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さくら色のマリー・改訂版  作者: 葦原佳明
9/11

第九話 偽り親子・4

   3


「……ふぅ」

 片付かないなぁ。マリーは息をついた。

 人間の体になった頃よりは慣れてきたとはいえ、何かやろうとすればやはり不自由な感じがある。何より移動が軽快ではない。体が重いし、バランスが悪い。尻尾がないためだろうと想いお尻をくねらせる。

 さくらの体はどちらかと言えば小柄な方。身長はすみれよりも小さく157センチ、体つきは中肉よりもやや少ない印象だ。手術は後頭部からされているため、まだその部分は髪がないが、周囲の髪で隠されている。髪の生え際は黒で、少し伸びたところから明るい茶色をしている。さくらは人間の三毛なのかもしれないとマリーは思っていた。

 マリーは黒猫であったから、今度は三毛もいいかも知れないと思っていたのでそれほど気にはならなかったが、彼女が体の中でも特に気にしているのが体に対して大きく感じる胸だった。

 なんでこんなに腫れてるんだろ? 重いし。それになんで、毛で覆われている訳でもないのにこんなに布の少ない服を着るんだろう?

 さくらの持っている服を着るしかないマリーは仕方なくその服を着ている。足も腕もかなり露出しているし、体をかがめると腰が出てしまう。猫の時のように伸びをすると腹も出る。もしかしたらと思い人間のような伸びをしたが、やはり背も腹も出てしまう。

 肌がこんなに出ていると何となく落ち着かない。

 それに今の季節ならいいかもしれないが、寒くなったらどうするのだろう? と首を傾げてしまう。マリーは自分の胸を両手で支えながらちらりとすみれの方に目をやった。

「なに? マリー?」

 すみれはにっこりと笑って見せる。

「……いえ、私も……」

「うん?」

「すみれさんぐらい胸が小さかったらよかったのにな、って思って」

「……」

 すみれは笑顔のまま顔を引きつらせた。マリーはその表情に不思議そうにまた首を傾げた。

 その日の夕方、梢と一樹はいつものように一緒に帰宅した。ドアを開け、二人は僅かながら片付けられ、掃除され始めた部屋に言葉を失った。そこでは汗だくになったマリーが笑顔で待っていた。


