夜の風
己が魂を失わんとして私が夜毎の強迫めいた迷走とも云える散歩を始めたのは、まだ日中は暖かい日差しが嗜眠を誘う、芽生えの季節のことだった。あの頃は若さの齎す生の横溢が、尋常ではない状態を常態にし、私を死と、乾き切った腐敗の風景に向かって近付けていた。頽廃には未だ頽廃の匂いがし、陰鬱は陰鬱として感じられ、そして邪悪はまだ地平の彼方にあって、未だその姿を私の前には現してはいなかった。従って生の季節は、同時にどう仕様も無く死の季節でもあったが、私はその中で、不可避的に停滞し、怒張し乍ら淀んだ時間を、為す術も無く送っていた。
夜になり、やがて深夜も廻り、街路から人の姿が消え、幾ら眠らない街とは云え多少は車道を走る車の数も少なくなって来る時刻になると、私は当時住んでいたみすぼらしく古い木造のアパートメントの部屋を出て、歩き殺せとばかりに必死の散歩を開始した。呑気な気分で気晴らしに出掛けた訳ではない。それは、人も殺しかねんばかりの狂焦に駆られてのことだった。
時候はそろそろ土中に眠っていた様々な動植物がムクムクと地上に蘇って来る頃で、そうした復活に必要な諸条件が日に日に揃って来ていた。中途半端にあちこち植えられた木々の類が、何度も舗装し直された曲がりくねった街路や乱立するコンクリートの塊共の間から発して来る、湿気の多い、腐った様な大気には時として蒸気が棚引き、扉を開けると途端に、全てを甘い陶酔の中に腐らせる熱気が、ウッと肺腑を濁らせた。うだる様な暑さに悩まされる時期はまだ先のことだったが、私の躰に流れる北方系の血は、皮膚に纏わり付く様なねばっこい気懈さに、頻りに反逆したがっていた。
肉体が本質的に抵抗を求める存在であると云うのは本当だ。抵抗は盲目的な意志を屈伏させ、反動を誘発し、それによって肉体は自らが成長していること知る。その頃の私はまだ、より強固な目的に関してもより合理的な方法に関しても今よりはずっと訳が分からずにおり、自分を残酷に鞭打つことを日々続け乍ら、その先に何が見えて来るものなのか、見当も付かずにいた。私にとって酷寒の厳しさが必要な時に、その土地は、そしてその土地が象徴する都会と云うひとつの巨大な醜い死んだ生き物は、決して私にそれを許さずにいた。それは気候や風土の問題ではなく、その背後に何かもっと大きなものを抱えた、止まることを知らない流動的な単位の動きの問題だった。私は緊張した戦慄を求めて、無駄とは知りつつも、夜毎徒労を続けていた。他の具体的な方策が見付からなかったが為に止む無くしていたこととは云え、あの頃の私はとにかく単調な事柄に神経を集中させ、全ての悍ましさを忘れて時間を潰し、明日の日の出を迎えることが出来さえすれば、峠をひとつ越したことになるのだ、と自分に言い聞かせ乍ら、次の憂鬱の発作が無駄に終わらないことを、ひたすら祈っていた。
何にせよ、当時の私は、もっと生身の肉体を備えた存在であったのだし、もっと人間的と呼べる類の苦悩に苛まれていた。それが慶賀すべきことなのかどうか、私は知らない。只そうなっている、と云うだけのことだ。そこには懐かしい郷愁の想いも痛烈な悔悟も入り込む余地はない。昔はひょっとしたら違う考えを抱いていたのかも知れないが、少なくとも今の私にとっては、物事は万事必然の如くに動いている。
私にとって、街は不快だった。
私の様に、仮令どんな街に住んではいても、そこに住む人々とではなく、その街の風景や、全体的な雰囲気の奥底に秘め隠されたものどもと向き合って生きている人間にとっては、何処にどんな建物が並んでいて、どんな気風の人々が住んでおり、どの様な慣行が行われているものなのか、それらの個々の特徴などは比較的どうでもいい部類の事柄に属する。余程の不便を強いられない限り、そうしたこと共は数百年、数千年続いて来た人類の営みのそのたったひとつのバリエーションにしか過ぎないものであるし、それに対して私は順応し、その中にあって何とか孤立を保ち、目を開き聞き耳を立て乍ら、恰も何も見ず何も聞こえていないかの様に振る舞えることだろう。私の王国は、他の人々には感知されざる領域に広がっており、完全に不可侵とは云えないにしても、大多数の不注意な盲人共からは常時隠された儘でいるからだ。
だが、街は当初の予想以上に、元々良好とは云えなかった私の症状を悪化させた。街へ来る前、私は、何も無い単調な、素早い現代の時間の流れに取り遺された様な死に行く土地で、ひたすらそこから出て行くことだけを考えていた。自身の若さへの反発と憤りがそれに加勢し、沈滞した人々の表情が、どんよりと曇った瞳の数々が私を苛立たせ、より大きな街への漠然とした内容の無い憧れを育んだ。とにかく街へ出ることだ、この呪われた半死人共の暮らす、山と雪とに閉ざされたこの土地から一歩でも離れることだと。場所を換えた処でそうそう事態が好転する筈のないことは解っていた積もりだったが、むっつりと押し黙った無口な老人ばかりが暮らす所で、活発な精神を裡に秘めた若者がおいそれとそう簡単に満足出来よう筈もなかったのだ。
だが、いざ街へ来てみて暫く暮らす裡に分かったことと云えば、街は、日々蘇り生まれ変わり活発に生長を続け、老廃物を篩にかけ、力ある者に夢想の翼を与えているのではなく、只単に病んで腐敗し、怠惰であり乍ら尚も生き続けようとしてどでんとでかい図体を横たえているのみなのだ、と云うことだった。死んでいると云う点では、街もまた、同じだった。後ろを振り返ってみると云うことを知らないこの街では、時間は只忘れ去られ、その意味も影響も省みられることがない儘放って置かれ、記憶も、鋭敏な知覚も、同一なるものへの志向は矮小化され、無様な事例を呆れる暇もない程、飽きることなく生み出し続けていた。街は死に乍ら生きていた。尤も、こんな風な印象を抱くのは、私自身が街から捨て去られるべき老廃物だったからかも知れないが。
