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タイトルから連想されるつぶらな瞳でお耳の長いキュートなもふもふふわふわさんは出てきません。

 ごぼ。

 大きな泡がびろびろと輪郭をわななかせながら昇っていく。青い。ひんやりと青く僅かに濁った水の中だ。泡が昇って行く先に丸い光が見える。


――なぜ水の中に……?


 気づいてしまうと駄目だ。

 呼吸できない。苦しい。痛い。頭がみしみしときしむ。圧力に負けて破裂しそうだ。

 ここはどこ? なぜこんなことに?

 もがきながら沈んでいく私に答えをくれる者はいない。

 頭上高いところにある丸い光の輪がどんどん遠のいて行く。



     *     *     *


 声を低く抑えているようだが、言い争う声が聞こえる。


「……今時マレビトなんて」

「分からんぞ。確か歴史の教科書にマレビトは火を噴くとかなんとか書いてあったよな」

「よく覚えてるね」

「優等生だったからな。――それはともかく」

「うん。とても火を噴くようには見えないね。パックツアーからはぐれた旅行者かなんかじゃない?」

「こんなところに?」

「こんなところにって……、商機があるから出店したんじゃなかったの?」

「お、目が覚めそうだ。念のため外さないでおけ」

「そうだね」


 知らない人、男の人の声だ。人が近づいてくる気配がする。私は重い腕を上げ、額から目、鼻近くまで覆うひんやりと濡れた布をずらそうとした。そっと手を掴まれた。あたたかい指の感触だけど一瞬、恐怖でおののいた。ずいぶん硬い肌だ。


「坊主、そのまま。もうちょっと待ってくれ」

「……はい」


――ぐぐぐぎゅるぎゅるぐぐううう。


 は、恥ずかしい。

 苦笑する気配が二人分。


「坊主、腹が減ったか」

「食べたいもの、ある?」


 食べたいもの。なんだろう。おなかがすき過ぎてぱっと出てこない。でも。脳裏をふとあるイメージが過った。

 人が行き交う駅前商店街の一角。赤地に白抜きでイニシャルを掲げた看板。高温の油の中でにぎやかな音を立て肉が踊る。脂がほどけて溶け、スパイスと絡む蠱惑的なにおい。

 ごくり、とつばを飲んだ。


「食べたいもの、あります。――フライドチキン」

「ふらいどちきん?」


 んん? フライドチキン、知らないのかな。別の呼び方するとか?


「アレです、お店の前に眼鏡をかけた恰幅のいいおじさん……」

「おっさんってのはだいたい福々しく腹が出っ張ってるもんだ」

「しょーちゃん、かきまぜないの」

「ええっと、フライドチキンっていわないのかな? あの、クリスマスになると予約が殺到してすっごい行列ができて」

「それはうらやましいね。食べ物を売る店なの?」

「はい。ファーストフードです」

「ふぁーすとふーど? くりすます?」

「え? クリスマスは、えっと、外国の神様のお子さんが生まれた日をお祭りみたいにお祝いする日です」


 二人の気配が離れた。


「くりすま……なんだろう」

「始祖聖人プテロ様の降誕祭みたいなものじゃないか」

「なるほど。……もうマレビト決定なんじゃない?」

「――うーむ」


 ごにょごにょと言葉を交わした後、気配が戻ってきた。


「もしかして、フライドチキン、駄目ですか。フライ、揚げてある――」

「――ふらいどちきんってまさか」

「鶏のから揚げ」


 がたがたっ、と椅子を蹴り人が立ちあがる慌ただしい気配がした。な、なんだろう。


「もも肉だと申し分ないんですけど。骨を握ってむしゃむしゃ食べるとおいしいですよね?」

「ほっ、骨……! 聞いたか、骨を骨を」

「えっ? いや、なければ胸肉のあたりでも問題ないんですが。これはこれでさっぱりしていて脂が少ない分、お肉の旨みがぎゅぎゅっと」

「むっ、胸……、きみっ、と、鳥を食べるのッ」


 この人たち、何をいってるんだ。


「食べますよ? 大好物です」

「聞いたか、けんた」

「聞いた……。火を噴くより恐ろしい。マレビト決定だね」

「すっ、捨ててこい!」

「捨てるって……拾ってきたのしょーちゃんじゃないの」


 周りの様子もさることながら何より話が見えない。首をかしげたら、顔にかけられた布がずるり、と落ちかけた。


「あっ、あっ、それを取っちゃ、だっ」

「駄目駄目駄目」


 どたどたと駆け寄り、布を当てなおしてくれた。


「ありがとうございます?」

「あんた、マレビトだとするとまだこれを取らないほうがいい」

「そうなんですか?」


 そのマレビトってのが何か分からないんですけどね?


