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【騎】 仮面の下

 どうにも決まりが悪い思いを顔に出すのも、姫が背を向けている間だけだ。今頃、隠れてほくそ笑んでいるのだろうと思えば複雑だったが、ただ黙ってそれに甘んじる性分でもない。リシュレイアが満足している隙に、彼女がつい先刻まで座っていたであろう机の方へと視線をずらす。

 そこには本が一冊開いて置かれていて、今までそれを読んでいたと言われれば疑う必要などない程には自然で、それ以上に些細な事だった。己が不在の間、彼女が自室で何をしていようが――例え置かれた本のとおりに読書でなかったのだとしても、干渉すべきではない。主の個人的な時間に口だしするなど、従者としてはあるまじき行為だ。が――自分がその通りの模範的な従者でない事など、リシュレイアも身に染みてわかっている事だろう。


「……クロノイア様は、息災にしているか?」


 唐突に思い出したかのように、姫へ尋ねた。その言葉遣いが既に、目上の者に対するそれではないのだが、これも日常的な事だ。

「! ……ど、どうしたのかしら唐突に。珍しいわね? お前が兄様を気に掛けるなんて」

 口元に浮かんだ笑みは、彼女が振り向いた時には隠しておく。視線も然り、自分の意図とは全然関係のない方を向きながら、

「そうか? クロノイア様だってお前と同じ、俺の幼馴染の一人だろう。それに……そろそろ頃合いなんじゃないかと思ってな」


 言い終えた所で再度、笑みを刻む。これを見たリシュレイアは大抵「イヤな奴」とかいう意地を張った感想を返してくるのだが、もう慣れた。それに、本当にイヤな奴なら彼女の権力でどうにでもなるという話を俺はよく理解しているつもりだ。

 それと同時、本が置かれた件の机へと歩み寄り、その前でしゃがみ込む。何事かと俺を見るリシュレイアが、はっとした顔をした時には既に遅し、俺の手中では一枚の紙切れがひらついている。それは机の引き出しから角がはみ出していたのを見つけて、引き抜いたものだった。おそらく――というか推理するまでもなく、慌てて隠そうとしてよく確認せずに引き出しを閉めた結果だろう。


「全く――隠すつもりだったなら、もっとマシな隠し方をしろ。で、あのシスコンは相変わらずなのか?」


 彼女の手の届かない高い位置に掲げ、そこに書かれてある事を読んでみれば、やはりそこにはクロノイアの署名がされてある。過剰に妹を気遣う文面も、間違いなくヤツのものだ。

「返しなさい!」とか「無礼者!」とか、お決まりの台詞が聞こえてきてはいるのだが、あまりにも日常的すぎるので容易に聞き流す。


 それよりも、手紙にざっと目を通してみたが――やはり尋ねるまでもなく、救いようのないシスコンは健在のようだ。勿論、最愛の妹への手紙がたった一枚に収まる筈もないので、俺が読んだのも全てではないのだが、一枚読んだだけで腹一杯になりそうな濃ゆさなのだ。そういえば、ヤツも独身だったが……これでは無理もないな。というか、王位継承争いから外れているとはいえ、王族として如何なものなのか。


「……嫁の当てがないというなら、あいつのが深刻だな。今度ドレイクを嗾けてみるか」

「やめなさい話がややこしくなるから」


 読み終えた手紙を机上に置きながらの提案は、当然却下された。勿論、冗談の軽口なのだからそれ以上でも以下でもないのだが、ふとリシュレイアの表情が翳る。


「そういえば、ドレイク様は何か変わったことを言っていなかった?」


 どうやら、ドレイクの名前を聞いて何か思う所があったのか。毎度の事で最近は興味も示さなくなっていた話題だったのだが、珍しく振ってきたのは単にクロノイアから話を逸らしたかったのか、それとも別の意図なのかは現段階では計りかねる。

 俺は少しだけ怪訝そうに彼女を見た。


「? いや、いつも通りの変わり映えしない台詞ばかりだったぞ」

「…………、そ、そう。それならいいわ」


 返答を聞いて僅かに間を置いた後――多分何かを考え込んでいたのだろうが、その後やはり歯切れ悪く続ける。俺としては、詳細に話す事もなければこれ以上広げる気もなかったのだが、気になるのはリシュレイアの態度。

 こういう煮え切らない様子の背後には、必ず何かしらが潜んでいるのだろうというのは、相手がリシュレイアでなくても同じこと。強いて言うなら、彼女だから余計に気になるし看過できないといった所か。