未知の、より大いなるものへの志向と結び付いた得体の知れない焦燥は、物心付いた時からずっと、私に付いて回っていたものだった。だが街の風景は、私の焦燥を鎮めたり上手く誤魔化したりしてはくれず、寧ろ非建設的な方向へと助長した。
街は、のっぺりと地べたに這いつくばり、貪っていた。視覚的な面から言えば、町並みは平坦なものだった。天に向かって突き出している特徴的な高層建築物でも立ち並んでおれば、多少は上下にアクセントがついたかも知れないし、そうしたシンボルを中心とすることでささやか乍らもバビロンの如くの倨傲を誇ることが出来たかも知れない。だが私の住んでいた街は、世界中の都市と呼ばれる場所が大抵はそうである様に、低く、耐久年度の短い建物が所狭しと美観などは無視して無秩序に犇めき合っており、あちらで新しく建築作業が始まったかと思えば、向こうでは打ち棄てられた残骸が、無慚にその姿を裸の儘衆目に晒していると云った具合で、凡そ精神の繊細さを保つのに必要な配慮が悉く欠如していた。確かに、場所が変われば若干の雰囲気や配置の仕方は微妙に違っては来る。しかし目に見えるのは、歴史なぞ持たぬ建物共の群れと、皆同じ顔に見える鬱陶しい雑踏ばかり。それが飽きることなく延々と、目の届く限り風景の一杯を埋め尽くしているのだ。この街に来た時に、列車の座席に凭れかけ乍らそれらの屋根や屋上を眺めた時のことは今でも覚えている。行けども行けども、まるで岩を引っ繰り返してみるとその裏側にびっしりとたかっている節足動物の群れの様に、家並みが、人々が、これでもかとばかりにウジャウジャと低い空の下に広がっているのだ。実に、ここは芋虫共の一大巣窟なのだ。人が住むべき場所などではなく、移動を続ける人ならぬ浮浪者共が仮住まいとして棲息する巨大な出来合いの木賃宿、或いは一箇の淫売宿なのだ。列車のホームで大きな音を立てていたのはその儘群衆の溜め息であり、働き蜂共の唸り声であり、それらを私はひたすらに嫌悪した。
街に来たのは失敗だった。だが、他にどの様な選択肢が私に残されていたものなのか、当時も今も、大変心許ないものだと思う。街に来なければ私は死んでいた。だが街に来た処でまた私は死ぬのだ。
しかし尚もこの街に留まり住み続けたのは、偏に、私の益体も無い夢想癖が災いしたのだった。私は街へ出ると直ぐ、古書店街の近くに出来るだけ安い物件を捜し出し、そこに居を構えると、同年代の他の多くの連中の様にその場限りの遊蕩に出歩くこともせず、貧しい生活を送り乍ら陰鬱な万書の世界に沈潜したのだったが、私がそこでそうしたのは、書物を漁る者にとって、そこが確かに便利な場所であったからに他ならない。抽象の世界から日々の養分を貰って生きている者にとっては、普通の人間が食物を必要とする様に、情を、知識を、言葉を、イメージを食べることは、生きて行く為には必要不可欠なことなのだ。若しもこれを怠った場合には、やがて魔の退屈が大勢の中から紛うこともなく私を見付け出し、試行錯誤し乍ら私が抵抗する仕方を何とか覚え込むその前に、じわじわと生きた儘腹の中から喰い尽くされてしまう危険がある。実に退屈と倦怠こそは生命力の枯渇であり、私の様な種類の人間の本質を成す処の精神を萎えさせ、世話を放棄し、飽和状態の儘に放置しておく、何よりも忌避すべきものなのだ。一階にある私の部屋は書斎と殆ど同義であったし、数段重ねをして本棚に詰め込まれたり、それでも溢れて床上に山積みにされた書物が、常に私の四方を取り囲み、年中黴臭い匂いが躰中に染み付いていた。私は貪欲に読み、忘れ、また読んで、また忘れた。そうしている裡にも贖われぬ時間は只単に忘れられ、消滅して行った。
絶え間無く巷に溢れる騒音もまた、私が唯々不快に思うだけのものだった。街には、何より人が多過ぎた。大衆には耳を塞いでおく為の念仏が絶対必要なものだと云うことは理解していた。彼等が、自分達の生活を安易に解釈し、己の生き方を都合よく正当化する為の神話として選んだものや、そのプロメテウス的な変幻を見せる様々な手法が私の目にどう映ろうとも、私はそれを軽蔑する積もりなどない。私の生き方自体が、彼等が自分のテリトリーには属していない種族なのだと云うことを許容するものなのであるから、他の人間がどういった喧騒で大気を一杯にしていようと、私には関係のないことだからだ。彼等は自分が何をしているのか、何に突き動かされているのかの知らない、そもそも知ろうとしない人々なのだ。沈黙が必要な時にも彼等は黙らず、耳を澄ませるべき時にも口を開いている連中だ。
死んだ街は腐り乍ら生成していた。街は糜爛し乍らも、生きていた。千年続く文明を腐らせる熱帯の森林の様に、コンクリート・ジャングルは永続するもの達を浸食していた。真正の野蛮人には節度と云うものは存在しないが、その密林の住人共もまた、現在のもの、目の前のものだけに気を取られていた。
空と大地の出会う筈の彼方には、固より地平など望むべくもなかった。私が毎日の如く好んで見詰めた、あの真っ赤に溶けたどろどろの溶鉱炉の口の中の様な夕日もまた、街では見かけることはなかった。空と云う空は至る所家や建築物に遮られて切り取られ、或いはそれらの影から申し訳なさそうに顔を出し、無残な残骸を恥ずかし気も無く晒すことも屡々だった。遠方を見ようにも叶わず、そうした制限の下で想像力は手枷足枷を嵌められて喘いでいた。もっと若き日の幻影は、場所を失っておろおろと消えて行くのを待っているだけだった。
