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向かう途中、カイトは何かの気配を察する。先ほどまで感じ取れなかった、外からの来訪者の気配を。すぐに近くの茂みに身を潜め、周りを窺う。草が揺れる音が無数に聞こえくる。どうやら、カイトと彼女以外の人物が森に入り込んだようだ。カイトは気配を読み取って、人数を数える。
「大体五人か……」
向こうがカイト達に気づいている様子は見られない。だが、何かを探している風に見えた。カイトはもう一度、彼女を一瞥する。
カイトが考えた可能性としては、モノクロ騎士団以外に依頼をしていたというもの。だが、依頼文に『 この依頼はギルド長以外に知ることが出来るのは、ひとりだけである。そのルールを守れない場合、ギルドを取り潰す』と脅しまで使い、情報を規制していたのにもかかわらず、他のギルドにも依頼を出すというのは、カイトとしては腑に落ちない。
後に考えられるのは偶然の旅人、または依頼者、つまりはロス・ブラットの近衛兵である。カイトは後者だと直感する。
直感した直後、カイト達の前を人影が通った。彼女を無理やり地面に押し付けて、自分も一層身を屈み、生い茂る草の間から人が通るのを確認する。ガシャガシャ、と音を鳴らして歩いている。銀色の重そうな鎧で全身を包んでいる人物の右胸には王族の近衛兵の紋章が刻まれていた。カイトの直感は当たったのだ。だが、本人は嬉しそうな表情を浮かべない。それどころか、緊張が見えた。
王族の近衛兵は騎士団の中でも選りすぐりされた兵であるため、その実力は、並みのものではない。一人ならまだしも、五人がいる中で正面からの戦闘は避けたい、とカイトは冷や汗を額に滲ませた。だが、今は他の選択肢はない。
カイトは逆手に短剣を手に持った。そうして、彼女を置き去りに兵士に近づく。息を殺し、動きを最小限に、気配を悟られないように。後、五メートルの距離まで接近し、兵士の背後を捉え、一気に仕掛ける。
足に肉体強化を施す。背後から一気に距離をなくし、短剣を喉下に穿つ。穿った場所からは、赤い液体が噴き出した。崩れ去る兵士は最期に背後のカイトを睨む。その目は、カイトを恨むというより、ただ自分の死因を知りたいかのようだった。
見事に仕留めたカイトは気配を辿り、一人の兵士の背を見つける。迅速かつ、正確に兵士の急所短剣で仕留める。ものの見事に兵士は、声も出さずに命を失った。
後は同じことの繰り返しだった。瞬く間に五人だった兵士は、一人まで減っていき、今残っている兵士は一人しかいない。カイトは最後の一人に正面から向かい合った。
突然のカイトとの遭遇に身構えた兵士は、腰に携えている剣の柄に手をかける。カイトは大袈裟に驚き、降参の意を込めて、両手を挙げた。
「お前は何者だ」
語気を強めた兵士の声に、カイトは何度首を横に振る。
「ギルドで雇われた者です」
「そうか」と、呟き、兵士は柄から手を離し、体勢を元に戻す。
「それにしても、どうして近衛兵の人がこんな所に?」
「お前には関係ない」
「関係なくはないでしょう。僕も依頼を受けている身ですし」
「それもそうか、では歩きながらそのことについて話そう」
そう言って、兵士は独りでに森の奥へと進んでいく。カイトはそれを追い、隣に並び立つ。
瞬間、鈍く光った剣が刃がカイトの首を狙い、迫る。それをカイトは短剣で容易に受流し、すぐに背のほうに距離を取った。
「何ですか急に」
何でもなかったかのような表情を浮かべて、カイトは剣の持ち主である兵士に言う。
「ほう……。あれを簡単に避けるか……」
感心を寄せる兵士は、カイトの質問に取り合わない。鞘から抜かれた剣先を向けて、カイトをじっ、と見据える。
カイトとは一つため息を吐いて、乱暴に頭を掻いた。
「どうして僕に刃を向けるんですか? 今の目的は捕縛対象を見つけることでしょう?」
