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『タイトル未定・夜害の真実』

作者: パやそー
掲載日:2026/07/08

どうもはじめましてパやそーです。

この作品が初めての投稿です。最近ミステリーホラー小説にハマっています。

この作品を執筆した理由がそれです。

本は全ジャンル好きです。

この作品の批評や好きな本を教えてもらいたいです。

ぜひ今後ともよろしくお願いします。


プロローグ:闇への入り口

十一月の雨は、骨まで凍みるような冷たさで神田の雑居ビルを濡らしていた。 午後五時。東京の街はすでに夜の帳に包まれ、無数の人工的な光が湿ったアスファルトに反射して蠢いている。

谷貝佑幹ヤガイ ユウキは、誰もいない小さな事務所で、原稿用紙の束を前に立ち尽くしていた。 彼の視線は、窓の外の闇に釘付けになっている。 ただの夜景だ。通勤客が駅へと急ぎ、車のヘッドライトが列をなしている、ありふれた都市の夜。

だが、佑幹にとっては違う。 窓ガラスの向こう側にあるのは、彼から全てを奪い去った「野外ヤガイ」という名の怪物だった。

幼少期の記憶はない。覚えているのは、ただ一つ。 七歳の夜、気がつくと自分は暗い夜の道に一人で立っていた。周囲を囲むのは、黒々とした森の影と、自分を呼ぶ「ナニカ」の声。 その夜以来、佑幹は日没後の屋外に対して、身の毛もよだつような異常な恐怖――重度の暗所・夜間恐怖症を抱えるようになった。

(俺は、あの日からずっと、夜の闇に閉じ込められている……)

フリーのルポライターとして、オカルトや都市伝説の「種明かし」を続けてきたのは、決して彼が勇敢だからではない。むしろ逆だ。怪異なんてものは存在しない、ただの人間の錯覚や嘘だと言い聞かせることで、自分の中の恐怖を抑え込もうとしていたに過ぎない。

その時、デスクの上の固定電話が鳴った。静寂を切り裂くような、不吉な音。

佑幹は震える手で受話器を取った。

「……はい、谷貝です」

『……ヤガイ……佑幹、さんですか』

受話器の向こうから、くぐもった、酷く怯えた男の声が響いた。

『助けてほしい。……この村で起きていることを、知ってほしい……!』

「落ち着いてください。どちら様ですか? Village(村)……?」

禍根村かこんむらだ。……ここでは、夜、絶対に家から出てはいけない。もし、夜の「野外」に足を踏み出せば……「ヤガイ様」に連れていかれる……。戻ってきた人間は、もう……』

男の声はそこで唐突に切れた。ツーツーという乾いた音が、狭い部屋に虚しく響く。

「ヤガイ様」 「夜の野外」

男が遺したその言葉は、佑幹の胸の奥で眠っていた暗い記憶の重みを、嫌な音を立てて蠢かせた。

(俺の苗字と同じ……ヤガイ。これは、偶然なのか?)

佑幹は窓の外の闇を睨みつけた。まるで、禍根村の深い闇が、神田の街を飲み込み、彼を呼び寄せているかのように感じられた。

行かなければならない。 それが、どんなに恐ろしい罠であったとしても。 自分の中の恐怖の正体を突き止めるために。

佑幹は懐中電灯とボイスレコーダーを鞄に詰め込み、レインコートを羽織った。 彼にとっての、本当の「夜」が、今、始まろうとしていた。





第一章:闇の誘い

1

その電話が鳴ったのは、雨が泥のように重く降り続く、十一月の湿った日の夕方だった。

東京・神田の雑居ビルの一角。足の踏み場もないほど書籍と取材資料が積み上がった雑然とする事務所で、谷貝ヤガイ 佑幹ユウキは、冷めきった缶コーヒーをすすりながら原稿用紙に向かっていた。

ヤガイ――佑幹はオカルト誌や実話誌を中心に記事を書いているフリーのルポライターだ。世間からは「怪しい話を集めて飯を食っている胡散臭い男」と見られがちだが、彼の本質は極めて冷徹な現実主義者だった。心霊現象や都市伝説とされる出来事の九割九分は、人間の錯覚、嘘、あるいは事件の隠蔽から生まれる。彼はその「種明かし」をすることを生業としていた。

だが、彼がこの仕事に執着する裏には、もうひとつの理由がある。

幼少期、彼がまだ七歳だった頃の記憶の一部が、すっぽりと抜け落ちているのだ。分かっているのは、自分が夜の「野外」で警察に保護されたこと、そしてそれ以来、日没後の屋外に対して身の毛もよだつような異常な恐怖――重度の暗所・夜間恐怖症を抱えるようになったことだけだった。

「はい、谷貝です」

電話を取ると、受話器の向こうからくぐもった、酷く怯えた男の声が響いた。

「……谷貝さんですか。あなたが……あの、怪異の裏の『真実』を暴くというライターの……」

「ええ、そうですが。どちら様でしょうか」

「名前は言えません。ただ、助けてほしい。いや、知ってほしいんだ……この村で起きていることを。……夜、外に出てはいけない村の真相を」

男の声は震えていた。佑幹はペンを置き、背筋を伸ばす。

「『夜、外に出てはいけない』? どういうことです?」

「……文字通りの意味ですよ。我が村……『禍根村かこんむら』では、日没までに全員が家に鍵をかけ、窓のブラインドを下ろさなきゃならない。もし、夜の『野外』に足を踏み出せば……『ヤガイ様』に連れていかれる。そして……」