星はその輝きを抹消されてから疾うに久しかった。地上に氾濫する出来物の様な大量の光の粒が、百数十億年に亘る光の営みを悉く、自分達の目から消してしまったのである。けばけばしくどぎつい光に溢れたこの街は、闇と云うものの存在をもまた、許容してはくれなかった。大衆の欲望にいちいち答えていくことを要求される哀れな電力会社の者はきっと違った意見を持ってはいるだろううが、昼の下らぬ栄光を保つ為に、夜の静寂が何の躊躇いも無く犠牲を強いられているのは、私にとっては耐え難かった。そのことに関しては、誰も何も不平を言わなかった。夜が齎す恩恵については、私は敏感な方である。夜の闇と沈黙は、私の様に時として昼の光を苦痛と感じる者にとっては、屡々新たな戦慄と慈愛を認識する良い機会になる。だが街にあっては、深い夜を過ごすことは不可能だ。何処へ行っても街灯が、商店の看板や終夜営業の飲食店等の明かりが、街の隅に蹲る暗がりを駆逐し、眠ることを知らない人々が、車が、絶えずあちこちを行き来している。これらの人々は夜を誤魔化し、昼を擬装して連れ込み、自分達を騙す術は心得てはいても、夜に耐える方法は知らない。昼の強引な力で夜を消し去ることによって、人々は夜の恐怖を意識の表層から追い遣った。それが文明の本質だと言う者もいる。が、魂の奥底の膂力はそうした安易な環境に慣れ親しみ、怠惰な昼に安住することによって、結局は退化してしまったのだ。
昼と夜とが交互に遣って来ることがどれ程の重要性を持つことなのか、果して気が付いている者はどれだけいるのだろう。闇の欠如が光の頽廃を招くことを知っている者がどれだけいるのだろう。そして、それに心底恐怖したことのある者は………夜の音、昼からすれば音の欠如でしかない静寂の中で一晩を過ごした後、朝日が昇って来ることを天国の開門と感じたことのある者は………沈み行く日、昇り行く日に、大声を上げて駆け出したくなる様な絶望を知覚したことのある者は………。
実生活に於て私は疎外され、自らを疎外し、愚かで無様な行為を繰り返した。一方でまた魂は、その殻を自力では破れずにいた。私は、私よりも大きな単位の中で無力感を味わい、そしてまたその単位から逃れようとする時にも、己の無力感を噛み締めていた。二重の意味で、私は敗残者だった。神経は不定期的な緩急を繰り返し乍ら、来るべき焦点を求めて空しく疲弊して行き、先の見えない緊張と弛緩の狭間で、何時とはなしに私は疲れ果てていた。
私が私の肉体を酷使し、一晩中単純で無駄な労働に従事させていたのは、そうした時分のことだった。
私は敢えて、行く先を定めずに歩いていた。
そうした目的の無さが元来散歩の特質だと思う向きもあろうかと思うが、私がそうしていた理由はもっと残酷なもので、どちらかと云うと悲壮な趣がなくもなかった。元々、目的地を作るのを避けていた訳ではない。何処か目指すべき場所があった方が、それはそれで歓迎すべきことだった。だがそもそもそうした場合に於ても、目的地とは、単に歩く為の方便や言い訳に使われることが多く、要は、歩き続けていることこそが肝要だったのだ。私は歩かねばならなかった。私の精神が最も活発に活動するのは、往々にして無心に歩いている時だったので、疲弊を取り除き、再び知性を身内に蘇らせることが必要だったのだ。だがそれとはまた別に、もっと愚妹で盲目的な理由があることも、私は自覚していた。
先にも述べた様に、私の借りていた部屋は、古書店街の近くにあった。その北側へ少しばかり歩くと、遅く迄賑やかな古書店が埃と黴に塗れた軒を並べていたが、南側の方へは直ぐに、閑静な住宅街が広がっていた。味気無い現代式住宅の平屋や二階建てに混じって、時折十数階はある高いマンションやビルディングがぴょこりと飛び出しており、中には二つみっつ並んで建っているのもあった。目印となる様なものはそう多くなく、何処を向いても似た様な光景ばかりで、たまに特徴的な景色にばったり出会ったとしても、直ぐにまた同じ様な迷宮に逆戻りするのだった。どのみち、薄暗がりの中にぼんやりと浮かんで来るものは、大抵同じ様に見えてしまうものだ。少し前迄はどぎつい原色の蛍光灯かちかちかしていた商店街の類いも、夜半を過ぎると己が存在を主張することを止め、静かに辺りの光景の中に沈んで行く。そうなってしまうともう、あれをこれと区別することは一層難しくなる。
従って私は、街並みの風景を楽しむと云うようなこともなかった。あったとしたら、それは夜を楽しんでいたのであって、街を楽しんでいた訳ではない。
大小幾つかの国道が縦横に走っていたり、公園沿いに散歩道が整備されていたりもするので、ひたすらそれに沿って歩いて行くこともあったが、そうしょっちゅうではなく、大抵は脇道に逸れて行ってしまうのだった。私は方角は特に定めず、地図などは持たず、人に道を訊く様なこともせずに、完全な行き止まりにぶち当たってしまった時を除いて元来た道をもう一度引き返す様なことはせず、ひとつの道に入り込んだら、なるべくその道を最後迄歩き通すことにしていた。
私はそう方向感覚の鋭い方ではないが、何度も出歩いている裡に、何とかそれらしい道をその裡に発見し、朝日が顔を出す頃迄には、家路と思われる方向へ就くことが出来る様になっていった。夜眠れずに仕方無く出歩いていた訳でもないのだが、大抵頭は冴えており、出る時にはぼうっとしていた時でも、短い旅路の終わり頃には、頭の中は熱っぽい渦を巻いて軋みを上げていた。
私はそうした行程を、毎晩の様に繰り返し、何かを得たと思い込んで興奮の裡に部屋に戻ったことも何度かあったが、気懈い失望を迎えたことも屡々だった。私は丁度、何かに取り憑かれた様にギュンギュン空回りしている、加熱気味のエンジンの様なものだったのだ。
私が最初に彼を見掛けたのは、そんな或る夜のことだった。