   4


「彼女の様子はどうですか?」

「今の所、何も問題は無いように思いますね。非常に安定しています」

 ブラインドで陽光を遮られた人気を払った会議室で三人が立つ。

 嘉村の言葉にすみれは事務的な口調で答え、薄く淹れられたインスタントコーヒーを一口口に含んだ。

 安いインスタント特有の軽い風味が鼻から抜けていく。コーヒーの温度がカップを通してじわりと伝わるのを感じながら、琥珀の水面に瞳を落していた。

嘉村はその大柄な体格には似合わず、神経質そうにそわそわと白衣の裾をいじりながら半ばうわの空で聞いていた。すみれの言葉など耳に入っていないかのようだ。

「それはよかった。しかし、君になついているとはいえ、中身は動物だ。十分に気をつけておいてほしいね」

「……」

 切れ長の目を鋭く細め、ヒヤリとするような口調で青山が言うとすみれは肩をすくめて見せたくなったのを我慢しなくてはならなかった。 

 彼女は対照的な二人の医師を見比べる。

 鋭い目をしたやや猫背のヤサ男が青山、その青山と比べると縦にも横にも二回りもほど大きいのが青山の腰巾着の嘉村だ。

 二人が並ぶと嘉村が青山のボディーガードに見えてしまう。 

 今回の手術は青山の執刀で行われ、助手を嘉村が行っている。

 彼の腕は確かだった。性格はすみれの好むところではなかったが、風貌そのままをあらわすような骨ばった白く細い指は精緻な動きをした。

 手術をする時の外科医独特の冷徹さを普段の生活にまで持ち出したようなその性格をのぞけば、医師からも患者からも信頼は厚い。

 青山の忠告に、すみれは二人から視線を外し、マリーの事を思い出していた。

 不慣れな手つきで子どもたちの洋服を畳む姿。不器用に掃除する姿。靴を揃えようとして左右逆においてしまったり、気を抜くとまだ猫のような座り方をしてしまう。

 その姿がどこかおかしく、思わず笑みが浮かぶ。すむれは、思わず口角が上がるのを隠すようにカップを口元に近づけた。

「ふふっ……」 

 マリーがすぐに出てしまう腰をしきりに気にしながらやっている姿が妙におかしい。

 自分のしっぽを追ってくるくる回り、最後にはコテンと倒れてしまう、そんな猫の姿が思い浮かんでしまう。

そうだ、今度マリーに服を買いに行ってやろう、とすみれは密かに考えた。

「十分に気をつけてくれ、この件が成功したら……」

「……二回目も済んだし、いよいよ本番?」

「……」

 部屋の温度が急に下がったような気がした。

 マリーは練習台。実験台ということだ。裏では、その本番のためにそれなりの金も動いているのだろう。

 ただ、それに首を突っ込むつもりはすみれにはなかった。もちろん、青山たちもそのつもりだろうと彼女は内心理解していた。

 マリーの精神状態は安定している。問題は起きそうにない。あとは、マリーを誰が管理するかという問題だけだ。

 ……その役が私ってわけよね。

 押し付けられる形だが、すみれは特に不満を持たなかった。むしろ、自分の手元にいてくれた方が安心できるというものだ。

 青山と嘉村の視線を感じながらすみれは背を向ける。

「それじゃあ、私はこれで。彼女を待たせていますので」

 コーヒーがまずいのは、インスタントだからじゃないわね。このコーヒー、賞味期限間近ではないと思うけど。

 すみれはほとんど残ったままのコーヒーをテーブルに置くと白衣のポケットに両手を突っ込んだ。

「ああ……」

 おちつかないのか、嘉村は呻くような声を返す。

 すみれは部屋を出ると、足早に廊下を歩きだす。ふと、思い出したように白衣の匂いを嗅ぐと煙草の匂いがついていた。

 嘉山の煙草の匂いだ。彼女は顔をしかめ、更衣室へと足を向けた。確か、かわりの白衣があったはず。以前はあまり吸わなかった嘉山の煙草の量がここに来て増え始めている。

 あの手術やマリーの存在は小心者の嘉山の心を蝕んでいるのだろう。

 目覚めたのが本来の人格のさくらではなく、マリーというであったということは想定外のことだった。さくらが目覚めるか、失敗かのどちらかになると思われていたのだ。

 取り乱してもおかしくはないか……。

 わけのわからない、手探りな状態になっている。

 だが、考えようによっては、今の状態は決して悪いものではない。

自分の体から他人の体に移るという不可思議な現象は、どのような人格であろうとも混乱するだろうし、身体と精神の不一致から異常をきたしたとしてもおかしくない。マリーが目覚めたことにより強制的な拘束や投薬なども視野に入っていた。

 それがどうだろう。マリーは今、自分のどもでもない子を一生懸命面倒に見ようとしている。

 こんなことになると誰が想像できただろう?

「あ、すみれさん」

「マリー、遅くなってごめん。さあ、中に入って」

 研究室の前の長椅子でマリーが座っていた。相変わらず露出度の高い服を着ながらモジモジと居心地が悪そうにしている。

マリーはすみれの姿を見つけると、うれしそうに立ち上がる。すみれはマリーの服装に苦笑いしながら、部屋の中へと促した。

「どう片付けは終わった?」

 すみれはあれから何度かマリーの家に顔を出していた。マリーはゆっくりではあるが確実に掃除を進め、一週間ほど前に見たときにはかなり部屋として機能するようになっていた。

「はい、もうほとんど、おかげさまで……」

「そのわりには、そんな服を選んでくるんだ?」

 露出度と柄もさることながら、上下のバランスがチグハグである。

 色合いや柄を組み合わせると言う感覚が、マリーは苦手なのかもしれない、とすみれは思った。

「こういう服しかないんです」

 部屋が片付き、散らばっていた服なども新たに見つかっていたが、そもそも落ち着いた感じの服がない。露出が少ないものはあるにはあったが、今の季節には適しないものばかりだったのだ。

「すみれさんみたいな、そういう服はないんです」

「これ? こういうのは普通着ないのよ」

 マリーの言葉にすみれは自分の白衣をつまみ上げてみせた。

「そうなんですか? 家にある服、みんな色とか柄が落ち着かないんです。すみれさんが着ているようなのが本当はいいんですけど」

「ふうん、なら、今度買いに行こうか、やっぱり白がいいの?」

「どちらかっていうと黒がいいです」

「黒ね」

 やっぱり自分の色が好みなのかしら?

「白って、なんか気難しい感じがするし……それから、すみれさんにお願いがあるんです」

「お願い?」

 マリーからお願い事をされるとは珍しい。

 すみれは驚きとともに頼りにされて喜びも感じていた。

 着ている服もそうだが、マリーは大体のことは文句も言わずに順応してしまう。

 困ることって言ったら、お金のこと? 確か、預金通帳には当分困らないような額が入っていたと思うけど、この病院からも少しだけ生活費が出されているから問題はないはず。となると、銀行から下ろし方がわからないとかそういうことかな。機械オンチのマリーなら充分に考えられる。

「まあ、何でも聞いてよ」 

「はい、実は、料理を教えてほしいんです」

「……りょ、料理?」

 意を決したように言い放つマリーにすみれは思わずはたじろいだ。すみれは「何でも聞いてよ」と言った自分の言葉を今から取り消したくなった。掃除はまだしも、料理はからっきしだ。間違いなく下手。ややもすれば、家庭科の時間ではなく理科の実験になってしまう。

