二章26 蹂躙の果てに
「これ全部……お前がやったのか?」
ロロは警戒するような声で血溜りに佇むアルシアへと呼びかける。
「そうだよ」
「何で」
「邪魔だったから」
「邪魔?」
答えるアルシアはどう見ても不満げな表情をしている。だが、バラバラになった兵士の死体、それから流れた流血の中に当たり前のように佇むアルシアは異常なほどの危険信号を発していた。
「折角ヨルを迎えに行こうとしたのに、邪魔するんだもん」
「……」
よくわからないが、今俺たちが非常にマズイ状態にあるのは間違いない。だがこの惨状をアルシアが引き起こしたというのは間違いないのだろう。でなければこんなに落ち着いていられるものか。
「ヨル、ハティ。こっちに来い」
ロロが短剣をアルシアに向けたまま、俺たちに小さい声で合図を送ってきた。
「ロロ、ぐっ……!」
ハティに支えられ立ち上がるが、怪鳥にやられた両肩がひどく痛む。鳥の鋭爪が食い込み、両の肩を何度も刃物で刺されたような傷だ。
「ヨル」
「ああ……でも気にするな。すぐに治せる」
「私が治すよ」
そう言いハティは手に魔法で水球を出現させており、俺の肩へとゆっくりと当てようとしている。
「ぐっ……うぅ」
「わぁすごい、ホントに治るんだ!」
アルシアは俺を見て嬉しそうに笑っている。理解できない、ばらばらになって死んでいる人を足蹴にして、そんな事はまったく気にならないと言わんばかりにこちらに笑みを向けてきている。
「……にが」
「ん? 何か言ったヨル?」
「何が面白いんだ……!」
「やめろヨル、刺激するな」
わかっている。今アルシアを刺激するようなことを言えばあの殺人鬼はこちらに向かって何をするかわからないだろう。それにアルシアを慕っていたロロも信じたくない、今すぐアルシアに駆け寄って真意を聞きたいというような心情を抑え込んで俺たちの身を守ろうとしてくれている。
「死んだ人を足蹴にして……何が面白いんだお前はぁ!!」
「やめてヨル! 殺されちゃうよ……!」
けど抑えられない。だってアルシアは、ちょっと独特な雰囲気があったけど明るくて優しそうな人だったじゃないか。それなのに、
「何が目的だ、何がしたいんだアルシア!!」
「目的? したい事? そーだねぇ、君達に一つだけ要求があるの」
「な……に?」
俺たちに要求?
だが死んでほしいとか、金を寄越せとかそういう要求では無い事は確かだ。
「じゃあ何ですぐに行動しなかったのかって顔してるね? まあちょっと理由があってね」
何だ……?
周りを囲まれている様な気配を感じる、兵士や街のひとではなさそうだ。もっとこう、気配の薄い人のような何かだ。
「……理由っていうのは、仲間でも待ってたのか?」
「うんまあそんな所」
アルシアは相変わらず血溜まりから抜け出そうともせずにこちらに言い聞かせるような声色で話している。その狂気的な綺麗さは、耐えがたい恐怖すら感じるほどだ。
「もうよせヨル。いいか、傷ももう治ったろ? 俺が合図したら後ろに逃げ――」
「な――」
ロロが俺とアルシアを遮るように言葉を入れた瞬間、それは辺りの気流を大きく乱しながら現れた。
今まで見たことも無い姿形をした生物が街の上空を掠めるように飛び、旋回した後で滝と街を繋ぐ林へと着陸した。それは一対の大きな翼を持ち、痛々しいほどに尖る翼爪が目立つ。全長は林の木々の二、三倍はあり、林を薙ぎ倒した四本の脚にも鋭い鉤爪が見えて地面を大きく抉っている。
長く伸び天へと振り回す尾の先には殴打武器の様な棘があり、トカゲのような黒光りする頭部からは黒い霧のようなものを漏らしながら低く唸っている。
「黒、竜……?」
身体が動かない。
あの凶悪なトカゲのような頭部のギョロリとした気持ち悪い目がこちらを観察してきている。恐怖で動かないというよりは動くなと指図されている様な感じだ。
「ああやっと来た。この子が来るのを待ってたんだよ?」
「は……?」
待っていた? この黒竜を?