私はその晩、明け方には未だ早く、夜、と云うには遅すぎる時刻に、何時もの様に何も手につかない状態がわなわなと全身を駆け巡る様になると、何の役にも立たない本を机の上に投げ出し、部屋を出た。僅かに湿り気を帯びた大気の中には、微かな金木犀の香りが何処からともなく漂って来ており、そのまったりとした重い匂いが、しっとりした大気を更に重くした。
例の如くに正確な道順は憶えておらず、いや寧ろそうした細目は忘れようと努めている為に、どこをどう歩いたのかははっきりしないのだが、細く曲がりくねった、車などはようやっと一台ゆっくりと通れる程度の道をあちらへ、こちらへと進んで行く裡に、何時の間にかひょっこりと、車が二台は通れそうな、少し広い通りへと出た。私も初めて見る場所で、部屋に置いて来た、私の、この街の大雑把な地図などには到底載っている筈もない、込み入った所だった。取り立てて何か変わった所がある訳でもなく、何軒かの四角い二階建ての建物が並び、疎らな街灯が片側にあってそれらの間をひっそりと照らしていた。それ迄歩いて来た所とは違って、個人住宅用の塀が無かった。文字は読み取ることは出来ないが、白地に黒の文字で何か書かれた看板が幾つかあった。舗装の仕方もそれ迄とは少し変わっており、私は、どうやらその先をずっと行った向こうは小さな国道に繋がっているものだろうと推測した。
そこは、主要街道からは外れた全くの住宅街で、こんな夜中に通る車もある訳でなし、明け方に新聞配達の連中が出て来る様になる迄は、何時もならばこうした時刻に人影を見かけると云うことは先ずありえないことだったので、暗がりの中にあるひとつの人影に気が付いた時には、おやと思ったものだ。
その影は背格好からして男性らしく、ゆっくりと歩いていた。彼の歩いている場所は、街灯の明かりの及ぶ範囲からは外れており、月明かりも無く、ぼんやりとした輪郭以外は判然としなかった。と云うよりも、彼は実の処一本の街灯の下にいたのであるが、それはどうやら壊れてしまっているらしく、焦げ跡の様な鈍いオレンジ色のちらつきを痙攣した様に繰り返していたが、当然それだけではその下にあるものは照らし出すことは出来ず、無灯の状態と同じことだった。
その人物の足取りには、何処か地に足が付いていない様な感じが付き纏っていた。唾棄すべきあの嘆かわしい状態に陥った酔っ払いが、家に還ることを忘れ、或いはそれが不可能になり、終電も疾っくに出てしまった夜の夜中に街中を下卑た調子でふらふらしていると云うのは、見たくはなくともよく見かけられる光景なのだが、彼の様子はアルコールの影響を受けていると云う訳ではなさそうだった。彼の足は、地面を踏み締めようとしては無様に失敗していると云うのではなく、寧ろ最初から地面に触れていないかの様だった。無論実際に宙に浮いていた訳ではないが、音も無く滑る様に道路の上を行くその姿は、スケートでも履いているか、或いは足をそれらしく振り乍らぴょこぴょこと動く玩具の人形の様だった。かと云って宙に漂う風船の様にふわふわした頼りなげな感じがするでもなく、寧ろちゃんとした重量を備えてはいるのだが、重さがその働きをうっかり忘れてしまった為につい浮かんでしまっている、そうした状態を思わせた。その様子からは、彼が私の方へ向かって歩いているのか、或いは逆の方向に向かっているのかさえ、はっきりとはしなかった。
彼の容姿は、影に入っていた為にその細かい部分は見分けられず、また淡い蒸気に煙る大気の所為かどうかは知らないが、その輪郭の境界線が、周囲の闇と溶け込んでいる様にうっすらと霞んで見えたのだが、それでも見間違えようのない、印象的な特徴を備えていた。
奇妙なことに、今となっては彼が具体的にどの様な細部を持っていたかを思い出すことは難しい。大柄でがっしりした男だった様な気もするし、小柄でひょろっとした人物だった様な気もする。当時の私は、彼の姿を一度見たら見間違えることなどなかった筈なのだが、彼が一体どんな顔をして、どんな髪形をし、何を着ていたものやら、今の私はさっぱり憶えていない。只、私の頼りな朧ろな記憶に残っているのは、彼がのっそりと、夜を引き連れる様にして歩いていたことだ。
おかしな言い方になるかも知れないが、彼は、群衆の中の凡人一人ひとりが、自分達より大きな単位の構成要素のひとつとして、無意味な騒音を撒き散らし乍らせわしなく動き回っている様に、彼一人それ自体で一箇の独立した単位を成しているかの如く、強烈な沈黙を撒き散らし乍らそこに存在していた。彼には何かこの世ならぬ雰囲気が纏わり付いていたのだが、それは亡霊などよりももっとしっかりとした肉体性を帯びており、生身の人間よりはもっと精神的な希薄さを湛えていた。彼が私の視界に入り込んだその時から、夜の闇は、暗さを増したように思われた。私の見た彼の姿が、最初から最後迄街灯の明かりから逸れていたと云うこともあろうが、それ以上に、彼には何か、光を捩じ曲げ、吸収し、闇へと転化してしまう様な雰囲気があった。いや寧ろ彼の周囲では、光の方が、何か罪悪感でも感じたものか、それとも何かに脅威を感じ怯えたのか、何処かこそこそとその身を隠し、それきり彼が姿を消してしまうのを物陰で凝っと待っているかの様だった。
彼を焦点として、闇が集い、ゆっくりと凝集し、密度を増していた。
彼のいた風景には、正しく、夜が臨在していたのだ。
