影薄き皇女と、眩しすぎる幼馴染
エレオノーラ・フォン・アルカディア。それが私の名前だ。
格式あるアルカディア帝国の正統なる第一皇女であり、公式行事には欠かさず出席し、王族としての義務も完璧に、それこそ過不足なく果たしている。
……のだが、私には生まれついての致命的な特徴があった。
とにかく、影が薄いのだ。
どれくらい薄いかというと、朝の挨拶で皇帝である父の前に立っても「おや、いつからそこにいたのだ?」と素で驚かれるのは日常茶飯事。ドレスを着飾って玉座の横に直立していても、通りすがりの貴族たちからは「本日、エレオノーラ殿下はご欠席ですかね」「いや、あそこに一応いらっしゃるぞ」などと囁かれる。
認知はされているし、嫌われているわけでもない。ただ、みんな私の存在を、空気や水と同じように「そこにあって当然の背景」として綺麗に脳内から除外してしまうのだ。
私の容姿が、それに拍車をかけているのかもしれない。
帝国王族の象徴である燃えるような金髪でもなく、夜空のような黒髪でもない。私の髪は、光の加減によっては灰色にも、あるいは淡い紅茶色にも見える、ひどく曖昧な亜麻色だ。瞳の色も、主張の少ない穏やかなヘーゼル。
顔立ち自体は決して醜くはない――というか、鏡を見る限りは王族らしく繊細に整っているはずなのだが、色彩が全体的に淡く、優しすぎるせいで、余計に周囲の風景に溶け込んでしまうのだ。
昨日行われた国を挙げても大夜会でもそうだった。
私は一応、主賓に近い立場でひな壇に座っていた。そのとき、若くして帝国の軍権の一翼を担うザクセン大公家の現当主であり、私の幼馴染でもあるルシアン・アルヴァ・ザクセンが、私の前で恭しく一礼した。
『エレオノーラ皇女殿下。今宵も月のように慎ましく、美しいお姿でいらっしゃる。……ただ、あまりに控えめすぎて、危うくタペストリーの模様と見紛うところでした。お姿を拝見できて光栄に存じます』
白磁のように滑らかな肌に、白銀の髪。アメジストの瞳を細めて、完璧な貴族の笑みを浮かべながら、彼は私にだけ聞こえる声でそう言ったのだ。慇懃無礼極まりない。
公の場だから、彼は完璧な敬語を使う。私も皇女として『お褒めにあずかり光栄です、ザクセン大公』と、淑女の微笑みで返すしかなかった。周りの貴族たちは「大公閣下は影の薄い皇女殿下にもなんと気配りができる素晴らしいお方だ」と感心していたけれど、あれは100%私をからかっている。嫌味以外の何物でもない。
「まぁ、おかげでお忍びの時は動きやすいのだけれどね」
私は自室の姿見の前で、ひとりごちてフッと息を漏らした。
身につけているのは、高級な絹織物ではなく、下町の平民が着るような、くすんだ茶色のフード付きマント。このマントを深く被り、自慢の(?)目立たない亜麻色の髪を隠してしまえば、私のステルス能力は完璧だ。
今日は月に一度の、私の特別なお忍び街歩きの日だった。
最低限の護衛――といっても、私と同じように気配を消すのが異常に得意な老騎士ハンス一人だけを数歩後ろに従え、私は今日も「空気」の特権をフルに活かして、城の裏口からするりと抜け出した。
城壁を抜けば、そこは活気あふれる帝都の下町だ。
焼き立てのパンの香ばしい匂いが充満し、物売りの威勢のいい声が飛び交う。誰も私を「皇女殿下」として特別視しない。ただの一人の少女として、この喧騒の一部になれる。この時間だけが、私の心を本当の意味で満たしてくれていた。
はずだった。その、極上の平穏が破られるまでは。
「――相変わらず、緊張感という概念を母親の腹の中に忘れてきたような顔だな、エレオノーラ」
背後から降ってきたのは、冷ややかなガラスを叩くような、けれど昨日の夜会で聞いたものとは似ても似つかない、低くて、乱暴で、酷く聞き覚えのある声だった。
ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をする。
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、下町の薄汚れた路地裏にはおよそ似つかわしくない男――ルシアンだった。
一般の裕福な貴族風の、装飾の少ない黒い上着を着ているが、ただそこに立っているだけで周囲の空間が華やいで見える。神様というのは本当に不公平だ。私に世界の影を全て押し付けて、この男にこの世の光を全て与えたに違いない。
「ル、ルシアン……!? なんで、なんであなたがここにいるのよ。昨日の夜会であんなにすましてた癖に!」
思わず声を荒らげる私を、ルシアンは呆れたように見下ろし、前髪を乱暴にかき上げた。公の場でのあの完璧な微笑みはどこへやら、今の彼は完全に「不気機な幼馴染」の顔だ。
「昨日の話をするな。あんな窮屈な場所、俺だって一秒でも早く帰りたい。それよりお前だ。お前が城の裏口から、これ見よがしにコソコソと出ていくのが見えたから追ってきたんだよ。尾行など、初等教育を終えたばかりの我が家の新兵でもできる」
「コソコソなんてしてないわよ! それに、私は影が薄いし、髪も瞳もこんなに地味だから誰にも気づかれないわ」
「大丈夫なわけがあるか、この大馬鹿者が」
ルシアンが一歩、私との距離を詰めた。
フワリと、彼の体から上質な白檀の香りが漂ってくる。あまりの顔の良さと、至近距離から見下ろされる圧迫感に、私は思わず言葉を詰まらせた。
公的な場所でのルシアンの嫌味は「丁寧すぎて逆に刺さる」タイプだが、お忍びの、二人きりに近い状態のルシアンは「直球でボロクソに言ってくる」タイプになる。
しかも、怒って眉間にシワを寄せたその顔すら、一流の画家が一生をかけて描くキャンバスのように美しいのだ。本当にずるい。至近距離でこの国宝級のイケメンに凄されると、脳の思考回路が強制終了させられ、まともな反論ができなくなってしまう。
「一応は皇女の身でありながら、連れている護衛はあの今にも背骨が折れそうな老騎士一人のみ。もし暴漢に襲われたらどうする。お前のその、鳥の足のように貧弱な腕で、賊の首でも絞め落とすつもりか?」
「な、なによそれ……ハンスはこう見えても元宮廷騎士団の凄腕なんだから! それに、私の腕は鳥の足じゃないわよ!」
「機能していない護衛など案山子以下だ。言い返す言葉もないようだな。とにかく、お前の危機管理能力は皆無だ。今すぐ城へ連れ戻してやる」
ルシアンは私の腕を掴もうと、大きな手を伸ばしてきた。
「嫌よ!」
私は反射的に、ルシアンの上着の袖を両手でギュッと掴んでいた。
お忍びの街歩きは、私にとって月に一度の命綱なのだ。それを、いつも完璧で、いつも中心にいるルシアンに奪われたくなかった。
ルシアンは一瞬、目を見開いて私の手元を見つめた。
プラチナの髪の隙間から覗く彼の耳の先端が、ほんのりとした赤色に染まっていく。私は慌てて手を離そうとしたが、ルシアンはその前に、ふいっと露骨に視線を斜め上へと逸らした。話し方が乱暴な癖に、こういう時の反応が妙に生真面目でずるい。
「……どうしても、帰らないって言うんだな?」
「帰らないわ。私は空気だもの。誰も私を誘拐しようなんて思わないし、気づきもしないわよ」
ルシアンは天を仰ぎ、この世の終わりかというほど深く、重いため息をついた。
そして、ニヤリと底意地の悪い――けれど、心臓が止まるほど魅力的な、悪魔のような笑みを浮かべた。
「いいだろう。ならば、取引だ、エレオノーラ」
「取引……?」
「今後、お前がお忍びで城の外に出かけるときは、必ず俺を連れて行け。事前に俺に連絡を入れ、俺の護衛の元でのみ、外出を許可する」
