第十四話 森の鬼さんと青い瞳
三千字近いです。
地平線の彼方へと続く街道。
先々代アルギス領主が二十余年の月日を費やし、作り上げたアルギスの生命線。
ラーデル街道と呼ばれるその街道の脇には、一つの森があった。
『落陽の森』。
アルギスの西方に位置すること、深部に進むにつれて日の光が遮られ、薄暗くなっていくことから名付けられたその森は、遥か古代から存在し続けていたと言われる広大な森林である。
最深部には強力な魔物が溢れ返り、弱者が足を踏み入れようものならば半刻も経たない内にその餌食となるだろう。
しかしそれに反して外周部には然程危険な魔物は居らず、アルギスの街の初級、中級冒険者の生活資金源となっていた。
◇◇◇◇◇
ラーデル街道脇、落陽の森のほど近くに一両の馬車が停止する。
平民が乗るにしては丈夫な作りをした馬車には、翼に包まれた剣、つまり冒険者ギルドの紋章が彫り込まれていた。
「おう兄ちゃん。着いたぜ」
馬車を繰る中年の男性が車内に声を掛ける。
すると馬車の左側の扉が開いた。
そこから出てきたのは、純白を身に纏い、肩に白鷲を乗せた男。
トゥーレである。
「どうも、ありがとうございました」
「良いってことよ。それが俺の仕事だからな」
陽気に笑う男性。
トゥーレは依頼を受注した後、依頼書で指定された馬車に乗って落陽の森まで来ていた。
依頼を受注した者は無料で利用できる乗り合い馬車に十分程揺られ、たった今目的地に到着したのだ。
「そんじゃ、俺はもう行くぜ。昼過ぎには戻ってくるから忘れんなよ」
「はい」
帰りもこの馬車に乗る予定である。
昼の馬車に乗り遅れれば次は明日の朝だ。
(野宿は嫌だな)
馬車の時間について心に刻む。
「ありがとうございましたー! 」
馬車はアルギスの方角へ遠ざかっていく。
それを見届けたトゥーレは、落陽の森外縁に向き直った。
「それじゃあ始めるよ、セイル」
トゥーレのしようとしていることを察したセイルは肩から離れ、近くに滞空する。
「さてと。索敵はっと...」
インベントリからオルフェウスの竪琴を取り出して構える。
奏でる曲は....『影と刃の二重奏』
オルフェウスの竪琴から、同時に二つの音が鳴る。
一方は暗く、静かな旋律。
一方は鋭く、玲悧な旋律。
正反対に思える二つの旋律は不思議と調和し、一つの曲を形作る。
そして曲が奏でられるにつれ、トゥーレの存在感が稀薄になっていく。
見えても視えず、聞こえても聴こえない。
そこに居ると分かっても、理解らない。
夢か現か幻か。
数瞬後、トゥーレは黒いフード付きの外套を纏った人物へと変わっていた。
『伝説の再臨』による英雄の再成である。
後世の人々からはただ「影」と呼ばれた伝説の暗殺者。
僅かに残されたその謂われを集め、再成出来るまでにするのには大変な時間がかかっている。
その性能は苦労に見合うもので、こと隠密や索敵に関しては他の追随を許さない。
森の探索には最適と言えるだろう。
「もう良いよセイル」
離れていたセイルが再び肩にとまる。
トゥーレが触れているものにも存在感の稀薄さが伝播するようで、セイルの白い体が見えにくくなっていった。
「行こうか」
トゥーレとセイルは何一つ音を立てずに草を掻き分け、落陽の森に進入した。
◇◇◇◇◇
「影」の能力を使って索敵をしながら進むトゥーレ達。
「平和だねぇ」
既に百歩近く進んでいるが、魔物の気配は無い。
索敵に掛かるものはほとんどが小動物だ。
隠形の影響もあるだろうが、ここまでは実に平和な普通の森だった。
「ん」
そんなことを思っていたせいだろうか。
百メートル先に魔物を感知したトゥーレ。
「身長二メートル五十センチ。横幅もかなり大きい。これは当たりかな? 」
依頼書にあった特徴に似ている。
発見した魔物は豚鬼である可能性が高い。
索敵の反応によると相手の数は七。
依頼達成には十分すぎる数だ。
しかし。
索敵に掛かった豚鬼の内、二匹の様子がおかしい。
彼はその正体を確かめようと索敵の精度をあげる。
それによって浮かび上がった光景は.....