夜、街灯の暗い明かりに目が慣れてしまい、路上に注意を払わなければならないものが何か特に存在している訳でもない時には、目を使うことすら億劫になってしまって、薄目の儘ぼんやりと前方に視線を固定した儘、周囲の事物に単なる歩行上の障害物以上の関心を払わなくなる時がある。そうした折り、場合によっては、辺りに充満する影の中に、己の姿を見出だすことがある。夢うつつで闇ばかりを見つめている裡に、自分が、皮膚一枚を隔てて外界から独立を保った個体であると云うことを忘れてしまい、四海全てが私自身であるかの様な、或いは、私と云うものが消え去ってしまい、在るのは唯、そこに在るものだけ、と云う状況が生み出される。私が彼を見た時と云うのは、その時の感じに似ていた。私は存在しない、廻りの建物も、街灯も存在しない。在るのは唯、彼と、彼と一体である処の闇だけ。それは、存在しない私や、建物や、街灯と別にあるのではなく、唯、そこに在るのである。
気が付くと私は、幾分か街の夜の雑駁さを取り戻した様に見える暗闇の中に独り、佇んでいた。その夜のことは些か不可解なしこりを残したものの、明け始めた空にカーテンを引いて、やや疼き始めた頭痛を抱えてベッドに潜り込んだ時には、目が覚めたら一夜の夢として明日には忘れてしまうだろうと自分に言い聞かせていた。その時に見た夢は憶えてはいない。
それからまた終わることの無い悪夢の様な日々が明け、退屈は私を無気力にし、焦り藻掻いて手当たり次第に書を貪ることが続いた。
日中は、夜中に出歩く方面へと足を向けることはなかったし、それから後もそうすることはなかったので、再びあの場所を訪れて確認する様なことはなかった。また仮令日の光の下で同じ場所を見たとしても、それが同じ場所に見えるかどうかは甚だ怪しいものだと云わざるを得ない。闇は、単に光の欠如とは違って、物事の別の面を、普段は隠れていて表には現れては来ない側面を露にするものだ。昼の顔と夜の顔とは異なる。またそうでなくてはならない。今の私は戦慄と常住している、夕闇の、或いは明け方の、光か闇かどちらかはっきりしない領域の住人である。だがその当時の私はまだ、昼と夜とが截前と断ち別れ、交互に地を、天を支配する万有のリズムに則った在り方を希求していた。混乱の中にあり乍ら、物事はそうでなくなはならないとの信念を創り出し、それを固持し、自分に言い聞かせていたのである。
二度目に彼を見掛けたのは、それから一週間程経った頃だったろうか、私が、一級河川とは名ばかりの、狭苦しい水の流れの上に架けられた貧相な短い橋を、ゆっくりと渡っている時のことだった。暫く猛然と歩いた後で、疲れてはいなかったが、私は何処かに突っ込んで引っ繰り返りそうな勢いを一旦緩めることにし、両岸にある鬱陶しい公園沿いのふたつの散歩道を繋ぐその橋の上で、暫し水に想念を集中することにした。黒い水面に青白い反射を輝かせている川の流れは、昼間では台無しにしてしまう余計な夾雑物を、上手いこと覆い隠してくれていた。冬の雪は、日中でも似た様な働きをしてくれるのだが、その街では望むべくもなかった。
意識の焦点が仲々ひとつには纏まらず、かと云って奔放に世界の諸々の可能性に心を開くことも出来ずに、乱れた儘暫し凝っとしていて、はっと気が付いてみると、五十メートルばかり離れて、ふたつ向こうに架かっている橋の上に、のっと立っている朧ろな人影が目に入った。今度も、両岸に立っている街灯の造り出す小さな昼の領域からは外れていたが、新月の月明かりの下、その特徴的なシルエットは見間違えようもなく闇の中から浮かび出ていた。
その途端に、小川のせせらぎなどとは到底言い難い、みじめたらしい都会の川のちょろちょろ云う音が、何故だかぴたりと止んだ様に思えた。その前の時と同じく、彼はその背中に大きな闇の束を背負っていたが、以前には気が付かなかった漠々たる静寂が、川の音と対比されることによって明白となった。闇はまた、音を、いや大気の動きの全てをも吸収している様だった。
彼は橋の中央付近に陣取って、何処か上の方へ顔を向けているらしかったが、その様子はまるで、その橋が船か何かの乗物で、彼はその操縦席か司令塔に立って舵取りをしていると云った具合で、今にもふいっと橋全体が何処かへ向かって動き出してしまいそうな気配が漂っていた。私は一瞬、以前と同じ様にくらっとその光景に吸い込まれたが、直ぐにまた気を取り直して目を瞬かせると、雑音も雑光も戻って来たので、立ち止まってじろじろ見詰めるのも失礼かと常識的に考えることにし、その儘通り過ぎてしまった。只、私が彼に背を向けて立ち去って行く時、自分の背後にはまだ彼が居て、橋の上で同じ姿勢の儘立っている、そしてひょっとしたら私の方を見ているかも知れない、或いはまだ私の知らない何かを見詰め続けているのかも知れない、そう考えるのは、奇妙に心騒がせられる経験だった。
三度目、更に四、五日して、今度は三車線ある大きな国道の、昼間でさえ人通りの少ない向こう側の歩道の上に彼の姿を見付けた時には、私の普段から奔放な想像力は、彼が何らかの理由で私の後を付け回していると云う可能性や、或いは逆に自分が無意識の裡に彼のことを捜し出し、追い掛けていると云うのではないかと云う可能性、或いは私が散歩とは云い乍ら何時の間にか自分では気付かずに一定の円環的パターンを踏んで進んでいるのではないかと云う可能性を、より具体的な形で思い描く様になった。私は夜が許容してくれるこうした諸可能性の中で、その個々の可能性を見出すこと自体に、精神の高揚と安らぎを覚える。世界の多面性は私を眩暈し、そうした領域こそが私の本来の住処なのだと思い出すのだ。