「抜かせ。お前の今の目的は、私から情報を聞き出すことだろう」
「何を言っているんですか、早く捕縛対象を見つけないと……」
カイトの話の最中、兵士が割って入る。
「お前は気付いているんだろう。この依頼のおかしなところに」
言葉を聴いた瞬間、カイトの雰囲気が剣呑なものに変わる。これでは情報を聞き出すことは不可能だと判断したためだ。手に持った短剣を逆手に持ち変えた。
今回の真相は、依頼をおかしいと思えない馬鹿を森に誘いこみ、捕縛対象を共に捕まえ、その後に依頼を請け負った人間の殺害、というのがカイトの読みだった。それはどうやら当たっていたらしい。
両者、前の敵を見据えて動かない。森の中には自然の音のみが辺りを支配する。それから幾ばくかの時が過ぎ、鳥のさえずりが森に響き渡った。それが、開戦の合図だった。
最初に動いたのは、兵士のほう、彼は一直線に駆けていき、右胸めがけ、身体魔法を腕に鋭い突きを見舞う。だが、直線的な動きでは、簡単に当たるはずもなく、カイトは身を捻り、紙一重で剣先を避け、刃を伝うように懐に入り込み、右手に持ってある、短剣を上から振るう。
だが、兵士も幾多もの戦いを勝ってきた猛者、そう簡単にはやられる訳もなく、銀の手甲で短剣の先を防ぎ、力任せに腕を振り払う。その勢いに押されてしまったカイトは、体勢を崩しながら、一歩二歩と後ろに下がる。
そのチャンスを歴戦の兵士は逃がさない。振り払った手をカイトに翳す。いつの間にか唱えていた呪文が発現される。それは、速さと威力を兼ね備えた雷の魔法、それは黄色い雷が直線的にカイトに向かう。カイトは先ほどの捕縛対象との戦いで魔法を反射する鎧を外していた。彼をこの魔法から守る物は一切存在しない。さらには体勢を崩していて、上手く避けることもできない。カイトは迫る雷を素直に肩に食らってしまう。雷は肩を突き抜けて、後ろにある木に着弾した。
その威力は絶大で、想像を超える痛みがカイトを襲う。だが、その痛みに浸っている暇はない。もう一度、雷の魔法が飛んでくる。今度は身を翻し、上手く避けることが出来た。
今度は魔力を温存するためか、兵士が迫る。カイトは短剣を左手から肩が無事である右手に持ち帰る。兵士は肩を負傷したところに向けて、横への一閃を放つ。カイトは後ろに大きく下がり、剣先をすれすれで回避、開いた腹に蹴りを入れた。後ろに下がった兵士の素肌が見えている喉元に向けて、短剣を振るう。その刃を兵士は、素肌に等しい手で鷲掴みにした。兵士の手からは見る見るうちに血が滲み、地面に一滴、一滴赤い液体が零れ落ちる。だが、彼は必死の形相でその手を離そうとしない。兵士の剣がカイトの首を撥ねるために、カイトに向かって動き出す。カイトは短剣を手放し、迫り来る刃を後ろに避けた。
形勢は完全に兵士に傾いていた。カイトは肩から先が動かなくなり、兵士は片手が使えなくなっている。傷だけでいえば、互角見えるが、武器を失ったカイトは攻撃手段が魔法しかない。だが、魔法というのは、あまり使い勝手のいいものではない。詠唱に数秒の時間が消費される。その数秒が戦いにおいては、致命的だった。だが、それは正面での戦いでの話だ。
カイトは、兵士に背を向け、走り出した。戦いでの不利を覆すため、彼は一度退くことを選んだ。身体強化の魔法を使用して、全力での逃亡を図る。カイトは一度兵士が追ってきているかを確認するため、後ろを振り返る。兵士はカイトと同じく、身体魔法を施して、追ってきている。
身体強化の魔法、詠唱に時間がほとんどかからない。だが、白兵戦で使われることはあまりない。それは、強化した部位の制御が恐ろしく難しいからだ。あまりに難しいために、ここぞという場でしか使われることはない。白兵戦では使われないが、今回の逃亡、追跡のような場合には、よく使われている。
