二章03 生き抜く準備、助ける準備
「ヨルになにするの!?」
驚いたことにあのでかいガルディアの拘束を振り切ったらしいハティが、俺とルーリアの前に割って入ってきていた。
「ハティ、いいんだよ。俺だって悪い事したんだから」
「だからって殴らなくてもいいでしょ! ちょっと聞いてるの!?」
すると何を思ったのかルーリアはまさかの行動に出る。
行動というか、言動というか。
「何? このちんちくりんは、ヨルの妹? 小っさ」
「なっ! あ、あなただって私とそんなに変わらないじゃないこの赤鬼!」
「私の赤い髪は誇りだ! それを馬鹿にするなチビ!」
「ちょ、ちょっと。ケンカはよくな――」
「引っ込んでろ!」 「ヨルは退いてて!」
「はい」
一歩退いちゃった。
ただでさえハティが切れただけでも怖いのに、ルーリアもまた別種の怖さがある。暴力的な意味で。
とてもあの間に入れそうに無い。誰か助けて。
そうしてガルディアとカルトの二人に視線を送るが、
「ヨルはモテるな。昔のお前そっくりだ」
「別に、僕はモテた覚えは無い。それにただケンカしてるだけじゃないか」
「覚えねぇのかよ、この嫌味野郎が」
「ケンカ売ってんのか。ああ?」
「駄目だ、こっちもケンカしてやがる……」
どいつもこいつも我が強すぎだろ。
もっと穏便にできねぇのかこいつら。
「こっ、のぉ!」
「!」
言い争いをしていたハティが空中に『牙』を出現させる。
どうやらハティは『牙』の大きさを任意で変える事が出来るらしい。
何かハティの琴線に触れたのか、そのサイズはルーリアを押しつぶすレベルにまで大きくなっていた。
「駄目だハティ! そんなものぶつけたら死――」
「死ねっ!!」
あー暴走してるコレ。止まらない、てか死ねって言った。
やべぇな、都会に来る前に命の大切さとか道徳的なこと教えとくべきだった。
止まらないので仕方が無いから身体でも張って止めるか。と俺が考えた瞬間、
「おースキルかすげー。カルト止めて来い」
「任せろ。というかあんなもの室内で振り落とされたらたまったもんじゃない」
そう言われたカルトが足に力を込めてジャンプ。そのまま腰に提げた剣を抜き放ちハティが具現させた『牙』を一刀の下に両断した。
あれ、ハティの『牙』って狼に突き刺さるくらい硬かったような……
思わぬ攻撃を受けた『牙』は形が維持できなくなったようで更に透明になっていき、最後には空間へと霧散した。
「スキルは反則。拳と拳で殴りあうなら、黙認しよう」
「いや、それも止めようよ」
「殴りあうだけなら微笑ましくていいじゃないか」
「綺麗な顔して大分スパルタだよこの人」
「まあカルトはこんな見た目でも兵士だからなぁ」
と俺たち三人が話していると、隣で可愛い少女の殴り合いが勃発している。大分お互い本気なのかボクシングレベルである。
「ヨルは、ヨルはあなたのためを想って謝ったんだから! そっちも謝ってよ!」
「フン! 百歩譲って謝るとしてもお前みたいなチビに言われてなんて謝るもんか!」
「チビじゃなーい!!」
あわわわわ。どどど、ど、どうしようどうやって止めよう。割って入ったら殴られるし、言葉じゃ聞きそうにないし、手詰まりってレベルじゃねぇぞ!
