三章03 閉暗所の戦い
「ギィ、ガ……」
「っ……!」
呻き声が狭い部屋に響く。
生物の声じゃない、その声は言語を為していない。ただ呻いてるだけだ。
従者だ。
穴から従者が入ってきた。
どうする!?
どうする!?
ほとんど何も見えないが間違いなく従者だ。
倒す……としてもどうやって?
丸腰で、この何も見えない狭い独房でどうやって。
素手で殴り殺す? 先程のライナくらいの大きさの従者なら何とかなるかもしれない。けど、大人の従者だったなら間違いなく喰い殺される。
鎖。
鎖がある。
これを力いっぱい叩き付ける。
でも、できるのか?
身体が震えている。
獣相手なら戦った事はある。けど、敵は人をバラバラに喰い殺し、村を地獄絵図と化す化け物だ。しかもそれは人の姿をしている。
「けど、やらないと俺が死ぬ……」
冷たい鎖を手に声のしてくる暗闇へ身体を向ける。殺さなくては、殺される。
「ハァ、ハァ……うぅ」
独り言と息遣いを漏らした。
奴ももうこの暗闇に俺がいることは気づいているだろう。いつ首元に喰い付かれるかもわからない。
やれ、やるんだ! その前に殺せ! 喰い殺される前に!
「来いよ、いるのわかってんだろ!? 殺してやるから来いよ!」
怒声を部屋中に響かせるが依然として侵入者が俺目がけて向かってくる様子は無い。
……こっちから攻撃するか? でも、俺と同じく侵入者も襲い掛かられたら反撃してくるだろう。なら様子を見て不用意に命を懸けるのを避けるべきか?
「くっそが……!」
怖い。
この室内に何かがいるという事自体も怖いし、排除するために命すら危険に晒さなければいけないというこの状況が恐ろしい。
やれる。
人型だとしても俺は殺せる。ルーリアの母親のなれの果てを斬っただろう。なら殺れる、出来るはずだ、
だが鎖では返り討ちに遭うかも……それに視界は全く利かない。
「怖くて……怖くて攻撃出来ない……」
恐怖の余りに自分から開戦の火蓋を切れない。攻撃すれば反撃される、反撃されたら死ぬかもしれない。そんな恐怖がへばり付いて離れない。俺の呟いた独り言は思ったよりも震えていた。
仕方が無い。
出来ないものは仕方が無い。幸い視界以外の感覚は働くんだ、なるべく侵入してきた従者から離れるようにして部屋の隅でうずくまっていよう。あいつが攻撃してきたら、その時は迎撃する。暗闇で初撃を外す可能性があるこちらからの攻撃よりも、あいつが近寄って攻撃してきた時の迎撃の方が倒せる確率も高い。
そうして俺は視覚以外の感覚で従者の位置を大体特定。そこからなるべく離れた地べたに体を丸めて座り込んだ、いつ襲われてもいいように両手に冷たく硬い鎖を強く握りしめて。
______
それからどのくらいの時刻が流れただろうか。
相変わらず侵入者との膠着状態は続いている。奴も俺の事には気づいているはずだ、けれど未だに襲われていない。何か目的があるのだろうか。
時刻の感覚はとっくに失われた。それに少し寒い、腰が痛い、眠い、腹が空いてきた。身体が既に多くの不調を訴えてきている。解決したいところだが寒さと空腹はどうしようもない。ただの独房なら眠気なんて起きないのだろうが、侵入してきた従者がいる以上眠る事なんて許されない。
……獣相手に戦っていた時は必ずロロとハティが傍にいた。誰かがミスをしてもお互いに助け合えたけどここには二人はいない。眠気を解消するには殺される危険を侵す必要がある。
くそっ! 結局は誰かが傍にいないと俺は戦うことも出来ない臆病者だ……
「っ!?」
「あら、そんな部屋の隅で何してるの?」
突然部屋の中に大きな音が響き、頭に刺さるような高い少女の声が響いた。だが俺の両眼は光を全く感じていない。相変らず闇のままだ。
「従者が部屋にある穴の中から入ってきたんだ! どうにかしてくれ!」
「ふーん、まあ仲良くしなさい?」