カイトは捕縛対象との戦闘のために多少の魔力を使ってきた。ここは少しでも魔力の消費を抑えたいところだが、彼は、魔力をさらに消費して、速度を上げる。兵士はというと、暗がりの森に火の魔法を点しながら、カイトの背後が見えるギリギリの位置で虎視眈々とカイトの魔力が切れるのを待っていた。だが、カイトの背が突如として消える。驚いた兵士はすぐに足を止めて、辺りを見渡し、息を整えた。
白兵戦では勝ち目がないと踏んだカイトは、瞬く間に森の木によじ登り、兵士の様子を観察していた。カイトが得意としている戦い方は、魔法を主とした奇襲や狙撃である。今回のような薄暗い森などは、ホームグラウンドといっても過言ではない。
「さて、どうするかな?」
見たところ、兵士は落ち着いていた。不用意に魔法を売ってしまえば、そこから位置がばれてしまう恐れがある。これまで以上に慎重に行かなければならない。
カイトは木から木へと飛び移り、気づかれないように場所を変えて、兵士が油断するまで、時が過ぎるのを待っていた。
再び、静寂が始まる。集中力を切らさず、相手の出方を窺う両者。不利な兵士の額には汗が滲む。兵士の汗が、額から零れ落ち、目に入る。そこに隙が出来た。
カイトは、一瞬の内に詠唱、速さを売りにしている風の魔法を放った。鋭く目に見えない鎌鼬が兵士を襲う。兵士は避けられないと判断して、右手で魔法を遮った。腕の鎧がズタズタに破壊され、その中の肌が、見えない風の刃に切り刻まれる。だが、屈強な精神で放たれた方向に雷の魔法を発現させる。黄色い雷がカイト目掛けて飛んできた。だが、身軽に適当な木に飛びうつったカイトは難を逃れた。
そこからカイトは木の枝にひょい、と何度も飛び移り、兵士から逃げていく。カイトを発見した兵士はそれを追う。再び、逃走劇が始まった。魔力量と傷の具合からか、距離が見る見るうちに広がっていく。時折来るカイトの魔法を避けながらの追跡に兵士の集中力と疲労はピークに達していた。
そうして、再び、カイトの姿が兵士の前から消えた。集中力の消えた兵士を欺くことは、界おtにとって容易なことだった。
それでも王からの命令に背くことを許されていない兵士は、逃げる選択肢を頭の中から消す。そうして、腰に携えた剣を左で器用に引き抜き、最後の意地を見せた。
と、地面に生い茂る草がごそごそと動く。カイトの策略かと考えた兵士は、上に警戒しながらもその茂みにも注意の目を向けた。ごそごそと動く何かは、徐々に兵士に向かって 津かづいてくる。辺りに気を配りながらもそれを目で追ってしまう。そして、その何かが草から飛び出してきた。その正体は口枷を嵌められて、手足を縛られた捕縛対象だった。
その正体を知っている兵士は目を丸くした。そうして、どれほど怪我をしても途切れることがなかった集中力がなくなってしまった。そこをカイトは狙う。詠唱の後に鎌鼬が飛び交い、兵士の足に傷を負わせた。堪らず握っていた剣を捨て、その場に跪く兵士に上の木からカイトが飛び掛る。兵士を地面に伏せさせた後、捨てられた剣を兵士の首にあてがった。
「聞きたいことがある」
カイトの言葉に兵士は何も言わない。カイトはかまわず続ける。
「どうしてこいつが捕縛対象になった? 王族の狙いはなんだ?」
目を捕縛対象である少女に向けた。兵士もそこに目をやるが何も言うことはなかった。
「もう一度聞く。ロス・ブラットが彼女を狙う理由は何だ? この少女にどれほどの価値がある」
「我らが主の御心など私達、奴隷が知るものか」
「奴隷? お前達は近衛兵だろ」
「呼び方と仕える主人の違いだ。名誉だけを持っている奴隷なんだよ、近衛兵と言うのは」
「では、お前は何も知らないんだな?」
「ああ、何も知らん」
「そうか……」
カイトは彼の首にあてがっていた剣をすっと引いた。引いたところからは遅れて皮膚が裂け、噴水のように血が飛び出す。地面が赤く染まっていく。体の中から血が消えていった兵士は、静かに息を引き取った。それを見ていた少女の顔は驚くほどに無表情だった。