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リセアが逃げたことに焦ったか、飛びかかるそれ―――魔族と呼ばれたモノ。オレはそ
いつの一撃を鞘に納めた剣で受けると、両手で一気に押し返した。
「おおおぉっ!」
押されていた魔族が力を込める。刹那の拮抗、そして再びじりじりと下がるやつ。
「……器は、まだ獣か。
いつか危機が訪れると、知って、いるのか?」
力を込めて、魔物を押す。一歩、踏み込む。
「まあ―――」
もう一歩、踏み込む。
「オレには、関係ないが―――な!」
気合いの声と同時に飛び下がる魔族を―――追いはしない。
鞘に包まれたままの剣を、両手で構え直す。二歩だけ、姿勢を正すために進む。
「にんげん……おとこ……?」
「そうだ。人間の男が、たった1人で、お前の前にある。
貴様を、この世から消滅させるために―――な。」
低い、笑い声のような何かが、やつから発される。
笑いながら無造作に振るった腕から迸る数条の炎。無論これでオレを倒そうというので
はなく、あくまで威嚇だ。わずかに歩きかわす。
「にんげんが……ひとりで……おろかな……」
再び、笑い声。そして振るわれる真空の刃。難なくかわす。
それはある意味で当然なのかもしれないが、魔族に詠唱は必要ない。この世界を形作る
魔力に意志と方向を与えるのに、わざわざ人間のように言の葉を投げたりはしない。まし
て媒介など要するはずもない。
「愚かは果たして、どちらだろうな?」
両手で踏み込みに備え剣を構える。再び、あえて直撃しないように振るわれる刃を身体を
ひねるだけでかわし。
「きさまに……きまって、おろう!」
「すぐに答を―――くれてやるさ!」
間合いをつめてくる魔族に、一瞬遅れオレも駆け出す。彼我の間合いが一気につまり―――
重く鈍く、けれど甲高い音を立てて互いの身体が止まる。助走をつけた互いの力が、剣
の刃と腕の斧が、真っ向からぶつかり合い―――静止する。否、せめぎ合う。
「ひとりのにんげんは……けして、われにはかてぬ……」
「焦らずとも、すぐに教えてやるさ。」
ふっ―――と、力を抜くタイミングも同時。そして空間に固定された鞘から、オレの剣が、
白銀の刃が迸り―――
ざんっ、と。聞き慣れた音を立てて、斧と化したやつの腕が飛んだ。
「ぎっ、ぐあああぅ!」
「はああ!」
空間にあった鞘が、地に落ちるよりも速く二撃三撃とやつの身体を斬り裂く刃。後退する
やつに今度は追いすがり、振り上げた刃がやつの左腕を肩から斬り飛ばした。
なおも詰め寄るオレに、包み込むように広がる炎。やむなく炎を斬り払い、今一度やつ
との間合いが開く。
「ぐ、ぐう……おのれ……」
憎々しげな言葉と―――そして笑い声。オレは落ちた鞘を拾うと、もう一度刃を鞘に納め
た。
「何がおかしいんだ―――と、聞くまでもないか。オレは知っている。」
「……?」
そう。
オレは魔族を知っている。
「肩慣らしは、お互いこのくらいにしようか。
次で、決めてやるさ。」
「ぐくく……よかろう……」
右腕の先と左腕を丸ごと失った魔族は、低く笑うと身をかがめて構えた。
この後の展開も、行動も、結果も―――読める。
だからオレは、負けない。再び、鞘に入った剣で空中抜刀の構えを取り。
「いくぞ……?」
「断る必要など、なかろう?」
オレの言葉に一つ笑うと、雄叫びを上げながら炎をまとい魔族が突っ込んで来た。
オレは微動だにせず、ただ構え―――
一閃。
空間に翻る、銀線、銀閃。
身体を、まっすぐに両断された魔族は―――
「……」
もはや何一つしゃべることもなく、二つに分かれて地に落ちた。
「……ふう。」
小さく一つだけ息をつくと、剣を振り払い、拾った鞘に納めて。
再度オレは、その魔族の―――魔族の器の躯に向き直り、剣を構えた。
「く……くく……見事だ人間……」
待つ間もなく、オレに向かって躯がしゃべった。
いや、しゃべったって表現は適切じゃないよな。死体の口は動かない、死体全体が声を
発したと言うべきだろう。
「ありがとよ。
オレは知っている。とっとと出てきな。」
「ほう……
魔族を知っていながら、我を斬ったか。何を考える?」
教える必要はないさ。
冥土のみやげなんざ、貴様らには不釣り合いだからな。
「まあ……いい。もはや動かぬ器にとどまることもあるまい。」
黙して答えぬオレに向かって、壊れた器がそう声を発した。
やがてただ待つオレの前に黒い煙のようなものが立ち上り、宙に揺らめいた。
この、形も肉体も何もない、ガスのようなこれが―――魔族。
ただ、空気であるというわけではなく、これはいわばただの可視化されただけの存在。
魔族の実体は―――
「世界の欠片たる我らの器を斬るとは、愚かにも程があるぞ、人間?