レイル・ロードではないかと噂され、しかしながら極稀にしか目撃情報が出ないという黒竜を、待っていた?
「な、にを」
そこでふとある事に気づく。
黒竜が出現し、街のすぐ隣の林へと降り立ったためだろうか。街の方からは警報のような鐘がしきりに鳴り響いている。
だが問題はそこではない。
問題なのは林へと降り立った黒竜だ。
あれは、生きているのか……?
確かに動いてはいる。だが、口が、長い首まで裂けている。しかも胴の部分は硬そうな鱗が剥がれ、肉が抉れて筋肉のような内臓のようなものが時折痙攣するように震えている。
だが痛そうなそぶりはまったく見せず、ただこちらを気色悪い目で睨み付けて来ていた。
「従者だ」
「何? どうしたヨル?」
「あの黒竜は……従者だ」
俺の顔を見たロロの目が驚愕に見開かれる。
従者になるのは人だけとは限らない。おそらく生物の屍であれば全てが従者になるんだ。犬だろうと、豚だろうと、竜だろうと。
「それじゃあこの子も来たし、要求を言いまーす」
背後に木々よりも大きい竜が着地したというのに、あのアルシアの余裕は……まさか。
「ロロ君、ハティちゃん」
「……?」
何だ、ロロとハティに要求?ってことはやっぱりあの竜はアルシアの味方ってことなのか? 俺らを脅すための味方。
でも、それはつまりアルシアは……
「ヨルを、ちょーだい」
「な、に」
俺の腕を握るハティの手に更に力が掛かる。
「ヨルの事、ずっと見てたんだよ。ヨルと出会ったあの時から……ずっと見てた」
アルシアは血溜まりに立ったまま、狂気が見える笑顔を浮かべながら何かを思い出すように気味悪く話し出した。
もう、俺たちはただ黙っているしか無かった。レイル・ロードと噂される竜を背に、血の海の上で何かを嬉しそうに語る少女に対し、俺たちは絶句する以外に無い。
「あの時私はとても退屈だった。だから、ある方法を使って潜り込んでたの。そこで初めてヨルと出会った」
「初めて出会った……あの滝での事か?」
「違う違う、もっと前」
「前……? 俺は! お前なんかと会った事は――」
待て。
何か引っかかる。そういえば滝で出会った時アルシアは、俺の事を『ヨル君』と呼んだ。だが、俺はあの時一人称を言ったか?
もし言ってなかったとすれば、アルシアはその前から俺の事を知っていたという事に、
「確かに直接は会って無いけれど、私はヨルを知ってるの」
「俺は、知らない」
「折角『印』を付けたのに、ヨルってばすぐに治しちゃうんだもんなぁ」
「……!」
アルシアの行動に戦慄が走る。
アルシアはそう言いながら、自分の手で自分の首を絞めるような動作を取った。
印をつけた。
すぐに治した。
直接は会っていない。
滝で出会うよりも前。
「何で……それを知ってるんだ」
「何でって、だって日喰の時屋敷にいたヨルの首を絞めたのは私だもん」
「な」
日喰の時、確かに幽霊のようなものに首を絞められて痣が出来た事がある。結局犯人は見つからないまま半年ほど過ぎ、それだけ経っても何も無かったから有耶無耶になっていたが、あれをアルシアが?
