の胸に槍を突き刺す。ナイフは槍の先端に括りつけているため長すぎて近くでは上手く使えないが、ようやく従者は動きを止めた。返り血を多少浴びてるが仕方ない。気にする余裕なんて、無い。
けれど、逃げるために殴られたこの代償は余りに大きいみたいだ。
「はっ……はっ、くっそ……近づくんじゃねぇよ、殺されたいのかコイツ……」
意識がハッキリとしない。
朦朧としているというのは行き過ぎだが、その一歩二歩手前といった感じだ。腹部の痛みが意識の混濁に拍車をかけているみたいで痛みが酷く恐怖心と空腹感で脳が危険信号を発している。それに言った覚えのない言葉を俺の耳が捉えている。恐らくは無意識に言った言葉なんだろうが、
それでも、それでも逃げなくては。例え殴られた肩から流血しているとしても、ここから逃げなくては。意識もはっきりとしなくなって腹部には大きなダメージ、治すこともままならない。逃げられないかもしれない。けど、進む外に無い。
いつライナが背後に立っていてもおかしくないんだ。だから、逃げるんだ。上手く思考もまとまらないが足を動かせ、走るんだ。
________
太陽が夕日に変わっていた。
まるで血のように赤い夕陽が憎たらしい程に輝いている。
どれだけ従者を倒したか覚えていない。
理由は二つ。数え切れない位を相手にしたというのと、意識が正常じゃないからだ。あれからかなり経っているが意識の混濁は酷くなるばかりだ。時刻が過ぎれば過ぎる程増えていくのは疲労と空腹感と痛み。腹部の痛みは既に脳を歪ませる程に酷くなっている。
感覚器官が上手く使えなくなったせいで従者の気配の見落としが増えた。だから逃げている内に気付けば辺りを囲まれるという事が頻繁に起きた。五回、十回か?
覚えていないがその度に殴られ咬まれ蹴り飛ばされを繰り返しもう何回もこんな状況を凌ぎ切れない程に消耗している。
全てが赤く見える。
手先は従者の返り血と拭った俺の血で真っ赤だ。手製の槍は先端部に取り付けたナイフから反対側の尖らせた部分まで鮮血に濡れている。貰った服も所々に赤い斑点が……
この囲まれた状況あと何回凌げるか……いや、凌げたとしてここから脱したらもう動けなくなるだろう。数は、八体に今も囲まれているな。
腹が……減った。
殆ど何も喰っていない状態でこんなに動かされて。木の実の一つでも見つけられれば違ったんだろうが従者の対処でとても探して手に入れるどころじゃなかった。仕方なくそこらの草を噛み千切って腹に入れたが空いた腹に苦い雑草は余りに辛くてすぐに吐いてしまったし。
「そうそう、やっぱりこういう状況じゃないと」
少女の声。
最悪だ、ああ最悪だ。こんな時に一番合いたくない奴が目の前に。いや、こんな時だからか。
「ライナ……」
「満身創痍で囲まれている。走れないならこういう状況じゃないと捕まえにくいものね」
走っていない。
それが一目でわかる見た目だった。俺は土に塗れて草をかき分け時にはかき分けた草を齧りながら走り回っていた。けれどライナの服装はとても運動に向いているような服装では無く、ヒラヒラとした簡素な衣服で汚れすらない。
ああ、腹が空いた……もう、疲れた。何か食べられるなら、どうでもいい。
「ライナ……」
「何かしら、命乞い? 心配しなくても殺したりしないわ」
「これって従者に捕まったらご飯抜きで……ライナに捕まったら罰ゲームだよね……?」
「ええそうよ」
そうか、そうだよな……
「じゃあライナに捕まったらさぁ……罰ゲーム受けたら、ご飯貰えるかなぁ……?」
「……ァハ」
「何でもいいから……」
「アハハハハハハア、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
血染めの太陽を背景にライナは狂気を含んだ笑い声を上げた。けれどそれを怖いと思えるような判断力はもう残っていないみたいだ。
「フッフフ、フフフ! ええ、ええいいわよ? ヨル、貴方から近づいて来て捕まりに来て食べ物をねだるというのなら、エサくらい上げてもいいわ」
「じゃあ……」
罰ゲームを受けて食料にありつけるのと、何もされない代わりに飯抜き。
それなら……前者の方が良いんだよな?