「よし、諦めよう」
「諦めんなよ!?」
「いい突っ込みするなガル」
「ったく。仕方ねぇ、俺が止めてやる。二人とも目閉じてろ」
するとガルディアは右腕をまくって力を込める。
何、何だ? まさか鉄拳じゃないだろうな。もし鉄拳なら俺が鉄拳でお前を止めるが、
「あんまり魔法は得意じゃないんだが……おらぁああ!」
「っ!?」
恐らくは詠唱、魔法を詠唱をガルディアは唱えた。とても詠唱とはいえない、咆哮に近いものであったが。魔法とは、詠唱せずとも使えるのだろうか。
そしてそれと同時にガルディアの腕が光り輝いた。火などの光源から得られるような赤みの帯びた光ではない。どこまでも白い目に悪いような光が部屋全体に広がる。例えるならクロノを発動させたときの光を何倍にもした感じに近い。あまりの明るさに目が眩み、さながらその光は化学反応を起こした閃光弾。ということは、
「光魔法、か!」
「その通り。俺は得意属性が『光』だからな。苦手でも多少は……」
「「ぁぁぁあああああ!!!!」」
「多少は……」
俺とカルトは目を瞑ってろと言われた。カルトは何をするのか既にわかっていたようで目の前に腕を持ってきており、対策は万全。俺も遅れたもののとっさに目を閉じることに成功した。
だが、
「目がぁ、見えない……! ヨルゥ、どこぉ……」
「ぁあああ!! なんなのぉいきなり……」
「おい二人が大ダメージ受けてるんだけど?」
「……やり過ぎちゃった☆」
「おいぃぃぃ!? バカやろぉぉ!! ハティ大丈夫か!? ああしかし角度的にルーリアの方がダメージ大きい!?」
最早阿鼻叫喚の地獄だった。
「「ぁぁあぁあああ……」」
ハティとルーリアは床に倒れこみ目を押さえたまま悶絶の嗚咽を漏らしている。一体どっちをどのように助ければいいのかもわからずに俺はオタオタしていた。
「慌てるなヨル!」
「カルトさん! どうすれば、俺はどうすればいいんですか!?」
「君はさっきその答えを言っているぞ!」
「え!?」
「二人の視界が戻ってくるまで、諦めよう。お茶でもどう?」
「何言ってんだこのバカ!?」
つい本能的に口から罵倒の言葉が飛び出す。
仕方ないよな? この二人しっかりしてる人達だと思っていたのに箱を開けてみたら文字まんまの『馬鹿』なんだもん。
「とはいえ出来ることもない……せめて手を握っておいてあげよう」
「ヒュー、イケメーン」
「黙ってろ!」
「はい、ごめんなさい」
ガルディアが茶々を入れてきたので一喝して黙らせる、お茶でも飲んでやがれ。
そして床に倒れこんでいるハティの手を握った。
「ほらハティ、わかるか?」
「ぁぁああヨルぅ、見えない、見えないよぉ」
「大丈夫、きっともうすぐ戻るから。頑張れ」
そうしてハティの手を握っていると、正面にルーリアが倒れこんでいるのが見えた。ハティと同じく目を押さえている。ルーリアの手も握ってやろうかと手を伸ばしたときに気づく。
何かに恐怖しているかのようだった。
「ぁ、ぁぁぁあ」
「ルー、リア?」
目を押さえて呻き声を上げているのはハティと同じだが、その身体は小刻みに震えている。最初は突然の閃光でビックリして体を震わせているのだと思っていたのだがどうも違う。
「おーい、大丈ブッ!? え、ちょ」
そうして震えているルーリアの腕に軽く触れる。
するとルーリアの腕に触れた瞬間、ビクリと体を震わせて後近づけた俺の腕をガシリと掴んできた。
両手に花ではあるが、目を押さえたまま悶絶している少女二人に腕を掴まれている状況というカオスな場面ではある。全くなんてことをしてくれたのかガルディアは。
すると反対の腕を取っているハティも俺を腕を手繰り寄せる。まだ目は見えていないようだ。
「相変わらず魔法は得意じゃないのかガル?」