「う、そだ。だって、だってあれは複数の犯行だって――」
「もうよせヨル! とっとと逃げるぞ!!」
「うあっ!?」
胴の部分を突然後ろへと引っ張られ、思わず息が漏れる。横目で見るとどうやらロロに抱えられるように形で後方へと引っ張られたようだ。だが、そうしてこの場から離れようとしたロロの足はたった八、九歩ほど逃げたところで止まってしまう。
「くそ、既に囲まれて――」
ロロが悔しげに呟く。
ここは人気のない倉庫街の一本道、脇道もあるが基本的に街への道は一つだけ。街の方からは先程よりも喧騒が大きくなって聞こえるが、その喧騒は何かに物理的に阻まれているかのように近づいて来ない。そして、林の近くに立つアルシアと黒竜で挟み込むように、俺たちの背後には複数の異質な気配を纏う人影がいた。
「全部、従者だよ」
ハティが恐怖で震えた声で呟く。
数は、八体ほど。どれも虚ろな表情をしているが、奴らの真ん中に紛れられていない程に目立つ少女がいる。黒髪で無表情な子ではあるが、どことなくアルシアに似た雰囲気を感じた。
だがその姿はアルシアよりは幼げであり、俺たちと年齢はそう変わらないように見える。
「くっそ! 街の端に竜が落ちてきたんだぞ!? 助けはまだ来ないのかよ!」
確かにロロの言う通り、この状況は妙だ。
何故なら街の近く、いや街の端にいきなり竜が落ちてきている。それだけで従者大量発生なんか圧倒的に凌ぐほどの異常事態だ。即座に兵士が集まってきてもおかしくない程の。
にも関わらず誰も駆けつけて来ないという事は、
「多分、助けも足止めを食っているのかもしれない。俺たちみたいに」
「ヨル」
「何だハティ」
「いざとなったらこの辺り建物ごと吹き飛ばすから」
ハティならやりかねない。
そんな事を思っていると、俺たちの後ろから恐ろしいトカゲの呻き声と共にアルシアの声が響いてきた。
「姉様ー。わかってると思うけど、真ん中の子ですよー」
するとその言葉に正面の従者たちと共に並び立つ中央の少女がピクリと反応し、ゆっくりとその口を開いた。
「わかってるわ。それはわかっているのだけれど、他の二人はどうするの?」
「どうしよっかなぁ」
「貴女が欲しいというのなら、捕まえても良くてよ?」
「うーん」
俺たちを間にアルシアとアルシア似の少女は話しており、その声には何の焦りや乱れも感じられない。
「他は要らない」
「逃がすの?」
「いいえ。殺していいよ」
「そう」
殺す? 今そう言ったのか?
真ん中、真ん中にいるのは俺だ。つまり他の二人、ハティとロロ。
「ふざけんな! そう簡単に殺されてたまるかよ!」
ロロは短剣を構え、俺たちの退路を断った従者群へと向けながら叫ぶ。
「いいかヨル、ハティ。囲まれてるが目的に変わりはない、従者どもを蹴散らして街まで逃げる。それだけだ」
「後ろの竜はどうする?」
「無視して逃げる。あれだけデカいんだ、俺たちが固まっていればそう簡単に攻撃なんかしてこないはずだ」
思いの外ロロは冷静だ。
あれだけ慕っていたアルシアが狂気的な本性を見せ、竜や従者を従えてこちらを殺しに来ているというのにも関わらず。
「アルシアが攻撃してきたら?」
ハティが言いにくそうに言う。
そしてその質問にもロロは冷静。いや冷酷に、
「……殺せ」
少し顔を俯かせて言い放った。
「いいのかロロ? その……」
「良いわけない。でも、アルシアがお前らを傷付けるってんなら……死んでもらうのはあいつだ」
ロロは悔しそうに呟くが果たしてそれが出来るだろうか。
情的な事もあるが何故ならこちらには武器がほとんど無いからだ。あるのはいつの間にかロロが持っていた短剣一つだけ。『牙』や魔法があるハティはともかく、俺は完全な丸腰だ。
「ハティ、『牙』を俺に持たせる事ってできるか? 俺何も持ってないから」
「うん」
すると俺の手元に透明な『牙』が生成される。
今はこれを武器代わりにするしかないが、その代わりにハティは魔法しか使えない。だとしてもハティの魔法は貴重なダメージソースだ。俺とロロが前に出なくては。
「姉様、姉様。街の方はどう?」
「っな!?」
俺たちが作戦会議していると後ろにいたはずのアルシアの声が正面から響き、俺は驚いて顔を上げる。するとそこには、自身によく似た少女を姉と呼ぶアルシアが瞬間的に移動したかのように立っていた。
「問題ないわ。あの程度なら一晩でも持ちそう」
「何だ、じゃあゆっくりできるね」
「けれど素早く終わらせるのに越した事は無いわ」
「はーい」
いつの間に……横を抜けられた感覚は無かった。
上を飛んだか、地面を潜ったのか。それとも本当に瞬間移動でもしたのか、わからない。
だが、あの自分よりも小さな少女を姉と呼ぶアルシアの声を聞いていると何かが頭の中をよぎる。
……聞いた事がある? バカな。そんなはずは
「――っ!」
この、命を感じさせない会話。あの時の声か……?