だが結局の処、私が足を向けるのは、私の足の及ぶ範囲でのことなのだし、日中はともかく、夜の間は電車やバスと云った群衆を運ぶ大量輸送機関を利用することもなかったので、私が歩き回る領域もそんなに広い訳ではないのだろうから、若しその途中で何度か同じ人物に出会ったとしても、それは単なる偶然の範疇に入るものである、と云う、至極穏当な結論で私は満足することに決めた。彼にはひょっとしたら、私と同じ様に目的地など無いのかも知れないし、気分を換えたり考え事をしたりするのに夜中にうろつき回る人間がいると云うことは、何もそう取り立てて珍しいことではない。或いはまた、これはぐっと可能性が低くなると思われるのであるが、彼もまた、私と同じく、本質的に世界を失っている種類の人間なのかも知れない。そうした人種は屡々夜の領域を好むものなのだ―――夜行性の動物が夜に出歩き回る様に、感慨もなく、至極当然のこととして。私の知る限りでは、ふとした気紛れで時折こうした行動を採る人々を別にしてしまえば、こうした人間は決して多くはない。
今度も彼は影の部分に隠れ、そしてその中心となっていた。だが今度は、私と彼とは反対方向に歩いている様だった。ゆっくりと、いやに長過ぎる位ゆっくりと二人が広い車道を隔てて擦れ違う間、数台の車が彼と私との間を横切って行ったが、車体の前にあるヘッドライトの明かりが、普段よりやけに軽薄に感じられた。彼の発散している光に反する勢力が、夜の闇に紛れた私の勝手な思い込みなどではなく、彼の居る場面に於ては、如何なる光も実に無力で、愚かしいものなのだと云うことが解ったからだ。彼の前を通る時、車は車ではなく、薄っぺらい光を二つくっ付けただけの、単なる醜い闇の塊へと化したのである。
私は何故か急に、憤ったのか、或いは逃げ出そうとしたのか、自分でも不可解に思いつつも歩調を早め乍ら、単調な軽運動が齎してくれるうっすらとヴェールの掛かった様な軽い瞑想状態の儘、なるべく他の人間のことはそれ自体として主題化することの無い様に気を付け、凶暴な狂焦が暴れ出る儘、ひたすらに歩き、思索し、そして同時に思索を圧殺するように努めた。主たる問題が、何処かに行き着くかどうかと云うことではなく、自分が歩いて、進んでいると云うこと自体へと変貌するように。
他人と云うものは往々にして、私の精神を萎縮させ、詰まらぬ可能性ばかりに否応なく拘泥させてしまう、手錠の様なものだった。私はそれを濾過し純化し解放されたいと希い、孤独を守り、不純物を近付けないように心掛けて来た。だが今の私には無論のことだが、その時の私も、彼が単なる雑音としての他人などではなく、もっと何か恐ろしい、直ぐにその意味する処を理解してしまうには余りに重大な、不条理な何物かであると云うことを、心の底では了解し始めていた。いや、もっと前からそれは始まっていたのかも知れない。得体の知れない恐怖は、今や急速に形を獲りつつあった。元々快適とは云えなかった日々の目覚めは、悪化の一途を辿った。
そして四度目のあの夜、私が見た、或いは、私が見たと思った出来事の真相については、今以て確信を以て言うことが出来ない。あの様な経験は私としては初めての出来事であったし、以降にも経験したことはない。私の知っている限りでは、似た様な体験をした者は、私の他には居はしない。何分にも当時の私の精神状態は真っ当なものではなかったし、健康状態もまた、街の生活に上手く適応出来ずに、時折急激な変調を被っていた。その為あのことは全て憂鬱が高じて生じた幻覚か、或いは白昼夢ではなかったか、それとも不規則な生活習慣が祟って、夢で見たことと現実とがごっちゃになってしまっていたのではないか、と云う可能性すら、一時は本気になって疑ったものだ。当時の前後の記憶は断片的で、一本な流れとはなっておらず、今以て整理の付いていない部分が多くある。あの一部始終の目撃者なり証人となってくれそうな人物は、結局私一人切りしかいないのだし、また正気を疑われるのが嫌な為に、このことについて他人に語ったこともない。とにかく、あの夜の出来事には、始めから終わり迄奇妙な非現実感が伴っていた。まるで頭を何か柔らかな重い物で強く押さえ付けられていたかの様に、五感がどう云う訳か頭の中に籠もってしまい、反響している様だった。それでも私は歩いていたし、見ていたし、聞いていた。だが、全てが分厚いガラス窓越しに行われていた様な感覚が、今もはっきりと私の記憶にこびり付いている。
三度目の邂逅から更に二週間ばかり経った頃、その夜は夕方から颱風による警報が各地で出ており、日が沈む頃には激しさを増していたボトボトと重い雨は、やがて辺りが暗くなって来ると共に強風を伴った豪雨となり、ずっと部屋の中に居た私ですら、叩き付けて来る激しい雨音に、自分の声すら聞こえなくなると云う有り様だった。雨は世界を押し潰し、雨雲に時折見られるあの不思議な仄明かりを帯びた黒雲が、威嚇する様に一帯を圧していた。
あの時同じ街に居た人間ならば、ほんの一時ではあるが、日付が変わるちょっと前に、大規模な停電が起こったことを憶えておられるであろう。現代社会の対応は万全かつ素早い為か、幸い取り返しの付かない大事に至る様なことはなかったと、翌日の報道で知ったのだが、私は何とか目の前の活字が開かせてくれるより大きな世界に集中しようと悪戦苦闘していた最中に、突然スタンドの電気が消えてしまったものだから、復旧迄暫く悪態を吐き続けた。そうしたアクシデントがなくとも、本を読める様な状態ではなかったことに変わりはなかっただろうが。
真夜中過ぎになると、雨も、風も、まるで蛇口のコックをきっちり捻った様に、ピタリとその活動を止めてしまった。颱風の目に入ったらしい。その途端、私は常に無い残酷な高揚感に襲われ、机の上に読み掛けの―――とは言っても一行たりともその内容が頭の中へは入って来ていなかった本を投げ出すと、部屋の明かりを消し去り、安普請の扉を開けて、妙に澄み切った大気の中へ飛び出した。
