三章06 痛みは人を
「そこの部屋に入って、ヨル」
「ひっ……ぐ……!」
こ、こは……寝かせられていた所とはまた別の部屋だ。
けど、あそこ以上に悍ましさを感じずにはいられない。
「何……ここ……?」
部屋の中には中央に血塗れの椅子が一つだけある。
それに絨毯やベッドのような生活感のある物は一切無く、無機質な石壁に四方が囲まれている。床にも赤黒い染みがこびり付いているようだ。
唯一置いてある棚のような台には怪しげな瓶が並んでおり、その下には工具のような鉄具が乱雑に置かれている。
「何、するの……?」
精一杯声を出したはずだがか細いような声しか出ない。
「何って……」
「あ、来たんだねヨル! 久し振り!」
「……! アル、シア……」
ライナの言葉を遮る様に悍ましい室内に可憐な声が響き、奥から黒い少女が姿を現した。決して忘れない、アルシアだ。危険さすら感じられる可憐さを身に纏い、黒い髪に黒い服。服の方は以前見たラフな格好では無く面積の小さい黒ドレスのようだ。
「ホント久し振り、七日くらいかな? 姉様が『大人しくなるまで会っては駄目よ』何て言うからずっと会えなかったね!」
「当然でしょう? 万が一ヨルに咬み付かれて貴女が殺されでもしたら大変なんだから」
「もー心配性ね姉様は、ヨルはそんな事しないよね? ほらここに座って?」
「やめっ、引っ張らないで――――ぎっ!?」
椅子に座る様に催促されるように腕を引っ張られた瞬間、踏み出した足にまたしても激痛が走る。
「ぐぎっ、あぐぅ……はっ、はっ、はぁ……!」
座れた。
椅子に座れた、一気に痛みが引いていく。立っている状態の痛みが酷すぎて軽く足が麻痺しているのか殆ど痛みを感じないのが逆に怖い。
「そしたら両手を後ろに回して――――ガチャン!」
ガチャン?
何だ、アルシアがそう言ったすぐ後に本当に鉄が擦れ合うような音が後ろで響いた。
「なっ……っうぁあ!? 何をっ、手、錠……?」
いや、手枷っていうのか……?
リストバンドくらいの面積のある鋼鉄が俺の両手に装着されている。
「これ……取れなっ……!?」
しかも両手の枷から伸びた鎖が椅子の背もたれ部分の鉄棒に外れないように通されている。
「なに、なっ、何するの……? もう、もうやめてよ! もう痛いことしないで……」
「え、このままでいいのヨル?」
「え……?」
何だ。
何を言っている。
「だってほら、ヨルの足に杭が刺さってるんだよ? まあ姉様が刺したんだけど」
「……?」
「ヨルの水を付けると傷が治る力って『古傷には効かない』でしょ?」
「え、ぁ……」
確かに怪我ではなくなった場所に付けてもそれは治らない。だからこそまだ狼に咬み付かれた時の傷跡が残っているわけだが、
「だからね、この杭抜いて水で傷を治さないと。自然治癒しちゃったら多分ヨルもう立てなくなっちゃうよ?」
「――――――え」
「これ刺さってる状態でここまで歩いてきたんでしょ? そんなことしたらもう杭が深くまで喰い込んじゃって動かなくなってると思うよ?」
既に、立てない?
でも、ここまで歩いて、操られて、無理やり?
動かない?
「―――――――っ!?」
動かない、本当に動かない。
足の付け根は動くから多少なら動くんだと思っていたけれど、膝から下が本当に動かない。まるで、神経が抜かれた肉塊がぶら下がっているみたいに――――
「っうぁああぁあああぁああ!?」
足が思い通りに動かない。
さっきまでは、さっきまでは動いたんだ。少なくとも床の血を拭かされたあの時までは膝で立つくらいなら動いたんだ。
けどそれが、嘘だったみたいに動かない。
「足が、足が……!」
「流石にやり過ぎたかしら。ヨルが床に血を付けていたから膝立ちで拭かせたんだけれど」
「やっぱり姉様意地悪ー。だから出血量が多いんだ」
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だこんな……もう足が動かないなんて……!