あのベルウィング邸で暗闇から首を絞められた時のあの二人の声。俺の首が軋むほどに絞められて、その時耳鳴りと共に耳に入ってきたあの恐ろしいまでの笑い声。
「お前ら一体、何なんだ……」
「ん?」
「俺の首を絞めた犯人って言ったり、レイル・ロードだって噂されてる竜を従えたり、しかも従者の傍にいても襲われもしない。お前ら一体」
「襲われないよ。だって私の人形だもん」
「……え?」
今、なんて言った?
「私にはね、特別な力があるの」
するとおもむろにアルシアは話し出す。
俺たちに聞こえるように声量を少しだけ大きくしながら、
「その力は母のものだったの。母も母から受け継いできた」
「……」
「本当は姉様が受け継ぐはずだったんだけれど、その前に姉様は死んでしまったから私が継いだの」
姉が死んだ?
でも、隣のアルシアに似た少女をアルシアは姉と呼んでいる。どう見てもアルシアの方が年上だが、
「紹介するね、この子は姉のライナ。もう死んでいて成長する事も、腐敗していく事も無い私の姉です」
「……! まさ、か」
「気付いちゃったかな? 姉がまだ動けるのはそう、『母から受け継いだ力』の恩恵。力の名は『死骸王』。生物の死骸を力とするもの。私は死骸王の継承者」
その瞬間アルシアからおぞましいオーラのようなものが飛び出し、俺たちの身体を殴り付ける様に降りかかってくる。しかしこれはアルシアの持つ狂気的な雰囲気からでは無い。もっと深く、アルシアに根付く『別の何か』が俺たちに敵意を向けているようだった。
「そんな私を人は『腐敗の王』なんて呼んでるね」
「―――――――」
その言葉を聞いた途端、アルシアが人間には見えなくなってきた。
あれは人間では無く、人間を害する魔物の類。それも単騎で国を相手取る程の恐ろしい魔物。
殺される。間違いなく殺される。俺の手足の先が恐怖で震えるのが明確に分かる。竜が現れた時は何処か余裕があった。街の近くだ。逃げれば兵士がすぐに駆け付け相手取ってくれる、そう思っていた。
だが兵士は足止めされている、助けは来ない。
そして目の前にはこの国を長くに渡って苦しめてきた元凶の力を持つ少女、そして少女に従う従者群。背後には従者の黒竜。
「どうしようもないって顔してるねヨル。実際そうなんだけど」
「どうして俺、俺を……」
「ヨルみたいな珍しい生物は初めて見たからかな。だからね、私の玩具になって欲しいの!」
嘘だと信じたい。
従者は実は街の人で、俺たちをからかっているだけなのでは無いのかと。
だが、背後から聞こえる竜の呻き声がこれは現実だと告げてくる。
「ヨル。ロロ君とハティちゃんが死んじゃうの嫌でしょ? だから自分からこっちに来てくれれば二人は殺さないよ?」
「ふざけるな! ヨルは渡さねぇ!」
「嫌だ! 絶対ヨルはあげないんだから!」
ロロとハティは断固として敵対する姿勢を崩さない。だが、それで良いのだろうか。
アルシアは言った。自分はレイル・ロードであると。状況から見ても従者に囲まれている以上嘘だと一蹴することは出来ない。
「渡さないと死んじゃうんだよ?」
「死んでも渡さないんだから!!」
ハティはまるで襲い掛かる一歩手前の獣のように吼える。まるでアルシアの要求が自身にとって死活問題だと言わんばかりに。
するとアルシアは手のひらを軽く握り締めて少し不快なそうな表情をした。
「じゃあ、行動開始」
「っ!?」
唐突なアルシアの言葉に彼女を取り巻く従者がこちらへと接近してくる。
早い。ルーリアの母親の時のような鈍いスピードではない。まるで走っているようにも見える従者が恐ろしい雄叫びを上げながらこちらへと接近してきていた。
「き、来た……」
「狼狽えんなヨル! いいか、俺とハティで前を突っ切る! ヨルは竜の監視とハティに接近してきた従者を俺の方に突き放せ!」
「わ、わかった!」
俺はハティの『牙』を強く握りしめる。やはりまだ手が震えている。くっそ……やっぱり従者が怖いのか俺は……!
