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さくら色のマリー・改訂版  作者: 葦原佳明
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第五話 マリーとすみれ

   1(マリー)


 不思議な感覚……。

 毛が無くて、手足が長い。硬く感じる重い体。

 今までとはまるで別物。何より長かった尻尾もない。

 わたしは寝転びながら何度か自分のお尻を手で触れたり、身体をねじったりして目で見て確認した。何度確認してもやはりない。

 自由に動いていた尻尾がなくなり、何をするにもバランスが悪い気がする。 

「マリー入るわよ、気分はどう?」

 あの声が病室のドアを開けた。わたしはピクンと反応して思わず笑顔になった。

「こんにちは、すみれさん」

 姿をみせたのは、あの澄ましたシャム猫のような人。名前は橘すみれでわたしの担当というものらしい。

 わたしはニコニコと笑いかけながら挨拶をした。そんなわたしを見ながらすみれさんは苦笑いをする。笑われた理由がわかるまで少し考えなくてはならなかった。

 理由は簡単だった。わたしが病室の床でゴロゴロと転がっていたからだ。だってそれは仕方がない、ヒンヤリして気持ちいいのだから。

「歩く練習をする予定じゃなかったかしら?」

 わたしが目を覚ました時から三日ほど経っていた。それから、ずっとここですごしている。どうやら、病院という場所の病室というところらしい。

 わたしはここが病院ということ以外はよくわかっていない。なにせ、わたしがここで会う人間はごくわずかだし。そもそも、病院というものが何なのか、ボンヤリとしかわからないのだ。

 わたしと同じように病室ですごしている人がいるのかどうかもわからない。

「うまくバランスが取れないです、それにすぐ疲れちゃうし……」

 わたしは笑ってごまかした。

「そう、しょうがないわね……」

 すみれさんは病室の椅子に腰かけ膝を組み、わたしと向き合う。わたしもそれに合わせようと、ぎこちない動きで人間のようにベッドに腰かけようとしたが、うまくいかないので動きやすい猫歩きでベッドに上がり、すみれさんの方に向き直った。その様子にすみれさんはまたため息をついたようだった。