だって、飯にありつけるんだもんな?
間違って……無いよな?
「じゃあこっちに来なさい?」
「はい……」
もういい、疲れたんだよ。行動不能にさせた従者はおそらく四十か五十。動員されてる従者全てを一回づつ停止させたくらいにはやったつもりだ。だからこんなに傷ついている、額からずっと血が垂れてきているしそれを治す水すら見つからなかった。そう簡単に見つかる訳も無いが、どうせアルシアにでも水にたどり着けないように誘導されていたのかもな。
「……っ」
手を伸ばせばライナに触れるくらいまで近づいた時、足から突然力が抜けた。結局逃げようとした所で逃げきれないのがオチか。
「はい、ヨル捕まえた」
『ハイ鬼ごっこ終了ー!』
ライナが俺の肩に手を置いた瞬間、何処からか見ていたんだろうアルシアの声が周囲に響く。ゲーム終了、俺の負け? いや俺が勝つ事なんて最初から出来なかったんだろう、俺に選べるのはどっちの負けかだけ。
『それじゃあヨルにはお楽しみの罰ゲーム決定!』
「罰……」
『やっぱりヨルも内容が気になるよね、ね? 仕方ないなぁ教えてあげる!』
響く声は楽しみから来る興奮を抑えきれていない。碌な罰では無いのが目に見えるがそれを受ければ食べ物をくれるって言うんなら耐えるさ。
「罰はもう決めたのアルシア?」
『うん、姉様たちが追いかけっこしてる間にね』
「じゃあ聞かせて貰える?」
『もちろん! ヨル、貴方がこの鬼ごっこで行動不能にさせた従者の数は何体だと思う?」
「……数?」
倒した数と罰ゲームに何の関係がある。
倒せば倒す程酷くなるとか、軽くなるとかそういう事か?
『答えは四十四体だよ。まあ実際使い物にならない位損傷してるのは一、二体だけどね』
「……それと罰に何の関係があ――――」
『あるよ。だって罰は鞭打ちに決めたからね』
鞭打ち……
罰ゲームって、また拷問かよ……どれだけ人を痛めつければ気が済むんだ。
わかってる、気が済むなんてことは無いんだろうって事くらいは。あいつらは拷問しているという認識はあっても実感が無いんだ。酷い事をしているという実感が無く、あるのはただ楽しいという捻じれた感情。
「っじゃあ……四十四回鞭で俺を打つって……?」
『うーん大正解っ!』
「四十四回ねぇ……フフッ」
それを聞いたライナが笑っている。
鞭打ちなんて言葉しか知らないからよくわからないけど、四十四回ってのは少なく感じる。だって要はその数だけ叩かれるのに耐えきれって事だろ、それなら痛みにさえ我慢すればすぐに終わるんじゃ、
「……」
「それじゃあ戻りましょうか。歩けるかしらヨル……って無理みたいね。なら仕方ないから運んであげる」
「っう……!」
ライナは俺を軽々と持ち上げた。
やっぱりこの腕力普通じゃない。スキルか魔法かもしくは従者だっていう事がそのでたらめな力に作用しているんだろうか。けど何だ、仕方なくと言って俺を持ち上げたライナの顔は少し嬉しそうな顔をしている。
「全く、あの娘も残酷な事するわね。誰に似たんだか……」
「……っ?」
「罰ゲームの鞭打ち、頑張って耐えるのよヨル」
「四十、四回くらいなら……何とか耐――――」
「何とかねぇ」
嬉しそうに微笑んでいたアルシアの顔が急変した。笑顔っていうのは全く変わらない、むしろ気のせいと言えることかもしれないが、確かに笑顔が凶悪になったような気が、する。その後でライナは言うかどうか迷ったが面白そうだから言ってやろうという表情を浮かべた。
