三章02 檻
「―――っ!?」
夢、か。
何か恐ろしいような夢を見た気がするが、もう記憶から掠れるように消えていって思い出せない。まあしかしうなされるという事はいつもの殺されてしまうような夢だったのだろう。
「ぐっ……」
乱れた呼吸を整えて俺は辺りを見回す。
「……暗いな」
俺のいるここはどうやら室内ではあるようだが、部屋の中は壁が見えないくらいに暗い。広いのか狭いのかすらわからない状況だ。何処からか風の吹き込む音が聞こえるが、寒くは無い。むしろ光が差し込む窓すら無い事が一番気になる。
加えて床が錆びついたような冷たい金属質な質感である事が余計に不安だ。
「そうか、俺は……」
確か、捕まったんだ。
突然街を襲った『レイル・ロード』と名乗るアルシアに。竜を引き連れ、ロロとハティに傷を負わせ、そして俺を。
どの位意識を失っていたのかはこの暗闇では到底わからない。そして目覚めたのがベルウィング邸でもなければ病院でもないということは……アルシアは逃げ切ったんだ。
「でも何で、こんなに暗いんだ。眼球は……多分ある。失明した……?」
瞬間片目を抉られたロロの姿がフラッシュバックし嫌な汗が流れる。
「クロノ」
手元が見えないが取りあえず魔法で光を灯そうとするが光る気配が無い。上手く円を描けなかったか。
「なら、フェイ」
しかし代わりにと詠唱した炎魔法すら発動する気配が無い。
詳しくは無いが魔法を制限されているという事だろうか。
「くっそ! 身動きできねえじゃんか!」
まさに一寸先すら見えない闇。しかしながら暗いというだけで行動を起こさないわけにもいかない。何とかして現状を探らなければ。
そのため俺は立ち上がらずに膝とつま先で床を這うように風の漏れて来ている方向へと進んだ。それに合わせて金属が擦れるような音が聞こえる。
「うぐっ!?」
ある程度進んだ辺りで頭に硬いものがぶつかる感覚があり、恐る恐る手を伸ばすとそれは金属の質感を感じさせる。所々に錆でもあるのかやけにザラザラとした質感だ。
「扉とかそんなんじゃない、一面が鉄壁……?」
……当然か。何が目的であれ、捕まえた以上は逃がさないようにするのが普通だ。つまり、ここは牢屋。いや独房とでもいうべきか。
「くそっ!」
何をされるんだ?
ハティやロロは無事なのか?
そもそも何故俺は捕まえられた?
ここは何処だ?
俺は、死ぬのか?
「ふぅ、はぁ……」
辺りが殆ど見えない暗闇の中で思考だけが活発に動く。しかしながら視界には静止したかのような暗闇しか存在せず、流れる思考と止まった景色で吐き気がしてくる。
隠し切れない不安や恐怖が互いに混じり心が落ち着かない。
「……なんか右足に付けられてる、足枷みたいな」
落ち着かない心を無理やり鎮め、俺は地べたに座り込む。その途中で右足首に違和感を感じたため手探りで探ってみると俺の右足には鉄製の足枷のようなものが取り付けられているようで、それについた鎖のようなものが擦れ合っている音が聞こえた。
鎖。
苦手だ。どう苦手なのか表現するのに最適な言葉は思いつかないが、金属なのにグニャグニャしていてそれでいて一つ一つが固いという所にどうも不快感を感じる。なんでだろうな、こればっかりは個人の好き嫌いに関わってくるから説明が難しい。
とにかく鎖は嫌いだ。本能的に縛られる、つながれるといった良くない事を連想するし。
「てか手探りだけど現在進行形で鎖につながれてる気配が――」
何とか少しづつではあるが現状を把握し用としている最中、突然遠くである音が響いたのを俺の耳が捉える遠くからまるで小さなトンネルを反響してくるかのような音だ。
カツーン、カツーンというような石畳の上を歩く一定間隔の音。一つの音が響いていき、それが消える間もなく次の音が重なる不協和音。一定の感覚なのがまた暗闇との相乗効果で心を削るそれは次第に大きくなっていき、こちらへと近づいてきているようだ。
「誰か、いるのか……?」
俺が声を上げるとその足音は一瞬だけ止まり、そしてほんの少しだけ音と音の感覚が狭まって接近してくる。
「ひっ」
明らかにこちらの声に反応して向かって来ている。
この暗い闇の中で、助けや仲間は皆無。何をされるかも誰かもわからない『敵』が近づいてくる。
得体のしれない恐怖が心に広がった。
「っ」
まるでトカゲが絶命でもするかのような扉を開ける音が響き、俺から一番離れた壁から急に真っ白な光が漏れる。しかしそれは手を差し伸べるような光ではない。俺を見つけ、捉え、嬲るためにライトを当てた。そう言う光だ。
「っああ!?」
恐らく光自体は大したことは無いのだろう。
だがこの闇に眼をならそうとして俺の眼球は反射的にその光を拒絶し、目を瞑った上に腕で顔を隠さざるを得なかった。
そして、その光の中から可憐な少女の声が響く。
「起きたのね」
アルシアではない。
似てはいるがアルシアの声はもう少し大人びていたはずだ。この声は、あの時聞いた……
「ああ、眩しいのね。無理も無いけれど」
街でアルシアに襲われた時にアルシアの傍にいた俺たちと同じくらいの少女。まるでアルシアを小さくしたようでありながら人外めいた膂力を誇っていたあの少女の声だ。
「お前、は」
「けれど無作法じゃなくて? 顔以外にもっと隠すべき場所があると思うのだけれど」
「……?」
「ほら、光があるのだから自分を見てご覧なさい」
目が痛い。
光のせいで目の細胞が縛られるような痛みを覚えつつも視線を下へと向ける。
「……っ!?」
何も……着ていない!?