それとも人間よ、我に取り込まれたかったのか?」
「―――さてな。」
簡潔に答える。答えるまでもないから。
「知っておったのであろう?
魔族とはすなわち、世界の闇の一欠片。実体も肉体も持たぬ概念存在。」
「されど、世界に作られた人間を好み、また波長を等しくする。
波長を等しくするがゆえ、人間を器とした魔族は実体と肉体を持ち概念存在ではなくな
る。
ゆえに、魔族を殺すには人間を用いるしかない―――知っている。」
ふふ……面白い。
やつの姿が、揺らめいた―――気がした。知らずオレの唇が持ち上がる。
「魔族は力を行使するために、器をもってこの世界に姿を持たなければならない。
人間以外の器に入っている限り、器を破壊されても消滅することはないが―――」
「……人間という器を最も好み、また最も我らの力を発揮することができる。
ゆえに我らは、人間を器とすることをやめぬ。たとえ消される可能性があろうとも。」
ごくあっさりと、魔族が頷くように言葉を続けた。
「随分あっさりと言うんだな、相変わらず魔族どもは?」
「我らは、絶対に人間を器に『出来る』からな。」
……そう、魔族は他の存在を器に『出来る』 だから、隠すことをしない。
「何か、他に聞きたいことはあるか?」
余裕だな。
「オレもまた、魔族を『知っている』 だから、別に聞きたいこともない。」
「……そうか。」
どことなく、訝しげな声―――そんな気がする。
抑揚もない、闇そのものと言った何もない声。感情などあるはずもないのにな。
心の中だけで、小さく苦笑して。
「それじゃぁ、始めるとしようか。
戦いには、決着を与えなければならない。」
「良かろう。
何を考えているか知らぬが、お前のその圧倒的な強さ、いただくとしよう。」
圧倒的。
そう、圧倒的だ。オレの強さは。
「来い。」
オレは、ただ一言呟くと、鞘に入ったままの剣を両手で大上段に構えた。
空中抜刀術。
普通抜刀術と言えば、左手で鞘を持ち、右手で剣を抜く。
鞘の中を刃を奔らせることで、爆発的な速度と威力を生む一撃必殺の剣術―――それが
抜刀術。
だがオレの扱う空中抜刀術は、鞘を空間に固定し、剣を両手で抜く。明確な言の葉を発
するわけではないが、魔術を応用した高等剣術だ。
―――現代では、これの使い手、一体何人残ってるんだかな。
そんなどうでもいいことを頭の端によぎらせながら―――構える。
目の前で、輪郭を揺らめかせ―――すなわち、輪郭以外、本体を静止させた魔族。それ
を見据えて。
「さらばだ、人間よ。」
すーっと、警戒もなくごく自然に真っ直ぐ寄ってくる魔族。
やがてその距離が縮まり、オレの剣の間合いへ到り。
「人意ここに在らん、我が剣は世界に求まるる一振りなり!」
オレの剣が白銀となり鞘から解き放たれ、世界の一欠片を真っ直ぐに両断した―――
一拍遅れて、空間に固定されていた鞘が肩にぶつかり、音を立てて地に落ちた。
「……く、くく……」
「何をするのかと、少し興味があったが―――しょせんは人間、ということか。」
「人は、魔族の器となる。人が魔族の最大の器となる。
それはすなわち、手から離れた物が地に落ちる、それだけのことなのだ。」
「ついに我も、人の器を得たわけか。
まあこれだけの力を持つ人など、そうそうあるわけでもあるまい。」
「さて―――この洞で暮らすのも、そろそろ人間の感覚で飽きたと言った所か。
器を得たことだし、外へ出るとするか―――」