「まあなぁ、エルみたいにはいかねぇなぁ」
「同じ血を引いてるとは思えないくらいだ」
「人には向き不向きがあるだろうが。それにしてもまぁ、ここまで光るとは思わなかったんだよ」
「ガルは魔力は多いが制御が下手だ」
それからしばらく経った。
ハティとルーリアの視界は回復しているようだが、あれ程の閃光をモロに正面から受けたルーリアはまだ目がおかしいようで目を擦っている。
「ど、どう二人共。目は」
「うん。何とか見えるようになったけど……凄い眩しかった」
「悪ィな二人共、まさかここまで光るとは思わなくてよ……」
するとルーリアも横から口を出す。
「まだ目がチカチカする」
しかし光魔法とは意外に攻撃的だな。
物理的な攻撃で無いにせよ敵の感覚器官、それも視界を奪えるとなると制御などはあまり必要が無い魔法だともいえるのかもしれない。
ガルディアは緑髪で光る、か。
「ピカピカブロッコリー」
つい思いついたことを口に出してしまう。
この世界にブロッコリーがあるのかは不明であるし、それにガルディアの髪形もブロッコリーの様な髪型でもないのだが、
「ブハッ!!」
俺たちよりは世界を知っているであろうカルトが盛大に噴き出して笑う。どうやら通じたらしい。という事はブロッコリーがこの世界にもあり、かつ緑色のモサモサしたものであるという事がわかる。
こうやってこの世界の事をもっと知っていく必要があるな。
「ピ、ピカピカブロッコリーだってさガル!」
「こんな男前をブロッコリーと言うとは……見る目が無いなヨル! どちらかと言うと俺は『世界樹コルグ』だろ!?」
「なーに言ってんだかコイツは。それにヨルは世界樹なんて知らないだろう」
「デッカイ樹の事だ! 俺みたいにな!?」
「まぁ、デカいなどっちも」
世界樹、か。これもまたよくありそうなやつだ。さぞ大きい樹なんだろうな、
大地に雄大に立つ世界樹! てっぺんまで登った者には最上の力が与えられる! 的な。
「もう折れて倒れてるけどね」
「ええ!? 倒れてるの!?」
何という事だろうか、既に世界樹折れてるってよ。世界オワタやん。てかそれならもう『樹』ではなく『木片』なのではないのだろうか。
「ああ、既に世界樹コルグは折れている。朝の大陸と夜の大陸の境界線でな」
「何で折れてるの!?」
するとその問いには隣のカルトが答えてくれた。
「簡単に言うと、『バリケード』にするため」
「は?」
「世界樹は大きいからね。用は『夜の大陸から化け物が攻めてくる!』『そうだ! 世界樹倒してバリケードにしよう!』ってこと」
「蛮族かよ」
随分とアグレッシブな事考える奴が居たもんだ。
普通世界樹とかってご神木とか、神が宿るとか、世界を支えているとかそういうものじゃなかったか? それとブッ倒してバリケードにしようたぁ思わんよ普通。
「しかし世界樹でバリケードを作った地点からは攻撃がほとんど来なくなったって話だし、シンプルこそが一番有効なのかもね」
「うっそやろ」
「まあそんなことはどうでもいいんだ。問題なのは俺が男前だという事だけだ」
「とピカピカブロッコリーが騒いでおります」
そしてまた盛大に両名のケンカが始まるのであった。
スキルは禁止とか言っている割には『活きる足裏』を使ってピョンピョンと空中を飛び跳ねているガルディアである。
「と、こんなことしてる場合じゃなかったん……だぁ!」
「グハッ!?」
殴り合っている最中に何かを思い出したように動きを止めるカルト。今がチャンスとカルトの懐に飛び込んだガルディアを襲ったのは、
見透かしていたカルトの膝蹴りだった。
「忙しいって言ったろ。お前とケンカしてる時間は……おや、意識飛んでる」
そうして白目を剥いているガルディアを引きずってカルトは、