動かない。そんな、嫌だ。これが古傷になったらもう一生歩けない。
「まあでも、ヨルが痛いの嫌だって言うなら無理にとは言わないよ。だって、歩けないヨルも……可愛いから」
「……っ!」
けど、血が流れ出ている生傷の今なら……治せる。痛みを堪えれば治せる。
「っ、待って……待ってよぉ!!」
「ん? なーに?」
「……わ、わかった……我慢するから、痛くても我慢するからぁ……だからこれ抜いてよぉ!?」
涙で歪んだ視界で必死に訴えかけるが、ぼやけた二人の少女の顔には何処までも意地悪で、それでいてそれが純粋に楽しいという無垢な笑みが浮かんでいる。
今わかった。この少女達は人として壊れた魔物なんかじゃない。こいつらは、人の秩序の中で育っていないんだ。罪悪感は一切無い、これが普通、他人は全て自分のために消費されるもの。
人ではなく、魔物でもない。人間ではない人間だ。
「ッ、アハハハハハハ! もうヨルってば本当に可愛いなぁ。大丈夫、ちゃんと抜いてあげるから」
「じゃあアルシア、貴女は下がってなさい。杭を抜くのは私がやるわ」
「えー姉様だけずるい! 私だってやりたーい!」
「駄目よ危険だもの。私がやるわ」
何だ。なんか争っている。俺の……足に刺さっているこれをどっちが引き抜くかでもめているのか。どっちでもいい、痛いことに変わりはない。それからは絶対に……逃げられないから。
「危険なんてもう無いよ姉様! ヨルを見てよほら、もう俯きながら泣いて逆らう気力も無いじゃない! その為に牢屋に入れたり足に杭打ったりしたんでしょ?」
「それでも、危険なことに変わりはないわ。何せヨルは……自身の安眠の為なら人を殴り殺すような子なのよ?」
「……っ!?」
ライナ……な、にを。
「何ヨル? 何か言いたげね」
「……」
「だってそうでしょヨル? 鎖なんかで人一人ミンチにしたじゃない」
「だ……って、あれは、あのままじゃ狂ってたから……暗くて、怖くて、眠れなくて、空腹で、終わりが見えなくて……だから……」
「それでも、例え屍だったとしても、やれない人はやれないよね」
「っ」
アルシアの何気ない一言が心に刺さる。
痛い。俺はそういう奴だって事が……何より痛い。
「ヨルだって少しは考えなかった?」
「……?」
「一緒に独房にいたアレ、『人間かも知れない』って」
「そうね。確かに音や匂いで屍だってわかったのかもしれないけれど、もしもあれが喋れない程血を流している『人間』だったなら、今頃ヨルは人を殺しているのだから」
「――――――――!」
人だったとしても……やったんだろう。眠るために、俺は……そしてそれに、楽しさを見出していた。
「だからアルシアは後ろで見て――」
「姉様だけずるいー!」
「……好きにしなさい」
「んふふー、姉様大好き!」
俺はいつからこうなった?