「っわぁ!?」
何で裸なんだ!?
服、盗られたのか!?
「フフッ、クスクス」
「な、いぁ、ぐっ」
咄嗟に両手で身体を隠すが遅かった、完全に見られた。
「ふ、服返せ!!」
「ダメ」
恥ずかしさのせいか声が裏返ってしまい、それが更に可笑しかったようで前に立つ少女は表情を笑顔に歪めながらそう言った。その表情は前に見た、ロロと交戦し、そして致命傷を与えた時の表情だ。
「ぐっ、ってかお前! よくもロロを――っぎぁ!?」
その表情を見て羞恥心が一瞬で怒りへとすり替わり、裸も気にせず首でも折ってやろうと飛び掛かろうとした瞬間、鈍い金属音が部屋中に響き渡り、俺の伸ばした腕がギリギリ少女に触れるかどうかというところで静止した。
「ぃ、がぁ……!」
そして右足が千切られたように痛む。
そのはずだ。右足には金属製の足枷が付けられており、その足枷から扉の反対側の壁へと鎖でつながっていたからだ。鎖が伸び切り、足枷が肉に食い込むような挙動をしたのだろう。軽く出血していた。
「自分よりも更に小さな少女に全裸で飛び掛かろうだなんて、まるで狂犬ね。やはりこれが最初で良かったわ」
「な……に?」
「この牢屋でまず、『反抗心』を削ぎ落すのよ。これからどんな仕打ちを受けてももうここに戻りたくないと思えるくらいに」
痛みでうずくまりながらも光の方を見上げると、そこには少女の加虐的な笑みがあった。その行いを、苦しむ俺を見下すのが心底楽しいといったその表情はとても無垢で、それがまた恐ろしい。
「何でっ……そんな事を。ぐっ、そもそもどうして俺を……」
疑問ばかりが口から出る。
わからないことだらけだ。ハティやロロ達がどうなってるのかもわからない、それどころか俺がこれからどうなるのかも。
「それは今貴方が知るべきことではないわ。そうね、反抗的では無くなったら教えてあげようかしら?」
攫う以上目的があるのだろうが、思わせぶりな事を。こんな牢獄に裸で閉じ込めるような奴らだ。どうせ悪趣味な欲望を叶える為に違いない。
「……ね」
「ん、何か言った?」
「死ね、くそチビ」
「……!」
見上げた少女の顔が一瞬で怒りへと変わる。
言ってる事も現状もよくわからないので取りあえず敵らしき少女に向けて罵倒の言葉でもぶつけてやろうと思っての発言だったのだが、やっぱりやめておけば良かったかもしれない。
「っ……ぎぁ!?」
瞬間、俺の視界が激しく揺さぶられ、その直後に側頭部に頭が叩き割られるような衝撃が走った。次いで全身に打ち付けられるような鈍い痛み。そして止めに足枷の付いた右足が千切れるように痛んだ。
「か、は……」
思いのほかダメージがデカいらしい。
多分、頭を蹴られた。
ロロを軽く投げ飛ばすような膂力を持った少女に。
口から漏れる息程度しか体を動かすことが出来ない。やっぱりどっかの映画みたいに挑発なんてするんじゃなかった。痛いだけだ。
「そういう『反抗心』をこれから削るのよ。覚悟なさい? 貴方が泣きながら媚びるように謝るまでここは出してあげないと決めたわ」
そして少女は力無く倒れ込む俺を横目で一瞥した後に大きな音を響かせ鉄の扉を閉めていく。
「そうそう、まだ自分で名乗ってはいなかったわね。私は『ライナ』。死骸王……レイル・ロードの力を持つアルシアの従者にして姉よ。そして……貴方が初めて泣きじゃくりながら懇願する『屍』かしら」
そこまで言い切った瞬間、鉄の大きな扉は空気圧を感じるほど強く閉められたのだった。
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それからどのくらいの時刻が流れたのだろう。
だが時刻を気にしたところで何が変わると言われれば黙るしかない。現に最早時刻という概念が俺の中で生きていない。あるのは唯の闇だけ。
なら、他にやるべきことがあるはずだ。
現状把握、そして脱出だ。だがそれが出来れば苦労はしない。現状把握をしようにも五感の一つである視覚は闇で完全に潰され、残る感覚器官も役に立たない。唯一役に立つものといえば触覚と先程蹴り飛ばされた時にかすかに見えた部屋の全容だけだ。
「……ぐぁ」
痛む全身を何とか動かし俺は部屋の一番奥に設置されていたソファのような物へと辿り着く。
けど独房にソファが配置されている訳がない。この泥水か何かで湿ったようなこれが、恐らく寝床なのだろう。
蹴り飛ばされた時に見えた物はそれだけだ。けど、寝床があるだけありがたい……のか?
