10.前夜祭
「いよいよ明日か……」
杏里はテレビのニュースを聞いて、今日の日付とついでに天気予報も確認しておいた。
今日からしばらくいい天気が続くらしい。絶好のお出かけ日和……ねぇ。
杏里はしばらく考え込んだ後、外に出るラフな格好をして部屋を出た。
行き先はコンビニ。下が静かだったから、村越は多分バイト中だろう。
店内に入ると聞き慣れた声が飛び込んできた。
「いらっしゃいませー。あ、杏里さん」
「よっ!何かつまみになりそうな物適当に入れてよ」
そう言って杏里はレジカウンター横にあるカゴを村越に突きつけた。
村越ははいはいと言いながら、暇だから付き合いますよと一言余計な事まで呟く。
「確かポテチ系は何でもいけるんでしたよね?」
そう言いながら幾つかカゴの中に入れていく音が聞こえる。
「何でもよくないわよ!のり塩だけはちゃんと外しなさいよ!」
村越に指図しながらお目当ての商品だけカゴに入れさせた。
「……今日はバイト、何時までなの?」
「え?……今日は夕方には上がりますけど……どうしてそんな事聞くんですか?」
「またあんたの家で飲もうと思ってね。軽い前夜祭だよ前夜祭!」
杏里は村越の肩を掴んで無理矢理お酒コーナーへと引っ張った。
「奢ってやるから、お酒部屋までよろしくな!」
「あーはいはい。じゃあ全部僕の部屋まで運んでおきますよ」
「サンキュー」
杏里は軽いスナック菓子の入った袋だけを引っ提げて店内を後にした。今日は夕方まで何しようかな。
源さんはまた今朝早く何処かへ出かけてしまったし……曜子はもう部屋に上がらせてくれそうもない。
仕方ない、部屋に帰ってもう一眠りするか。明日まともに寝られるかどうかも分からないしね。
アパートの玄関口に入ると、中から車のエンジン音が聞こえる。誰だろう。
源さんが戻ってきたのかな。耳をすませていると、やがて車から誰かが降りる音がした。
誰かがこちらに気付いて近づいてくる。源さんではない。
「やぁ、君は確か竹中杏里くんだね。こんにちは」
病院でも聞いたこの声。先生だ。あの女の先生がここへ来たんだ。
「…………こんにちは」
「調子はどうだね?今回君は見学すると聞いいていたが、その目でどうやって見学するんだい?」
目の前の男は馬鹿にした口調で尋ねる。全く面倒くさい奴に巻き込まれたものだ。
開催は明日のくせに、今日は何しにここへ来たのだか。
「先生。今日はどうしてこちらへ?」
「いや、たまたま近くに用事があったからその帰りに寄っただけだよ。もう明日が待ちきれなくてさ!」
興奮したように男は地団駄を踏んだ。杏里はさっさとこいつを管理人に渡してしまおうと、101号室の呼び鈴を押した。
『……はい』
「竹中です。今先生がお見えですけど」
『あら、大変』
中からバタバタと足音が近づく音が聞こえ、やがて部屋から管理人が出てきた。
「先生!いつこちらに?連絡して下されば良かったのに」
「おや水木くん。君は相変わらず美しいままだね。いや、たまたま近くに来たから寄っただけだよ」
「そうでしたの。散らかっていますけど、どうぞ上がっていって下さい。今お茶を入れますね」
管理人は先生を部屋に上げると、私に小声で尋ねた。
「村越君は今いる?」
「居ないわよ。彼ならコンビニでバイト中。夕方には戻ってくるようだけど」
「そう、ありがとう杏里ちゃん」
それだけ尋ねると、さっさとドアを閉めてしまった。中からまた男の興奮した声が聞こえてくる。
ちっ、とんだ仲介役をやらされたものだ。
杏里はイライラしながら階段をこれでもかと勢い良く踏みつけ上がった。
「源さーん」
杏里が呼び鈴を押した所で一向に返事の来る気配がない。まだ戻ってなかったのか。
ドアの前で聞き耳を立てたが本当に居ないようだった。
杏里はちぇーっと口に出すと、メモを残して102号室へと向かった。
「ピンポーン。ピンポーン」
『はいはーい』
ゆったりとした足音と共にドアが開けられた。
「ちょっと、あたしが来たんだからダッシュで開けなさいよ」
「だったら口でピンポン言うのやめて下さいよ」
呆れ声で私を出迎える。最近村越は私に対して反論するようになった。生意気な奴。
「待ちくたびれたわ。さぁ、飲もう飲もう」
「まだ六時前ですよ……僕お腹空きました」
そういって冷蔵庫から何かを取り出して、電子レンジで温め始めた。この匂いはコンビニ弁当くさい。
「ちょっと、何一人で食べようとしてるのよ!」
杏里が叫ぶと、村越はちゃんと杏里さんの分もありますからと言って、冷蔵庫の中から何かを取り出した。冷たい袋だ。
「シュークリームです。カスタードですけど……大丈夫でしたよね?」
「あ……あぁ、ありがとう」
本当は生クリームの方が好きだったがとりあえずこれで我慢するか。
何だか村越のペースに押されている気がする。むかつくけど……ま、いいか。
今日は喧嘩をしにここへ来たんじゃない。
「ねぇ、明日のバーベキュー大会さ……」
「はい?」
もごもごと弁当を食べながら村越は答える。
