二章10 そして夜は訪れる
「じゃあヨル君はそろそろルーちゃんを呼んで来て下さい」
「了解」
エルの言った通り夕食はスープ主体であったため、手間がかかる仕込みは終わっていたためエルが俺にそう言った。
ルーリアの部屋は二階の一番端にある部屋だ。その為俺は清潔感ある長い廊下を歩き、階段を昇ってルーリアの部屋まで歩いていく。そうしてルーリアの部屋の扉まで来た時、ふと何かが聞こえた。
「――――」
「んあ?」
何か、声のような物。とても小さい音であったが屋敷自体人が少なく静かであったために聞こえてきた。ふと見るとルーリアの部屋の扉が小さく開いている。
瞬間俺の身体にビビッと閃きが走る。
声の出どころは間違いなくルーリアの部屋から。ドアが少し開いている。
つまり部屋の中でルーリアは一人で声の出る何かをしているわけであり、そして俺はルーリアを呼びに来た。つまり全くの偶然でその『行為』を目撃してしまうのは全く自然な事である。
「というわけで悪いと知りつつも扉の隙間に目を近づけてしまう俺なのでありました」
しかし扉はほんの少ししか開いていない。扉を開ければもちろんバレる。従って俺は隙間から覗き込みルーリアの姿を探す。
どこだ……どこに居る……いた!
ルーリアは部屋の中に椅子があるにも関わらず、床に座り込んでいた。
座り込むというよりは倒れ込むに近いだろうか。そして予想とは違い、片手を床に、もう片手で顔を覆うようにしていた。
そして俺の聞いた声とは、
「っあぐ、っハァハァ……」
まるで泣いている様な、苦しんでいる様な。辛苦の混じったルーリアの声だった。
「ど、どうしたルーリア!?」
つい反射的に俺は部屋へと飛び込んだ。
そしてそのままルーリアの元まで近づき、部屋を見回す。
何かに襲われたわけでは無い。部屋にはルーリア以外何も居なかった。ならばルーリアはなぜ倒れ込んでいたのか。そう考えつつ俯いていたルーリアの顔を覗くと、彼女の目が一瞬だけ怪しく光ったような気がした。
「な、何でもない。体動かしてたら目眩しただけ……てか勝手に部屋に入ってくるな」
「おま、女の子が風呂入った後に筋トレするか? また汗かくだろ」
「良いの。別にどこに出かけるわけでもないし。てか近い!」
「お、おお悪ぃ。飯です。夕食」
つい気が動転してて気づいたら凄い近づいていたらしく軽く肩を突き飛ばされた。
まぁ何事も無くてよかった……と喜ぶべきなのだろうが。一瞬だけ見えたルーリアのあの目の輝きがどうしても忘れられず、俺は何か不吉なものを感じていた。
______
「明日から『日喰』って話だけどさぁ、具体的に日喰ってどういう風に起こるものなの?」
俺は食堂でハティの作ってくれたスープをすすりながら言った。
部屋の中心に置かれたいかにも貴族が座って飯食ってそうな長テーブルに座っている。上座? っていうのかわからないが、長方形の短い部分には誰も座っておらず、勉強するときと同じく二:二で向かい合って座っていた。
「えっとね、あれだよヨル。今太陽が沈みかけてるでしょ? あの太陽が沈んだ後七日間昇ってこなくなるの。その間は暗くてずっと夜。その期間が『日喰』だよ」
答えてくれたのはハティだった。
そうか、ハティも知ってるんだよな。知らないの俺だけか。
「へぇー。なるほど」
「ですので夜の大陸に面している地方は今頃大忙しですね。戦争前の不穏なひと時みたいになってると思いますよ。それはここも同じですけど」
ハティの正面にいるエルが口を挟む。
「あぁ……夜の大陸に面してもいないのにこの国はロードの脅威があるもんな」
「ええ」
ふむ。確かに外は騒がしい感じがある。このベルウィング邸がある区画は壁からも離れているため比較的静かではあるが、壁際では兵士たちが国を守るために動いているのだろう。
俺たちの廃屋も壁際にあるし、ちょっと怖いな。
「ヨル君、ハティちゃん。これから日喰に入ります。もちろん兵士さんたちが戦ってくれますから壁際も危険ではありませんが……太陽が昇るまで泊っていきませんか?」
エルは少し不安そうな顔をしながら俺たちに提案した。
心配してくれているのだろうか。
「ホントはいけないんですけど……カルト君も居ませんし、カルト君が使ってるベッドも空いてますし」