「ああああ、頭動かすな。けんた、包帯取ってこい」

「よしきた」


 フライドチキンを食べたくなる名前だなあ。ああ、おなかすいた。

 ぐるぐるぎゅうぎゅう鳴る腹を押さえる。


「あんた、そのふ、ふらいどちきんとかいう料理じゃないと食べられないのか?」

「いえ、そんなことはないです」

「魚とか、米はどうだ」

「好きです。大好き」

「そうか」


 側にいる人の気配が少し緩んだ。


「さっきはうろたえてすまなかった。『捨ててこい』は言い過ぎた」

「いいえ……」


 自分に何が起きているのかよく分からない。

 溺れているところを助けてもらったんだと思うのだが、かなり迷惑をかけているらしい。

 そもそも、ここはどこなんだろう。この人たちは誰なんだろう。「しょーちゃん」「けんた」と呼び合っていた。名前は日本人みたいだし、日本語も通じている。それなのに、何かおかしい。フライドチキンを知らないというのは万が一あり得ても、現代日本でクリスマスを知らない人たちというのは存在しないんじゃなかろうか。クリスマスが家庭や恋人同士で祝われる行事として日本で定着して三世代くらいは経ってそうだもの。だいたい「始祖聖人プテロ様」って何だ。私の知らない宗教か何かなんだろうか。まさか知らないうちにカルト集団居住地区に入り込んでしまったなんてことは……あるわけない。溺れる寸前まで私は東京郊外の、大学の近くを歩いていた。大学と商店街と住宅地、それ以外に何があるわけでもない。溺れるような場所もなかったはずだ。川はコンクリートの底が見えるくらい浅いし、公園の池もしかり。

 私、なんでここにいるんだろう。

 心細いと表情に出てしまったらしい。側にいる人がぽん、ぽん、と安心させるように私の頭にあたたかい手を載せる。


「まず腹ごしらえだな。米や魚が食えるってのは幸いだ。俺たちは『うさぎ屋』っていう定食屋をやってる」

「うさぎやさん」

「おうよ。有名なチェーンだから聞いたことあるだろ? ……あ、そうか、あんたはマレビトだから知らないか」

「すみません」

「いいっていいって。炊きたての飯と魚、小鉢とみそ汁をつけた定食をいつでもあったか、お得なお値段で提供してるってわけだ。うまいぞお」

「お、おいしそうです……」


 口の端からよだれがだらり、と垂れた。慌てて拭おうとあわあわしていると、男が「頭動かしちゃ駄目だっつうの」と手拭いのような布で口の周りをふいてくれた。親切だ。

 そこへもう一人が戻ってきた。「魚も米もイケるそうだ」「そりゃよかった」と言うやり取りの後、空気が改まった。


「坊主、よく聞いてくれ」


 ずっとそばにいてくれた人が私の目をそっと、しかし容赦ない圧力で動けないよう頭全体を枕に押しつけている。


「これからこの布を取って、代わりに包帯を目の周りに巻く。あんたがマレビトであれば今この時点でまぶたを開けると目が潰れる。だから包帯を巻いている間、決して目を開けては駄目だ」

「……」

「納得できないと思うけど、これから一生目が見えなくなったら辛いと思うんだ。だからちょっと我慢して?」

「動かない。目を開けない。……できるか?」

「……はい」

「きみが落ち着いていてくれて助かるよ」


 上半身を起こされ、「目を開けるなよ」と念を押され、顔から布が外された。まぶたを閉じているのにものすごく明るいのが分かる。反射的に眉が寄った。やわらかなハンカチのようなものが目にあてられ、その上から包帯をぐるぐると巻かれた。時折、額や頬をやわらかくあたたかな軽い何かがかすめる。目を押さえ過ぎない圧力でしっかりと固定され、ずれないことを確認した上で頭部が解放された。


――ぐぐぐぎゅるぎゅるぐぐううう。


「ひとまず、飯だ。ちょっと待ってな」

「すぐできるからね」


 私を横たえ布団をかけると、男たちはばたばたと部屋から出ていった。



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