「はぁ!? なんであなたなんかと……!」
「――それが嫌だと言うなら」
ルシアンは私の耳元に顔を近づけ、低い、命令するような声で囁いた。昨日の夜会の、あの恭しい声とは正反対の、独占欲の滲む声。
「今すぐこの市場のど真ん中で、大声を出し、お前の正体を文字通りこの帝都の全員に『認知』させてやる。『ここにいらっしゃるのは高貴なるエレオノーラ皇女殿下だ!』とな。どうなるか、想像がつだろう?」
「なっ……!!」
あまりの卑劣な脅迫に、私は絶句した。
もしここで正体がバレれば、私のお忍びライフは完全に、永遠に終了することを意味していた。
「黙って俺の同行を受け入れろ。そうすれば、今日はお前の好きに行動させてやる。……どうする? 選べ」
冷たいアメジストの瞳が、私をじっと見つめる。
公の場では完璧な大公の仮面を被り、私の前ではただの強引で口の悪い男になる幼馴染。
けれど、その顔があまりにも美しすぎて――私は言葉を失った。脳が完全にフリーズした私は、ただコクコクと、首を縦に振るしかなかった。
「……交渉成立だな。物分かりが良くて助かる」
ルシアンは満足そうに口元を歪めると、私を引き連れて歩き出した。
「……ねぇ、ルシアン。一つ言っていいかしら」
「なんだ」
下町のメインストリートを並んで歩きながら、私は隣を歩く大公閣下に、これでもかと恨みがましい視線を送っていた。
ルシアンの隠しきれない高貴なオーラと、歩く芸術品のような顔面のせいで、すれ違う人々がことごとく振り返るのだ。
「あなたと一緒にいると、私の『影の薄さ』が完全に相殺されるんだけど。というか、お釣りがくるくらい目立っているわよ」
「お前が薄すぎるんだよ。俺が隣にいて、ようやく帳尻が合って一般人並みの存在感だろうが」
「一般人はそんなに街中の女性から黄色い悲鳴を上げられないわよ!」
ふん、とルシアンは不機嫌そうにそっぽを向いた。
乱暴な態度。昔から彼はこれだ。幼少期、お城の庭園で一緒に遊んでいた頃から、彼は二人きりになると、私に対して優しく微笑んでくれたことなんて一度もない。いつも私のやることに文句をつけてきた。
『殿下、素晴らしい刺繍でございますね』と公の場で褒めておきながら、裏に回れば『歪んでる。これじゃ雑巾にもならねえよ』と吐き捨てるのだ。本当に性格が悪い。放っておいてくれればいいのに。
「……おい、足元を見ろ。この鈍間」
「えっ? わっ――」
ルシアンの鋭い指摘と同時に、私の右足が道の窪みに盛大にとられた。
あ、転ぶ。そう思った瞬間には、視界がぐるりと回り、体が強い力で前方に引き戻されていた。
気がつけば、私はルシアンの逞しい胸の中に、すっぽりと収まっていた。
固い胸板。そこから伝わってくる、ドクドクと速い心臓の鼓動。そして、全身を包み込むような、濃密な白檀の香り。
「……言わんこっちゃない。やはりお前の頭には、目という器官がついていないようだな」
頭上から、呆れたような、けれどどこか掠れた声が聞こえる。
私は慌てて身を起こそうとしたが、私の腰を支える彼の大きな腕は、驚くほど優しく、私を壊れ物のように抱きしめていた。
衝撃でフードが脱げ、私の亜麻色の髪がルシアンの腕の中に散らばる。
「あ、ありがとう……ルシアン」
身をよじって見上げると、至近距離に彼の顔があった。
綺麗な形の唇、長い睫毛の奥にあるアメジストの瞳が、じっと、私のヘーゼルの瞳を覗き込んでいる。
あまりの美しさと距離の近さに、私の心臓がドクンと大きく、痛いほど波打った。顔がカッと熱くなる。これは、急に体が動いたせい。そう思わなければ、胸が破裂してしまいそうだった。
ルシアンは、私が無事だと確認すると、弾かれたように私から手を離した。そして、わざとらしい咳払いを一つして、私から視線を逸らす。