「うーん……」
難しい提案だ。
確かにこの屋敷で寝起きできるのはとても快適だろう。水とか引っ張って来てるから水汲みとか行く必要もないしな。けどそれに慣れてしまうとあの廃屋に戻りたくなくなる。といっても日喰時の七日だけならそうはならないかもしれないが……
「いいの!?」
ハティが食いついた。
食いついちゃったよあの子。たぶんあれだよ、ベッド一つ空いているってとこに食いついたぞ。
「ええ、もしよかったら」
「ね、ヨル! いいよね!?」
「もう大賛成ですよ。みんなで枕投げしようぜ!」
そして俺たちは日喰の時だけはベルウィング邸にお世話になる事になった。
そう話している内に飯も食い終わり、使った皿を片付けた後にまた食堂に戻ってくるとハティがテーブルに向かって本を読んでいた。ベルウィング邸から拝借したものだろうか。
「何読んでんの?」
「んー。ちょっとね。ヨルはさ、『レイル・ロード』はどんな姿してると思う?」
ハティは逆に俺に質問を投げかけてくる。
そういや知らないな。そも、レイル・ロードについてはそう言う奴がいるってだけしか知らない。夜の大陸から来た魔物、なんだよな。
「予想でしか話せないけど……大鎌持った死神とか?」
「うん。でもレイル・ロードの姿を見た事ある人っていないみたいだよ。ほら」
そう言ってハティはこちらに読んでいた本のある一ページをこちらに向ける。
そこにはこの世界の字でこう書かれていた。
名前:レイル・ロード
分類:魔物
分布:ゴルウズ
特徴:夜の大陸から来たとされる『ロード』の名を冠する魔物。屍を操り自身の『従者』とすることが出来る。
ゴルウズでは最も有名な魔物であるが誰もその姿を見たことは無く、どのような容姿でどのような生き物なのかは謎に包まれている。
また、一説によると日喰時に時折目撃される『黒竜』こそレイル・ロードであるとまことしやかに唱える学者もいるが、論理的な根拠は発表されていない。
「へぇ。誰も見たことが無いのか……それに黒竜か」
竜か。
まあいるんだろうなこの世界には。どんな生態してるかは知らないけど、日喰の狼の話にも竜が出てきてたし。
「これ、魔物図鑑なんだけどレイル・ロードについてはこれしか書かれてないの。どんな怪物なんだろうね」
「もしかしたら従者が集まって合体することでレイル・ロードに変身! だったりして」
「この『黒竜』も怪しいよね」
俺とハティがレイル・ロードの姿について議論しているといつの間にか食堂に入るための扉の近くにルーリアが立っており、少し目を細めながら、
「どんな姿でもいい。生きてるなら殺す、死んでても殺す」
「お、おう。いきなり現れたからちょっとビビった」
「エルさんの寝室集合だって。今すれ違った時に言ってたよ」
「え、エルの寝室集合!? やばいハティ俺ドキドキしてきたどうしよう!」
やはり俺も男だ。女の子の部屋に招かれるのは緊張せざるを得ない。さっきルーリアの部屋に入ったけどその時も多少いい香りがして心が高鳴った。ような気がする。
「……ヨルの変態」
「酷くない!? だってこの屋敷男俺一人でしょ? ルーリアもハティも強いし、エルは魔法極めてそうだし、俺襲われたら抵抗できないじゃん。そんな中エルの部屋集合とか囲まれてあんなことやこんな事されてそれをダシにまた幾度も俺は弄ばれるとかありそう」
「ハティのスープ食べて頭のボルトでも抜け落ちた? 何か気持ち悪いんだけど」
「仕方ねぇだろ俺は夜になるとテンション上がってくるタイプなんだよ」
修学旅行とかでも見回りの先生の監視網を躱しながらみんなでトランプとかやるの凄い楽しいよな。だから夜は結構嫌いじゃない。
「ま、私たちが結託したらヨルは無力という点は同感だけど」
「やめて! 僕に酷いことするつもりでしょう薄い本みたいに!!」
「いやしないから。薄い本が何なのか知らないけど。魔法についてとかこの王都の日喰時の事とか教えてくれるらしいよ」
「なんだつまらん」
「あのねぇ……もういいや。先行ってる」
俺のテンションの高さに圧倒されたルーリアはお手上げといった感じでそのまま部屋を退室した。
食堂には俺とハティが残されていたのだが、先程の話を聞いてかハティは少しむくれていた。
「ヨルはエルさんみたいな人が好きなんだよね?」