それは行進だった。凱旋ではなく、これから進軍しようと云う、何か巨大な力による行進だった。何故だかは解らないが、行き先は決まっていた。対峙すべきものの居る所だ。私は当然の如く右へ左へと角を曲がり、行くべき時には一糸の乱れなく真っ直ぐに進み、頭上に天空を頂き乍ら、一心不乱に足を進めた。道順など覚えてはいない。道端に転がっている破損した塀や屋根の類の一部、行く手を塞いでいる倒れた木、まだ青々とした大量の濡れた木の葉とびっしょりとした黒い道路、そうしたものの切れぎれの断片が、朧ろに思い返せるだけだ。途中、他の人間には誰ひとりとして出会わなかった様に思う。
一体どれだけ歩いたものか、私が何度か訪れたことのある一角のひとつに、高層マンションが二つ、軒を並べて建っている所があった。両者の間には狭い舗装道路が続いており、そこから上を見遣ると、二つの巨大なコンクリートの煤けた固まりが、まるで今にもこちらへ向かって倒れ落ちて来そうな具合に天を覆い隠し、周囲を囲繞していた。
そこには何故か、全く無風の日でも、時々強いビル風が吹き荒れた。せめてもの高揚を齎してくれるそのビル風を、私は好んでいた。その凶暴さと、無差別さに、傍若無人に吹き上げるその厚顔さ、その上昇指向に、私は惹かれていた。その時もそこには他と違って強い風が吹き荒れていた。私は躊躇いもなくその渦の中へ入って行き、常に無い強い手応えにキリキリと揉まれ乍ら、前へ、前へと歩いて行った。
私が何時もの様に上方へと目を遣った時になって初めて、私は足を止めた。高くてよくは見えないのだが、一方のビルの屋上の端に、不穏な気配を孕んだ黒い空を背景にして、何か―――いや、誰かが見えた。
何時もは煙草塗れの肺臓の様に排気ガスだらけの空気は、颱風に浄化されてしまったのか、高山の様に澄み亘り、塵ひとつ浮かんではいなかったが、暗い部屋の中、机上の照明ひとつに照らされて書物に没頭することに慣れ切ってしまった私の両目には、しかとはその細部を見定めることは出来なかった。しかし、高いビルの屋上の、しかもフェンスの外側に、何の手掛かりもなく立っている人間が何を意味するものなのかは、幾ら何でも誤解の仕様がない。
自殺者だ、こんな時に………真っ直ぐ首を上に向けて目を窄め乍ら、私はそう自分に言い聞かせた。それが最も妥当で穏当な解釈だ。無論、常識的な目で見れば、そうした解釈を採った場合、この状況がそれ自身至極穏当ならぬものであることには間違いはない。だが私には、何処から沸いて来るのか見当も付かないが、そうした解釈の齎す危機感を吹き飛ばし、すっかり無効化する様な全く別の可能性が………何やらはっきりとそれが何なのかは判らないのではあるが、しかし明らかにもっと重大な警告を発している何物かが………意識の舞台裏でどたんばたんと大きな音を発し乍ら、その蓋を開けようとしているのが判っていた。
私が目を遣って間もない裡に、ビルの屋上の端に立っている人物は、ゆっくりと、恐るおそると云うよりは、寧ろ鷹揚な感じで、勝利者の威厳を以て、大きく前へ一歩を踏み出した。そして、そのまま落下した。
私は、自分の胃が締め付けられる様な落下感を腹の辺りに感じたが、瞳はその人物に集中させた儘、凝っと見詰めて離さなかった。
落ちている人物は、今やはっきりと彼だと判った。一体どうした理由で彼は、肉体的な死を望んだのであろうか。何度か見掛けたたあの夜中歩きは、死を前にした覚悟の彷徨だったのだろうか。彼の肉体はぐんぐん落ちて行った。地上数十メートルの高さから真っ直ぐ落ちて行く彼の肉体と、濡れて黒光りした地面との間には、安全ネットや電線、木の枝の様な障害物は一切存在しなかった。両者は急速に、それこそアッと云う間に接近して行った。その儘行けば彼の肉体は加速を付けて地面に激突し、バラバラの肉片が周囲に四散する筈だった。あれだけの高さから落下しては、奇跡でも起こらなければ助からない、生存出来る確率は万に一つと云った処だった。それが物事の、自然の、世界のあるべき姿だった。所が、それは地面にぶつかる直前になって急に旋回し、重力に逆らうと云うよりは、突然地球の側の重力が効力を失い、その儘月の重力に引っ張られると云う感じで、グウンと空へ舞い上がったのである。彼は西側から飛び降りたのだが、向かっているのは東の方の空だった。
そして、不意に、空が口を開けた。一面どんよりとした重たい雲に覆われた真っ暗な空や、無窮の天蓋と無数の天体で埋め尽くされた沈黙の星空よりも、更に黒く、更に深い暗闇が、彼を待ち受ける様にして彼の飛んで行く方向に広がっていた。星々の輝く空に、錐か何かで破った様な穴がぽっかりと開き、そこには何も見えない、墨を流し込んだ様な太古よりの黯黒が、全天を呑み込まんばかりにして開いていた。その向こうには、夜空の正常の姿が、空が、月が、星々がある筈だった。だがそれらはひとつも見えなかった。皆すっかり姿を消していた。
私が大きく口を開けたのは、大声で悲鳴を上げたかった為なのだが、それは空しく開いた儘、喉の奥で苦しげに何かが鳴っていた。私は全身硬直した儘、遙かなる上空で穴が彼の肉体を吸い込んだか、或いは彼の肉体が大変な速力で穴の中に突入したかして、その後間も無く、何かの幕の背後にでも隠れている様な暗鬱たる奇妙な輝きと共に、その穴が消え去る処を、為す術もなく見上げていた。
それからどれだけの時間が私の傍を通り過ぎたものかは判らない。とにかく暫くして、大きな雨の粒が一粒、私の頬に触れるのが判った。颱風の目が去ったのだ。その瞬間にパッと魔法は解け、私は、まだ誰かに首を締められている様な、或いは嘔吐を堪えている様な行き詰まる感覚を喉の全体に感じ乍らも、何とか動ける様になった。私は、作られたばかりのフランケンシュタインの怪物の様に、ぎこちなくガタゴトと手足を動かすことを覚え、何とか一歩足を踏み出し、次いでもう片方の足も一歩踏み出し、少しの間自分の躰が自分のものであるのを確認するかの様に固まって、その後は転げる様にして走り出した。いや、実際に何度か転んだのかも知れない。後でその時着ていた服を調べてみて、どうやらそうらしいことは判った。その後どうやって自分の部屋のあるアパート迄の道を捜し出し、扉に辿り着き、惚けた様に部屋の中をぐるぐる廻り続けて朝を―――朝日の昇らない、形ばかりの朝を迎えたのかについては、よく覚えてはいない。