何とか震えを押さえようとしながら俺はふとハティに目をやる。するとハティは殺気に満ち溢れた表情をしており、手を前へと突き出して何かをしようとしている。
「一気に吹き飛ばすから!」
「う、ぉ……!」
ハティの身体から魔力の流れのようなものが噴き出るのを感じる。しかしこの肌に殴り付けるような圧力、まさか本当に辺り一帯吹き飛ばすつもりじゃ。
「強炎魔法!」
ハティが力強くそう言い放った瞬間、ハティの突き出した手のひらに急速に爆炎が巻き起こり、瞬く間に膨張して人間の二倍程になった炎球が正面へと射出される。
狙いはアルシアとその隣で佇むライナという少女。爆炎は進行方向の空気を吸収している様でさらに大きくなりながら目標を狙う。あの爆炎には間違いなく人を殺せるほどの威力が込められている。出来ればあの一撃で終わってほしいが、
「ハティちゃんは魔法使うんだ。じゃあ姉さまお願いね」
「ええ」
従者を二体ほど飲み込んでもなお止まらない炎球に立ちはだかるようにライナと呼ばれた少女がアルシアの前へと出、軽く腕を振りかざした。
「止める気か!?」
ハティが放った炎球はとうに建造物ですら吹き飛ばせそうな大きさになっているんだ。例え水魔法をぶつけようが最早焼け石に水。止められるわけが、
「……嘘」
ハティの口から思わず声が漏れていた。
渾身の力を込めて放ったフェイルが消えたからだ。消えた、そうあれはまさしく消えた。鎮火したわけでもなく、何処かへ弾き飛ばしたわけでもない。ただ、あのライナという少女の手に触れた辺りで急に掻き消えたんだ。
「流石姉様! やっちゃえ!」
「っ!?」
――いつの間に。
アルシアが叫んだ瞬間、俺たちの前で構えていたロロですら反応できないような移動速度で俺の眼前までライナが迫って来ていた。
いや、これは移動というより最早瞬間移動――
「ふっ!」
「ぐっはぁ!?」
腹にモロ回し蹴りが……!
「かっ、ぐあがっ、ああ!」
止まらないんじゃないかという位に俺の身体は地面に弾かれ吹き飛ばされる。しばらく吹き飛ばされた辺りで止まってくれたものの体中がすり傷だらけ、それに打撲も酷い。
「ぐっ……」
だが立たなければ……ハティが殺られる。歪む視界で見ればロロは既に従者群に飲み込まれ、その中で一人孤軍奮闘している。今ハティの近くに俺が行かないと。
「『牙』が、無い……」
多分ハティが使っているのだろうか。
俺が吹き飛ばされたから、自分の所に戻してあの少女を迎撃しようとしているのか?
「あ、あ……」
視界の遠くの方にハティが見える。
ハティの魔法をかき消した少女に張り付かれ、かなり苦しそうな戦いをしている。元々ハティは剣士としては俺よりもさらに訓練を積んでいない。『牙』で振り払おうとしているが、たまに腹部や顔をライナという少女に殴られている。
あれは本当に従者なのか?