「え? あーまぁそうなぁ、美人っていうか綺麗っていうかカッコいいっていうか。そういうのっていいじゃん? ただあの人無表情ならカッコいいのにニヤケ顔がねぇ……でも優しいよな」
するとハティは少し思考を巡らせたような間を置いた後、両の拳をキュッと握りしめて、
「わかった頑張る。さ、行こ!」
「うぉ! 急に腕引っ張るなよハティ!?」
と謎の発言をした後俺の腕を引っ張り食堂を後にした。
______
エルの寝室
エルの寝室は三階にある。詳しく言うと三階の一番端、ルーリアの部屋の真上にある。ここで騒げば間違いなく下の部屋に響きそうだ。うん。
そして内装はルーリアの部屋とはかなり違っている。
まず机がデカい。
ルーリアの部屋にあったものを倍にしたくらいは大きかった。机の上には本や薬草みたいな草が沢山置かれており、何か作業でもするのだろうか。
そして一番目を惹くは大きな本棚二つだ。本棚には案の定本のような物が沢山並べられている。もしこの世界の本が高価だった場合、これは一瞬で宝の山に変わるぞ。
そんなちょっと博識というか、ちょっとした錬金術師の部屋のようにも見える部屋に置かれているベッドの横に大きなタンスが見受けられる。後で覗いてみるか。いやそれは流石に怒られるか。
そんな感じ。寝室であるからか大きな照明は無く、部屋の四隅に光る謎鉱石が置いてあり、部屋を仄かに照らしている。
以上エルの寝室を見て思った事。
長い? 魅力的な異性の部屋に入った時の感想を文章に起こせを言われたら長くなるだろ? そういう事だ。
そして俺は辺りを見回しながら、
「三階だよねここ。床抜けないの?」
「一度抜けました」
「マジかよ!」
「そのおかげで自腹で修理しなくてはいけなくなってしまい買おうと思っていた魔導書を買う機会が……くっ」
本気でエルは悔しがっていた。
因果応報だがちょっと同情してしまう。
そして当のエル本人だが現在執事服を着ていない。シンプルな雨模様の寝巻きに身を包んでいる。
意外と胸ある……? 十三歳にしては胸あるなこれ。いやなんともエルのこういう姿も悪くな
「アブッ!? 痛い。何で頭を叩くんですかハティさん」
「視線がいやらしい」
「え、どうかしましたかヨル君ハティちゃん」
「何でもないです」
何……?
視線を読まれていただと。ハティもなかなかやるな。山育ちは視線や周囲の状況に敏感という事か。
「で、何故ここを集合部屋に? 別に勉強ならいつもの場所でも良かったのでは?」
「ああ。三階からならなんとか見えますからね」
エルはそう言いながら窓の近くまで歩いていき、窓を隠していたカーテンを開けた。
すると外の景色は既に闇に飲み込まれておりとても暗かった。街中にある街灯が光り出しているものの街全体を包むほどに光は大きくない。しかし遥か遠くで戦列に光る何かが帯状に伸びており、それは壁を作っていた。
「何か先の方で光が連なってる?」
「その通り。あれはこの国を囲む壁のある場所です。日喰時は二四時間体制で守るために兵士たちが動くために使う光源が連なってるように見えるんですよ」
「ほへー」
「人が暗闇で行動するには光が必須ですからね。さて、日喰時の王都のルールについてお話します」
そしてエルは窓から離れて自分が使っているであろうベッドに腰を下ろす。
「小規模の街では日喰になると家から出ないようにと言われるところもありますが、王都は出歩いても大丈夫です。しかしあくまで王都の中だけ。外へはいけません。それにずっと暗いわけですから治安も多少悪くなります。出歩く際は気をつけて下さいね」
「王都凄いな。治安悪くなるだけか」
「それだけ兵士が壁際で頑張っているってことですね」
他の部屋から集めてきたのか室内には三つの椅子がある。俺、ルーリア、ハティはそれに座っている。こういった話をする際ルーリアは結構無口を貫くのだが、
「守ってるだけなんですか?」
を強めの口調で呟いた。
そしてその問いにすぐ反応するエルであった。
「いえ。日喰ではない時にロードの捜索も行われていますが、ゴルウズに潜んでいるというのも確証があるわけでは無いので現在は滞っているのが現状ですね」
「そうですか」
そしてルーリアはそう言いまたしても思考を巡らせるように黙り込む。