「そして?」

「翌朝帰ってきた者は……見た目はそのままだが、中身が『別の何か』に置き換わっているんだ。私の弟も……先週、夜に外へ出て……戻ってきた弟は、私の知っている弟じゃなくなっていた……!」

電話はそこで唐突に切れた。ツーツーという乾いた音が狭い部屋に響く。

佑幹は受話器を置くと、しばらく自分の手元を見つめた。自分の苗字と同じ響きを持つ「ヤガイ様」という言葉。そして「夜の野外」というワード。胸の奥で、長年眠っていた暗い重みが、嫌な音を立てて蠢くのを感じた。

2

「またそんな怪しいタレコミに乗るつもりか? 佑幹」

翌日、事務所にやってきたのは、佑幹の幼馴染でありフリーカメラマンのシノ(篠原徹)だった。大柄で明るい性格のシノは、佑幹のトラウマを知る数少ない人間であり、取材の相棒でもある。

「怪しいからこそ行く価値があるんだ」

佑幹はパソコンの画面に表示された地図を指さした。県境の深い山中に位置するポツンと離れた集落、禍根村。

「ただの過疎村の都市伝説なら放置する。だが、この村の記録を調べたら妙なデータが出てきた。過去五年間に、この村で『行方不明』および『原因不明の意識障害』として処理された人間が、異常な割合で発生している。警察はただの高齢化による徘徊事故として処理しているがな」

シノは画面を覗き込み、眉をひそめた。

「……おいおい、マジかよ。まさか本当に怪物が人間を喰い替えてるとでも?」

「まさか」佑幹は鼻で笑った。「怪異なんてものは存在しない。あるとすれば、それは人の狂気か、村ぐるみで隠蔽されている犯罪だ。密室状態の集落、独自のルール、そして『置き換わる』人間……。間違いなく、何か人間的なカラクリがある」

「お前のその『何でも人間リアルのせいにしたがる癖』、いつか痛い目を見るぞ」

シノはため息をつきつつも、カメラバッグを肩に担ぎ直した。

「で、いつ出発するんだ?」

「今からだ。日没前に現地に着かないと、その『ルール』とやらを確かめられないからな」

3

車を数時間走らせ、山道を進むにつれて、街灯の数は急速に減っていった。鬱蒼と茂る樹木が道路の上を覆い尽くし、昼間だというのに世界が暗闇に包まれていくようだ。

禍根村の入口には、古びた鳥居と、ペンキで粗雑に塗られた立て看板があった。

『日没以降、徒歩での通行を禁ず』

「うわぁ……歓迎されてない感、すごいな」

シノが助手席からカメラを向け、シャッターを切る。

村に入ると、ノスタルジックというよりは、どこか「死んでいる」ような静けさが広がっていた。民家は整然と立ち並んでいるが、どの家も厚いカーテンや木板で窓が厳重に覆われている。

車を村の小さな集会所の前に止めると、初老の男が怪訝な顔で近づいてきた。村長の鬼塚おにつかと名乗るその男は、ふたりが東京からのルポライターだと知ると、露骨に不快感を示した。

「引き返しなさい。この村にはあんたらが見るような珍しいものなど何もない」

「村長さん、私たちはただ、この村の美しい自然と伝統を取材したいだけですよ」

佑幹はビジネス用の笑みを浮かべ、あえて「ヤガイ様」の件には触れずにアプローチした。「それに、今夜の宿も取ってあります。『夕霧荘』という民宿ですが」

鬼塚の顔色が、一瞬で土色に変わった。

「……あの宿にお泊まりか。なら、ひとつだけ絶対に守りなさい」

鬼塚は佑幹の胸ぐらを掴む勢いで顔を近づけた。目が見開かれ、血走っている。

「日没のチャイムが鳴ったら、絶対に外へ出るな。 玄関の鍵を閉め、窓のブラインドを下ろせ。外から足音が聞こえても、誰かに名前を呼ばれても、絶対に返事をするな。……夜の野外ヤガイは、人間の領域ではないのだから」

鬼塚はそれだけ吐き捨てると、そそくさと去っていった。

「……なあ佑幹、あのおっさんの目、正気じゃなかったぞ」

シノが固い声で呟く。

「ああ。村全体が集団ヒステリーに陥っているか、あるいは『何か』を極限まで恐れている証拠だ」

佑幹は腕時計を見た。午後四時三十分。空が急速に茜色から深紫へと変色していく。

同時に、村中にスピーカーから不協和音のような不気味なチャイムが響き渡った。

『ウー……ウー……。間もなく日没です。住民の皆様は速やかに帰宅し、戸締まりを行ってください。繰り返します――』

「おい、まるで空襲警報だな」

シノが肩をすくめる。

「急ごう。夜が来る」

佑幹は胸の動悸を抑え込みながら、車を宿へと走らせた。

4

民宿「夕霧荘」は、村の端にある古い木造建築だった。女主人の老婆は無言で二人を部屋へ案内すると、重厚な木製の雨戸を叩きつけるように閉め、厚手のブラインドを下ろした。