「もう少しだけ待っててね。そしたらもう終わりにするから」
と優しく言って扉から出て行った。そして俺たち三人がこの部屋に残されたわけだが、そんなずさんな管理体制でいいのだろうか。
部屋には俺たち以外いないし、窓も開けっぱなし。別に逃げ出す必要性も無いのでそんな事はしないし、それをカルトもわかってはいるんだろうけど。
「王都か。こんな形で来るなんて、思いもしなかったな……」
突然そう言ったのは、ルーリアだった。
その声は悲しみも含んではいるが、比較的明るい。一度部屋の出て行った時に何かしらの決意があったように見えるとの先程の俺の直感は間違ってはいないようだ。
「ねぇ何でヨルたちはさ、あの時何で村の近くにいたの?」
「俺ら?」
突然話を振られて戸惑ってしまう。
そりゃそうだろ。何せ俺はこの娘の母親を斬ってしまっているわけだ、それなのに純粋な疑義が込められているような声で言われるのだから、
あ、俺らー? ちょっと人里まで行こうとしたらその村が血みどろだったんだ。
何て軽く言えるわけもなく、
「理由は大別して二つあるな。一つは俺たちみたいな白黒頭が嫌われてないかを確認するために住んでた山から降りてきたんだ」
「ふーん、別にそんな話聞いたこと無いけどね」
「ああ、どうやら俺たちの思い込みだったみたい。で、あと一つは世界を見たかったからかな」
「世界?」
「ああ、俺記憶が無いんだ」
ルーリアは驚いた表情を浮かべた。少しばかり目を見開き、口を広げた。
ちょっと大げさか?
いやでもこの世界のこと知らないのは事実なわけだし……
「俺、ハティが住んでた家の近くの湖に空から落ちてきたみたいでさ。何でここにいるかもわからないし、俺が誰かもわからない。『ヨル』って名前だって偶然知り合ったハティに付けてもらったんだ」
改めてまとめてみると俺の陥っている状況って傍から見るとやべぇな。同情されてもおかしくないレベルで突飛を極めてるな。
「挙句の果てにパーシヴァルには腹を刺されるしな。でもさ、知りたいって思うのは悪くないだろ? 自分が誰かもわからないけど、自分がいるこの世界の事ぐらいはさ」
「……」
うーん、若干同情を誘うような言い方になってしまったか?
まぁ別に嘘は言ってない。むしろ咬まれたり傷広げられたり殺されかけたりしてるわけだし、むしろもっと酷い目に遭っているのは確かである。
「そんなわけで村まで降りてきたんだけど……着いた村がその、あそこだったってわけ」
「そっか……そのパーシヴァルっていうのが何なのかは知らないけど」
「馬だね。角生えた白い馬」
その後で仲直りしたはいいがあいつ村への旅の途中でどっか行っちまうしな。マジどこ行ったんだあいつ。
「ねえヨル」
「はい」
そう言ったのは左のルーリアだ。右ではハティらしき少女が鼻を鳴らしている。
俺の後ろからルーリアを威嚇している様が容易に想像できますね。二人とも仲悪そうだし、それをスルーするルーリアも凄いポーカーフェイスだが。
「私はヨルが嫌い。お母さんを斬ったし」
「うぐ」
いざ正面に向かい合って嫌いと言われると凹む。
「けど、恨んではいないよ。あんたは知らないかもしれないけど、この国ではこういう事が起こるんだ。納得は出来ないけど、理解はしてる」
「あ、ありがとうルーリア」
「別にお礼を言われる筋合いは無い」
『優しい』な、ルーリアは。
俺の身の上話に同情してくれたからかは不明だが、きっとルーリアなりに俺の事を心配してくれているのだろうか。いや、それは流石に自惚れ過ぎか。
むしろ心配するのはこちらの方だ。ルーリアはきっと村に住んでいる頃はそれは元気な娘だったのではないかと思う。また彼女が楽しく過ごせるように。助けてやりたいと思う。
俺に出来る事がいくつあるかも知らないけどさ。
