アンドロイドは人間の夢を見るか?
それからというもの、僕たちはナナの問題について何も解決できないまま一週間をただ時を待つように過ごした。
基地での食事は新鮮な野菜や麦で作られたパンなどが出された。ソフィの船で食べるゲル状の物体よりはるかに人間らしい食事だった。
なぜ数万年も取り残されていた基地で、こんな新鮮な食べ物を得られるのかと不思議でソフィに聞くと、この基地はいわゆるバイオコロニーというらしかった。ロベリア宙戦のあった当時、バイオコロニーはオーバーテクノロジーといっても差支えないほど新しいものだったらしい。
バイオコロニー。
コロニー内の生物、大気、水、土壌すべてに含まれる元素をコンピュータ制御により完全なバランスで循環させる宇宙コロニーのことである。通常、元素によっては分解や再利用可能になるまで長い時を要するが、バイオコロニーは太陽光発電によるエネルギーでそれをバランスよく駆動させている。近年の宇宙コロニー形態では最も主流である。小さな居住惑星を人の手によって作り出すというコンセプトに、神をも恐れぬ大罪として、大銀河連邦神学局の面々は激怒し、激しい反対活動を行っているが、今のところ無視されている。
僕の骨折はみるみる治っていった。ナナの言った一週間の一日前には、何の痛みもなく歩くことができた。
船の方も順調に直っているらしく、僕たちは予定通り一週間で出発できそうである。
「今日の午後には出発できそうね。やっとこの辛気臭いところからおさらばできるわ」
とソフィが言った。僕らは今、今後の打ち合わせということでソフィの部屋に集まっている。ナナは僕たちの飲み物を用意するといって、今は席を外している。
「ソフィ。何度も言うようだけど、ナナをどうにかして連れていけないかな」
「またその話? 何度言ってもだめなものはだめよ。第一、あの子を連れて行ったってあんたは結局地球に帰るわけでしょ? 私だってこんなのおかしいと思うけどさ……」
ソフィの言うことはもっともである。僕の最大の目標は地球に帰ること。ナナを連れて行っても、そのあとのことについて僕は何も言う資格がないのである。
「考えすぎて頭が爆発しそうです……」
ミルは両手で耳を握りつぶしながら言った。どうにかならないものだろうか。
その時、こんこんと誰かが部屋をノックした。
「アサトとか言ったな、どうじゃ? 加減は」
「どうぞ」というソフィの回答とともに部屋に入ってきたザジンが言った。
「ええ、おかげさまで……」
「そうか、あの子もお主と話せてずいぶん喜んでおった。あれだけ感情を表に出すあの子を見るのは久しぶりじゃ」
嬉しそうに話すザジン。
「そうですか……それはよかったです」
いざ、この老人を前にすると、僕は何も言いだせなかった。結局僕もソフィのことを言えたものではないのだ。頭の中では仕方のないことだと理解しているのである。僕がやっていることは子供がだだをこねているのと変わらない。
「なぁ、お主ら。お主らと一緒にあの子を外の世界へ連れていってやってはくれんか?」
ザジンがそう切り出すと、うつむいていたソフィとミルは泣きそうな顔をはっとあげた。
「無茶を言っておるのはわかっておる。あの子は世間的には存在自体が違法じゃ。じゃが、主らと接するようになって日に日に表情が豊かになっていくあの子を見ていて、こんなところに閉じ込めておくのはあの子にとって良いことなのじゃろうかと思うようになったのじゃ。わしは見ての通り、老い先長くはない。このままあの子を一人残してこの世を去ったあと、あの子はどうなる? 孤独に悠久の時を過ごすか、いずれ見つけ出されて処分されるのがオチじゃ。ならばあの子にはもっとたくさんのことを知って、人間らしく生きてほしいのじゃ。それがあの子の願いでもあったのじゃから」
ザジンは続けた。
「結局のところ、あの子のためといいつつも、依存していたのはわしのほうじゃった。あの子を人間として育てるというのも、わしの自己満足にすぎん。わし自信、あの子のことをきちんとアンドロイドとして割り切れておったら、あの子を残して逝くことに何のためらいももたなかったじゃろう。」
自嘲するように続けるザガン。ナナを人間として育ててしまったことを後悔しているのだろう。