「夜間は全館消灯します。部屋の明かりも最小限にしてください。廊下に出るのも、夜明けまではお控えを」

そう言い残し、老婆は立ち去った。カチャリと、廊下から鍵をかけられるような嫌な音が聞こえた。

部屋には小さな行灯あんどんのような照明がひとつ灯っているだけだった。

時刻は午後七時。外は完全な闇の中だ。

佑幹は畳の上に座り込み、深呼吸をした。

冷や汗が額を伝う。昔からのトラウマだ。「夜、屋外に出られない」という感覚が、この村の異常な空気と共鳴して、胸を締め付ける。

(落ち着け。これはただの村のルールだ。ただの暗闇だ……)

「大丈夫か、佑幹? 顔色が悪いぞ」

シノが心配そうにペットボトルの水を差し出す。

「……ああ、平気だ。いつものことだ」

その時だった。

ポツン。

ポツン。

窓の外――厚い雨戸のすぐ向こう側から、足音が聞こえ始めた。

濡れた土を不自然なリズムで踏みしめる音だ。

ペタ……ペタ……ペタ……。

「……おい、誰か外にいるのか?」

シノが息をのむ。

「静かにしろ」

佑幹はシノを制した。

足音は部屋の窓の真下で止まった。

静寂が部屋を支配する。エアコンの稼働音すら聞こえないほどの、完璧な密室。

そして――。

トントン。

雨戸を叩く音がした。軽い、指先でつつくような音。

トントン。トントン。

「……ユウキ……」

佑幹は息を呑んだ。

雨戸の向こうから聞こえたのは、かすれた、しかし聞き覚えのある声。

それは、佑幹のファーストネームを呼んでいた。

「……ヤガイ……ユウキ……開けて……寒いんだ……」

「な……なんでお前の下の名前まで知ってるんだよ!?」

シノが恐怖で声を荒らげる。取材時に村で名乗ったのは苗字の「谷貝」だけだったはずだった。

「外にいるのは誰だ!?」佑幹は声を振り絞って叫んだ。

すると、外の声はピタリと止まり、代わりにクスクスと不気味な嘲笑が聞こえた。

「……ふふ……『ヤガイ』が……『ヤガイ』に会いにきた……」

次の瞬間、ドカン!!と、家全体が揺れるほどの激しい衝撃が雨戸に加わった。

まるで巨木で突かれたかのような破壊音。

「うわあああ!」シノが尻餅をつく。

佑幹は恐怖で体がすくみながらも、懐中電灯を握り締め、窓辺へと一歩踏み出した。

ミステリーライターとしての理性が「見極めろ」と叫んでいた。これは人間によるトリックなのか? それとも――。

佑幹がブラインドの隙間に手をかけ、ほんの数ミリ持ち上げたその時。

隙間から覗いたのは、暗闇ではなく、雨戸の木目を通り抜けてこちらを覗き込んでいる「巨大な人間の目玉」だった。

血走り、瞳孔が異常に開いたその目が、ギロリと佑幹の視線と重なる。

「――見ーつけた――」

佑幹の悲鳴が、禍根村の深い闇の中に吸い込まれていった。


第二章:境界線の消失

1

目が覚めたとき、部屋は白々とした朝の光に包まれていた。

佑幹は畳に這いつくばった姿勢のまま、激しい頭痛とともに上体を起こした。隣では、シノが大きな鼾をかいて眠っている。昨夜のあの凄まじい衝撃の後、恐怖が限界を超えたのか、二人はいつの間にか意識を失うように眠りに落ちていたらしい。

佑幹は震える手で、昨夜見た「ブラインドの隙間」に手をかけた。

恐る恐るそれを持ち上げる。

「……っ」

思わず息を呑んだ。

厚い木製の雨戸には、鋭い鉤爪で引き裂かれたような深い傷跡が何本も刻まれていた。それも、ただの獣の仕業とは思えない。傷跡は不自然なほど左右対称で、まるで巨大な彫刻刀で執拗に削り取られたかのようだった。

「おい……シノ。起きろ、シノ!」

佑幹が肩を揺さぶると、シノは飛び起き、周囲を狂ったように見回した。

「目だ! 巨大な目が――! あ、あれ? 朝か……?」

「雨戸を見てみろ。夢じゃなかったんだ」

シノは傷跡を見るなり絶句し、顔を青くした。「……これ、熊とかそんなレベルじゃないぞ。昨夜のあの音、やっぱり何かがこの部屋に入ろうとしてたんだ」

「だが、入ってこなかった」

佑幹は冷静さを取り戻そうと努めながら、自分の震える指先を凝視した。「なぜだ? 雨戸を壊す力があるなら、侵入するのは容易かったはずだ。……それに、あの『目』は何だ? あの位置に目があるなら、身長は三メートルを超えていなきゃおかしい」

