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さくら色のマリー・改訂版  作者: 葦原佳明
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第八話・偽り親子・3

 マリーの近くまで来てその異変に気がついた。いや気づかされた。漂う匂いが先に来て、玄関から零れ落ちた何かが追い打ちをかける。

 この感じ、どう考えてもアレしかない……。いや、でも、まさか……。

 頭の中でいくつかの可能性が絞られていく。私は思い切って部屋を見た。

 な、なんだ、この部屋は?

 脳に浮かんでいた予感が確信に変わる。

 そう、その部屋の前に立ったことによって。

 まるで嵐のあと。

 ゴミ屋敷ならぬゴミ部屋だ。

 散らかり具合からして泥棒が入ったという類でないことは明らか。それにマリーが散らかしたというわけでもないだろう。わずか三日でこの部屋が作られるとは考えにくい。

 それに、この匂いは……?

 ゴミと埃、油が酸化したような、何かが腐敗したような匂いがごちゃ混ぜになっている。

「……」

「うん? あっ、すみれさん」

 マリーが私に気がつきパッと顔を明るくさせた。

「これは……?」

 私はそれだけ言ったあと、言葉が続かなかった。マリーも一瞬わけが分からず、笑ったまま首を傾げたが、すぐにその質問の意図を理解したようだった。

「部屋のことですか? これでも片づけたんですよ。こことか、こことか、床が見えるようにしたんです」

 マリーは孤島のように見えるわずかな空間数か所を指差しながら、明るく説明した。

 私は驚きでやはり言葉が出なかった。しかも、どうやらマリーは部屋にあったものを隅に寄せてその孤島を作ったらしい。その形跡が見て取れる。

「……」

 あの子らはこんな環境で生活していたのか?

 衛生的に問題がある……いや、そもそも子どもを育てる環境としても問題がある。

「なんだか、思った以上にうまくいかないんです……」

「……?」

 シュンとマリーのトーンが落ちる。

「掃除、どうやったいいかわからなくて……」

 マリーは悲しげに言った。おそらくここ部屋の主はそんなことは考えもしなかったであろう。 

 彼女がそんなことで悩んでいるのを私はなんだか不思議に思えた。

「仕方ないわね……」

 本当に仕方ない。

 こういう場に居合せてしまったのだ。見捨ててはおけない。

 私は袖を捲りつつ得意でもない掃除を手伝うことにした。

 この部屋を一人で掃除するには人間初心者のマリーには無理がある。

 まあ、私も掃除のプロではないが。

 そうだ、翼君を救援で呼べば……。

「……」

 掃除好きで片づけ魔の彼を呼べば、と考えたが私の頼みを聞いた時の彼のニヤリとした不敵な笑みが思い浮かび頭を振った。

うん、頼むのは止めておこう。

(先生、片付け苦手ですものねぇ。もちろん先生のお願いだから聞きますけど、今度僕のお願いも聞いてくれますか?)

 頭の中で甘く微笑む翼君の声が聞こえるような気がした。

 わ、私に何を要求するつもりよ!