「まあ、地位も実力もあっておまけに見た目も性格も良いという男が齢26にもなって独り身というのだから、そりゃ根も葉もない噂の一つや二つ出てくるだろう。例えば――」


 だからあえて、興味もないし鬱陶しい存在でしかないその話題を続ける。こういう事を聞いたリシュレイアは大抵「イヤミな奴」という感想を返してくるのだが、まあ日常的な事だ。それに今回は――重要なのは、そこではない。

 既に頭の中にある次の行動を実行へと移しながら、俺は「イヤな奴」と称される笑みを唇に浮かべた。

 実際にそんな噂が囁かれているのは知っている。


「年頃の無垢な王女を誑かしてるとか」

「!」


 お互いに未婚で、年齢的にも問題のない男女がこれほど近くで共に過ごしているのだとしたら、いくら根も葉もなかろうと、あらぬ妄想にかき立てられる輩が出てくるのも無理からぬこと。だから常に主に付き従う護衛騎士というのは、本来ならば同性が好ましく一般的だというのも今更な事実で。


 ただ――本人の許可する者以外は気軽に立ち入る事が赦されない、王族の私室という非常にプライベートな空間。こんな場所でもなければ本来の自分を出す事もない俺は、他の人間にとっては仮面をつけたままの模範的な騎士でしかない。妄想はしても、想像はしないだろう。恐れ多くも我が国で最も高貴な血筋である王家の女性を、こんな風に扱うなんて。――顎に手をかけて強引に上を向かせ、細い腰回りにもう片方の腕を絡ませて。何の畏れも躊躇いもなく、まるで恋人にするかのような仕草で。


「ち、違うわよ! 勝手に勘違いしないでちょうだい。わ、私が言いたいのは――お前が女性を愛せないとか妙な性癖があるんじゃないかとか、噂されてるって事よ!」


 いつもしている事なのに、いつまで経っても全力で反抗してくるリシュレイアが今宵放ったのはそんな言葉。

 それは予想外の切り返しだった。……というか今までで一番効いた。

 俺も流石に耳を疑い、思いがけず呆気に取られ、その隙に腕を振り払われる。小娘の細腕で簡単に剥がれたのだから、それだけ怯んでいたのだろう。ただし、その時の俺の眼光には、また別の鋭さが宿っていた。


「……それの出所は何処だ」

 帯びていたサーベルの柄に、自然と手がかかる。相当不本意だったらしく、敵もいないのに顔を出した刃が部屋の明かりに照らされて光った。

「こ、こら、城内で物騒なものを抜くのは止めなさい! ……侍女達が、仕事の合間に立ち話してるのが聞こえたの」

 リシュレイアに焦りながら制されれば、すぐに頭は冷えて収まるのだが、しかしそれでこの釈然としない思いが綺麗さっぱりなんてわけはなく、忌々しげに舌打ちする。

 ……あの腐女子どもめが。

 これが何処ぞの阿呆貴族やならず者どもなら制裁を加えるなど造作もないのだが、女子供はかえって性質が悪い。


「これなら、お前と妙な噂を立てられる方がずっとマシだな……」

「馬鹿なこと言わないで。そうなったら即、今の任を解かれるに決まっているじゃない」


 一言を聞いただけで、何だかどっと疲れた。うんざりしたように言って嘆息すると、リシュレイアは少し拗ねたようだ。発言は真面目なのだが、声音で丸分かりなのがまだまだ幼い証拠だろうか。


「嫌なのか?」

「新しい人間に一から覚えてもらうのが面倒なだけよ」

「俺は嫌だ」


 問い掛ければ見え透いた口実を述べるリシュレイアをよそにして、会話の流れなど全く汲まずに告げる。本心なのだから造作もない。

 それを聞いた我が君主は、驚いたような呆れたような――ともかく言葉は発さずに、しかし何かを言いたげな表情で此方を見ていたが。


「手紙を書くんだろう? 退散してやるから、さっさと書き終わらせろ」


 彼女の言葉を待たず、踵を返した。言いたい事を言って満足した、なんて風情で。

 どのような眼差しや言葉を向けられようと、こうなっては構いやしない。表情は俺の目には映らないし、罵声はいつもの事だ。


 クロノイアへの返信を怠ると面倒な事になるのは俺も知っている。ヤツの従者などどうでも良いし、リシュレイアが困るのを見るのも悪くはないが、こちらまでとばっちりが来るのだけは御免だ。

 せいぜい上手く返せよ――なんて密かに思いながら、先刻までアイシャが詰めていたのだろう隣室へと足を向けようか。

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