こんな趣味や嗜好なんてなかったはずなのに。従者になったアルシアの母親を斬った時からか? これが俺の本性だっていうのか……違う。そんなじゃない、違う、はずだ。
そんな邪念を切って視界を上げると見慣れないペンチのような鉄具を持って俺の膝に添えるアルシアが目に入る。
「じゃあこれで抜くよ、頑張って耐えてね」
「っえ、っぁあま、待ってアルシ―――」
赤く染まった銀色の杭が一本引き抜かれる。
痛み……これは、痛みなのだろうか。
「ぎっ……ぁぁぁあぁぁぁああぐぁっぁああがぁあ!?」
「一本目ー」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い。熱い。焼けるみたいに熱い。抜かれたところから溜まっていた流血が一気に噴き出てくるのが見える。
「痛っ……がぁっぁああああああ、ひがっ、ぎっ、やぁぁぁあぁああ!?」
「可愛い悲鳴……ああ……ヨルを始めて見つけた時から、ずっとこうしたかったんだぁ……」
アルシアが何か言っているが悲鳴と痛みで良く聞こえない。ただ、俺に都合の良い事を言ってはいない事だけはわかるような嬉しそうな表情だけが見える。
「いだいぃぃ……これっ、ぁああ゛あ゛あ゛……! ひぐっ、ぁぁぁぁ……」
「痛い? でも治さないと足動かなくなるよ。それは嫌だよねヨル?」
足に強烈な痛み、しかし頭は優しく撫でられている。そしてこの痛みはまだ終わらない。
「早く水っ、治してよぉぉ!!」
「だからぁ、今水かけたら抜いてないところも治るでしょ? 全部抜いた後じゃないと駄目だよ」
「っ出血で……!」
死ぬ。
これが後何個もあるんだとしたら全て抜いた辺りで死ぬ。
「さあ猶予は無いからすぐに次行くよ? 次は……これ!」
「――――――!?」
アルシアは、俺の血で顔や手を濡らしながら恍惚の表情を浮かべている。楽しんでいるんだろう、だからこそ俺に布も噛ませずわざと叫ばせている。
って事は俺が叫んで泣き喚いても助けなんか来ないという事なんだろう。
「あれ、痛みで意識トんじゃった? けど止めないよ。次三つ目♪」
「――――――――ぁぁぁぁっうああ……!!」
ブラックアウトした視界に電流みたいなものが流れたのが見えた。痛みで意識を失い、痛みで意識を引き戻される。まるで……殺されて夢から覚める、それを何倍も酷くしたみたいな、
「足首も抜くよー」
「――――」
「――――」
声が聞こえるがよく判別できない。寒い、それになんか変だ。アルシアのライナの姿が見えない。
何だこれ……赤い水が部屋を満たして口元の高さまで溜まっている。血がこんなに出ているのか――――
「っぁぁぐあぁ……!?」
「あ、意識戻った?」
幻覚。
夢を見ていたのか。
何か、後ろで水音がする。俺の後ろにライナがいるのか?
ああ、そうか。
多分、暴れた時に手枷が喰い込んで怪我したんだろう。それをライナが治しているんだろうか。でもそれも幻覚である可能性もある。もう何が現実かわからない、意識と痛みと幻覚が混ざり合って混沌としている。
「意識トんだヨルも可愛かったよ。ほら、良い子良い子」
頭を撫でられているんだろうか。
血の臭いが凄まじい。あれ、血溜まりの中にアルシアが使っていたペンチが落ちている。何でだ、あれじゃドロドロで杭なんて掴めな――
「もう終わったよ。ほら、足見て?」
足……?
床は血塗れ。けど血が出たはずの足にそれらしい傷は全く見えない。あの血が噴き出てくる穴が完全に消滅している。
「治っ、てる……?」
「うん、そうだよ。頑張ったね」
恐ろしい程の激痛を断続的に受けたからだろうか。
優しく抱きしめながら頭を撫でてくれるアルシアからしみ入る愛情を感じる。そんなわけないのに、あったとしてもそれは強引で自分勝手な愛情なのに……凄い安らぐ。
「ぁぁ……」
足が動く。安堵感がじわじわと身体の内を温めていくような感覚がある。
「さ、手枷取ってあげる」
けれど、これからどうなるかわからない不安がそれを掻き消す程に存在している。楽しむために俺の攫ったのなら彼女たちのさじ加減一つで腕、眼や足を失ったとしてもおかしくない。それに『治る』という特性を利用すれば痛めつけて楽しむという事に際限が無いって事になる。
それは嫌だ。痛いのは……もう嫌だ。
だから、好かれるんだ。
もう痛い事はしたくないと思われるくらいに、真っ当に愛してもらえるように。
怒らせては駄目だ。優しく扱ってもらえるなら、人として扱われなくたっていい。それこそ……アルシアの言っていたペットでいい。
……痛いよりは、良いだろう。
逃げるのは…………はっ、逃げたところですぐに捕まるだろう。何せ俺たちが王都から数日出ている時を襲ったアルシアだ。それに、逃げ切ったところで待っているのは迷子と餓死。
俺の考えは間違っていたのか。
生きるためには逃げるんじゃなくて……生きるためには従順にすべきだったんだ。