「なんでもいいんです、難しいのはできないと思うので、簡単なのを」

「……」

 マリーの何気ない言葉がますますハードルを上げてくる。すみれはマリーのすがるような瞳から目をそらし、冷静を装いながら冷や汗で濡れる手でタバコを探したが着替えた時に移し忘れたのか見つからなかった。

 頭の中は猛烈な勢いで回転し始めている。考えているのはレシピではなく、言いわけであるが。

「えーと、そうね……」

 一人暮らしで弁当や外食が多い。

 そう、あくまで一人暮らしだからだ。仕事も忙しいのだから仕方がないじゃない? あ、いや、そういうことじゃないか。

 すみれは言いわけを考えながら、なぜか自分自身に言いわけをしていることに気がついた。

 マリーが求めているものは、おそらく弁当やお惣菜を買いなさいで済む話ではないのだろう。

「な、何かこれってものがあるのかしら?」

「二人が喜びそうなものがいいんです、私は何でもいいので……」

「そ、そうね。子どもが喜びそうなものね」

 と、言われてもすぐに思いつかない。

 いや、もちろんそれなりに思いつく、ハンバーグやカレー、ナポリタンなどいくらでも思いつく。ただ、教えるほどのレベルに達していないという問題があるだけで。

「あっ、マリーさん、いらしてたんですか」

「翼さん」

 顔を出した翼にマリーはペコリと頭を下げた。翼はニコリと笑顔を向け、マリーもニコニコとそれを返す。

 ニコニコと笑い合う二人の真ん中で、すみれは二人の間で視線を行き来させる。すると、パッと閃いた。

「そういえば、翼君、料理が得意って言っていたわよね?」

 内心ではドキドキしながら、少しもったいぶるような口調で言った。翼は目を丸くしながら僅かに首を傾げる。

「得意? 料理はしますが、そこまで言った覚えは……?」

「いいえ、言ったわ、確か得意って」

 翼の反論をドラマに出て来る弁護士のように慌ててさえぎる。

 料理はするし、すみれにふるまった事もある。

 悔しいけど、こいつの腕は確か。いや、家事ならなんだってできる。料理とか掃除とか、片付けとか……。

 しかもただできるだけじゃない。味だってなかなかのものだ。コーヒーをドリップするのようなものだって、何か魔法でも使っているんじゃないかと思うほどにうまくやる。。

 しかし、翼が言う通り、自分から得意だと自慢したこと一度もなかった。

 それがますます頭にくる。とすみれは妙な敗北感を感じながら爪を噛んだ。

 そんなすみれを不思議そうに見つつ、翼は「先生がそこまで言うなら、そうかな?」と言った。

「そうでしょう? 実はマリーが料理教えてほしいって言ってるの、なんかさ簡単なものを一つか二つ教えて上げてくれない?」

 翼の言葉に間髪入れず、すみれは早口にまくしたてた。

「それは先生が教えた方が……」などと翼なら言う。きっと言う。すみれは確信している。そしてそのあとに必ず言うのだ。「その方が先生も覚えられますよ」と。

 すみれは胃がキリキリした。

 覚えたくない。って言うかやりたくない。だって苦手だし。予想を反する味ものができてしまうから。だから、反論の余地を与えてはいけない。

 それに今の状況を考えれば、マリーに一定のレベルのものを教えなくてはいけないということを翼ならばきっと空気を読んで理解してくれるはず。

 すみれは天に祈るような気持ちで翼に視線を投げ、マリーの視線がすっかり翼の方に向くと、すみれは思わず安堵の息を漏らした。

「ふーん、なるほど……」

 翼は察したようにすみれを見た。

「わかりました、先生のご用命であれば仕方ありません」

「……」

 すみれは翼のやけに芝居かかったオーバーなものいいに目を反らしながら、思わず自分のポケットにもう一度手を当て、ハッとした。

「では、何にしましようか?」

「あの子たちが喜びそうなものがいいんです」

 マリーの言葉に翼は考えを巡らせる。マリーは猫じゃらしを目の前にした猫のように目を大きく丸くしながら、翼の言葉を待っている。

「では、オムライスなんてどうですか?」

「おむ、らいす?」

 どうと言われてもマリーにはそれがどういうものなのか見当がつかず、すみれに意見を求めて目を向ける。

「い、いいじゃない、オムライス、子どもも好きだろうし、何より、ほら、そのまま主食になるしね」

 すみれの賛同にマリーは何となくうんうんと何度か頷いた。すみれがいいというのだから間違いないだろう。

「では、さっそく厨房を借りてやってみましょうか」

「はい!」

 マリーは嬉しそうに返事をすると、翼に促され部屋をあとにする。それに翼も続こうとした所ですみれは彼に声をかけた。

「翼君、頼んでおいた……」

「よかったですね、先生のイメージが崩れなくて」

「……」

 にっこりと笑いながら手にしていたタバコを持ち去る翼に、すみれはがっくりと肩を落とすのだった。

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