翌日は、極力そのことに関すること共は意識の片隅に追い遣るようにして普段通りに過ごそうと努め、何とか無事にベッドに入った。所が翌々日、寝起きからまだ微かに残っていた頭痛を抱えてぼんやりと新聞を読んでいると、死亡欄にあった或る自殺の疑いのある死亡者の記事に、何故か吸い寄せられる様にして目が行った。
奇妙なことに、その無名氏の顔を見た途端、私はそれが、彼だと判った。私は暗がりの中でしか、しかも遠目でしか彼を見たことはなく、況してやまじまじと彼の顔をよく検分出来た機会があった訳ではない。しかし私は自分でも解らないことに、絶対的とも云える確信を以て、彼がその人物だと知ったのである。確かに、記事に載っている限りでの時刻と場所とは、私が彼を目撃した時刻と場所とに一致する。しかし報告されている処のその人物の死因は、発見されたマンションの屋上から落下したことによるらしいと云うことだった。すると二日前の夜、私が見たと思ったものは、人の自殺を目撃したことのショックから、現実と取り違えてしまう程の生々しい幻想を、私が創り上げてしまったと云うことなのだろうか。或いはそれとも、私はその人の自殺の報を何処かで聞き及んで、それをあの不可解な夜の使者と結び付け、恰もその場に自分が居合わせたかの様な、勝手な記憶を捏造してしまったと云うことなのだろうか。
まだ奇妙なことに、私はその新聞に載った小さな顔写真を見た筈で、そしてそれが彼のことだと判別が付いた筈なのだが、どうしても、その顔を思い出すことが出来ないのだ。彼の持っていた雰囲気、彼の全身から醸し出される強力な気配のことならば、今でも鮮明に思い出せるのだが、どう云う訳か彼の具体的な姿形は、一片たりとも頭に浮かんでは来ない。元々、人の具体的な形状を記憶することにかけてはそう上手い方ではないのだが、これもまた、彼についての幾つかの記憶が、まやかしのものであるのではないかと云う疑いを容れる要因となっている。また、実は些細なことなのかも知れない、単に翌日の新聞に記事が間に合わなかったと云うだけのことかも知れないが、何故、彼の死亡の報告が翌々日にまで延びたものなのか、それもよく判らない。確かに、彼が死亡したとされている時刻では、次の日の朝刊には遅過ぎたのかも知れないが、死体の発見されたのが翌日のことだとすれば、そのことが夕刊や夕方のニュースには必ず出ていた筈だ。今にして思えば、逆に質問を受けるのを恐れずに警察か新聞社に出向いて、その辺りの事情を尋ねてみた方が良かったかも知れない。だが今となっては昔のことだ。
数年経ってから、私がその街から逃げる様にして離れたのは、あの時の衝撃もまた大きな要因のひとつとなっているのではあるが、私があの夜の恐怖を、本当に自分の身に降りかかった出来事として、その形而上的意味合いを多少なりとも知性的に掴むことが出来る様になったのは、それから更に数年が経過した後のことだった。街に居る間は、私は彼のことも、彼を思い出させるものも、なるべく考えの外に追い出すようにしていた。その後もまだ暫く続いた憂鬱の波が、それを水面下で消化するのを助けてくれた。私の夜歩きはその後も何度か続いたが、何時の間にかパッタリと止んでしまった。
何時だったか、まだ街で暮らしていた間にふと気が向いて、連日の公立の図書館通いの序でに、そこの資料室で、私が住んでいた所の周辺の、当時私が持っていたのよりはずっと詳細な地図を調べたことがある。あの時の私の記憶は至極曖昧でうろ覚えなので、殆ど当てずっぽうではあったのだが、私が彼と出会った、と云うよりは私が彼を見かけた場所のひとつひとつを、その地図で確認してみた。それには細かい道路も丹念に描き込まれていたので、私は再びあれらの場所に想いを巡らせ、経路や辺りの状況、そこに居たならば当然見えて来る筈の情景を、時間を掛けて頭の中のイメージと照らし合わせた。
その結果判ったことと云えば、私が彼を最初に見かけた場所から、最後にあの不可解の消滅を目撃した場所迄は、略真っ直ぐに、東へ向かって徐々に移って行ったらしいと云うことだった。その方角に何か意味があるものなのか、その先に何かがあるのかどうか、今以て私は知らない。方角は正確に真東と云う訳ではなく、その頃の星座で云うと、牛飼い座のある辺りだったろうか。だがそれだけ判った処で何が変わると云う訳でもない。あの夜、万有の一切が協力加担して、入念に常人の目から覆い隠していた、密やかだが傲岸な夜の王国で行われていた事柄の一部始終は、結局私には不可解な儘に残された。
あの様な夜空を見上げたことは、或いはああした何とも説明し難い穴の類いを目にしたことは、それ迄の私の長いとも短いともつかぬ生涯に於ては一度もなかったのだが、幸運なことに、その後にも一度も無い。只ベッドの中で輾転として我慢ならず、夜にまた当てもなく出掛ける様な時にふと時々気になることに、あれから、私が夜毎に見る雑多な浅く淡い夢の中に、時として酷く不快な、それでいてとても解放感に溢れた印象を遺す種類の或るものが混じることがあったのだが、日々新たに更新される重層的な記憶の表面に微かに残っている限りに於ては、そうした夢は常に、或る同じ場面で終わっていた。それは私があのビルの、彼が立っていた正にその同じ位置に立ち、彼と同じ様に両手を広げて、頭上遙かで待っている何物かの所へと、今にも飛び立とうとしているところだった。