二人が混乱に沈んでいると、廊下からバタバタという騒がしい足音が聞こえてきた。

昨夜の老婆ではない。もっと若く、切迫した男の声だ。

「村長! また出ました! 今度は、三丁目のサトルさんです!」

佑幹とシノは顔を見合わせ、弾かれたように部屋を飛び出した。

2

村の中央にある広場には、十数人の村人たちが集まっていた。

皆、一様に怯えた表情で、ある一点を遠巻きに見つめている。

そこには、一人の若い男が立っていた。

作業着を着た、二十代半ばの男。彼が「サトル」なのだろう。彼は広場の真ん中で、朝日を浴びながら、ただ真っ直ぐに空を見上げていた。

「サトルさん……?」シノが声をかけようとしたが、村長の鬼塚がそれを制した。

「近寄るな。……もう、手遅れだ」

佑幹は鬼塚の制止を無視して、サトルの正面に回り込んだ。

そして、戦慄した。

サトルの顔には、傷ひとつなかった。どこも怪我をしていないし、苦しんでいる様子もない。

だが、その「瞳」が異常だった。

焦点がどこにも合っていない。いや、正確には「見ている」のではなく、ただ「開いている」だけのように見える。そして、瞬きを一切しない。

「サトルさん、聞こえますか? 昨夜、何があったんです?」

佑幹が問いかけても、サトルは反応しない。

しばらくして、サトルはゆっくりと視線を佑幹に向けた。

その動きは、まるで油の切れた機械のようだった。

「……ユキ……」

サトルが呟いた。

佑幹は硬直した。昨日、雨戸の向こうで聞こえた「声」と同じ、粘りつくような響き。

「……ハ、ハイ。……オハヨウ……ゴザイマス……」

サトルの口から出たのは、あまりにも丁寧で、そして感情の欠落した挨拶だった。

彼は佑幹の顔をじっと見つめると、突然、口角を吊り上げた。頬の筋肉が無理やり引っ張り上げられたような、歪な笑い。

「今日の……『ヤガイ』は……とても……気持ちがいい……」

サトルはそう言うと、ふらふらとした足取りで、自分の家の方へと歩き出した。

村人たちは、まるで穢れたものを見るような目で道を開け、彼が去るのを黙って見送っていた。

「見たか……あれが『置き換わった』者の姿だ」

鬼塚が、忌々しげに地面に唾を吐いた。

3

村の診療所に移動した佑幹は、昨夜自分に電話をかけてきた男が、今のサトルの兄であることを突き止めた。

男の名前は、古手川こてがわ。彼は診療所の隅で震えていた。

「言っただろう……夜、外に出ちゃいけないんだ。サトルは……昨夜、どうしても仕事の道具を車に忘れたと言って、ほんの数分だけ外に出た。私が止めるのも聞かずに……!」

「古手川さん、落ち着いてください」佑幹は彼に詰め寄った。

「サトルさんは、身体的にはどこも異常がないように見えます。中身が置き換わったというのは、具体的にどういう変化なんですか?」

古手川は虚ろな目で佑幹を見た。

「……全部ですよ。喋り方、歩き方、好み、記憶。サトルは納豆が大嫌いだった。なのに、今朝帰ってきたアイツは、冷蔵庫の納豆をパックごと、無表情に飲み込んでいた。……それに、アイツの体からは、ときどき変な音がするんだ。パキパキ、メキメキって……骨が組み変わるような音が」

シノが横で嘔吐くような声を漏らした。

「ヤガイ様……」古手川は祈るように手を合わせた。

「この村には、昔から野外ヤガイを司る神がいる。夜の闇はあの神の領土だ。入り込んだ人間は、神の食事にされる。……そして、食べ残された殻の中に、神の使いが入り込むんだ。そうやって、村の人間は一人、また一人と『あちら側』へ連れていかれる」

佑幹はノートにペンを走らせながら、冷徹に思考を巡らせた。

(集団催眠……あるいは薬物による精神変調か? だが、あの雨戸の傷跡はどう説明する。物理的な暴力と、精神的な崩壊が同時に起きている)

「シノ、村の古文書や郷土資料が残っている場所へ行くぞ。この『ヤガイ様』の正体を叩き割る」

「おいおい佑幹、まだ調べるのか? あんなのを見て……」

「見えたからこそだ」

佑幹は自分の左手首を強く握った。

そこには、自分でも忘れていた古い傷跡がある。

サトルのあの虚ろな瞳を見たとき、佑幹の脳裏に、断片的な映像がフラッシュバックした。

――夜の田んぼ道。

――自分を呼ぶ、誰かの声。

――見上げた空に、星はなかった。代わりに、巨大な「何か」が空を覆い尽くしていた。

(俺は……七歳のとき、この村に来ていたんじゃないか?)