「ッ!! 」
風を裂き、影が駆ける。
木の枝を掴んで足から潜り抜け、岩を宙返りで飛び越え、地に足がつくと同時に力強く踏み込む。
数秒の後、やがて見えてきた森の間隙。
緑の空白地帯となっていたそこには、棍棒を持った五匹の豚鬼と....それらに囲まれ、今にも殴られようとする二つの人影があった。
「--嫌ぁ」
掠れた小さな声を上げる二人組の片割れ。
よくよく見てみれば、身に付けた外套からギルドに居た『声の主』であることがわかる。
彼は再度力強く踏み込み、棍棒を降り下ろさんとしていた一匹の豚鬼の首を懐から抜き放った短剣で、一閃。
「ピギィ! ピギ、ピギ、『ゴトリ』----? 」
鳴き声を発していた豚鬼の首が落ちる。
「--え? 」
間の抜けた声を出したのは二人組のもう一方、薄黒い外套を着た者。
彼女にはトゥーレの姿が見えていないために状況を把握しきれていないのだ。
トゥーレはその声に構わず更に三匹の豚鬼に死を与える。
残る一匹は....。
「ピィッ! 」
セイルの風の餌食となったようで、首が落とされ、身体中に細かな傷を負った死体に変じていた。
「ご苦労様」
トゥーレはセイルを労い、しゃがみこむ二人組に目を向ける。
目の前に立ったことで漸くトゥーレの姿を認識したのか、二人組の視線が突き刺さった。
視線に込められた感情は、驚愕と畏怖。
....この姿をとっている際には人の感情というものが手に取るようにわかる。
彼女らはトゥーレの風体と隠形に警戒しているようだった。
「大丈夫ですか? 」
膠着状態を防ぐため、相手を労る言葉を発する。
少なくともこれで敵意が無いことくらいは察してくれるだろうと思って。
「....大丈夫とは言えませんが、無事ではあります」
薄黒い外套を纏った方が返答した。
友好的な方向へ持っていくことが出来たらしい。
未だ警戒は解かれていないが。
それに対するトゥーレの対応は...
「それは良かった。あちらの豚鬼は戴いても宜しいですか? 」
依頼分を回収してさっさと帰る、だった。
この言葉に警戒を多少緩めたのか、再度薄黒い方が声を発する。
「あの豚鬼はあなたが? 」
「ええ、苦戦しているご様子でしたので。余計でしたか? 」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
頭を下げる片割れ。
概ね信用してもらえたようである。
「豚鬼は全てお持ちください。我々では倒しきれない相手ですので」
更に獲物も譲ってくれると言う。
内心大喜びのトゥーレであるが、感情を表に出さないように一礼した。
「ありがとうございます。では、私はこれで」
豚鬼をインベントリに収納し、帰り支度をするトゥーレ。
そして二人組に背を向け、急加速しようとしたその時。
「あの」
鈴の鳴るような声がした。
声を発したのは、例の声の主。
ギルドとは全く違った声を発した彼女は、トゥーレを見詰め、話す。
「私は....アリス。貴方の....名前は? 」
その青い瞳を見返すトゥーレ。
そして少しの間を空け、名乗りを返す。
「トゥーレ。トゥーレ・マールスティン」
正直に、今の名前を答える。
嘘をつくことも出来た。
その方が何かと面倒も無い筈である...ということも理解していた。
しかし、不思議と彼女...アリスに、嘘を吐きたくなかった。
互いに数瞬目を見合った二人。
暫くしてトゥーレは再び背を向け、森の出口を目指して跳躍したのだった。
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体調不良のため、明日更新するかわかりません。
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