「……怪我はないな」
「え、ええ。大丈夫よ」
「ならいい。まったく、手のかかる皇女だ。ほら、あそこの店に行きたかったのだろう。ぐずぐずするな、置いていくぞ」
ルシアンは長い足でスタスタと前を歩き出してしまう。私は赤くなった顔を隠すようにフードを深く被り直し、慌ててその背中を追った。
彼が指差したのは、私が今回の街歩きで一番楽しみにしていた、路地裏にある小さな古民家風のカフェだった。
「へぇ……本当に、美味しい……!」
カフェのテラス席の、一番隅の席。
運ばれてきた名物のベリータルトを一口大に切り分け、口に運んだ瞬間、私は至福の声を漏らした。
向かいに座るルシアンは、運ばれてきたダージリンティーにだけ口をつけ、タルトには一切手を伸ばそうとしない。
「ルシアンは食べないの? 本当に美味しいわよ」
「俺は甘いものは好まない。……お前がそんなに美味そうに、リスみたいに頬袋膨らませて食っているのを見るだけで、胸が焼けそうだ」
「もう、いちいち一言多いのよ。リスってなによ、リスって」
本当に、顔は世界一いいのに、性格が壊滅的に残念な男だ。公の場でのあの『さようでございますか、殿下』という、すべての令嬢を気絶させるような甘い声を少しでもお忍びの時に分けてほしいものだ。いや、あの敬語で嫌味を言われるのも腹が立つけれど。
「……エレオノーラ」
不意に、ルシアンが私の名前を呼んだ。
いつものトゲのある響きではない。低く、落ち着いていて、どこか影を含んだような声。
「なに?」
紅茶の入った磁器のカップを見つめたまま、ルシアンが静かに問いかけてくる。
「お前は、自分が『影が薄い』ことを、本当に便利で、気楽なものだと思っているのか?」
「……え?」
思わぬ質問に、フォークを持つ手が止まった。
「ええ、まぁ……そうよ。公式行事はいつだって緊張するし、貴族たちの愛想笑いや腹の探り合いにはヘドが出るわ。こうして誰にも気づかれずに、好きな場所へ行って、好きなものを食べられる。これ以上の特権はないわ」
「嘘をつけ」
ルシアンが顔を上げた。そのアメジストの瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「お前がどれだけ完璧に公務をこなしても、周囲は『あぁ、いらしたのですか』の一言で済ませる。お前がどれだけ王族としての努力を重ねて、書類に目を通しているか、誰も正当に評価しねえ。……お前が本当に、それで傷つかないはずがないだろ」
「それは――」
言葉が、喉の奥でつかえた。
お忍びの時の、飾らない、本音の彼の言葉だからこそ、私の心の防壁を簡単に突き破ってくる。
寂しくないと言えば、嘘になる。私はここにいるのに、誰も私を見てくれない。
「……そうよ。寂しいわよ。悪かったわね。ルシアンみたいに、ただ立っているだけで誰もがひれ伏して、公の場でも私に慇懃な敬語を使ってからかってくるようなあなたには、私の気持ちなんてわからないわよ。この薄い亜麻色の髪も、ヘーゼルの瞳も、全部風景の一部にしか見えないんでしょ」
ちょっとだけ、涙がこぼれそうだった。
そう思った、次の瞬間だった。
「わからないわけがないだろ!!」
ルシアンが、テーブルを叩かんばかりの勢いで身を乗り出した。
驚いて顔を上げると、ルシアンは見たこともないような、ひどく切なげで、真剣な表情で私を見ていた。
そして、私の右手を、テーブルを挟んで彼の大きな両手がそっと、けれど拒絶を許さない強さで包み込んだ。
「ル、ルシアン……?」
「周りがどれだけお前を見落とそうと、俺はお前を見誤ったことなど、生まれてから一度もねえんだよ! お前がどんな地味なマントを着て、どれほど気配を消していようと……俺の目には、お前が誰よりも……」