その疑問が確信に変わったのは、村の古い寺の蔵で、一枚の埃を被った古い写真を見つけたときだった。

昭和初期に撮られたと思われる、村の祭りの写真。

そこには、奇妙な面を被った男たちに囲まれ、神輿に載せられた一人の子供が写っていた。

その子供の隣で、無表情にカメラを見つめている若かりし日の老婆。宿の女主人だ。

そして、神輿の傍らに掲げられたのぼりには、鮮明にこう記されていた。

『夜害神奉納――供物:矢貝家次男』

「……俺だ」

佑幹の指が、写真を握りしめた。

谷貝ヤガイ」という苗字。それはこの村において、単なる名前ではなかった。

それは「夜のヤガイ」に捧げられる、生贄の家系であることを示していた。

4

「どういうことだよ、佑幹! お前の家がこの村と関係があるってのか?」

蔵の外で、シノが声を荒らげる。

「俺の父は、俺が幼い頃に死んだ。母は、父の過去について一切語らなかった。……だが、これで繋がった。俺の夜間恐怖症も、記憶喪失も、この村の怪異も」

佑幹は蔵の奥から、さらにもう一つの資料を引っ張り出した。

それは、二十年前の古い新聞記事の切り抜きだった。

『禍根村で一家心中か。生き残った長男は行方不明』

記事によると、当時この村で、ある一家が惨殺されたという。犯人は不明。

だが、その家族の苗字は「古手川」――今朝、サトルが置き換わったと言っていた男の家系だ。

ミステリーのピースが、血に塗れた状態で揃い始めていた。

「シノ、これは単なる怪談じゃない。二十年前の殺人事件と、現在の『置き換わり』は繋がっている。誰かが、この村の伝承を利用して、人間を排除しているんだ」

「誰がだよ?」

「それを確かめるには……」佑幹は、刻一刻と沈みゆく太陽を見上げた。

「今夜、もう一度『外』に出る必要がある」

「正気か!? 死ぬ気かよ!」

「外に出なきゃ、誰が犯人か分からない。……それに、昨夜のあの『目』が、俺を呼んでいた。谷貝佑幹として、落とし前をつけなきゃならないんだ」

夕闇が、再び禍根村を浸食し始める。

村中に、あの不協和音のチャイムが鳴り響いた。

だが、今夜の佑幹は、宿の部屋に閉じこもるつもりはなかった。

彼はポケットにナイフとボイスレコーダーを忍ばせ、村の最も深い闇――「ヤガイ様」を祀っているとされる古いやしろへと向かう決意を固めた。

夜の帳が下りる。

境界線が消え、人間と化け物の区別がつかなくなる、狂気の夜が始まった。

第三章:野外神の儀式

1

日没のチャイムが鳴り終わり、村は完全な闇と静寂に包まれた。

佑幹とシノは宿を抜け出し、村の奥深くにある鬱蒼とした森の中を進んでいた。懐中電灯の細い光だけが、足元の湿った土と、不気味に曲がりくねった木の根を照らし出す。

「本当に大丈夫なんだろうな、佑幹……」

後ろを歩くシノの聲は完全に引きつっていた。首から下げた一眼レフカメラを、まるで護身用の武器であるかのように強く握りしめている。

「大丈夫なわけがない」

佑幹は歩みを止めずに答えた。「だが、あの雨戸の傷跡、サトルの変貌、そして二十年前の事件……すべてはこの森の先にある『ヤガイ様』の社に繋がっている。俺の過去もな」

「だけどよ、もし本当にあの『目玉』が出たらどうするんだ? あれは人間じゃないぞ!」

「人間じゃないからこそ、種仕掛けがあるはずだ」

佑幹は冷静を装っていたが、手心には冷や汗がびっしょりと滲んでいた。夜の『野外』にいるというだけで、幼少期のトラウマが脳を焼き切らんばかりに自己防衛本能を突いてくる。心臓が早鐘のように打ち鳴らされていた。

(俺は恐怖に呑まれるわけにはいかない。真実を暴くんだ)

やがて、樹木の切れ目に古びた石段が現れた。

苔生した石段の頂上には、腐ちかけた鳥居と、黒ずんだ木造の小さなやしろがひっそりと佇んでいる。

「ここが……ヤガイ様の社か」

社からは、鼻をつくような嫌な臭いが漂っていた。鉄の錆びたような、そして肉が腐敗したような、甘く重い臭いだ。

2

佑幹が懐中電灯の光を社の中へ向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

神体として祀られているのは、木彫りの歪な像ではなかった。

それは、幾重にも重なった「人間の顔の仮面」と、巨大な鏡、そして古い医療器具や薬品の瓶だった。

「な……なんだこれ……」シノが絶句する。

佑幹は境内に足を踏み入れ、落ちていたノートを拾い上げた。表紙には『禍根村・夜害神奉納記録』と記されている。

「これは伝承じゃない……実録だ」

佑幹はページをめくりながら低く呟いた。

「この村には昔から、近親交配や隔離によって生じた遺伝性の奇病や精神障害の人間を『ヤガイ様』として山に捨て、隠蔽してきた歴史がある。そして、その事実を覆い隠すために『夜、外に出ると化け物に中身を奪われる』という恐怖政治のルールを作り上げたんだ」

「じゃあ……あの『置き換わった』サトルさんは?」

「サトルさんは化け物になったんじゃない。……毒物か化学物質で、意図的に脳機能を破壊されたんだ」

佑幹は足元に落ちていたアンプル瓶を懐中電灯で照らした。

「この村の指導者層――おそらく村長の鬼塚たちは、村のルールを破った者や、過去の犯罪の秘密に近づいた者に、この薬品を注射していた。そうやって意識障害を起こさせ、あたかも『中身が怪物に置き換わった』ように見せかけていたんだよ。村人を恐怖で支配し続けるために」