「あの子はアンドロイドじゃ。それは紛れもない事実じゃ。じゃが、あの子の心は人間なんじゃ……」
ソフィは黙って聞いている。
「お父様」
とナナが飲み物の乗った盆を手にしたまま部屋の入口に立っていた。
「E2―OA77E!? いつからそこにおったのじゃ!?」
驚いて振り返るザジン。
「立ち聞きをしてしまい申し訳ありません、お父様」
ナナは無表情を顔に張り付けたまま言った。
「どこまで聞いたのじゃ」
老人は長く伸ばした眉のせいで表情が読み取れないが、ひどく沈んだ声で言った。
「お父様。お話ししたいことがございます」
ナナはそういうと盆を置いて続けた。
「お父様、私はアンドロイドです。人間ではありません」
無表情のままそう言ったナナを、ザジンは眉で隠れた目が見えるほど大きく目を見開いて見つめた。
「お主……知っておったのか」
「はい。隠していて申し訳ありませんが、私の体のことは誰よりもよくわかります。ただ、お父様が私を人として育てようとしてくださるので、それにしたがっておりました」
「そうじゃったのか……わしは最初から一人で踊っておったというわけか」
「申し訳ありません。ですが、私はお父様がそのように育ててくださったことについて、私はとても感謝しております」
そういったナナはどことなく悲しげな表情をしているように見える。
「なぜじゃ……そのことについて、わしを恨みこそすれ感謝するなど……」
ザジンは苦虫をかみつぶしたような顔をして言った。
「それは、私の中には人の心に近いものがあるからです。私の体は人間のものではありませんが、心は人間のそれに近いのです。私はお父様が人間として接してくれるのが嬉しかったのです。それがお父様の優しさからくるものだと感じることができたのです」
いつしか頬を涙で濡らしていたザジンは言った。
「そうか……」
「私はお父様のことを大切に思っております。ですので、アサトさんたちと同行することはできません」
こちらに向き直りナナは言った。僕たちにはもう何も言うべきことはない。
「E2―OA77Eよ。それは違うぞ。お主が人として生きていきたいのなら、なおさら彼らとともに行くべきじゃ。このまま残ったところで、お主を待っておるのはアンドロイドとしての一生じゃ。無論、外に出たからといってそうならないとは限らん。じゃが、お主には可能性があるのじゃ」
「お言葉ですが、お父様を置いてはいけません」
ナナの無表情さが、その頑なさを代弁しているようだった。
「わしのことはよい。わしはこの基地で生まれた。そしてこの基地で死ぬことを望んでおる。わしの祖先とともに、この基地の大きな流れに加わるのじゃ。じゃがお主は違う。ずっとここで生き続ける。誰か心無い人間たちがやってきてお主を処分するまではの」
ザジンは一呼吸おいて続けた。
「アサトとかいったの。お主はどう思うのじゃ。お主らの中でこの一週間、最も多くこの子と接してきたのじゃろう?」
ザジンに問いかけられて、僕は少し戸惑いながらも答えた。
「ナナは……人間です。アンドロイドだって言われなきゃわからなかった……僕は彼女に広い宇宙を見せてあげたい。でも……僕には帰るべき場所があって、そこに帰ったらもうナナには何もしてあげられない。だから、僕が連れていってやりたいという資格はないんです」
「ふむ……E2―OA77E、お主はアサトのことをどう思うのじゃ」
「私ですか。……アサトさんや他の皆様とてもお優しくて、楽しい方です。特に、外の世界の話はどれも本当に楽しかったです。別れるのが惜しいですが、仕方ないと思います」
ザジンはあごひげを手でしゃくって、
「決まりじゃ。E2―OA77E、お主は彼らとともに行け。わしはこれ以上お主とともに暮らしても、お主に楽しいという感情を与えてやることはできん。楽しい、すなわち人間が生きている喜び、それは外の世界にある。お主は自らの思うままに楽しいことを追い求めよ。それが人間というものじゃ」
「お父様……」
ナナはうつむいてつぶやいた。
「よろしいですかな? 船長さん」
ザジンはソフィに向き直り言った。
「ここまで話がまとまりかけてるのに、私が断ったらとんだ悪者じゃない。しょうがないわね。どうせ違法なやつばっかりだし、今更一人くらい増えても大した差じゃないと思うことにするわ」