ルシアンはそこで言葉を詰まらせた。彼の端正な顔が、一気に耳の裏まで真っ赤に染まっていく。
「誰よりも……眩しく見える。その柔らかい亜麻色の髪も、陽の光を映す綺麗な瞳も、俺にとっては一瞬だって見落とせないほど特別なもんだ。お前が空気だと言うなら、俺は一生、その空気を吸して生きていくしかねえほどに、お前が必要なんだよ」
「え……? え?」
あまりの言葉の衝撃に、私の頭は完全にキャパシティを超えた。
今、この男は何と言ったのだろう。空気を吸って生きていく? 私が必要? しかも、私の髪や瞳をそんな風に見ていただなんて。
「……だから、その、なんだ」
ルシアンは片手で自分の顔を覆い、指の隙間から、真っ赤な顔で私を睨みつけるように言った。いつもの乱暴な口調を必死に取り戻そうとしながら。
「お前を危険に晒したくないというのは本心だ。だが……それ以上に、お前が俺の目の届かないところで、誰にも気づかれずに、そのまま世界から消えちまいそうなのが、堪らなく嫌なだけだ。……これで満足か、この馬鹿」
「ルシアン……あなた、もしかして……」
「何も言うな! タルトが残ってるだろ、早く食え!」
ルシアンはガバッと顔を背け、一気に紅茶を煽った。
私は、掴まれたままの右手と、真っ赤になってそっぽを向いている世界一の美男子を見つめながら、呆然とするしかなかった。
公の場でのよそよそしい敬語の裏にも、今のお忍びの時の乱暴な言葉の裏にも、この不器用すぎるほどの熱い感情が隠されていたなんて。私の冷え切っていた心の奥底が、信じられないほどの熱で溶かしていくのを感じていた。
カフェからの帰り道、帝都は美しい夕暮れに包まれていた。
ルシアンは、繋いだ私の手を、城の敷地に入るまで絶対に離そうとしなかった。
「……ルシアン」
「なんだよ」
「私、やっぱりあなたの顔、苦手だわ」
「今更そんなことを言うために、わざわざ俺の手を握り返してきたのか? お前は」
ルシアンが不機嫌そうに眉を寄せる。その顔が、夕暮れの赤い光に照らされて、これまた不吉なほど絵になっていた。あまりにも美しすぎて、直視するのが辛い。
「だって、そんなに顔がいいのに、そんな……ずるいこと言うんだもの。私の心臓が、さっきからずっとうるさいのよ。あなたのせいで、病気にでもなりそうだわ」
私が俯きながら小さく呟くと、ルシアンは一瞬目を見開いた。
彼は完全にそっぽを向き、夕日に負けないほど首筋まで真っ赤に染めていた。
でも、繋がれた手から伝わってくる彼の体温は、さっきよりもずっと熱く、そして力強くなっていた。
「……来月は、東区の職人街にある市場に行くぞ。あっちにおいしい焼き菓子屋があるって、部下から聞いた」
ルシアンの口から出た言葉に、私は思わず目を見張った。
「えっ? あなた、来月も付いてくる気なの?」
「取引だと言っただろ。今後のお前のお忍びは、全て俺が同行する。お前に拒否権はねえ。俺が許可した場所以外への外出は認めんからな」
相変わらずの強引さ。相変わらずのツンとした態度。
けれど、私の胸の奥には、世界で一番温かい光が灯っていた。
明日の公の場では、彼はまた完璧な大公の仮面を被り、私に慇懃無礼な敬語を使ってくるのだろう。でも、私はもう知っている。その冷ややかな言葉の裏にある、私を絶対に離さないという強い熱量を。
世界が私を見落としても、この人だけは、絶対に私を見つけてくれる。
「いいわよ。ただし、来月はルシアンの奢りだからね。大公様」
「ふん。俺の財力を侮るなよ。その焼き菓子屋ごと買い占めてやろうか?」
「それはお忍びにならないから絶対にダメ!」
私たちはそんな、他愛のない、けれど最高に贅沢な言い合いをしながら、夕暮れの城へと帰っていく。二人の少し騒がしいお忍びデートは、これからもずっと、続いていきそうだった。