「そんな……じゃあ昨夜のあの巨大な目玉や、雨戸を打ち破るような力は!?」

「それは――」

佑幹が言葉を切り切らないうちに、背後の闇から、乾いた拍手の音が響いた。

3

「見事な推理だな、谷貝佑幹くん」

暗闇から姿を現したのは、村長の鬼塚だった。

その手には重厚な猟銃が握られており、彼の後ろには、無表情な目をした数人の村人たちが木棒やなたを持って控えていた。その中には、今朝「置き換わった」サトルの姿もあった。

「やはり、矢貝の血を引く男だ。余計な知恵が働く」鬼塚は冷酷に微笑んだ。

「鬼塚……やっぱりあんたが黒幕か。二十年前、俺の家族を村から追い出し、古手川家を崩壊させたのも……全部あんたたちの利益のためだったんだな!」

「利益? 違うな、これは『維持』だ」

鬼塚は銃口を佑幹に向けた。

「この村は狭すぎる。秘密を守り、平穏を保つためには、時に恐怖という強力な鎖が必要なのだよ。『夜害神』の恐怖があるからこそ、村人は外の世界へ逃げ出さず、結束し、秩序を守ってきた。お前の父親はその秩序を壊そうとした……だから消されたのだ」

「ふざけるな! 薬品で人の心を壊して、何が秩序だ!」

シノが叫ぶが、村人たちに即座に押さえつけられた。

「安心しなさい。お前たちも今夜、新しい『ヤガイ様の使い』になってもらう。脳を麻痺させ、意識を奪い、一生この村で無害な人形として生きてもらうのだ」

鬼塚が合図を送ると、指示を受けたサトルが、手に持った大きな注射器を掲げながら、機械的な足取りで佑幹へ近づいてきた。

「くそっ……!」

佑幹は後退りしたが、背後は社の崖だ。絶体絶命のピンチ。

その時だった。

4

ゴオン――……!!

突然、山の奥深くから、地面を揺らすような地鳴りとともに、巨大な咆哮が轟いた。

それは人間の声でも、野生動物の声でもなかった。まるで数千人の人間の悲鳴を重ね合わせたような、狂気と憎悪に満ちた重低音。

「な、なんだ……!?」

鬼塚の手から猟銃が狂いそうになる。

同時に、森の闇が一層深くなり、懐中電灯の光が急速に弱まり始めた。

空を見上げると、夜空の星々が一つ、また一つと「黒いナニカ」に呑み込まれて消えていく。

「……ヒッ……!」

村人の一人が悲鳴を上げた。

社を取り巻く闇の中から、ぬうっと現れたのは――高さ数メートルにも達する、漆黒の「巨大な影」だった。

その影には決まった形がない。無数の人間の腕や足が蠢き、その中央には、昨夜雨戸の隙間から佑幹を覗き込んだあの血走った巨大な目玉が、蠢きながら爛爛と輝いていた。

「馬鹿な……『ヤガイ様』は……私たちが作った架空の神のはず……!」

鬼塚が腰を抜かし、猟銃を落とした。

佑幹は慄然としながら悟った。

村人たちが長年、恐怖によって作り出し、祈りと生贄を捧げ続けてきた信仰の念。そして集団ヒステリー。

狂気という偽物が、本物の「怪異」を生み出してしまったのだ。

「……ユウキ……」

巨大な怪物が、山全体を揺らすような声で佑幹の名を呼んだ。

それは村人が捏造した『ヤガイ様』ではなく、この土地の闇そのものが自我を持った怪物だった。

「逃げるぞ、シノ!!」

佑幹はシノの腕を強く引っ張り、狂喜と恐怖が渦巻く闇の参道へ向かって走り出した。

第四章:化け物の正体

1

狂乱の闇が山を覆い尽くしていた。

「ひぃあああああっ!」

背後から、鬼塚村長や村人たちの絶叫が上がる。だが、佑幹とシノは一度も振り返らず、樹木の間を無我夢中で駆け抜けた。

地面を揺らす巨大な踏み鳴らし音と、数千の悲鳴が合わさったような咆哮がすぐ後ろまで迫っている。冷たい夜気が肌を刺し、枝葉が顔や腕を切り裂いたが、痛みを感じている余裕などなかった。

「佑幹! どこへ逃げるんだ!? 村の出口か!?」

走るシノが息を切らしながら叫ぶ。

「だめだ! 村の出口には鳥居と立て看板があった……あの場所こそ、この怪異の境界線だ。今出口に向かえば、追い詰められて終わる!」

佑幹は荒い息を吐きながら、必死に思考を巡らせた。

「じゃあどうするんだよ!?」

「二十年前の『古手川家』の跡地だ! 鬼塚たちが事件を隠蔽した最初の現場……そこに、この怪異を抑え込む手懸かりがあるはずだ!」

二人は村の集落へとなだれ込んだ。

家々の雨戸は固く閉ざされ、住人たちは息を潜めている。だが、外で起きている異常事態――地鳴りのような響きと異様な臭気には気づいているはずだった。誰も助けには出てこない。

