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次の日、カイトは朝早く馬に乗り、ギルド本部がある町の北西にある森に向かっていた。屋敷が本部の西にあるので、距離としてはかなり近い。四十分足らずで着くことができた。
動物達の鳴き声に、風の吹きすさぶ音、それらが森の薄暗さと見事にマッチしていた。異様な不気味さを纏った森の奥に捕縛対象がいる。依頼を記した紙にはそう書かれていた。
カイトは高鳴る鼓動を必死に押し殺しながら、手綱を入り口近くの木に括りつけて、森の奥に進んでいった。
まだ、日が出ているというのに、森の中は真夜中のように暗い。入り口でも相当の暗さだったが、奥につれて、肉眼では辺りを認識できなくなっていった。
捕縛対象に気づかれる可能性があるが、このままだと会うことすらままならない、と思案して、彼は魔法で明かりを点すことにした。小さな声で呪文を呟くと、指先に微かな赤い炎が灯る。これからの戦闘を考えて、火の大きさは最小限に留めておいた。
「それにしても静かだな……」
動物達の不安定な鳴き声にカイトは堪らず声を出した。こんな所に人がいるとは考えられない。
と、言うよりこの不安定な場所にいる人物は、一体どんな理由でこんな所にいるのかを知りたかった。
カイトは奥に進む。いつまでも歩いていく内に、カイトの時間間隔が狂い始めていた。日が差さないせいだ。と、弱っているカイトの耳に、草を掻き分けるような音が入ってきた。すぐに身を屈めて、辺りを警戒する。捕縛対象がカイトに気づいた可能性が高い。自分の位置を知らせてしまうであろう、指先の炎をすっと消した。
暗闇の中、出来る限り五感を働かせて、辺りを窺う。先ほどのような音は、あれから一切聞こえない。あの音が野生の動物のものだとしたら、あの後も絶えず聞こえてきたはずだ。しかし、あれから音はまったくしない。十中八九捕縛対象だろう。さらに、相手がここにずっと住んでいたというのなら、暗闇に目が慣れているはずだ。すぐに距離を詰められて、殺される。このような事柄をカイトは考えて、出した結論は自分が見つかることを承知の上での特攻だった。
カイトはふっと息を吐いて、呪文の詠唱に入る。そして、人の顔の大きさの炎を発現した。そのおかげで辺りが照らされる。カイトは捕縛対象を見つけるために、辺りを何度も見渡した。
探している最中、カイトは視界の端に一つの影を捉えた。その影はカイトに向けて直進している。寸での所でカイトは地面に転がり、横に回避した。カイトはすぐに飛んできた方角に視線を送る。蠢く影を捉えた。魔法の詠唱を行う。
発現したのは先ほどと同じく、炎の魔法。サイズは掌くらいのものだった。それを蠢く影に放つ。
放った炎は蠢いていた影の奥にある木に命中、命中した木がメラメラと燃え上がる。
「くっそ……」舌打ちと共に声が出た。
だが、影の奥でメラメラと燃え上がる火のおかげであたりはより一層明るくなり、蠢いていた影の輪郭と色が見えた。
依頼文の書かれた紙に、付属していた絵にそっくりだった。火のせいで赤く色づく黒髪、布切れのような服に、所々怪我を負った肌。細部は違うものの、絵の人物と瓜二つだった。
彼女はすぐに火の明かりが届かない森の奥に移動した。呆気にとられていたカイトは、少し遅れて追いかける。追いかける最中、少女が何かを呟いていた。カイトの直感が、まずい、と感じて、すぐに足を止めた。
彼女の翳した手から放たれたのは、先ほどと同じ魔法だった。しかし、カイトはその黒い塊の魔法を知らない。知らない彼は、黒い球体を屈んで避けた。屈んだ際に曲げた膝の力を使い、加速する。
カイトとしては、身体強化魔法を使って、さっさと捕縛対象に追いつきたかった。だが、立ち並ぶ木が邪魔なせいで使うことはできない。何度も曲がったり、ブレーキをかけると、身体に負担がかかるからである。まだ相手の力量が分からないうちには使いたくない、と考えていた。
仕方なしに、魔法を使わずに駆けるカイトは、手持ちの武器を確認した。目潰し用の閃光弾、今、身に纏っている、ある程度の魔法は反射できる鎧。それに短剣と呪文詠唱をさせないための口枷、それがカイトの持っている手持ちの武器だった。危険な依頼と知っていたが、多く持っていくと返って邪魔になると思案して、最低限のものしか持ってこなかった。
今の状況を考えると、多くの武器を持ってきたところであまり役に立つとは、カイトには思わない。今、手元にある武器で戦略を練る。向こうの魔法の正体は知れず、力量も知れない。だが、やるしかない。何度も飛んでくる黒い球体を避けながら、彼は彼女を捕らえるため、思考を働かせる。そして、簡単に思いつく。が、その策は一度しか通用しないであろう策。息をすっと短く吐き、集中する。
カイトは鎧を急いで外し、彼は閃光弾を握りしめた。それを彼女の前に放り投げる。一瞬、鋭い光が森に広がった。カイトは目を専用の目隠しで隠して光を防ぐ。片や、目の前の少女はモロに光が目に入った。彼女はその場に留まり、苦痛の声を上げる。それを合図にカイトは先ほど外した鎧をできるだけ上へと放り投げた。丁度、彼女とカイトの間を浮遊する鎧に彼は、明かりに使っている魔法を撃つ。
直線で鎧にぶつかった炎は鎧の反射により、鎧の下にいる彼女に方向を変えた。目が微かにしか見えない彼女の迫る炎。だが、炎の熱気のおかげで、彼女はそれをギリギリのところで察知できた。詠唱するために、即座に口を開く。
鎧から反射した炎は、詠唱により出てきた黒い塊に相殺される。彼女は今、カイトが上から攻撃した、と思い込んだ。それがカイトの狙い。彼女の注意が上に向いている間にカイトは身体強化の魔法を施し、一気に肉薄し、彼女の背中に回りこむ。これ以上の詠唱をさせないために、口に彼女の口に右手を突っ込んだ。
そこからはもう、捕まえたも同然だった。後は、器用に口枷を彼女に嵌め、手足を縛るだけ。カイトはその作業を慣れた手つきで行う。彼女はその間も逃げるためか、必死に暴れる。だが、相手の捕縛という依頼をを何度も積んできているカイトには、まったくの無意味だった。手足を縛った彼女を片に担ぎ、森の入り口に向かう。
向かう最中、カイトはこの依頼について考えていた。
どうにもおかしい。あまりに簡単すぎる。捕縛対象の総合的な能力は、あまり高くない。あの妙な黒い球体の魔法は気になるが、それ以外は素人以下の動き。実際、あまり労せずに彼女を捕まえることが出来た。考えれば考えるほどにこの依頼の奇妙さが目に付く。
カイトは自分の肩で暴れる彼女を一瞥した。彼女が持つ秘密とは何か。カイトは彼女に探りをいれてみることにした。小さな麻でできた子袋の中から、一枚の紙と、筆を取り出し、肩から彼女を下ろす。そしてすぐに手の縄をとってやった。
「俺が今から質問するからその答えを書いて」
紙と筆を差し出しながら、カイトは言う。彼女は黙ってそれらを手に取る。
「君はいつからここに?」
カイトは目線の高さをあわせて聞く。彼女は無表情のまま手の中のものを放り投げた。
「まあ、そうなるよな……」
ある程度想定できた出来事なので、カイトは平然としていた。それで諦めた彼は、再び彼女を背負い、入り口に赴く。