「あんたは参加するの?」
「え?……だって全員参加じゃないんですか?」
「まぁ……あたしも参加するにはするけどさぁ」
どうしようかな。ここで全てを洗いざらい話してやろうか。
いや、今ここで話しても信じてくれないだろう。どちらにせよ明日全てが分かる事だ。
「あ、でも畑中さんは病気でしたっけ。明日は参加出来るのかなぁ」
「…………」
「……どうしたんですか?杏里さんは参加しないんですか?」
「……バーベキューは嫌いなんだよ」
「?……はぁ」
「だからあたしは見学だけするの。おそらく源さんも。わかった?」
「何だかよく分かりませんが……そう言えば源さん肉が食べれないって、言ってましたもんね」
「そうなのよ。あたしも肉はあまり好きじゃないの。なのにあの女……また今年もバーベキューだなんて!」
「あはは、でも楽しみだなぁ……バーベキュー大会。僕やった事ないですし」
「ふん、ただ具材を焼いて食べるだけの話じゃない。ここでビール飲んでる方がよっぽど楽しいわ」
「みんなでやるから楽しいじゃないですか。ビールだって、一人で飲んでもつまらないでしょ?」
「ふん…………」
杏里はそっぽを向いてシュークリームをむしゃむしゃと食べ尽くす。村越が側でくすくすと笑っているようだ。
「何よ……なんか文句あるなら言いなさいよ!」
「いえ、黙っていたら杏里さんもなかなかの美人なんだなぁと……」
「あんた喧嘩売ってるの!?」
村越がいる所に向かって思いっきり平手打ちをかましたが、どうやらギリギリの所で避けられたようだった。
「ちぃっ!」
杏里は勢い良く椅子に座りなおす。
村越も褒めたつもりだったんだけどなぁとか言いつつ、椅子に座った。
「あんた……あの女のどこが好きなのさ?」
「えっ!」
村越は突然の質問にびっくりしたようで、急におどおどし始めた。
「ど……どこがって言われても……」
「あら?一目惚れだったかしら?」
「いや……それもありますけど……」
「………ふーん」
こいつまだ管理人が優しくて綺麗な人とか、どうしようもない妄想をいだいているのかしら。
だとしたらとんだ傑作だわ。まぁ、その方が本人には幸せかもね。
「僕は……どこが好きかなんて具体的には分かんないですけど……たぶん自分の母親と管理人さんを、重ねてしまっているのだと思います」
「ああ、田舎からこっちへ出てきたばかりだものね。母親が恋しくなるのもわかるわ」
「だから好きなことは好きだと思いますけど……恋人にしたいとか、そう言うのはないです……」
「へぇ……」
声のトーンからして今のが村越の本心ではない。たぶんあの男がネックになっているのだろう。
あの男は本当に管理人を愛していた。管理人もあの男の事を愛していたには違いない。
だから去年あのような処理が行われた。あの女の愛が歪んだ結果だったのかもしれない。
そしてそれはとても恐ろしい愛情だった。
「ねぇ……あんたは好きな人のためならさ……」
ピンポーン。ピンポーン。
喉元まで出かけた言葉を呼び鈴に邪魔された。はーいと言って駆け足で村越が玄関に向かう。
ちょっと、私の時とは随分違うじゃない!
『悪い両手が塞がってるんだ。開けてくれ』
源さんの声だ。村越がドアを開けた途端に、ガサガサと騒がしいビニール袋の音と共に、源さんがこちらへなだれこんで来た。
「やぁ杏里。遅くなってすまないって……あれ?珍しい、まだ飲んでなかったのか」
「村越に邪魔されてたのよ。今から飲もうとしてた所」
「よかった。酒のつまみに間に合ったな」
そう言って源さんは私の目の前に次々と品物を置いた。何だかいっぱいありそうだ。
「源さん今までどこに行ってたの?これもしかして全部お土産?」
「ちょっくら北の方にな。道が混んでて思ったよりも遅く着いちまったが……前夜祭に間に合ってよかったぜ」
はははと笑いながら村越と二人で次々と品物を開けていく。
明太子や佃煮、スルメ等の様々な匂いがテーブルの上で混沌としていた。
「この包み紙綺麗な和紙ですね……あ、そうだ」
村越は何か閃いたように和紙を次々と折っていく。私と源さんはそれを黙って見届けた。
「はい、出来ました」
源さんがおおっと言って凄く感心しているようだった。杏里にもと村越が折った物を手の平に乗せてもらう。
鶴だ。しかも器用な事に二羽が繋がる連鶴になっている。
「へぇ。あんたにこんな特技があったとはねぇ……でも何で鶴なんて折ったのさ」
「明日曜子さんも来られますようにと。病気が少しでも良くなってくれるといいなぁ」
「…………小僧」
「村越…………」
なんでだろう。見えもしないのに涙がこみ上げて来るようだった。
「あれ……二人ともしんみりしちゃってどうしたんですか?」
「あんたがさせたんだよ!……っもう、飲むわよ!」
先程の自分を誤魔化すようにビールのプルタブを開ける。村越が乾杯と叫んだ。源さんも。
私も乾杯と言って一気にビールで喉を潤した。
この苦味、忘れないよ村越。ばいばい。