佑幹たちは村の最奥にある、半ば崩落しかけた古い屋敷の跡地へと飛び込んだ。

2

雑草が生い茂り、腐ちた柱だけが残る古手川家の跡地。

佑幹はスマホのライトを照らし、崩れた床下の土間へと滑り込んだ。

「ここだ……ここで二十年前、何が起きた?」

シノも滑り込み、呼吸を整えながら周囲を見回す。

「佑幹、上を見ろ……!」

土間の壁や天井には、お札や奇妙な陣のようなものがびっしりと貼り付けられていた。そして中央の古い井戸の破片の上に、ひとつの木箱が置かれている。

佑幹が箱を開けると、中には黄色く変色した日記帳と、古びた手鏡が入っていた。

『日記――古手川 統』

それは二十年前に殺害された、古手川家の当主の日記だった。

佑幹は震える指でページをめくった。

そこには、村長たちが「夜害神」を利用して村人を人体実験の材料にし、資産を奪っていた悪行の全てと、それを告発しようとした古手川家が殺害されるに至る経緯が克明に記されていた。

そして、最後のページにこう書かれていた。

『偽りの神を作り出し、人を害せば、いつか本物の闇が呼び寄せられる。

夜害神とは、外にいる怪物ではない。村人の恐怖、憎悪、そして罪悪感が形を成したものだ。

もし我が家が滅び、この怪物に村が呑み込まれる時が来たら……鏡を見せよ。

人は己の罪から目を背けるゆえに化け物を恐れる。己の姿を直視させねば、この夜は明けない』

「鏡……」

佑幹は箱の中にあった手鏡を持ち上げた。

それは単なる鏡ではない。裏面に「矢貝」の家紋が彫り込まれた、佑幹の家系に伝わる特別な神鏡だった。

二十年前、佑幹の父親はこの鏡を使って、怪異を鎮めようとしていたのだ。

3

バリバリバリガシャア!!

屋敷の屋根が吹き飛び、漆黒の巨大な影が土間を上から見下ろした。

「――ユウキ――」

怪物の巨大な血走った目が、土間の狭い空間を覗き込む。

その目の中に映っていたのは、恐怖に怯える佑幹の姿だけではない。鬼塚の憎悪、村人たちの盲目的な恐怖、そして幼い頃に逃げ出した佑幹自身の「罪悪感」だった。

(そうだ……俺は七歳のあの夜、恐怖に負けて一人で逃げ出した。だから記憶を封印したんだ)

佑幹の全身から震えが消えた。

夜間恐怖症という長年のトラウマの正体は、外の闇ではない。自分自身の「弱さ」と「逃げ」だったのだ。

「シノ、フラッシュをたけ。最大の光量で」

「えっ……!?」

「この化け物の正体は、俺たちの内側にある恐怖と罪だ。光を当てる!」

佑幹は土間の破片を蹴って立ち上がり、巨大な目玉に向かって一直線に踏み出した。

手に神鏡を掲げ、鏡面を怪物の目玉へと向ける。

「シノ! 今だ!!」

「うおおおおっ!!」

シノがカメラを構え、強力なストロボフラッシュを何度も焚いた。

暗闇の土間に、眩いばかりの白い閃光が爆発的に広がる。

4

「ギシャアアアアアアアアアア!!」

光を受けた怪物が、耳をつんざくような悲鳴を上げた。

佑幹が掲げた鏡には、フラッシュの光とともに、怪物の表面に浮かび上がる「村人たちの歪んだ顔」が鮮明に映し出されていた。

「お前は神でも化け物でもない! 俺たちが作り出したただの幻影だ!」

佑幹は鏡を怪物の中心――あの巨大な目玉へと叩きつけた。

パリンと音を立てて鏡が割れると同時に、怪物の漆黒の身体に亀裂が走り、中から眩しい光が溢れ出した。

無数の人間の腕や足が空中へと分解されていく。

嵐のような突風が吹き荒れ、崩れた屋敷の廃材が舞い上がった。

「佑幹ーっ!!」

シノの叫び声を最後に、世界は圧倒的な光と音の中に飲み込まれていった。

第五章:夜の明ける場所

1

光と風の嵐が去ったあと、静寂が訪れた。

佑幹がゆっくりと瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは漆黒の闇ではなく、東の空から差し込む淡い紺青こんじょうのグラデーションだった。

