No.2
大きな丸い目は髪の毛と同じ、少し茶が入った金でくっきりと縁取られ、俺を見据える目は湖底のように澄んでいる。
眺めている分には申し分ない。
そう、あくまで眺めている分には。しかも遠くから。
こんな間近で見てると自己嫌悪でどん底まで落ち込みたくなる。この歴然とした差、差、差!
・・・・・・・・・・・・いいなあ、こんなんだったら人生楽しいだろうなあ。
と、俺には縁がない人生を想像していると、美少年はいらいらした口調で聞いてきた。
柳眉をひそめて、美少年にはふさわしくない皺が浮かんでいる。
「聞いているのか? お前がぼくの僕か、と尋ねている」
「はいはいはい、きーてますよ。これに見覚えある?」
「何だこれ・・・・・・何て読むんだ?」
例の便箋を見せると、全く知らない様子で自ら手に取っていたが、どうやら読めもしないらしい。
とぼけているつもりか?
ちょっと腹立たしくなって、目の前でゆっくりと読み上げてやる。
「げぼくしょう」
「げぼくショ」
一言読み上げて一息つくたびに、たどたどしい口調で俺の真似をして。
「とうせんのおしらせ」
「盗泉のオシラセ」
「なお、ちゅうせんはおうぼのうむにかかわらず」
「ナオチュー線は横暴濃霧ニカ瓦ズ」
「むさくいにおこなわれました」
「むさ栗にオコナーれました」
「わざとやってない?」
そう聞くと、わけが分からないといった顔をされた。
そんな阿呆を見るような目で俺を見るな!
「フツーに喋れるのに、音読すると誤変換起こすって、どういう教育環境に・・・・・・」
半ばあきれ返って顔を上げると、目が合った。エメラルドの瞳。ああ、そうだった。
「日本人じゃないもんな。会話だけは何とかできるのか。君、名前は?」
美少年はちょっと渋るように目を泳がし、遠くを見つめ、しばらくするとようやく口を開いた。
消え入るような声だった。
「りっか・・・・・・」
「リッカ?」
商品名とか、都市名に使われそうなイメージだった。
「チップ」と同じ発音だなとかどうでもいいことを口にしてはいたが、頭は猛スピードで考える。
リッカなんて奴は知らない。
見たところ年は・・・・・・幾つだよ。俺は日本人でも同姓でも年を測るのは苦手なんだ。
中学生かな。高校生じゃねーだろ。いや、でも日本人は童顔だからそう思うだけでもしかすると小学生・・・・・・いやいや、何にせよそんなことはどうでもいい。
俺の知り合いにこんな酔狂な真似をする奴はいねーし、知り合いの子どもは全て把握している。とすると本当に無作為の抽選の結果というヤツか。迷惑極まりないじゃねーか。どこの会社だ!
というかこの抽選の目的は何だ!
心で考えつく限りの罵倒を正体不明の誰かに吐き散らすと、ようやく落ち着いてきて、また他の事を考え始める。
そもそもコイツは何処から入ってきたんだ?