「必要性の問題もあるか」

「必要性?」

 わたしは首を傾げ、その言葉の意味を少しだけ考える。

 わたしはここにいろと言われてここにいるが、ここにいるかぎり今のままでも少しも困らない。長く歩くと少し膝が痛くなるだけ。痛くなった横になればいいのだ。

 もちろん、すみれさんの言い分もわからないわけじゃない。

 人間は、人間が猫みたいに歩いたり、座ったり、ゴロゴロと寝ていたりすると異質な感じや不安感を覚えるものなのだろう。

 でも、すみれさんはわたしの事はわかっているし、他に会う人も決まった人達ばかりだからますます問題ない。

 それにすみれさんも歩く練習をさせようとしてはいるけど、リハビリの人よりは熱心ではないみたい。主に話し相手をしてくれるのだ。

 わたしにとしてはすみれさんが来てくれるならどちらでもいい。

「ご飯はおいしい?」

「はい、あ、今朝はお箸で食べられたんですよ」

 わたしはお茶碗とお箸を持つマネをして見せた。見せながら右手と左手を間違っている事に気がつき慌てて右手を茶碗からお箸の手に切り替えたがしっかり見られていた。

「まだまだ先が長そうね。ねぇ、マリー、あなたは何か、目標とか、夢とかないの?」

「目標? 夢?」

 すみれさんの質問に私は首を傾げた。

「そう、やりたい事とか、こんな風になりたいとか……」

 目標とか、夢って、そういう意味なのか。

 頭の中で言葉がぼんやりしていたのは意味がわかっていなかったからだ。

 そうとわかれば答えは簡単だ。やりたい事もこんな風になりたいこともはっきりしている。

 私は少しもったいぶって、わざと少し考えたふりをしてからおもむろにこういった。

「もし、できるなら子どもがほしいです。つまり、お母さんになりたいんです」

「……」

 わたしは言いながら何だか恥ずかしくなってベッドの上でゴロゴロと転がった。

 だって、まるで夢の世界にいるようなんだもの。

 人間となって人間と話せて、建物の中にいて、ご飯が食べられて……

 もしかしたら、もしかしたらこのまま子どももできてしまうかもしれない。

「えへへ……」

「他には?」

「他? うーん……」

 そう言われても他には思いつかない。思いつかないので、一応考えるフリだけしてみた。

 考えているフリがバレたのか、すみれさんは区切りをつけるように立ち上がる。

「さて、そろそろ戻らないと」

「えっ、もう?」

「またあとで顔出すから」

 時計を見ると一時間ほど話をしていた。でも、もっとお話しをしていたい。

 わたしは不満を尻尾でアピールしようとしたが、変な風に腰を動かしただけになった。

「ちゃんと顔を出すわ、安心して」

 すみれさんが手を振って出ていくのを見送ると、わたしは部屋から離れていくすみれさんのテンポの早い足音を聞きながら、少し堅いべッドの上で丸くなった。 


   2(すみれ)


 マリーの存在は病院内でも限られた人間しか知らない。手術をした青山、嘉村というこの手術を計画した人間とそれに立ち会った看護師数名。本来は手術には関係がないが、術後の精神状態を考慮して私にもお呼びがかかった。

「あっ、先生おかえりなさい」

「うん……」

 私は病院内に用意された自室に戻ると、なかで待っていた助手の翼君の言葉に軽く返事をする。私の体には少し大きい椅子に沈みこむ。勢いよく座ったのでキャスターがカシャンと鳴った。

 私はほぼ無意識に引き出しから煙草を取り出し口にくわえる。が、ライターが手に触れない。反射的に自分の白衣のポケットを探ったが見つからなかった。

「先生、ここは禁煙です」

 そういうと女のように線の細い翼君が笑顔のまま私の口から煙草を取り上げた。

「ああもう、今は患者がいるわけじゃないでしょう?」

「患者はいなくとも僕がいます」

 手から煙草を取り上げ、かわりに頼んでおいた資料をデスクの上に置く。

「それに先生が煙草で健康を害されては大変です」

 翼君はそう言って、煙草を丁寧な手つきで箱の中に戻してしまう。そしてそれをまるで高級レストランの給仕のような優雅な動きでゴミ箱上空へ……。

「ま、待ちなさい、それは私が処分するから、そのままにして置いて」

 私の訴えに翼君は一瞬動きを止め、春風を感じさせるような天使のように微笑んだ。

「七回目です」

「な、何がよ」

「同じセリフを七回聞きました」

「……」

 翼君の温かみのある笑顔は、私の心にイラつきの火に油を注ぐだけだった。

そのイライラを言葉にしようと思ったが、うまく言葉にできない。そう、煙草の一本でも吸ってからでないと。

「あっ」 

 適当な言葉を探す間もなく、煙草は彼の手の中でクシャリと握り潰され、そのままゴミ箱へと堕ちて行った。まるで天界から落とされた哀れな堕天使のように。

「あ、あ、あんたねぇ、もし私が煙草を吸えなくてストレスで病気になったらあんたのせいだからね!」

 一先ず思いついた捨て台詞を言ってやった。

 けれど、翼君はその天使のような笑顔の牙城をピクリとも崩さない。天使でなければ、もはや菩薩の域だろう。私は椅子の上でふんぞりかえり、せめて不満を主張するように翼君に渡された資料を荒々しく手に取った。

「まったく」

 資料のページをめくる。

『山村さくら、二十四歳。病院に運ばれてきた時には頭部に強い衝撃を受けた痕跡があり、意識不明の状態であった。持ち物などから身元が確認されたが、その時には家族への連絡は取れなかった。この時、体の方にほとんど外傷はなかったため、植物状態になることが予想されたが、青山医師や嘉村医師の提案により移植再生手術が行われた。』