今まで見てきた従者っていうのは、皆知性なんてものは感じられないようなものだった。けれど、アルシアの姉だというライナは言葉を喋り、人間と大差ない動きを見せている。
「貴女、魔法しか使えないの? それじゃ相手にならないわね」
「あうっ!?」
「ハティ!!」
案の定張り付かれたハティは迎撃を試みたが遭えなく腹部に少女のものとは思えない重い蹴りを貰い、倉庫の壁に背中を強く打ち付けてしまった。
やめろよ、やめろ。ハティを傷つけないでくれ。
俺が守るから人の居る所に行こうって俺が言ったのに……
「逃げろヨル!! そこから離れろ!!」
「……?」
従者に囲まれたロロが返り血と自身から出た血で真っ赤に染まりながらこちらに尋常じゃない声を飛ばしてくる。
離れろ……?
「グァルルルルル……」
「……あ」
俺は思ったよりも後ろに吹き飛ばされていたのか。
俺のとても近くから恐ろしい魔獣の控えめな唸り声が聞こえてくる。
見上げるとそこには絶望が浮いていた。
竜が長い首を伸ばし、その頭の俺の真上まで持って来ていたのだ。
闇の同化する鱗に覆われ、更に闇に紛れるようなおぞましい黒い何かを口から霧のように出している。それの影響なのか、息が苦しい。
そしてその見たものを凍り付かせてしまうような異常な瞳は俺を鏡の様に映し出していた。
「ひっ、あああああ!」
喰われる。潰される。千切られる。
恐怖が心を侵食してくる。何だこれは。
違う。アルシアやライナ、従者とはまた違った威圧感だ。
この竜は俺の天敵。倒すべき敵、害悪だと俺の身体が危険信号を出している。よくはわからない。だが、例え俺に懐いてきたとしても一緒には生きていけない。殺し合いをしなくてはいけないと俺の身体はそう言っている。
「ヨル!!」
「ロロ、ロロ! ロロォ……!」
俺の声は泣き叫んでいる様なみっともない声だった。
だが、それを聞いたロロは一人だけならギリギリ従者の包囲網を突破し、街へ逃げることも出来ただろうに躊躇う事無く従者群を突破して俺の方へと向かって来ていた。
強引に抜けたからだろう。
身体のあちこちから出血しており、千切れた衣服の間からは咬傷、裂傷、打撲が顔を覗かせる。それでもなお全力でこちらに駆けて来ていた。
「駄目よ。ここから先は行かせない」
「退けよチビがぁ!!」
ロロの持っている短剣も幾度も従者を突き刺したのがわかるほどに赤い。だが倒れている従者がほとんどいないのを見るにあの一本では倒しきれなかったのだ。
そしてロロは短剣で俺を蹴り飛ばした少女の首を刈るべく飛び掛かるが、素手の少女は臆することなく迎え撃つ姿勢を取る。
「クルルルル……」
「――っ!!」
俺を真上から覗き込む黒竜は依然として動きを見せない。ただ真上から俺を観察している。
懸命に立とうと努力はするが、自分よりも小さな少女のたった一蹴りで動けなくなるなんて。明らかに体を改造してるか何かの力を使っている威力だ。
「ぐあっ!?」
俺が倒れながらも真上を見上げているとロロの叫び声が聞こえてくる。
慌ててロロに視線を戻すとロロの腹部から血が噴出した瞬間が視界に映った。従者に付けられた傷を狙って殴られて……
「いい動きするけど、ヨルを助けたいって意思が丸分かりよ?」
「うるっせぇ!」
すかさず短剣でライナの頭を串刺しにしようとするが上へと弾かれてしまう。ロロは焦っているのかもう片腕は防御に回すべきなのに、なのにもう片腕で殴りに掛かっている。
駄目だロロ。
それでは勝てないのが俺にもわかる。
「そんなにあっちに行きたいの?」
「当たり前だ! だからどけ!」
ロロは両腕を掴まれて動きを封じられながらも噛み付くように言う。
「じゃあ、行って上げるといいわ」
「っ!?」
瞬間、ロロの身体がロロよりも小さな少女に難なく持ち上げられる。今までは
膂力を制限していたとでも言うようにあっけなく、いとも簡単にロロの足が浮いた。そしてロロの身体を振り回すように回した後、俺と黒竜のいるこちらへと投げ飛ばした。
「ロロ!」
「ぅああああ!?」
ロロは俺を遥かに超えて投げ飛ばされ、林と街の境目にある竜の凶悪な爪を持つ腕へと飛んでいく。手伸ばして捕まえようとするがまるで届かない。
「いいよ、殺しちゃって」
遠くから俺たちが蹂躙される様を楽しそうに眺めていたアルシアの声が響いた。冷酷な指示。だが辺りにいる従者は動かない。姉であり従者だというライナもそれ以上は動こうとしない。
じゃあ誰への指示……っ!