窓が開いていたから、そこからか。寒いんだよこの野郎。窓くらい閉めやがれ。っていうか鍵閉めてなかった俺って凄い無用心だな。まあ一人暮らしの野郎の家に入る物好きなんかいやしな・・・・・・いるじゃん、ここにっ。
一人で乗り突込みを続け、また脱線するのを避けるために静かに呼吸を整えた。
待て、落ち着け。
とりあえず重要なのは・・・・・・
「何で此処に来たんだ? 誰に言われて此処に来た?」
質問と同時に先ほどまでリッカがいた位置に目をやると、見慣れた家具が映っただけだった。
もしかして夢だったのかと期待半分に探すと、当の本人はごそごそと何か作業をしている。
あれは・・・・・・
「あ! 俺が楽しみに取っておいた付録をっ」
動物病院からのカレンダーを、嬉々とした様子で組み立てていた。
俺の非難の声に気づくと手を止め、きょとんとした顔でこちらを見返す。何が悪いのかという顔。ったく、子どもが何でも許されると思ったら大間違いだ。
しかしここで怒鳴るのも大人気ないとしか言いようがないし。
「あのなあ・・・・・・」
結局、俺は脱力したままそれだけ言うのが精一杯だった。
「ここにいるお前が僕だといわれたから、来た。ここに行けと前もって写真も、地図も見させられた。誰かは・・・・・・名前が分からない」
急に喋りだした。
それは、さっきの質問に対する答え。
「じゃあそいつの居場所は?」
「覚えてない」
「じゃあ親は?」
「オヤ・・・・・・いない?」
「何で疑問系なんだよ。ああ、もしかして意味が分からない? 君を生んで・・・・・・うーん、君を、好きだといってくれた人、とかいないの?」
俺がさっきまで癪だと思っていた、上から口調はすっかりなりを潜めていた。
自信なさげに、不安げに。
節目がちのエメラルドグリーンは濃くなって、見た目よりも一層幼くみえる。
「・・・・・・いない」
「不味いこと聞いた? ええと、ごめん」
非常に気まずい。
そんな暗い過去を持っているとは思えなかったし。
まさかどっかの王家とか貴族とかの末裔じゃないだろうな。
そんで、妾腹の生まれで物心ついたときから苛められてきたーとか。
だから親の顔も知らずに今まで――
いやいや、小説の読みすぎだ。
確かに王子様みたいな雰囲気だけど、こんな東の島国の、現実主義者が集う経済大国日本にそんなヤツが都合よくいるもんか。
というかその前に此処に来るわけがない。
我ながら馬鹿な発想だとは思ったが、一気に進んでしまった想像にかちりと当てはまってしまうのは、やはり物憂げな雰囲気が漂っているからなのだろう。
とはいえ、いくら何でも此処に来られてもどうしようもないんだよ。
そりゃ目の保養にはなるが、他人に居座られちゃ居心地悪いのは言うまでもない。
冷たいとは思うが、出て行ってもらうしか――
非情な判断を下そうとしたとき、リッカがまたカレンダーを手にとるのが見えた。
どうやら気に入ったらしい。
ミシン目の所を切り外すのはどうやら上手くいったようだったが、またさらに細かく切る所は苦戦して、びりっと裂けてしまった。
ああ、もう・・・・・・俺がやってたら綺麗に切れたのに。
それでもなんとか全体を切り終わった。そのころには用紙はあちこちささくれだって、見るも無残なものだ。
そうしてから、差込口のところに紙を入れようとする。
それがまた上手くいかない。
やってやろうと手を伸ばすが、頑として手を離そうとはしなかった。
意地になっているらしい。
先ほどとは違って、好奇心と期待に胸を膨らませている様子を見れば、無理強いする気も起きやしない。
まあいいか。頼り癖がついたら、将来ろくな大人にならないし。
諦めてそのまま見守ることにした。
作りはじめて約二十分程度。
完成。
どうだとばかりに誇らしげに見せたサッカーボールに似た卓上カレンダーは、お世辞にも綺麗ではなかったけれど、なんだか微笑ましくて、よくやったと誉めてやる。
俺らしくもない。
情を移したら、その時点でもう駄目だ。
なんだかペットみたいな言い草だなと苦笑いしつつ、床に座ってリッカと視線を合わせる。
雰囲気が変わったことに気づいたのか、リッカがテーブルにカレンダーを置いた。
「――いいよ。こんな寒い日に追い返すわけにもいかねーし。いずれ誰かが引き取りに来るだろ。それまでここにいるか? メシくらいなら食わしてやるよ」
リッカは当然だという顔をした、ように見えた。
了承したらしく、目を閉じたままゆっくり頷く。
あわせて柔らかそうな髪の毛がふわりと舞った。