「この際お礼か償いかなんてどうでもいい。ルーリアはまた元気に笑ってくれるように俺頑張るぜ!」
臭いな、果てしなく臭い。何が臭いってフッと出てくる台詞がこれぐらいしかないという自身の性根が腐って瘴気を発しているレベルで臭い。
「よくそんな台詞言えるね、恥ずかしくない? それに私の事なんて全然知らないでしょ」
「ハッ、恥ずかしい? 厚かましい? 無知? 知らんねそんなの、何故なら記憶が無いからね!」
「その割には辛そうに見えないけど」
「逆に考えなよ、何も知らないってのは沢山の事を知れるって事だろ? だからそこまで辛くも無いんだと思うぞ?」
「面白い奴だねヨルは楽観的と言うか、ポジティブと言うか」
「ていうかさ……怒ってないの?」
と勇気を出して聞いてみる。
確かにカルトには聞いた。俺は悪い事をしたわけではないと。
だが、彼女は俺を殺したいほど憎んでるのでは。そんな風に思っていたから。
「今言ったでしょ。怒ってるよ滅茶苦茶怒ってる。大っ嫌い」
「あぅ」
「けどヨルよりも殺したい奴がいる、だからこそ決めたんだ。強くなって、『ロード』を殺すって」
その言い草だと『ロード』を殺った後に俺を殺るみたいに聞こえるんですが。
違うよね? 言葉のあやだよね?
そう言ったルーリアの目は、恐ろしいほどに澄んでいる。
達観、ではない。何か、歩むべき道を見つけたといった風な目をしており、ハティとも違った異常性のような不自然さを感じ、少し怖く感じた。
「精々ヨルも気を付けなよ? この国に生きるっていう事は何時訪れるかわからない『死』って言う病を背負うって事なんだから」
「病、か」
あまりいい思い出は無いな。
元の世界では体弱かったし、風邪ばかりひいてる病弱だったからな。成長して少しは丈夫になったと思い込んで少し無理するとすぐ倒れる身体だったし。
その点この身体はとても便利。
風邪はひかない、傷は治る、見目麗しい。
最後のはちょっと面倒なこともあるが、まあ不細工よりはいいよね。
話し込んでいると部屋に一つだけある扉が音を立てる。ガルディアの姿は見えず、カルトだけがそこに立っていた。
「全て終わったよ、ガルディアは外で待ってる。最後に確認するよ? ルーリアは兵士として、君達はこの国に滞在する。それで本当に、いいんだね?」
扉の前に立ち、カルトはそう言った。
言った通り最終確認という事だろう。外では森の中では感じる事のなかった人の生きる音が聞こえてくる。この問いに肯定を以て答えれば俺たちは本格的にこの世界で生きることになる。そしてルーリアは兵士になるという選択をすることになる。
ここで思いとどまることも出来る。決意を捨て、三人共孤児院やらに入ることだって出来ただろう。
「「「はい」」」
だが俺たちの返事は重なり、立てた決意を捨てることは無かった。
するとカルトは数秒程自身の両眼を閉じ、自身もまた何かを決意するような雰囲気で、
「わかった。行こう、僕について来てくれ」
そう言い俺たちはカルトに続き、扉より外へと歩き出した。
ルーリアは死を『病』と表現した。生きる以上逃れられないものではあるが、この国ではそのリスクが大きいとも。
しかし俺たちはまだ自力で国を超え、別の国へ渡ることは出来そうにない。
俺たちはこの国で生き抜くことになる。
そう、この『死が蔓延する国』で。
______
とある木々が生い茂る森の中
太陽は空高く輝いており、木々の隙間から森の地面を照らしている。
いささか暗くはあるものの、天から布切れの様に射す複数の光が幻想的な風景を創り出している。
そんな森の中を優雅に歩く、獣がいた。白い体毛に包まれた気品ある佇まい。螺旋模様の角を持つ馬の様な風貌。『パーシヴァル』である。
