閑話一 大鷲の忠誠
今回はセイルサイドから見た過去の閑話です。
広大な草原に、風が吹く。
雲一つ無い青一色の空に、太陽が燦々と輝いていた。
そして、その空に一つの点が出現する。
やがて近付くにつれて、点は縦長の影となり、最後には鳥の形をとった。
現れたものは一羽の大鷲。
ウィンドイーグルと呼ばれる魔物の一種であった。
この草原の王者とでも言うべき地位に立つ彼女は広い縄張りを持つ。
その広大な縄張りを気の向いたときに見回っているのだ。
幾らかの時が経ち、縄張りの半ばほどを見回ったとき。
大空を滑るように翔ぶ彼女は眼下の草原を見据え、眼を細める。
草原を何かが動いていたのだ。
白い毛皮を纏い、二本足で歩くその生物。
彼女の今までの生涯の中で、あんな生き物を見た覚えは無かった。
アレは、なんという生き物だろうか。
あの生物の正体を確かめねば。
そう考えた彼女は凄まじい速度で高度を落とし、ソレの眼前で制動を掛けて滞空する。
「うわぁっ! 何!? 」
ソレは彼に驚いたのか、大きな声をあげる。
改めてよく見てみると、ソレは人間という生物に瓜二つであった。
人間。
彼女の生まれ育った風鷲の一族では、人間は敵であると教えられていた。
時に卵を盗み、時に同族を殺し、時に縄張りを荒らす人間は警戒すべき存在だったのだ。
彼女はわざと大きく羽音を立てて人間を威嚇する。
「ウィンドイーグル、だよね。良かったぁ」
しかし、その人間は笑いながら何かを言っている。
何が面白いのか。
気分を害した彼女は一鳴きして再度人間を威嚇した。
「あぁ、ごめんよ。そんなに怒らないで、これを聞いてくれないかな」
人間は虚空へ手を伸ばす。
すると不思議なことに、何もない空間から小さな笛が出てきた。
小首をかしげた彼女は地に降り立ち、様子を観察する。
どうやら一族の言い伝えのようにこちらを害してくることも無さそうだ。
何かをするというのなら、見てやろう。
そうしている内に人間は笛を口に当て、演奏を始めた。
◇◇◇◇◇
その演奏は特に技巧が優れているわけでもなく、曲自体も単調なものであった。
故郷を題材にしたその曲は、緩やかに時が流れていく様を表したようである。
そして、彼女はその演奏に何故か心惹かれた。
不馴れな様子を見せながらも、真剣に笛を吹く人間の姿に惹かれたのだろうか。
郷愁を思い起こさせるその曲が、彼の一族の思い出を刺激したのだろうか。
真剣でありながらも、何処か楽しげに演奏する人間に、憧れたのだろうか。
はたまたその全てなのか。
もしも彼女に問うたとしても、答えは帰ってこないだろう。
彼女は出会ったばかりのこの人間に、強く惹かれたのだ。
この人間が放つ生気の輝きに。
この人間の奏でる音楽というものに。
どうしようもないほど、強く。
そして彼女は心中で高らかに宣言する。
同族よ、笑わば笑え。
私は今、これからの生涯をこの人間と過ごす覚悟を決めた。
私は見たいのだ。
この人間の輝きの先を。
この人間が奏でる音楽の果てを。
その為ならば私は...この命すらもこの人間に捧げよう。
彼女は翼を広げ、人間の右肩へと飛び乗った。
人間は少し仰け反りながらも、その翡翠の双瞳で彼女の眼をしっかりと捉えて言った。
「仲間になって...くれるのかな? 」
彼女は短く一鳴きし、問いに答える。
勿論だ、主よ、と。
そして主従は幾年もの時を共に過ごす。
風鷲は聖獣ルクスアクィラへと進化を重ね、主はアルディア中に名を馳せる名士となった。
だが、その主従の旅には唐突な終わりが来る。
純白の大鷲となった彼女の目の前で、主が光の粒子となって姿を消したのだ。
彼女は狼狽え、鳴き散らした。
主を呼ぶ鳴き声をあげ続けた。
普段通りならば、主はこの声を一度聞いただけで彼女を迎えに来たのだ。
しかし、今は何度鳴いても主の姿が見えない。
悲痛な鳴き声をあげ続けた彼女は、やがて空へ飛び立つ。
主を探すのだ。
たとえ主が地の果てに居ようと、大洋の彼方に居ようと、この空から見つけ出してみせる。
天空の王者であるルクスアクィラには、それが出来る筈だ。
幾星霜の時が経とうとも、必ず。
白鷲はニ百年の間大空を翔び続けた。
主が帰還する、その時まで。