ライナの表情は見えないがその声色はまるで知っていたと言わんばかりに抑揚が無い。
「……っわかった! もう逆らったり反抗したりしないからここから出してくれ!」
「根を上げるのが早くないかしら。そんなにその子の事が嫌いなの?」
……その子? ライナには見えているのか? この暗闇の中で。
「だって、こいつ従者だろ!? このままじゃ喰い殺されるって!!」
「けど駄目よ。だって前に言ったでしょう? 泣きじゃくりながら謝らない限り出してあげないって」
「おい、おい待て! 行くなよ! 謝るって、だから……!」
「ああ忘れてた、これあげる。食べてね」
ライナがそう呟いた瞬間部屋の中に何かが落ちる音が聞こえた。そしてその直後にライナの声がする前に響いた大きな音が響く。何かを部屋の中に落とし入れたのだろうか。
「くそっ、行きやがった……」
ライナが初めて来た時と違い足音が全く聞こえない。それに恐らく扉か扉に付いている窓のようなものを開けて何かを落とし入れたというのに光が漏れてくる事は無かった。
多分光を消しているのだろう。そしてライナにはその暗闇の中を歩く手段があるって事か。
「あいつ、何を落としていったんだ?」
手探りで地面を探るがうまく見つけられない。けど確かに何かを落としていった。衣服の類ではない、もっと硬いが鉄よりは柔らかいような音だった。
「結構質量があるような音だったけど……これか!?」
探っていると部屋の扉側付近に丸みを帯びた何かが落ちているのを手先の感触で捕らえる。
大きさはソフトボールくらいだ。円球ではあるが一箇所だけくぼんでいる部分がある。ライナは食べてと言っていたが、という事は食べ物なのだろうか。だとすると形状は恐らくリンゴ、オレンジあたりの果物みたいだが……
「見えない以上食べたら実はやばい物だったっていう可能性も大いにありそうだが……匂いは甘酸っぱいような美味そうな匂いがする」
鼻に拾ったものを当てて匂いを嗅いでみるが、特に血の匂いや生ゴミのような匂いはしない。それどころか新鮮そうな果物の匂いがする。けど食べる勇気が湧かない、本当に我慢できなくなったら食べることにしよう。
そして俺はまた部屋の隅へと戻り腰を下ろす。
ライナが様子を見に来た、笑いに来ただけかも知れないが。だが相変わらずこの独房内には得体の知れない「従者」がいる。小さな呻き声、かすかな血の匂いが依然として存在している。
従者が侵入してきてからどの位時刻が過ぎたのかも既にわからなくなっているがその代わりに得た事が幾つかある。
まず一つ、この従者は襲ってこない。
今まで従者と遭遇したときは俺が視界に入った瞬間食料でも見つけたと言わんばかりに襲い掛かってきていた。だがこいつにはそれが無い。
しかしそれが異常だとは思わない。
思えばアルシアに襲われ意識を飛ばされた後でさらわれたあの時、あの時は俺たちを包囲していた従者達は俺に一切襲ってくることは無かった。確かロロは襲われていた気がする。そこから推測するにアルシアは『ロード』の力を使い従者を操る事が出来るのだろう。命令をしていない場合は人を襲う。
そう考えればこの従者が襲ってこないのも納得できる。
そうなると何故こいつは独房に入ってきたのか、いや入って来させたのかという疑問がでてくる。
幾つかあるが一番ありそうなのは監視だろうか。
俺は独房内で妙な行動をとらないように見張っているのかもしれない。だとするとヤツも部屋の隅で息を潜めたまま一向に動かないのもおかしくは無い。
後は可能性としては俺に恐怖を与えるのが目的というのが次点か。
なんにせよ未だ襲われていないとはいえ気を張っておかなくては抵抗する間もなく襲われるかもしれない。だがずっと床に座っていたために腰が痛い。奥にある冷たいソファを引きずってこっち側に持ってこよう。
こうなったらもう耐久力がものを言う。なるべく体力を温存して心を削れない様に保つんだ。