林の木々がへし折れていく轟音が響く。
まさか、指示したのはロロが飛ばされた先にいる。
黒竜。
「ロロォー!!」
「――――――――!!!」
「―――――――――――――」
グシャリと肉が千切れる音が響いた。
片腕を持ち上げた竜は軽くロロを叩き落とすように爪で殴りつけた。竜にとっては軽くやったことなのかもしれないが、殴られてピンポン玉のように吹き飛んで行くロロは悲鳴にすらならないような声を上げ、身体は爪撃によって抉れ、顔面、それも左目に酷い傷が一瞬だけ見える。
そしてそのまま倉庫の壁を突き破り、ロロの姿は見えなくなっていく。
「目が、目が潰されて……」
一瞬で地面が赤く染まり、俺の顔にロロの血飛沫が降りかかってきた。つまりはそれ程までの傷になったという事。一瞬しか見えなかったが、あの傷では左目はもう……
俺の、せいで。俺が動けなかったから。ロロは、
「ん、今の吹き飛ぶ一瞬でよく見えたねヨル。正直私はどんな傷を負ったかまでは見えなかったなぁ」
いつの間にか俺の視界にはアルシアが映っていた。
俺からは一番遠いところにいたはずのアルシアが、片手に意識が朦朧としているハティの片足を引き摺っている。ハティもどこからか出血している様で引き摺られた跡がハッキリとわかる程に血痕が地面に沁み出ていた。
「ぅ……」
「ハティ!!」
「ハティちゃんも結構非情だよねー」
アルシアはハティの足から無造作に手を放しながら軽く言う。
「だってハティちゃん、ロロ君が致命傷負ったかもしれないのにヨルの事助けようとしてたんだよ?」
「何……?」
「だからロロ君を助けに行くなら見逃す、ヨルを助けに行くなら殺すけどって言ったんだけど。ハティちゃんってば『ヨルが最優先』っていうからお腹に穴開けちゃった」
「――――!」
何て、事を。
年下の子供にどうしてこんな事を、まるで当たり前のように出来るんだ。あの時もそうだ、笑いながら人の死体を踏みつけていた。とても人間のやる事には思えない、狂ってる。
「お前っ、お前……!」
アルシアの背後では多数の従者が呻いており、ライナという従者はロロが突っ込んだ建物へと侵入してしばらくした後完全に意識を失い血を流すロロを片手で軽々と持ち上げてこちらへと歩いて来ている。
そして俺の後ろからは竜の呻き声。
「ロロ君死んだ?」
「生きてるわ。ただ瀕死ね。もう数日は目覚めないくらいの」
「頑丈だねぇ」
アルシアとライナはまるで物の耐久力についてでも話しているかのように淡白に言葉を交わしている。それがとても恐ろしく、二人とも人らしい形をしているが明らかに人とは分かり合えないような雰囲気がある。
「く、そ……」
「ヨル、まだ大人しくしないの?」
俺は地面に落ちていた木片を拾い、尖った方をアルシアたちへと向けながら何とか立ち上がる。許せるものか、ロロに致命傷を負わせ、更にはハティにまで酷い傷を。アルシアだけでも……殺してやる。
「……殺す」
「殺す? じゃあ私も殺しちゃうよ、ロロ君とハティちゃん」
「――――!」
「だから最初に言ったでしょ? 二人は要らないから殺すって」
後ろでロロを掴みながら立っているライナがその小さな手にロロが持っていた短剣を掴み、アルシアの言葉の後でゆっくりとロロの首元へと刃を近づけていく。
「やめろ!!」
「駄目だよ動いちゃ」
「やめろよ!!」
