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さくら色のマリー・改訂版  作者: 葦原佳明
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第六話 偽り親子・1

 鼻歌を歌いながらマリーは上機嫌に歩いていた。幸運にも晴れた青い空に、眠くなってくるような温もりを感じる日差し。そよ風にお日様の匂いが紛れて頬を撫でる。

 マリーは、梢、一樹が預けられていた施設から自分たちの家へと向かっていた。

 自分の家と言ってもマリーは初めてその家に行くことになる。当然道はわからない。

 はじめての場所はドキドキする。マリーは平静を装いながらすみれに渡された地図をこっそり確認した。とはいえ、少し前まで猫だったのだから地図を見てもよくわからない。

 救いだったのは、猫の時に近くまで来たことがあったことだ。見ている高さが違うだけで、周囲は見たことのある風景である。

 もうすぐつくはずだよね……

 マリーは梢と一樹の様子をうかがう。

 マリーにとってはよくわからない地図とうるおぼえの記憶が頼りの帰宅だが、梢と一樹にとっては自分たちの家に帰るだけ。二人についていけば間違いないはずだ。

 問題はないはずなんだけど……

「うーん……」

 マリーは自分の少し前で手をつないで歩いていく姉弟を見ながら首をかしげていた。

 あれでよかったはずなんだけどな……

 彼女が猫だった頃、街中で何度も見ている人間の親子の光景があった。

 彼女の記憶の中に確実にそれは存在していたにも関わらず、。それを実行しようとしたが、うまく行かなかった。

 手を繋ごうとしただけなのに。

 猫の親が子どもの首の裏をくわえて連れていくように、人間の親子というのは手をつないで歩いたりするものなんじゃないかしら?

 病院ですみれと別れた後、マリーは梢と一樹とともに歩き始めた。その時彼らと手を繋ごうとしたのだが、スルリとその手は逃げて行った。触れたのはわずかだけ、その感触を味わうこともままならない。

 無言の拒否。

 マリーの手は虚しく彼らの温もりを掴んだだけだった。

 手を繋ぐのは好みではないのかと想い、無理強いはしなかったが、その二人が今は手を繋いで目の前を歩いている。

 姉の梢が弟の一樹をリードしているのだ。

 ここに来るまでにマリーは何度か二人に話しかけたが答えるのは姉の方だけで弟は一言も返さない。入院してしばらくぶりにあったというのに、二人は母さくらを歓迎するでも、甘えるでもなかった。

 しばらく会ってなかったし、放っておかれたと思っているのかな?

 すみれから子どもたちの話を聞かされ、二人と会う条件を提示された。

 それは人間らしく生活をおくることができるようになること、そしてマリーであるということが二人にバレないようにする事。

 つまり、山村さくらになりきることが条件。

 マリーはそれを聞いてから、今までゴロゴロしていたことが嘘のように歩く練習をはじめた。

 寝る間を惜しんで歩く練習を続け、目を覚ました日から一週間目には人間のように歩けるようになっていた。

 同時に人間的な色々な常識を翼などから習い、十日目にはこの状態にこぎつけたのだった。

 歩くこと自体は元々山村さくらの筋力などが低下しているわけでもなかったこともあり、マリーが その気になれば問題はなかったが、人間生活の知識面はそうはいかない。

 知識を詰め込まなくてはならない。お金や衣食住に関わること。野良猫であったマリーには人間の 生活を知る機会はなかった。

 もちろんマリーは熱心に学習した。

 もしかしてバレてるのかな……?

 マリーの心に不安がよぎる。子どもには大人にはない何かを察する力があるということを彼女は猫の時からの経験で知っていた。

 いくら見た目が変わっていないとしても気配、匂い、振る舞いや動き、触れ方、声色から異変に気がついたのかもしれない。

 そう考えると、出会った時に衝動的に抱きしめてしまった事も後悔された。

 もしかしたら、ああいう抱きしめ方ではないのかもしれない……。

 もし、そうなら、少なくとも自分だったら気がつくかもしれないと思えた。慌てて注意を払うようにしたが、何せ、山村さくらがどんな人物であるかがわからないため、何かしらの落ち度があったとしても不思議ではない。

「……」

 それでも、とマリーは心の中で言葉を返す。

 母親が子どもに接する、と言うことでそんなに予想外のことがあるのかな?

「……」

「あっ」

 マリーは二人が足を止めたことに気がづかず、彼らにそのまま突っ込みそうになった。

「ごめんごめん、考えごとしてて……」

 マリーはごまかすように笑ってみせたが、二人は彼女の顔を見なかった。

 かわりの二人の視線は一つの方向に向いている。二人の視線を追ってマリーもその方向に目を向けた。

「……ここが、家?」

 古びたアパート。

 二階建てで、見たところ部屋は八つ。おそらくもとは白かったはずの外壁はすっかり黒ずみ、各部屋の入り口も隙間風の侵入に対して寛容であるように思えた。他に住民が住んでいるのかさえも疑問である。