「それでですね。もしも王都内に従者がなだれ込んでくるようなことがあれば近くの兵士さんの駐在所に駆け込んで下さい。そして指示に従ってくださいね。あとここに来てもいいですよ。非常時には家を失った方たちも受け入れることにしてますから」
「何か……戦争みたいなんだな」
「というか戦争ですよ。ゴルウズとレイル・ロードのね」
少しだけ、少しだけだけどこの国の置かれている状況がわかってきたような気がした。王都自体は切羽詰まってるってわけじゃないんだろうけど、国に属する村とか襲われてるみたいだし思ってるより危険なのかもしれない。
「それでですね。今日は日喰時にとても便利な魔法を教えちゃいますっ。明日から本格的な魔法訓練を予定していましたがそれの先駆けという事で」
「おお魔法来た! てか室内だと危険じゃないの?」
「そこまで危なくは無いですから大丈夫です。今から教えるのは『光魔法』! 兄さんや私が得意とする属性です。やっぱり暗闇で使えるのは光魔法を於いて他にありません!」
エルはフフンと自信満々に胸を張りながら俺たちに言う。
「まぁ別にクロノでも辺りを照らせるには照らせるんですが、どうしてもあれは自分の目も眩んでしまいますからね。そこで使えるのがこの『リーデ』という魔法です」
そして座ったままエルはゆっくりと右腕を自身の顔の目の前まで持ってくる。そして次の現象に備えるためか目を細める。そして右手のひらに原動力となる魔力を集約させながら、
「『先を照らせ』」
と小さく呟いた。
するとエルの手のひらには持ち寄った分の魔力が消費され、その分だけの光量を持った球のような物が生成される。フワフワと水に浮かぶ風船の様な動きをしていた球体は次第に明るみを失っていき、エルが向いている方向へと光が集約されていく。
まさしく魔法の懐中電灯。
エルの正面の壁を魔法の光が鮮明に照らしていた。
「魔力消費は見た目よりありません。クロノよりは大きいですがクロノが照らせるのは精々自身の周りですからね。それと比べてこちらは先を照らせます。手元に照らせるものが無い時はとても便利ですよ」
「おおスゲェー! 俺もやる俺も! えーと確かこうやってから魔力を……」
「先を照らせ」
俺が先程エルが見せた魔法を使おうとエルの手順に沿って進めていると、隣で俺よりも先にハティが発動させていた。光の球がハティの手のひらに浮き、先を照らしている。
「流石ですねハティちゃん。言う事無しの完成度です」
「えへへ」
ハティは嬉しそうにしながら頭をかく。その仕草と同時に消費した分の魔力が尽きたようで手のひらからも光の球が消失した。
「俺も負けてはいられん! うおぉぉ先を照らせェ!」
「っ!?」
つい勢いで声を大きく叫びながら詠唱をする。無意識だったのだろうかかなり魔力が消費されているらしく、小さな太陽の様な光の球が俺の手のひらに生成される。
その光は留まる事を知らず、どんどん視界が白で埋め尽くされていく。そして爆発するんじゃないかと恐怖を覚えた瞬間、俺は悟った。
「あれ? なんか変じゃね? 光が大きくなりすぎ……」
「ヨル君止めて下さい! それ以上魔力を込めると……!」
「え?」
何かが炸裂したような感覚を感じた瞬間、俺の視界は完全なる白へと埋め尽くされる。そして、思考がドンドンとスローになっていく。考える力が衰えていくかのように。どんどんと、五感が失われていく。
そんな中、微かに俺の耳はエルの声を捉える。
「――り魔法は――力を――量に変えて――」
あ。そういえばハティが言っていた。
光魔法は余分な魔力を光量に変えて放出する性質がある。
それはつまり無尽蔵に魔力を注げるという事であり、俺は魔力の流れをコントロールするのが苦手。そんなガバガバで、それ程魔力も無いであろう俺がそんな事をすれば一気に魔力を失ってしまうという訳で。
魔力を一気に失うというのは、こんなにも、辛いのか……
体全体をけだるさが襲い、そのけだるさに包まれて五感が麻痺していくような感覚。眼前が真っ白なのも相まって体中が機能不全を起こすようなこの症状。かなり不快感がある。
その疲労感、不快感にどうやら俺の精神は屈してしまう。そのまま俺の視界と精神が戻ってくるのは次の日になってしまうのであった。