「……この二人にそんなに死んでほしくない?」
「当たり前だ!!」
俺がそう叫ぶとアルシアはまるで計画的に行っているこの状況を嬉しく思うような笑顔を見せた。
「じゃあヨルが抵抗せずに一緒に来てくれるなら、殺さないで上げる」
「―――っ」
そう来るだろうというのは薄々感じていた。
だが、街の端とはいえ竜を呼びよ寄せ、無関係の兵士すら惨殺して子供の俺たちですら殺すことに何の躊躇いも無いこいつらに付いて行ったら、身体が死ぬか心が死ぬだろう。そういう事をするのだろう、まさか連れ去る理由が友達になりたいからなんてのは有り得ない。
「どうするの?」
だが断れば二人を殺し、俺の意識を刈り取ったあとで悠々とここを去るのだろう。
「俺は――」
死んでほしくない。
ハティには俺が守るといったんだ。それを聞いてハティは山奥から一緒にここまで来てくれた。突然現れて身元もわからない俺を家族と呼んで来てくれた。
ロロだっていい奴だ。
子供ながらに大人顔負けの勇気や強さを持っている。それに誰であろうと自分が慕った人間にはとても優しい。同世代で同性の友人は今の所ロロだけ。時に一緒にイタズラしたり、一緒に魔物と戦った。相棒なんだ。
だから、
「二人には……死んでほしくない……!」
「じゃあ何て言えばいいのかわかる?」
「……」
手のひらに握りしめていた木片がするりと抜け落ちるのが感じる。抵抗するための最後の武器だ。故意に落としたわけでは無いのだが、心に影響されているかのように力が入らない。
もう駄目だ、逃げ切る見込みは無い。だが逃げれずとも、誰も死なない道はある。ならそれを選ぶ他ないのだろう。
「俺を……好きにしていい。だから二人は殺さないで下さい……」
再び地面の膝を突き、媚びるように言葉を漏らす。
俺に出来るのはこれだけ。ただ懇願し、目の前の悪魔の裁定を待つだけ。
「うん、よく言えました!」
そんな俺とは裏腹に、心底満足げなアルシアの声が頭の上から聞こえてくる。そしてそれと同時に優しく頭を撫でられる感覚を感じ、涙が滲んてきそうになる。
「それじゃあもうこんな所に用は無いね。さっさと離脱しよう! ほら姉様もヨルもこの子に乗って!」
アルシアは低く唸り静止している黒竜を指差しながら声を弾ませて上機嫌に言う。
空を飛べて、自分の指示には何でも従う従者。それはさぞかし移動に便利なのだろう。
「姉様?」
「っあ」
アルシアの声に振り返ると、俺の真正面。それもかなり肉薄した場所にライナと呼ばれていた従者が立っていた。その冷え切った冷たい目は俺を凝視しており、凍り付くような寒気を感じる。
「な、なん――」
「道中暴れられても面倒だから、眠ってもらうわ」
言葉が言い切られる直前、彼女の拳が俺の顎のあたりを掠める。
「――――!」
しかしながら掠っただけというのに一瞬で視界がグニャリと歪む。そして目の前の少女は歪んで波打つように見える手刀を構え、俺の首元近くへと振り下ろす。
その衝撃が全身に届いた瞬間、まるで視力の電源を切ったかのように視界から情景が消え、意識が暗い闇へと吸い込まれていく。
視覚、触覚、嗅覚。次々と消えて行く感覚たち。
だが最後に消え掛かっている聴覚が誰の声かも判別できないような声を捉える。
「ペット(玩具)に――酷い――――――――姉様――ですよ」
そしてそれを最後に俺の全ての感覚は何も捉えなくなった。