やれやれといった表情で言ったソフィに対し、ザジンは無言であごをしゃくってうなずいた。
「さて、そろそろ船の準備ができたころじゃ。ドックに行くとするかのう。準備はできておるな?」
ザジンの言葉にみなは無言でうなずいた。ナナは地面を見つめて立ち尽くしていた。
ドックでは、作業を終えたロボットたちがばらばらと散っていた。船のウィングは見事に直っている。
ソフィとミルは先に船に乗り込み、エンジンの暖機運転を始めた。
「元気でな。E2―OA77E」
ザジンがナナに向けて言った。ナナは無言のままである。
「ナナ……?」
僕はナナの肩に触れて言った。
「…………」
しばらく沈黙した後、ナナは決心したように顔をあげて、ザジンに向かって一歩足を踏み出して言った。
「お父様と離れたくありません」
相変わらず無表情だが、彼女の瞳は頑なな意思を示すように光っていた。
「お主の言葉は嬉しい。じゃが、ここに残ったとしても、どのみちすぐにお別れしなければならんのじゃ」
ザジンは諭すような口調で言った。
「でも……でも……」
ナナははた目から見ても明らかに動揺している。
「ロボットにわしの墓を作らせよう。お主がいろいろな経験をして、ここに戻ったとき、わしにその話をしてくれんかのう? なに、わしの魂はずっとこの基地の大きな流れの中に残っておる」
ザジンの声はひどく優しい。
「……はい、お父様」
そう返事をしたナナの頬には、一筋の涙が伝っていた。ザジンはそれを見開いた目で見た。
「おお……忘れるなよ。器は重要ではない。お主の魂は紛れもなく人間そのものじゃ」
ザジンは震える声でそう言った。
「アサトとやら。この子をよろしく頼んだぞ」
僕はザジンの目をみて、無言でうなずいた。
「さぁ、お別れじゃ。元気でな」
「お父様……お元気で」
「お世話になりました」
僕とナナはザジンの方を振り返らないようにして船に乗り込んだ。
ブリッジにナナを連れて行くと、操舵席ではソフィとミルが何やら揉めていた。
「来た道を戻るって、またあんな怖い思いをするってことですか!?」
と憤懣やるかたないといった様子で言ったのがミル。
「来れたんだから帰れるわよ。脱出ポッドも補充してくれたし」
としれっと言い放ったのがソフィ。
「無理無理なのです! あれは九死に一生スペシャルだったのですよ! あと船長さんにはいっとかなきゃならないですけど、脱出ポッドは武器じゃないですから!」
そうなのである。僕たちがこの宙域を脱出するには、またあの宇宙イルカがうようよしている宙域を抜けなければならない。
「とにかく、来た道を戻るなんて無謀すきますです!」
僕もミルのその意見には全面的に賛同したい。
「亜光速航行とやらは使えないの?」
僕はふと思ったことを口にした。
「はぁ。あんたってやっぱアホねえ。亜光速航行は基本的に障害物のない、銀河ハイウェイとかじゃないと使えないのよ。こんな隕石だらけのところで使ったら、それこそ100%木端微塵だわ」
そうだったのか。そういえば最初に宇宙イルカと遭遇したときは銀河ハイウェイを航行中だった。
「近くに銀河ハイウェイはないの?」
「あったらこんなに揉めてないわよ」
うーんと一同腕を組んで悩む。ミルに至っては耳も若干ねじれているように見える。
「あの、皆様」
ナナの呼びかけに全員が振り返った。
「話がよくわからないので恐縮ですが、要するに亜光速航行でこの周りの隕石をよけられれば良いのでしょうか」
「それはそうだけど、何かアイデアがあるの?」
ソフィが聞き返す。
「はい。私の頭部には高度演算用のコンピュータが内臓されております。もし音響レーダーをお持ちでしたら、隕石の反射波との相対速度から、隕石の位置と動向が推定でき、安全経路の割り出しが可能です。それをオートパイロットにリアルタイムで入力すれば、隕石との衝突を回避することができると思われます」
ナナの言葉を、ソフィは爪を噛んで聞いている。そのプランの可能性について考えているのだろう。ミルもしっぽをくるくる回しながらうなっている。
「……試してみる価値は……ありそうね」
結論が出たのか、ソフィが言った。
「失敗したら確実に宇宙の塵ですけど……」
ミルが困った顔で言った。実践したくはないが、それしか方法がないということだろう。