「ヨルがここに来る結構前にね、ヨルくらいの背丈をした少年がいたの」
「……それが何――――」
「その子は奴隷だったみたいで。でもこの国に奴隷制度なんて無いでしょ? だからどっかの物好きの所から逃げ出してきたんだろうけどね、とにかくそういう子がいたの」
いきなり……昔話を始めた。
俺が聞く聞かないは関係なく、言葉を挟もうがお構いなしに話している。それがどう関係してくるのか不明だが、嫌な予感がするのは確か。
「結構可愛い子だったから森の中でヨルみたいに捕まえて屋敷で飼ってたんだけど……その子死んじゃったの。だから代わりを探してた時に偶然アルシアがヨルを見つけたって経緯なんだけどね」
「っだからそれがな――――」
「その子逃げようとしたから罰として屍に鞭打ちさせてたんだけど……鞭打ち三十九回で死んじゃったから」
「―――――――――――」
俺と同じくらいの子が鞭打ち三十九回で死ん、だ。
死んだって……死んだって事。
え……それで俺は、俺は……何回?
四十四回。
「だからヨル……頑張って耐えてね?」
「ひっ」
死ぬ。
殺される。殺されない……? 痛めつけるのが目的で殺さ――――
三十九回、四十四回。五回、死ぬ。水で治される? 死ぬ。
死ぬ。
「あ、ああ、うぁぁぁぁあああ!?」
「アッハハハハハハッハハハハハハハハ!! 良いわ、良いわよ暴れても。必死に命にしがみ付こうとなりふり構わず足掻くその姿、見ててとても滑稽だから!」
「やっ……ぁぁぁああ!! やだ、嫌だ嫌だぁ!! 離せ……離せよぉぁあ!? 死んじゃうってぇぇぇえっぇえぇ!!」
「そう、死ぬか死なないか。その淵で苦しみもがいてる姿が見たいのよ」
「やだぁぁぁあああ! そんなっ、死ぬって、だから……やめ、ってよぉぁあああああああ!?」
逃げられないのはわかっている。
純粋な力で敵わないのにどうやって逃げ出せる。逃げ出せたとして走って追って来るライナと千里眼みたいな観察ができるアルシアからどうやって逃れる。
けど無理だと分かっていても必死にもがかずにはいられなかった。何故なら……向かう先には死があるから。
「はぁはぁ……痛っ」
けれど元々疲労と怪我と空腹感で動けないからライナに捕まっている状況にある。そんな体で動けばもっと消耗するだけで意味なんて無いのか? でも潔く諦める……なんて普通出来るかよ、
「どうしたのヨル、もう暴れないの?」
「……ね」
「ん……?」
「………ね……死ね……………絶対に、殺してやる」
恐怖に埋め尽くされた心からドス黒い感情が溢れて零れてくるのがわかる。黒い、死を前にしてほんの僅かに生成される黒い感情が一瞬だけ零れ落ちた。
「殺す……殺す……死んでも殺す……死んでても殺す……死んだって許さない…………呪って、呪って呪って呪って呪って呪って呪って!!俺が苦しんだ何倍の苦しみの果てに死ぬように呪ってやる……!!」
「ああ……良い顔するようになったわヨル。そう、貴方は媚びている姿も可愛いけれど……そうやって見境なしに黒い呪詛を撒き散らすような本性丸出しの姿も可愛い……!」
そんな呪詛を受けてライナは平然どころか恍惚の笑みを浮かべて歩いている。
俺は……死にたくない、死にたくないだけなんだよ……!
けどこのままじゃ殺される。媚びても反抗しても殺される、なら俺は一体どうすればいいんだ……




