No.1
一人暮らしの野郎のポストに、そんな手紙が入っていたのは、忘れもしない。
鬱陶しい雨の日だった。
世間は正月で、どこの番組を見ていても錦鯉かと見まごう程の鮮やかな着物やらおめでとうございますやら言い合って、非常にお祝いムード。
自由業の俺といえば、何時もと同じように寝転んで、ちょっと奮発したビールとつまみを片手に一杯やって。
年末の大掃除なんてしてなかったから、一息ついたらそろそろ動こうかなんて思いながら、でも後でと先延ばしにしている、自堕落の代名詞とも呼べる代物だった。
しかし、幾ら一人暮らしだとはいえ、生活する以上この状況はいただけなかった。
・・・・・・・・・・・・洗ってる皿、なし。
・・・・・・・・・・・・洗濯済みの下着、なし。
・・・・・・・・・・・・湿気ていないタオル、なし。
・・・・・・・・・・・・カップ麺、枯渇。
まずいだろう、コレ。
生活できない。流石に。
よくもまあここまでいろいろ溜めたもんだ。
足を踏む場くらいしかスペースがない。
今まで避難していたベッドも、丁度お茶を零してしまったし。
ああそういえば、洗ってるコップがないのもリストに入るな。
自分ながらに感心する。
これでお袋がいれば、そんなのんびりしてる場合じゃないでしょと怒られるところだが、一人暮らしを始めた頃から一回も連絡を取っていないので、いい加減愛想を尽かされていると思う。
「いや、でも年末に仕事があったからいけないんだよな。大掃除なんてやってられなかったし。一年の疲れを取るために必要な休息だったんだ」
誰に向けるでもなく、ただひたすら現実逃避のために、ひとり言を呟いた。
ちなみに、この惨状をまだ大丈夫だろうと楽観できる勇気は俺にはない。
「仕方ねえ、掃除するか。とりあえず・・・・・・洗濯機回すか」
補足しておくと、我が家は一軒家だ。
都会ではなく、とある県の境にある。家賃が安いことと、窒息しそうに近い家が回りにないことを好んで借りている、ボロいとしか言いようがない、冴えない一戸建てだ。
友人からすれば、庭付きの一戸建てというのは羨ましいのだそうだが、住んでる本人にとっては管理が面倒で仕様がない。
草が生え放題、庭木を荒れ放題にさせておくと、さりげなく家主から注意される。
人の腰くらいにまで草がのびてしまうと、もう廃墟そのもの。
ある意味絶景だ。そうそう見れるもんじゃない。
話がそれた。
つまりは、こんな夜間であろうが朝方であろうが、騒音で悩ますんじゃないかと心配しなきゃならない隣人はいないということだ。
さて、この我が家を綺麗にするためにかかった時間は丸二日だった。
夜に手をつけて、疲れて放り出して、翌日丸一日をつぶしてようやく人を招待できる家となった。
招待する奴なんていないけど。
そうだ。
こんなに疲れきって、そういえば新聞をとってないと外に出たときから、すでに災厄は始まっていたといえる。
建てつけが悪いのか古いせいかなんだか知らないが、軋むドアを押して、寒い空気を被ったというのに。
すっ転んだ。
それはもう、芸人真っ青な素晴らしいすべり。
何だったら見にきて笑いやがれと毒づきたくなるほどの、華麗な回転と尻餅を披露した。
観客がいないのが残念だ。
そうだとも、負け惜しみじゃない。
この目の端に浮かぶのは、雨のせいだ。
羞恥や痛みのせいじゃないとも。
呆然と玄関の前に座り込んでいたのだが、やがて尻が冷たくなってきた。
氷が張っていた。
なんて素晴らしい年明けだ。
痛む腰をさすりつつ、ポストに向かった。
編集者から、友人から、去年三回くらいしか行ってないドラッグストアから、ガソリンスタンドから、動物病院からの付録カレンダーなんてのもあった。
我が家にペットはいない。
それでも組み立てるタイプで、デザインも可愛らしかったので、後で作ろうと眠っていた工作魂がうずいた。
少し高揚した気分のまま、次の葉書をめくる。
有名なファッションブランドの割引券つきの広告。
・・・・・・半纏姿の、時代丸無視の恰好を笑われている気がして、非常に気分が悪い。次。
腹立ち紛れに、階段を音を立てながら登っていると、新聞の隙間から何かが落ちた。
舌打ち混じりにかがむと、白い封筒が枯れ草の上に落ちていた。
拾い上げて、眺め回してみても宛名だけで、差出人の名前も住所も書かれていない。
「何だあ、こりゃ?」
疑問を口に出した所で返事が帰ってくるはずがない。
とりあえず早く温い部屋に入って、それから中を見てやろうと身を翻した。
すっ転んだ。
「ったく、何だってこんな目に。厄年か、今年は?」
ひやりと襲う言いようのない不快感、微妙な柔らかさが何度味わっても、恨めしい冷湿布を腰に貼ると、思わず短く声を出してしまう。
まったく。
こんな情けない姿、他の奴らには見せられない。
見せるような変態でもないが。
そんなどうでもいいことを考えていると、さっきの封筒を思い出した。
蝋封を模したシールに留められ、さほど厚みはない。
こんな洒落た手紙を送ってくる友人に心当たりはないし、広告でもなさそうだった。
とすると・・・・・・・・・・・・
考えても埒が明かない。
そう思った俺は、以前誰だったかに貰ったペーパーナイフを部屋から探し出し、ようやく封を切った。
薄いベージュ色の紙に、褪せた黒インクで、二行だけ何か書かれている。
下僕賞「当選のお知らせ」
(なお、抽選は応募の有無にかかわらず無作為に行われました)
「はあ?」
げぼくしょう?
当選したのは嬉しいが、げぼくしょうってなんだ。
そのまえにげぼくってなんだっけ。
下?
え、何。
一日だけメイド貸し出しキャンペーン、なんてやってるのか?
そもそも近くにメイドカフェなんてあったっけ。
でも、それならもう少し早くこれを見たかった。
ぴかぴかに磨き上げた家を見て、蝋封されていた封筒が恨めしくなった。
いや、しかしメイドとはいえ汚い家に上げるのはどうだろう。
人間性を疑われそうだ。
と、そこまで考えたとき。
人の気配を感じた気がして、振り向くと、人形が座っていた。
いや、人形ではなかった。
生気に満ちた曇りのない、深いエメラルドの瞳。
薔薇色の頬。
メイプルシロップのような、茶色がかった金の髪。
勝気そうな凛々しい眉。
すっとした鼻、引き結ばれたふっくらした唇。
繊細な指。スラリとした肢体。
細部にいたるまで、何もかもが美しかった。
どんな者からの鑑賞、賛美にも堪えうる芸術品。
こんな陳腐な台詞でどれほど伝わるかは疑問だが。
いや、断っておくが俺は変態じゃない!
変態ではないが・・・・・・それでも、思わず息を呑み、呆けてしまうほどの美人がそこにいた。
ぼうっとしていると、人形が眉を片方だけ上げながら問うた。
「お前がぼくの僕か?」
「・・・・・・・・・・・・男かよー。――じゃなくてっ」
僕って、こっちか!