「これくら問題ないわ」

「本当ですか!」

「ええっ!」

 私は手始めに部屋の外に設置された洗濯機に着手することにした。砂埃の地層が形成されていそうなところから、その使用頻度がうかがえる。

 スイッチに触れるとこの遺跡がまだ生きていることを知ることができた。だが、衣類を洗う前に洗濯機を掃除したくなるような状態だ。

 確か、近くにコインランドリーがあったような……。

 ここに来るまでの記憶を辿ると比較的大きなコインランドリーがあったのを思い出した。

 一部はそこにもっていくことにしよう。そうすれば乾燥機もあるだろうし、すぐに着ることができる。

 そもそも、マリーは三日前と同じ服を着ている。子どもたちの着替えはどうしているのだろうか? そのことをマリーに問いかけると、マリーは一つの透明なゴミ袋を指さした。

「……?」

 半透明なので中身はわかる。衣類だ。

 おそらく子どもたちの物。もしかすると山村さくらの物もあるかもしれない。

 私は奥の部屋に置かれたその袋を手にとった。ずっしりとして湿気を吸っている。一度乾いた物が部屋の湿気を充分に抱え込んだのだ。

 中身は絡み合った衣類が無分別に詰め込まれている。

「なるほどね……」

 すぐに察しがついた。

 おそらくコインランドリーなどで洗った物をこの袋に入れて持ち帰り、そのままにしてあるのだ。この中から子どもたちは服を探して着るのだろう。

「ずっと同じ物を着るよりはいいのか」

 しかしいくら洗われているとはいえ、どれほど前に用意されたかわからず匂いが気になる。 

 乾燥機で完全に乾燥されず、生乾きのまま袋に入れたのかもしれない。

 この他、私たちの調査発掘の結果、どうやら掃除道具はあるらしいということは判明した。

 長らく使われていなかったと思われる掃除機、干からびた雑巾とクシャクシャになった未使用のゴミ袋を発掘。溢れかえっているゴミ箱と使用中だと思われる物に埋没したゴミ袋が別々の場所で出土された。いや、物の中から出て来たから、出物か。

 洗濯用洗剤も発見されたが、封が開けられたものが複数あり、どれも使いきってはいない。

 それぞれの使い方をはじめ、ゴミの日や食器の洗い方、衣類のたたみ方などをマリーに指導した。

 ある程度は教えておいたのだが、各々の家のやり方があると思い、自宅に帰ってみてそこにあるものを参考にしなさいと言っておいたのだが、この現状にマリーは明らかなごみまで捨てられずにいたのであった。

 マリーは熱心に私が話す内容に耳を傾け、一言も漏らさないようにしている。

 どうやらメモをとることができない彼女は、私の言っていることをすべて覚えるつもりでいるらしい。

「マリー……本当にいいの?」

 一通り教えたあと、私は尋ねた。

「はい」と元気よく答えるとマリーは慣れない手つきで洗濯物をたたんでいる。

 彼女は私から習ったあとは自分ですべてやると言い出したのだ。

 やらなければ覚えないわけだが、それにしても大変な量がある。

「ここは私の家で、あの子たちと住む場所ですし……」

「ええ」

「わたし、あの子たちのお母さんだし……」

「そうね」

 マリーはうれしそうに笑みを浮かべつつ一生懸命に手を動かしている。もとの状態がひどいため、とても今日明日に終わるとも思えない。ましてや、不慣れなマリーの手つきでは。

「……なんか、うまく、仲良く慣れなくて、想像していたのと違うんです」

「そう……」

「何をしたらいいかわからないし……うまく話たりとか、触れ合ったりとかできなくて、だから、せめて、わたしの手で住みやすくしてあげないと……」

 マリーは寂しげに言った。

 マリーと子どもたちの関係はうまく行っていなかったという。

 梢ちゃんは昼間は小学校へ行き、一樹くんは姉が帰ってくるまでの間一人外で遊んで姉の帰りを待つ。それもマリーの目から逃げるように。梢ちゃんは一樹くんを迎えにいき、二人で家へと帰ってくるとマリーを避けるように部屋の奥に隠れてしまうのだという。

 私は黙ってマリーの話を聞いていた。その間くらい手伝おうかと思ったが、今のこの行為が彼女なりの愛情表現なのだろうと思い、ただ見ていることにした。

ちょうど、母猫が子猫の体をなめてやるようなものなのかもしれない。

 私は先ほど発掘されて洗ったばかりのマグカップに、洗剤と肩を並べていたところを発見されたインスタントコーヒーを淹れていた。

賞味期限がギリギリのコーヒーであるが味はそこそこだ。まあ、他のものはすでに全滅だったし、仕方がない。

 私はマリーの小さな背を見ながら、ふと気がついた。投げだされた携帯が寂しそうに眠っているではないか。その携帯を手に取り、電源を入れると、眠っていた分の仕事を一気に片づけるかのように大量のメールが受信されてくる。

「おいおい……」

 同じ名前がいくつもある。

 おそらく山村さくらの友人関係だろう。いや、恋人か? 男性のような名前もいくつかある。

 私は少し迷ったが送られて来たメールを確認してみることにした。

 彼女は私がメールの内容を見ても少しも気にも止めないだろうが、私は隠れるようにしてメールの中身を読んだ。


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