No.16
「変わらないものは怖い。それでもきっと、嫌いにはならない」
我ながら馬鹿なことを言っていると分かっていた。
恐怖はいずれ悟られてしまうだろう。
それに気づかれて、もしかしたらリッカの方から離れていくかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。
でも、寂しい思いだけはさせたくなかった。
卓上カレンダーを完成させただけで微笑む、あんな無邪気な彼を、道具として扱わせたくなかった。
もし、リッカが緑青のところで虐待を受けていたり、冷たくあしらわれていたりしたなら、きっと俺は間違いなく次の一言をもっと前に言えていただろう。
しかし、緑青は何も行なっていなかった。
無関心という名の罪だから、俺は喉の奥でまだ言葉を燻らせていた。
俺はいつも無力なのだ。
「無力だろうがなんだろうが、言いたい事があるならはっきり言えよ」
言えるチャンスがまたあるとは限らないだろ、とアンミツが頭上で呟いた。
無意識に考えている事を口に出してしまう、俺の悪い癖。
「緑青さ――」
「博士。90693b,grのデータが揃いました。脳機能、身体各数値異常なし。稼動は12時間前からです」
突然緑青の体の前にウィンドウが現れた。
テレビ電話みたいなものなのか、透明な文書が浮かぶ横で、リッカそっくりのアンドロイドが抑揚もつけずに報告していく。
「先輩!」
「・・・リッカ?」
どうやら報告を優先させるために、装置がリッカのトランス状態を保っていられなくなったらしい。
信じられないとでも言いたげに何度も目を瞬かせ、報告を聞きながらものすごい速さで流れていく文書を読み続ける緑青を見つめていた。
五秒ほどでデータを読み終えた緑青は手早く指示を出し終え、「情報ウィンドウの自動表示設定は検討しなおした方が良いみたいだ」と、賛同を促すようにこちらを窺ったが、リッカを見て素早く息を詰めた。
途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「・・・・・・90716b。いや、今はリッカだったか? お前の行動履歴、思考パターン、能力数値。集められるデータは全て集約した。すでに用済みだ。どこへでも勝手に行くといい」
「んな勝手な、んぐっ・・・うー、うんふふ!」
この意味不明な語尾は、俺が笑っているせいではなく、アンミツが俺の口をふさいだせいだった。
ふさぐのはいいが、(いやよくないんだけど)鼻までふさぐな!
無駄にどこもかしこも大きくなりやがって!
息が! 呼吸が、できねえ!
それでもリッカの手を握ってやると、リッカもしっかりと握り返してきた。
悲しそうな顔をしていたが、手は温かい。
冷たい目をしたままの緑青に、落ち着いた素振りで言葉を紡ぐ。
それは異国の言葉で、ちっとも聞き取れやしなかった。
「――――、――――――」
機械言語か、何かだろうか?
とはいえ緑青には伝わったらしく、嘲笑にもとれる笑みを浮かべながら、俺のほうへと目線を向ける。
ようやくアンミツの手が離れていく。
「君にあげるよ。捨てるなり飼うなり、好きにするといい」
「飼うんじゃねえ、一緒に暮らすんだ」
緑青はとても面白い冗談を聞いたように、声を上げて笑った。
そうして、消えた。
「き、消えた! 今、消えた?」
「消えたな」
「消えましたね。すうっと、まるでゆー・・・・・・」
「言うな、その先は言うな。絶対に言うな」
「はーい」
リッカが深川から離れて、緑青がさっきいたところへと歩いていく。
俺も手をつないでいたから、一緒に行ったけれど何もなかった。
「寂しいか?」
もうちょっと気の利いたこといえないのか、と自分でも思ったけれど、リッカはこくんと頷いた。
博士、と吐息混じりに囁いてから、「でも寂しくない」と悲しそうな笑みでこちらを向く。
頭を撫でてやると、驚いたように目を見開いた。
この動作がどう伝わったのかは分からなかったが、こちらへと身を寄せて体を僅かに震わせる。
「親が子どもを泣かすなよな・・・・・・」
「そう思うならお前が涙を拭いてやれ」
「先輩がリッカの保護者になったんでしょ」
「仕方ないなあ、ほらリッカ。出せるモンは今出し切っちまえ」
顔が見えないように抱き寄せながら、幼い背中で柔らかいリズムを刻む。
やがてリッカの涙も収まりかけてきたころ、散々迷った末に俺は口を開く。
「なあ、リッカ」
「・・・・・・?」
ぐしゃぐしゃに泣き濡れた頬にぴったり張り付く髪を払ってやった。同時に、これ以上ないくらいの優しい口調を心がけながら。
「きっと、緑青さんは・・・・・・博士は。お前のこと嫌ってなんかなかったよ」
「はかせ」
「うん。だってお前のことを見たときに、凄く優しい目をしてたんだ。すぐに顰め面しちゃったけど」
顔真似をしてやると、翠緑の瞳は俺を通して、どこにいるかも分からない緑青を写しはじめる。
「だから、お前には親父が二人もいるんだぞ。良かったなー」
「こんな親父がいたら俺なら家出するな」
「あ、それだったらオレんとこ来るか、リッカ?」
「ううん」
アンミツの言葉にも、深川の言葉にもリッカは首を振る。
そうして俺の腕の中にいた生意気な少年は、翠緑の瞳にまだ写したままの、二人のろくでもない親父たちを抱きしめた。




