9.お知らせ
部屋のドアを開けるなり何かが落ちた。
竹中杏里は今落ちた物を手で確認しながら拾い上げる。何だ、ただの紙切れじゃない。
またピザ屋のチラシかとその場で破り捨てようとしたが、ふと思いとどまった。
ドアに付いているポストにではなく、ドアの隙間に挟まっていた。それにこの紙のサイズ……。
手でなぞって確認した後、杏里は紙切れを持ったまま隣の203号室の呼び鈴を押した。
「源さーん……いる?」
しばらくしてドアの開けられる音が聞こえた。
「杏里か、今日はやけに早いな」
「源さん、これって……」
手にしていた紙切れを見せた途端に源さんが小さく悲鳴を上げた。
やっぱり……あのお知らせが来たんだ。
「そんな物持ってくるんじゃない!…………って悪い、分からなかったんだよなぁ」
杏里は頷くと源さんはとにかく上がりなさいと部屋に通してくれた。
いつもの定位置に杏里は座る。
「ごめん源さん……でも、確認したかったから……」
「お前が謝ることはない……自分のはもう破っちまったから、お前のを見せてみろ。俺が読んでやる」
杏里は紙切れを渡した。
「あー……今年も開催……初夏のバーベキュー大会。昨年よりは早めの交流会となりますが、村越君の歓迎会も踏まえて開催致します……場所は裏庭の桜の木の下。日時はゴールデンウィーク明けの日曜日夜六時から。みなさん必ず参加して下さいね…………だとよ」
「やっぱり……今年もやるのね。アレも」
「バーベキューって書いてあるしな。管理人はやる気満々なんだろう……」
「…………」
暫くお互いの間に沈黙が流れた。思い出したくもない去年の事が嫌でも脳裏に蘇ってくる。
源さんもおそらく思い出しているのだろう。去年のはもう狂気じみていた。
身内の魂を留める儀式だどうとか言っていたけど、私も源さんもあの日以来肉を口にしなくなった。
…………また同じ事をやる気なのか、あの女は。
「……杏里は今回、参加しないんだったよな。お前の身体、大丈夫なのか?」
「……もともと無かった物だもの。別に無くなろうが大した問題じゃない」
「そうか……まあ、あの光景を見たら嫌でもそう思うか……俺は行為自体には賛成なんだけどな。何しろこれがないと生活が出来ない。女房達に出て行かれてからは、今じゃ居場所はここと仕事場だけだ…………」
はぁ、とため息が聞こえた。
「……問題は後始末よ。去年と同じ事をまたしようとしている……あの女、悪魔よ」
「もう悪魔に魂を売ってるんだよ。でなければ平然な顔をしているわけがない」
「岡島と曜子はたぶん賛成ね……岡島に関しては絶賛してたし」
「あの青年は半分以上平らげてたからな……うっ……思い出しただけで吐き気がする」
源さんは慌てて席を立つと、台所の蛇口をひねってげぇげぇと何かを吐き出している様子だった。
暫くしてすまないと言う声と共に源さんが座り直す気配がした。
「悪い……不快な思いさせて」
まだ少しぜぇぜぇとした息遣いが聞こえてくる。
杏里は大丈夫よと言うと、テーブルを跨いで源さんの背中をさすってやった。
「すまんな、ありがとう……今年は俺、気絶するな」
「去年も気絶してたわよ……あたしも途中退場したし」
「はぁ……あの女、訳が分からねぇ。去年は身内だからあんな事したんじゃないのかよ」
「さぁ……直接聞いてみれば?あの女に。あたしは知りたくもないけど」
そう言って見えるはずもない桜の木がある方へと顔を向けた。
バーベキューとやらが開催される前に、村越ともう一度飲んでやるか……。
「おはようございます!」
僕は窓から顔を出すと、管理人さんが裏庭の手入れをしていた。
何やら石のブロックを動かそうとしている。
「あら、村越君おはよう」
「それ、運ぶんですか?僕が運びますからちょっと待ってて下さい!」