 それはすでに知っている内容だった。その後もすでに知っている内容が続く。私は飛ばし読みしながらページを進めていく。

 この手術は脳に重症を負った患者に対し、正常な小動物の脳を一部移植することにより、患者の損傷した脳機能の回復をはかるというものだ。患者は事故でほぼ脳死状態であった山村さくら。そこへ今回子猫マリーの脳を移植した。

 この手術は今回この病院で初めて行われたもので、当初予定では、さくらの脳の損傷部位をマリーの脳で補完する事により、失われていたさくらの意識が目覚めるものと思われた。だが、予想に反して目を覚ましたのはマリーという名の移植された子猫の方だったのだ。

「子猫ね……本人の話と食い違うわね」

 今までのマリーの話からすれば、彼女は子どもを産んでもおかしくないほどの年頃の猫であったという。つまり、子猫ではないのだろう。そして妹が二匹いて、一匹は小さい頃に別れ、もう一匹とは最近まで一緒にいたらしい。

 母親とは死別しており父親の顔は知らない。妹は美人で、自分はそうでもなかったということを言っていた。

 猫の美人ってどんななのかしら?

 私はそのことを話していたマリーの顔を思い出していた。興奮気味に話すマリーの様子から自慢の妹なのだろうと解釈して、私はまたページをめくった。

 彼女の精神状態は驚くほど安定し、すぐに言葉を理解し、話し始めることができた。

 おそらく彼女、山村さくらの脳にある情報などによるものだろうと執刀医である青山医師は推測している。しかも驚いたことに人間的な常識にかける部分はあるが、その他の点においては人間と遜色がない。むしろ、社交的かつ友好的。ただし運動機能に関しては猫のままらしく、二足歩行は難航している。

 私の見解ではマリーは人間になっているということについてあまり深く考えていないように思えた。それが現状に順応できている要因だろう。

「ふーん……」

 手術をして意識を取り戻しても、目覚めたのがマリーなのだから、山村さくら本人の状態のことを知ることはできない。

「しかし、こんな方法があるなんてね」

 今回の手術の事はまだ認可されていない特殊なものである上に、青山と嘉村が実験的に行ったもの。山村さくらが手術されたのは、ただ単に都合がよかったからに過ぎない。もし何かあれば、死んだことにしてもよいのだから。

 私はさらにページをめくる。あとのページには主にマリーの事が書かれていたが、どれもマリーから聴取されたことばかり。

 書かれている事で相違があると言えば、黒い子猫であるという事。

 この手術を行うにあたり、青山と嘉村は人間に対する精神的な影響を考慮し、まだ未成熟な子猫を選んだはずだった。

「先生、コーヒーを淹れましたよ」

 翼君が横からマグカップを差し出す。湯気とともに香ばしい薫りが立ち、思わず視線を奪われる。

 インスタントではないとすぐにわかる。安らぐ香りだ。翼君の淹れるコーヒーは美味しい。

だが、琥珀色の魅惑的な飲み物などで私は騙されたりしない。まだタバコの恨みを忘れておらず、恨めしさが伝わるように睨みながら、嫌みの一つでも言いたくなった。

「あらコーヒーはいいのかしら?」

「えっ、お白湯でもいいんですか?」 

「……」

 翼君は屈託無く微笑むとコーヒーの横に飴を一つ置き私の向かいの椅子の腰を下ろす。

「ふんっ」

 私は出された飴を口に放り込むと資料の最後のページに目をやった。

「うん? ねぇ、翼君、これ本当?」

 コロコロと口の中で溶け始めた飴を端に追いやりながら私は身を乗り出して言った。 

「はい?」

「彼女に子どもがいるって事」

「ええ、何でも青山先生の指示でうちの関連施設で保護しているらしいですよ」

「なるほどね……」

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