この寝床が取り付けられている反対側の壁と床には穴が空いているみたいだ。足から流血しているのを視認したときに見えたし、隙間風はそこから吹いてきているので間違いないだろう。
「けど、足枷を外さない事には穴も潜れない……」
魔法も使えず鎖を断ち切れるような装備も無い。そもそも穴から逃げられる可能性は薄いだろう、そんなところに閉じ込めるとは考えにくい。確認はすべきだが、あって精々隣の独房に繋がってるくらいか。
重要なのは壁だけでは無く床にも穴が空いているという事だ。
——トイレ代わりに使えないことも無いだろう。長期間拘束されるのであればだが。
これからどうしよう。
あの少女、ライナは俺から反抗心を削ぎ落すといった。それは何を意味しているか、何となくわかる。それは俺を従順な奴隷にするという事だ。
しかもそれは誰でも良いわけではなく、俺でないと駄目なようだ。そうでなければ王都近くの街にいた俺をピンポイントで襲うという事はしないだろう。そして自分よりも小さなライナを姉と呼ぶ『レイル・ロード』のアルシアはカルトの屋敷で起きた怪現象の元凶は自分だと言っていた。つまりその時から俺を狙っていたのだ。
……って事は俺のせいでロロやハティに傷を負わせ、全く無関係な兵士達が命を落とす事になったのか。
「……っ!」
暗闇の中でする事が無い以上強制的に思考が渦巻いてくる。そして出血した足首が痺れるように痛む。刺激が痛みしか無い為か痛みが治まらない。
人は長い間暗いところに居ると良くないと聞くが、どのくらいの期間でどのくらいの弊害が出るのかわからない。そして俺はいつまでここに居るのだろうか。
「それこそ反抗心が削げるまで……って事か」
良くない。
脳が過剰に思考している気がする。
少しだけ光があれば目も慣れてくるというものだが、全く光源が無い闇はこうも見えないのか。動く事すらままならない。
蹴られたせいだろう、身体中が痛い。
そしてそれを疲労とでも勘違いしているのか、それとも治すためか、単純に暗いからか段々と眠くなってきている。こんな、こんな状況で眠くなるなんてどうかしている。次起きた時は死んでいてもおかしくないのにな。
食料は貰えるんだろうか。どうだろうな、反抗心を削るって言ってたし虐待紛いの事をされるのかもしれない。
ああ、眠くなってきた。取り敢えず少しだけ寝よう。そしたら足枷を外す方法を考えよう。今すぐやるべきか? でも眠い。意識が飛んでしまいそうな感覚がある。
ここは独房だ。そしてこの監禁は俺が音を上げるまで続くのだろう。なら今は休んでこれからに備えるというのも大切だ。
そう思考に区切りを付けたら更に眠くなってきた。ああ、寝よう。汚い寝床ではあるがそれすらも気にならないくらいに眠い。意識が落ちていく、落ちて、落ちて――――――
「っう!?」
何だ……今のは?
何かが引きずられるような音がした。
いや、引きずられるというのは正しくは無い。引きずるではなく『這いずる』といった方が正しい音だった。蛇が這いずるようなシュルシュルとした音じゃない。もっとこう、大きな肉の塊が這いずったような耳障りな音だ。
起き上がり、音のした方を向くが視覚は役に立たない。まただ、また聞こえた。聞こえる音が這いずり音という以上音源はかなり近い。こっちだ、もう少し奥、丁度寝床の反対側。
……反対側? 反対側の壁には――
「ひっ!?」
今度は壁か床を叩くような音だ。
しかも今のは穴から聞こえて来るとかそういうものじゃない。今のは、この室内で発された音だ。つまり――
「穴から、何かが――――」
「ァ……ガァ……」
「う……ぁ」
言葉を漏らした瞬間、何かが呻くような声が聞こえた。辺りは暗闇。咄嗟に口元に手を当てて気取られないように息を潜める。けどそれが果たしてこの室内で意味があるのかわからない。
敵? 味方ではないのは確かだが、何だ!?
一体何かわからない、わからないがこの部屋には何がか居――――いや、この部屋に、
何かが入ってきた。