僕は急いで靴を履くと、表の玄関から裏庭へと回った。
管理人さんがありがとうと言って僕に運ぶ先を指示した。
「これ、もしかしてバーベキュー大会に使うんですか?」
「ええ。ごめんね村越君に手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ。力仕事なら僕に任せて下さいって……前にも同じ事言いましたね」
僕はニッコリとして次々とブロックを運んでいった。
丁寧に庭の真ん中にブロックを積み上げていく。おそらくこの上に鉄板を置いて焼くのだろう。
「本当にありがとうございます。あっと言う間に終わったわ」
「あははっ。他にも何か手伝う事ありますか?」
「そうねぇ……でもあまり村越君に甘えちゃ悪いわ」
「何言ってるんですか。僕の方がいろいろ甘えているから、こういう時にきっちり恩返ししておかないと」
「ふふ。やっぱり男の子ね、頼りになるわ。じゃあ炎が他に燃え移らないように、この辺りの草むしりお願いしてもいいかしら?」
「はい、それくらいお安い御用です」
僕は管理人さんから軍手を受け取ると、先程積み上げたブロックの周りから草むしりを始めた。
管理人さんも少し遠くから同じように草むしりを始める。
「毎年開催してるんですか?バーベキュー大会は」
「ええ。まぁバーベキュー自体は去年からなんだけどね、意外と……特に岡島君には好評だったみたいだから、今年もしようかなと」
「隼人さん見かけによらず大食いですからね……でも最近はダイエットとか言って、全然食べてないみたいですけど」
「ふふ。でも今年は質のいい肉が手に入りそうだから、岡島君絶対食べてくれるわよ。去年も半分以上あの子が食べてくれてたから」
「そうなんですか。バーベキュー楽しみだなぁ……あ、食材とかどうするんですか?」
「何も用意しなくていいわよ。村越君の歓迎会も含んでいるもの。歓迎者は何も用意しなくてもいいのよ」
管理人さんは目を輝かせながら、明らかに上機嫌になっていた。
そんなに楽しみにして可愛い人だなぁ……あ、僕からもみなさんにサプライズで用意しようかな。
実家からバーベキューの食材になりそうな物を送ってもらおう。
その後二人で話をしながら草むしりをしていると、三十分も満たない内にゴミ袋一つ分の量になった。
「はぁ、意外と草むしり疲れますね……」
「ふふ、お疲れ様。少し休憩しましょう」
僕は情けなくはぁはぁと息をこぼして地面に座り込んだ。
お尻の辺りがジリジリと熱くなってくる。僕は日陰に座ろうと桜の木の下に座ろうとした。
「やめてっ!」
いきなり管理人さんが叫んだものだから、僕はびっくりしてその場で棒立ちになった。
「あ……ごめんなさい。いきなり叫んだりして……その……桜の木には触れてほしくないの……」
「す……すみません、大切な木だということ忘れてました……」
僕は慌てて桜の木から離れた。管理人さんは首を振ってもう一度ごめんなさいと謝った。
「その桜の木にはいろいろ思い入れがあるから……ごめんなさい。せっかく手伝ってくれたのに、怒鳴ってしまって……」
「いえいえ。よっぽど大切なんですね、この木が……羨ましいなぁ」
僕は真下から桜の木を見上げた。サリーと彫られたこいつが羨ましい。
花は既に散ってしまっているが、代わりに立派な青葉を沢山実らせていた。
「羨ましい……?」
「あっいえ、何でも無いです……この辺りも草がいっぱい生えてますけど……このままにしておきますか?」
「ええ。ごめんね村越君、ありがとう。もし時間があれば、これから冷やし中華なんてどう?いろいろ手伝ってもらっちゃったし」
「やったぁ!実はその言葉待ってました」
僕は目をキラキラ輝かせて、犬のように御主人様の後を追った。