8.ゴールデンウィークの始まり
大学の入学式を無事終え、その後講義やらサークル活動やらで僕の大学生活は順調なスタートを切り出していた。
ようやくここの生活にも慣れだした5月。僕は最初の長い休み、即ちゴールデンウィークを迎えていた。
「村越は何処かへ遊びにいかないのか?」
バイト中商品出しをしていた所に岡島隼人が声をかけてきた。
僕は先週から隼人さんの紹介で、ここのコンビニでアルバイトを始めている。
まだまだ覚えることはたくさんあるが、レジ打ちにはようやく慣れてきた所だった。
「うーん……サークル活動は2日間入ってますけど……」
「友達とどこも出掛ける予定もないのか、寂しいなぁ。実家にも帰らないのかい?」
「そうしようにもお金がないんですよ」
僕はお客さんが居ないのをいい事に棚にもたれかかった。
そんな僕に隼人は今度昼飯でも奢るからさと背中を叩く。
「そうい隼人さんは曜子さんとデートですか?」
「ああ、家で新作の映画鑑賞会でもしようと思ってるよ」
「そういえば曜子さん最近見かけないですけど……具合は大丈夫なんですか?」
畑中曜子は持病が悪化したらしく、しばらく外出は控えているとの事だった。
隼人は俺がしっかり面倒見てるから大丈夫だよと爽やかに答えた。
103号室の岡島隼人と、201号室の畑中曜子が付き合っていると知った時はかなり驚いた。
爽やか青年と、初対面時ドアを少ししか開けてくれなかった暗い女。
あの後、一度隼人さんと竹中杏里も交えて4人で外食をした事があった。
性格は全然似てないのに上手くいくもんだなぁ。僕は羨ましそうに隼人を見上げた。
「何だよ、そんな目で見るなら村越も早く作ればいいじゃないか。大学には可愛い子がいっぱいいるだろう?」
「可愛い子には大抵男がいるんですよ……僕の入っているサークルの可愛い子はみんな彼氏持ちでした」
「はははっ。村越にも早く出来るといいなぁ。そうだ、杏里はどうだ?」
「絶対に嫌です。振り回されるに決まってるじゃないですか……」
「確かに。じゃあどんな女性がタイプなんだい?」
そう言われて僕は真っ先に管理人さんの顔が浮かんだ。慌てて今浮かんだ人物を掻き消す。
「お……おしとやかな人がいいかなぁ。日本美人みたいな感じの」
「へぇ……」
そう告げるなり隼人は僕の顔を見てにやにや笑う。まるで何か言いたそうに。
「な……何で笑うんですかっ」
「知ってるんだぞ、村越。お前よく管理人さんに朝ご飯作ってもらっているだろ」
「な……何で知ってるんですかっ?」
僕は赤くなった顔で必死に弁解しようとしたが、言葉が見つからなかった。
「よく101号室からいってらっしゃいと、いってきますの掛け声が聞こえるからさ。お前も隅に置けないなぁ」
隼人は肘で僕を突っついた。それと同時に客が来店し、チャイムが鳴った。
「影で応援してるから頑張れよな。じゃあ残りはよろしく!」
そう言って隼人はレジカウンターへ戻って行った。
流石に隣人にはばれていたか……僕がよく管理人さんに朝食をご馳走になっている事を。
最初の入学式以来、管理人さんには何度もお裾分けや朝食を作ってもらっている。
申し訳ないと思いながらも、その行為に甘えてしまっている僕は自分ながらに情けなく思う。
管理人さんの事ははっきり言って好きだと思う。でも今の僕にはこの関係が心地いい。
写真の男にはとても叶わない気がしているからだ。
物思いにふけっている僕を、岡島隼人はレジカウンターから見つめて呟いた。
「とんだ悪魔に恋したものだな。可哀想な奴……」
隼人より先に上がると、僕は近所のスーパーへと足を運んだ。
今日は卵が安かった筈だ。僕が卵のコーナーに行くと、そこには203号室の沼地源蔵が居た。
「あ、源さん。源さんも卵目当てですか?」
「おう、小僧。卵は何にでも使えるから便利だよな…………ちっ、お1人様1パックまでか」
源蔵は何やら真剣に卵を見比べている。……どれも僕には同じに見えるが。
「あれ、源さんまた腕黒くなりました?」
源さんはこの間から長い休暇を利用して何処かへ出かけに行っていたらしい。
それから肘から下を日焼けして帰って来たのだが、あれから更に日焼けしてしまったようだ。
「ん……ああ、今年は紫外線がきついな。元々黒いのが余計に黒くなっちまったぜ」
源さんがチラッと自分の腕を確認した瞬間に、持っていた卵が手から滑り落ちた。
僕がとっさに手を伸ばしたのも虚しく、卵のパックはグシャっと嫌な音をたてて床に落ちた。
「うわーっ!!」
「あっ……」
中身こそ飛び出てはいないが、パックの中で無残な状態になっている。
叫び声を聞いて駆けつけた店員に、源さんはすまないと何度か謝り、結局源さんはこの日卵を買うことが出来なかった。
「はぁー、全くついてないぜ……」
「僕が話しかけたばっかりにすみません……卵半分お裾分けします」
「いいってことよ。卵くらいでくよくよする男じゃないぜ、俺は」
ポケットから部屋の鍵を取り出すと、クルクルと手で弄び始めた。
源さんは僕を部屋まで見送る最中、急にドアに挟まっていた黄色いビラに反応した。
「おい……それ……」
「あれ?何だろう……えっと、初夏のバーベキュー大会?」
源さんはその言葉を聞いた瞬間に、遊んでいた鍵を呆気無く落とした。
拾う気も無いらしくつっ立っている。
「源さん?鍵落としたよ……はい。どうしたんですか、急に」
「い……いや、何でもねぇ」
そう言いながらも何だか怯えているみたいだった。
現に鍵を渡した手が微かに震えている。
「へぇ、みんなでバーベキューかぁ。あ、僕の歓迎会も踏まえているんだ……毎年恒例なんですか?」
「あ……ああ、そうだよ。今年は少し早いみたいだな……」
そっぽを向きながら答える。……何だか源さんの様子がおかしい。
「大丈夫ですか……?何だか顔色も悪い気がしますけど……」
「大丈夫だ……ちょっと肉が食べられないんだけで……悪い、先に失礼する」
そう言って源さんは慌てて自分の部屋に帰っていってしまった。
肉が食べられないなんて、勿体無いなぁ。あんなに美味しいのに。
僕は黄色いビラをもう一度見た。
場所はここの裏庭、桜の木の下で日時はゴールデンウィーク明けの日曜日、夜6時からと記されていた。