第5項 揺れ動く天秤
「お母さん、ぼくお腹すいたよ」
「我慢しなさい。戦場の兵士さん達が、この大陸を救うために戦ってくれているのよ。皇帝陛下は私達平民を救うために、この戦争を始めたの。」
「でも、ぼくたち苦しいままだよ。せんそうが始まって、食べるご飯も少なくなったし、最近はお水もほとんどもらえなくなっちゃったじゃない。こんなにさむいのに服だってペラペラだし。」
「それは...」
「ねえ、お母さん。〝こうていへいか〟って本当に、ぼくたちを助けてくれるのかな?」
リートニッヒは重たい頭を掌で押し上げ、机に肘をついた。
『最後に睡眠をとったのはいつだったか。』
そんな事を思っていると、タディが眉を下げ口を開いた。
「ここ最近、戦死者が異常に増えてる。敵の公国兵だけじゃねえ。俺ら帝国軍もだ。特に、兵糧の消費がまずい。このままだと、数カ月持たねえよ。食糧がなくなれば士気も格段に落ちる。何か手を打たねえと、季節が季節だ。」
「戦死者が増えるのは、戦争が佳境に入った証拠だ。滅ぼされる寸前の獲物が、一番手強い。窮鼠猫を噛むという言い伝えを知っているか。
...この戦いは、もうすぐ終結する。」
リズは窓の外を眺めたまま言った。天から舞い降りた小さな結晶が、帝国の市街を僅かに白く染め上げている。
「リズ、お前も何か言いたそうだな」
タディがリズの方を見て、何かに気づいたように言った。
「最近、妙な流れを感じる。おそらく間者だ。」
リズは僅かに目を細める。
「間者はお前が始末してくれているんじゃないのか?」
「私もその件はお前に一任しているが。」
タディとリートニッヒがそれぞれ首を傾げるが、リズの視線は窓の外に向いたままだ。
「もちろん細心の注意を払ってはいるが、全員始末しきれているとは限らない。私の勘では、ツアヴィが怪しい。」
「ツアヴィ?」
タディが反対側に首を倒した。
「公国側に放っているスパイだ。彼がダブルスパイだと言いたいのか?」
「分からない。この前、ハイター少将を暗殺する際に用意させた地図と報告に誤りがあった。もしかすると私を狙っていた可能性もある。」
「駄目だ」
リートニッヒが珍しく、鋭く言った。
「確固たる証拠をつかむまで、始末してはいけない。もし濡れ衣だった場合に取り返しがつかなくなってしまう。」
リズは一瞬何か言いたげな顔をしたが、口を噤んで頷いた。
「分かっている。怪しさはあるが、尻尾を掴みきれない。ただ注意はしておくべきだと思う。」
リズの申し出に、皇帝は慎重にうなずいた。
「はっはっはっ。リズ、またお前の勘かよ!でも俺と違って、お前の勘はよく当たるからなあ。」
タディはリズの肩に手を回し、自らに引き寄せる。
リズは一瞬避ける素振りを見せたが、諦めたように受け入れた。
「むさ苦しい」
不機嫌なリズとは対照的に、タディは楽しそうに体を揺らした。
「俺は、お前みたいに賢くねえし、リートニッヒみたいな優しさも持ってねえからな。信じるものと言っちゃあ、ただ一つ。勘ではなく目の前の真実を信じる。それだけだ。」
リズは鼻を鳴らし、タディの腕を振りほどいた。
「そろそろ軍議の時間だ。おしゃべりはここまでにしよう。」
どこまでも淡白なリズにタディとリートニッヒは顔を見合わせ、肩をすくめた。