雲が割れ、やわらかな朝焼けの光が、荒れ果てた古手川家の跡地を静かに照らし出していく。

「……佑幹……生きてるか……?」

土に塗れたシノが、咳き込みながら体を起こした。

「ああ……なんとかね」

佑幹は立ち上がり、周囲を見回した。

昨夜まで山を覆っていたあの重苦しい気配や、湿った異臭は影も形もない。落ちていた神鏡の破片は朝光を反射してキラキラと輝き、ただの古いガラスの片に変わっていた。

あの怪異――村人たちの恐怖と罪悪感が形作った「ヤガイ様」は、朝日の訪れとともに完全に消えたのだ。

2

二人が村の中央へ戻ると、そこには立ち尽くす村人たちの姿があった。

雨戸が開け放たれ、朝の光を浴びた村人たちは、まるで長い悪夢から目覚めたかのように放心状態だった。

鬼塚村長をはじめ、暗躍していた者たちは逃げ出す気力すら失い、警察の到着をただ黙って待っていた。

薬品によって意識を混濁させられていたサトルも、診療所に駆けつけた医療陣の適切な処置により、少しずつ意識を取り戻しつつあるという。

「……終わったんだな」

シノがカメラを首から下げ直し、深く息を吐いた。

「村の狂気も、都市伝説も……全部な」

佑幹は朝日を浴びる自分の手を見つめた。

幼い頃からずっと胸の奥を締め付けていた「夜の野外に対する恐怖」は、不思議なほど消え去っていた。

自分の中にあった恐怖の正体を突き止め、真っ直ぐに向き合ったことで、長年の呪縛が解けたのだ。

3

数日後。東京・神田の事務所。

雑然とした室内で、佑幹はパソコンのキーボードを叩いていた。画面に並ぶのは、今回の禍根村で起きた事件の真実を告発する原稿だ。

『夜害神の正体――狂気と隠蔽が生んだ都市伝説』

怪異の存在を安易に煽るのではなく、人間の弱さと狂気が引き起こした悲劇としての記録。それがルポライター・谷貝佑幹の出した「答え」だった。

デスクの上の缶コーヒーを取り、一口すする。

カチャンと音を立ててドアが開き、シノが差し入れのサンドイッチを持って入ってきた。

「よお、進んでるか? 次の取材の持ち込みが来てるぞ。今度は『開けずの井戸』がある廃村だってさ」

「またそんな怪しい話を……」

佑幹は苦笑しながら原稿を保存し、立ち上がった。窓の外を見ると、すっかり日が落ちて、神田の街に夜の明かりが点灯し始めていた。

かつてあれほど恐れていた「夜の外の世界」が、今はただの静かな景色として広がっている。

「行こうか、シノ」

「お、夜の取材か? お前、本当に夜が平気になったんだな」

「ああ」

佑幹は上着を羽織り、事務所の鍵をかけた。

「夜を恐れる必要はない。……真実から目を背けさえしなければな」

二人は夜の街へと踏み出していった。街灯の光が、どこまでも伸びる二人の影を温かく照らしていた。

(完)


エピローグ:夜明けの街へ

禍根村を去ってから、一週間が経った。

神田の街は、何事もなかったかのように、今日も慌ただしく動いている。 佑幹は事務所で、完成した原稿を見つめていた。

夜害ヤガイの真実――恐怖が作り出した怪物』

あの村で起きた出来事――人間が作り出した偽物の神と、その狂気が呼び寄せた本物の怪異。そして、自分自身のルポルタージュ。 全てを書き終えた原稿は、意外なほど冷徹で、客観的な事実の羅列となっていた。

だが、佑幹は知っている。怪異は、確かにそこに存在したのだ。 それは、人間の心の中にある、最も暗く、最も脆弱な部分に巣食う、本物の怪物だった。

「佑幹ー、終わったか? 腹減っただろ、ラーメンでも行こうぜ」

シノがドアを開けて、顔を出した。首からは、あの夜、フラッシュを炊き続けたカメラが下がっている。

「ああ、今終わったところだ」

佑幹はパソコンをシャットダウンし、上着を羽織った。 デスクの上に置かれた、父親の形見の神鏡の破片。今はただのガラス片だが、あの夜、確かに怪異を打ち破った、光の欠片だ。佑幹はそれを、そっと引き出しの奥にしまった。

事務所を出ると、街はすっかり夜の闇に包まれていた。 街灯が点灯し、ネオンサインがカラフルに街を彩っている。

佑幹は立ち止まり、深く息を吸い込んだ。 冷たい夜気が、肺を心地よく満たす。

かつてあれほど恐れていた「夜の外の世界」が、今はただの、静かで、美しい景色として広がっていた。

(俺はもう、夜を恐れない)

彼は、自分の中の恐怖の正体を突き止めた。 人は、己の罪や弱さから目を背けるゆえに、化け物を恐れる。 真実を直視する勇気さえあれば、どんな闇も、光へと変えることができるのだ。

「おい佑幹、何ボサッとしてんだよ。早く行こうぜ!」

シノが先を歩きながら、佑幹を振り返る。

「ああ、今行く」

佑幹は朝日を浴びながら、夜の街へと踏み出した。 彼の影が、街灯の光に照らされて、どこまでも伸びていく。 それはもう、彼を追いかける怪物ではなく、ただの静かな、自分の影だった。

夜は、明けたのだ。 佑幹の新しい人生の、始まりを告げるように。







いかがでしたか。

この『タイトル未定・夜害の真実』を今後とも宜しくお願いします。

本作品に登場する団体や人名は実在しません。

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― 新着の感想 ―
読み終わりました。想像していたよりもずっと面白かったです。次作、期待しています。
期待の新星です。将来大物小説家になること間違いなし。古参アピールするなら今です
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