「えっと……」

 マリーはもう一度、すみれから渡された地図を開いてみた。地図にはこの場所と部屋の番号が書かれている。

 おそらく間違いはない。

「204号……」

 書かれているのは、二階の端の部屋だ。カンカンと軽快な音を立てながら、サビに装飾された階段を上がっていくとその部屋の表札に山村の文字があった。

 ここに、さくら、梢、一樹は住んでいたのだ。そしてこれからまた住み、暮らしていく。マリーはそう思うとまた少し興奮してきた。

 顔を上気させながら地図とともに渡された鍵で部屋のドアを開放する。

 希望ある未来への扉を開くようなワクワクとした胸の高鳴りを抱きながら。

「!?」

 ドアを開けた瞬間だった。

 暗い部屋の中から異様な臭いが漂い、マリー思わず彼女は硬直した。

 部屋はカーテンも雨戸も閉められている。歪みのある雨戸から差し込む光がわずかに部屋の様子をうすボンヤりと浮かび上がらせていた。

 玄関から部屋への通路は不均等に配置された荷物でふさがれ、足の踏み場もない。玄関から奥へと視線を向けるほどに荷物の量が多くなっていく。  

 そこから考えれば、玄関にあるものなど少ない方だと気づいた。何せ玄関はまだ床が見えているのだから。

 乱雑に置かれた物の上に靴を置けば、玄関としての役割を果たすことができるだろう。

 人間は外と内では靴を脱ぐもの、ってすみれさんは言っていたけど……。

 靴を履くというのがマリーにとっては窮屈な感じがしてまだ慣れていない。外に出るためには靴を履けと習っているため我慢しているくらいだ。

 しかし、これでは靴を脱ぐことがためらわれる。

 ここ? こんな所に住んでいるの? 雨風がない分だけ外よりはいいとは思うけど。

 外よりも汚い感じなのに、家では靴を脱がないとダメなのかな?  

 呆気にとられていたマリーを尻目に梢と一樹は当たり前のように靴を脱ぎ捨て部屋の中へと入っていく。

 マリーは玄関先で一人取り残された。

「ううぅ……」

 マリーはためらったが、二人に怪しまれないようしなければならない。

 ここがわたしたちの家なんだよね! 私は山村さくらさんになったんだもの! いかなきゃダメだよね! 

 我が家に帰ってきたような晴れやかな顔をしつつ、マリーは未開の森を進むような足取りで新天地へと踏み出した。

「あ、そうだ」

 靴を脱いだら「揃えろ」って、すみれさんが言ってたっけ。と、マリーはすみれの言葉を思い出し、首を傾げながら靴を左右逆に揃えておいた。その横に投げだされていた子どもの小さな靴を並べて揃えた。

「うーん、たぶん、これで大丈夫、のはず」

 自分の履いてきた靴は左右逆に並べてしまったが、偶然にも子どもの靴はちゃんと並べられていた。

 家の中に入ると外から見ていたよりも散らかっているのがわかる。何が腐ったような匂いとカビのような匂いが交互に鼻の奥に飛び込んでくる。長い間換気をされていないのか、空気が足元からねっとりと重くまとわりつき、沼を歩いているような感覚にとらわれた。

 部屋は小さな部屋が二部屋あり、奥が子ども部屋になっているようだった。

 二人がサッサッと奥に行ってしまったので、そう理解することにした。

 彼女は戸惑いを隠しつつ、ひとまずそばにあったローテーブルの前にチョコンと正座した。

「……」

 物。物。物。

 なんか、おちつかない……。

 普通の人間の家というものはこんな感じなのかな? 

 ここに比べると入院していた病院はずいぶん居やすかった。

 少なくともゴロゴロできるスペースがあったのだから。ここでそんなことをしようものなら、転がった瞬間に、頭か足のどちらかをぶつけてしまう。 

 目の前にあるテーブルもあまり綺麗ではない。座ってみるとかなりの埃が目についた。

 テーブルの上にはいくつものカップと横に倒れたビールの缶がひしゃげながら放置されていた。

 床には服、缶、ビニール袋……。

 よく見れば、マリーが座ったテレビの向かい側になるこの席のまわりだけが妙に開けている。

 だからこそ座ろうという気になったのかもしれないが。

「ここは……」

 そうか、もしかしたらここで寝るのかもしれない……。と、閃いた。ちょうど人が一人横になれるほどのスペースが空いていたのだ。

 うん、仰向けじゃなくて、右向きで寝れば……。

 ピッタリとはまる。膝を少し曲げるとさらに納まりがよかった。

 ただ、寝るには湿気が気になる。それに、ここで三人が寝るのは難しいだろう。

 子猫の頃、妹や母親とくっついて寝ていた記憶があるマリーにとって、それは何とも不思議な寝場所だった。

 二人はどこで寝るのかな?

 マリーは自分と梢、一樹の配置を頭の中でパズルのピースを組み合わせるように考えたが、どうしてもうまくかみ合わない。

「そっか、このテーブルを押して……」

 その閃きを試そうと跳ね起きたところで、マリーは不思議な感覚で目を奪われた。

 テーブルにあるクシャとつぶされた赤と黒でデザインされた煙草の箱。マリーは何気なくそれに手を伸ばすと、何かスイッチでも入ったかのように体が動き、なかからよれたタバコを一本取り出し口にくわえていた。

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