ヨルとハティを森の外まで送り届けたパーシヴァルはまた森の中にいた。そこが元いた森であるかは不明であったが、その足並みはブレずに何処かへ向かっている様だった。
森。であれば獣の一匹でも襲ってきそうではある。しかし生き物の気配はあれどもパーシヴァルに近づいてくる獣はいなかった。
パーシヴァルががっしりとした四つの足で森を歩いていると、ほんの少しだけ開けた場所に出た。といっても大きさからすれば家二、三軒建てられるかどうかというくらいの広さであり、その中心に大きめの木があるのだからそこまで開放感は感じられない。
上を見上げ、白い来訪者はこう言った。
「ヘクター、君に会いに来た。姿を見せてくれ」
実際にパーシヴァルが喋ったわけではない。パーシヴァルはヨルにして見せたように、とある生物の脳内に話しかけたのだ。その生物こそ先程呼んだ『ヘクター』であったのだが、
「よもや貴方が此処を訪れるとは。何用でしょうか、パーシヴァル」
パーシヴァルの脳内に返事が返ってくる。そしてそれを発した本人が大樹の上から降りてくるのだが、
一言で言うならば人ではなかった。『鳥』である。
ただし、恐ろしく大きい。
例えるなら『鷹』の様な風貌をしているが、その体は人が十数人乗れるほど大きく、その翼は空を覆うほど大きかった。
体は黒や茶等の体毛に覆われ、ギロリとしたその両眼は文字通りの鷹の目。鋭い爪は例え大木であろうが蹴り倒してしまうのではと思うほどに煌いていた。
「率直に言おう、二つある。一つは君の『領域』で力を行使する許可を貰いたい。二つ目は君の力も貸して欲しいという事だ」
翼を羽ばたかせ滞空していた『ヘクター』であったが、その問いにすぐには反応せずパーシヴァルより少し離れた場所に着地した後で、
「……何故ですか。倒したい者がいるのだとしても、貴方であれば私の助力など無いに等しいも同義ではないですか」
「私と共に戦って欲しい、という事ではない。ただ、いずれ来るであろう『その時』に君の力が必要なのだ」
「どういう事ですか」
「ある少年に、空の飛び方を教えて欲しい」
白い獣は翼も含めれば自身より遥かに大きい『ヘクター』を見つめている。その目は、先を見据えた鋭い目であった。
「……一体、貴方に何があったのです。『我らは互いに無干渉』という約束だったはず。それを反故にしてまでどうしたのです」
「……答えてくれ。協力してくれるのか」
「いいですよ、協力しましょう」
ヘクターは軽くそう答えた。
先程まで訝しんでいたものの、そんな雰囲気を消して快諾した。
「私を力づくで従わせることができれば、ですが」
「……戦いで私に勝てると?」
「いいえ思いません。ですが折角『白雷のパーシヴァル』が訪れてくれたのです。ぜひお相手をして欲しいのですよ」
ヘクターはその後で翼をバタバタと羽ばたかせ、パーシヴァルを威嚇する。
しかしそれは余りにも退屈だったため、遊び相手が来てくれた事を喜ぶような動作でもあった。
「フッ……相変わらず遊びが好きなのは変わらないのだな」
「ええ、もちろん。そう言う貴方も堅物なのは変わりませんね」
「フン。ならば乗ってやろう! 翼の一つや二つ折れても恨むなよ!」
「それでは貴方も困るでしょうに」
そしてとある深い森の中、白き一角獣と化け物鷹の戦いが密かに激しく行われた。
その戦いがどう終わったかを知る者はいないが、その森に比較的近い街では雲一つ無い快晴であるのにも関わらず雷鳴が鳴り響き、遥か森の中で大きく渦巻く台風のような気象が七日ほど観測された。
何事かと街に住む兵士や冒険者が森に入ると、森の三割が燃えたように消し炭になっており、暴風により木々の二割が吹き飛んで森の半分近くが無くなっていたと言う。
その領土は実に、ゴルウズの王都の倍はあったとか。