第20項 彼女の独白
リズは牢獄の廊下を走っていた。
鼓動が速くなり、嫌な汗が首筋を伝う。
ドクンドクンドクンドクン
人の気配が全くしない。一人もしないのだ。
「おい。タディ!」
タディのいるはずの牢を覗いたリズ。
カシャーン
辺りには彼女の手から鍵が滑り落ちた音だけが響き渡る。
不自然に1本だけ折れた、牢屋の鉄格子。
鉄格子の行方は、直接見なくても解った。
ドッドッドッドッドッ
心臓が小刻みに早打ち、呼吸が浅くなるのがわかる。
床一面どころか、壁にまで飛び散った彼の血液は、無惨でありながらも何処か絵画的な情景を構築していた。
鉄格子の壊れ方を見たリズは、始めから彼にはこの鍵が不要だった事を知る。
「……ッふー。」
待て、落ち着け。息を整える。何を震えている。
『想定していただろう。』
落ち着くんだ。お互い命の軽い人生を歩んでいた。
これがいつ起きても不思議ではなかったはず。
「まずは、リートニッヒに報告だ。」
前後左右に揺れる視界を何とか御し、リズはヨロヨロと来た道を戻りだした。
タディの葬式は、極少数の関係者の間でひっそりと行われた。
リズは納棺が行われた後、しばらくしてやってきた。
タディの副官だった男は目を腫らし、リズに会釈すると去っていく。
彼の背を見送るリズは、いつも通り平坦な口を開いた。
「悪かったな、リートニッヒ。任務は失敗してしまった。」
リズの背後からリートニッヒが顔を見せ、しかし頭を振る。
「いや、お前は十分に良くやってくれた。タディの事は全て、私に責がある。
どれだけ取り繕おうとも、私は結局...っ。」
リートニッヒは震える手で拳を握り込むが、精々爪のあとが残るだけだった。
「違うな。あれは事故だ。避けられない偶然が偶々積み重なっただけの。」
リズは言いながら、思わず奥歯を噛み締める。
「例え君が冷酷だったとして、何ができた?私に何ができた。.....過去はもう変えられないんだ。」
「!!」
珍しいリズの態度に、リートニッヒは言葉を失った。
しばらくして、ようやく口を開く。
「そうだな。リズの言うとおりだ。取り乱してすまなかった。私はもう執務に戻るが、どうか花を添えてやってくれ。」
「.....ああ。」
リズは墓石の前に立つ。いつの間にか辺りは暗闇に包まれており、あちこちに灯る蝋燭の小さな火だけが、ここに人々がいた事を証明していた。
参列者達は皆帰ったのだろう。
「これしか見つからなかった。」
萎れかけたカランコエの花を手向ける。
『なあ、タディ。』
祈らず、声にも出さず。目を閉じて、彼女は兄貴分へと語りかける。
『君はかつて私のことを〝羨ましかった、恐怖を感じていないように見える〟と言ったな。
だが私は、自分の理想を演じているだけだ。私の理想は正しいと言い聞かせ、手の震えを他人に見せないだけ。』
それこそが彼女の処世術であり、唯一知っている生きる方法だったから。
『だが、知っているか?タディ。長年そうして生きていると、感情と感情のズレが段々と開いて心に歪みができていくんだ。
きっといつかしわ寄せが来る。
....いや、もう来たのかもな。』
思わずふっと笑いが漏れた。
〝はっはっはっ〟
タディが笑っている。
〝勘ではなく目の前の真実を信じる〟
そんなセリフとともに、リズの肩に手を回してくる。
リズはそんな彼の冷たい手を力一杯掴み
「馬鹿が。」
それだけ言った。
リズが目覚めると、墓を照らしていた小さな灯りは消えていた。代わりに赤色の大きな光が空の向こうに見え始めている。
リズは墓石にもたれていた身体を起こすと、朝日を尻目に歩み出した。
それから、4回の春が過ぎた。