僕にもそう思えた。少なくとも、もう一度脱出ポッドで宇宙イルカを撃破しながら宙域を離脱するよりは、幾分か現実的に思えた。
「そうと決まればさっさと動くわよ」
滑走路から出ると、そこには久しぶりの宇宙が広がっていた。
「いい? タイミングは隕石群の磁気異常場を出た瞬間。宇宙イルカに捕捉される前に亜光速航行に入るわ。音響レーダーの射出タイミングは磁気異常場から出る10秒前から1ナノ秒間隔で射出して。ナナにはコース解析とオートパイロットの制御を任せるからよろしくね」
「あいあいさー!」
「かしこまりました」
びしっと敬礼してしっぽをぴーんと立てるミルと、両手を胸元でぐっと握りしめるナナ。みんな頑張れ。僕は応援することしかできないけど。
「磁気異常場離脱まであと30秒です!」
計器を睨んだまま言ったのはミル。
「ナナ、接続は?」
「完了しております、ソフィア様」
と無表情でサムアップするナナ。
ソフィ、ミル、ナナの三人で操舵用の三席がすべて埋まっている。
「アサト! 飲み物!」
「あ、あいあいさー」
自動食べ物飲み物製造機の飲み物側の蛇口にカップを置いてボタンを押す僕。今は僕にできることをしよう。そう思って僕はソフィの分だけでなく、ミルとナナの分も用意した。
「磁気異常場脱出まであと15秒です。4、3、2……音響レーダー作動させますです! 続いて亜光速ブースター作動まで10秒前、カウントしますです!」
すっかりオペレーター役が板についているミルが言った。
「ナナ! 準備はいい?」
「音響レーダーの解析に異常はありません。予定通り安全航路を逆解析できております。現在オートパイロットにプログラムを上書き中です」
ちょっとでもナナの計算が狂ったら木端微塵である。
「磁気異常場離脱まで5秒です! 4、3、2……亜光速ブースター作動です!」
何かに祈るように目をつぶりながら亜光速ブースターの作動スイッチを押すミル。
亜光速ブースターが作動すると同時に窓の景色が一瞬止まったかと思うと、輝く星々が線上に伸びてきた。その後、伸びてきた星の光が素早くカクカクと何度か回転し、まるで稲妻のような模様を描く。
だんだんと回転の頻度が増し、あまりにカクカク動くので目が回りそうであった。
窓の景色全体が、まるで抽象画のような複雑な模様に埋め尽くされると、眩しく光に包まれていた光景が、一瞬で真っ暗になった。映画の上映中に突然停電が起きたような、そんな唐突さだった。
僕が暗闇をじっと見つめていると、遠くのほうからポツリポツリと星の光が現れ、再び瞬きだした。それを見て、僕は自分が呼吸をすることを忘れていたことに気づいて、息を吐いた。
「ロベリア宙域を離脱、亜光速航行を停止しましたです」
ミルは力が抜けたような声で言った。
「ふぅ。航行時間20秒ってとこか……意外とあっけなかったわね」
ソフィはずっと握り拳を作っていたことにハッと気づいたように、手を開いてデニムの短パンで手汗を拭いている。
「任務完了です。お疲れ様でした」
ナナは大したことではないというように落ち着いて船との接続を解除している。
「なんかもう宇宙に来てから一生分の無茶をしてる気がするよ……」
そうつぶやいた僕に、
「こっちもそうそう無茶なんてしてないわ。あんたが来てから特別無茶ばっかりよ」
ソフィが拗ねたような顔で言った。そんな特別サービスは望んでいないのだが……
「船長さん、これからの航路はどうするです?」
「そうね、とりあえず銀河ハイウェイで近くの亜空間跳躍ゲートまでいきましょう。話はそれからね」
「あいあいさー!」
と舌をぺろりとだし、しっぽと背筋をピーンとさせて敬礼するミル。なんかはまっちゃってるみたいである。
「どうやら近くの亜空間跳躍ゲートまで亜光速航行で六日かかるみたいです」
計器を見ながらミルは言った。
「結構遠いわね……まぁ仕方ないわ。各自それまで自由行動ね」
「あいあいさー!」
「了解しました」
「わかった」
そんな感じで、ミル、ナナ、僕の順で答えた。
筆者はディック大先生をリスペクトしております。
副題の「夢」は意味が異なりますが……
アンドロイドが出てきてしまったとあって、パロらずにはいられませんでした。
12/1 分割いたしました。