第10項 化け物
まだ少し血の臭いがする公国市街で、タディは戦いによって強張った身体を丁寧にほぐしていた。
彼の傍らには大柄なタディより、さらに巨大な大斧が立てかけられている。
「いや〜、本当に何事も無く勝っちまうとはなあ」
安心なのか、自らの杞憂に拍子抜けなのか。そんな言葉がひとりでに溢れた。
リズと肩を並べて戦ったのは久しぶりだった。相変わらず危なっかしい戦い方だったが、それでも彼女に大きな失策は無く、僅かな隙はタディがカバーした。
「市民も大体は避難してて、建物への被害も最小限、今のところ民衆を巻き込んじまったっつう報告もねえし、戦果は上々だな!」
鼻を鳴らす声にタディが振り返ると、リズが腕を組んでいた。
「君は楽観的だ。争いが始まってもこの町に留っている民たちはどうする。確かに犠牲は出ていない。だがこのままでは彼らを殺すことも、この町に放置することも出来ないぞ。」
リズの正論にタディは頭を捻った。
「言い方は物騒だが、そのとおりだよなあ。帝国に連れて帰るのは前提として、そう上手くいくとは思えねえな。拘束したとしても、リートニッヒの奴にどやされそうだしなあ」
「やはり、こうなってしもうたか。」
話し合う二人の姿を、物陰からひっそりと覗く影があった。
帝国軍の兵士達は交代制の見回りで散っているので、街に建てられた仮陣営に残っている彼らは将校達だろうか。
「帝国軍は、この戦争を引き起こした連中。このままでは、きっと殺されるに決まっておる。」
そう言うと老人は、手に持った長い得物を握り直した。
激しく咳き込みながらも、必死に自分を引き留める妻を置いてきてしまった。
遠くでは市民たちが一所に集められ、兵士たちに連行されているのが見えた。
神の名を呼び続けるもの、家族を見逃すよう兵に持ち掛けるもの、半狂乱になって兵たちに取り押さえられる者...あたりは騒々しさを増していた。
「タディ中将、急患です!」
リズとタディの会話に、兵士が割り込んできた。
「どの兵だ?重傷者は既に救護室に運ばせたが。」
「いえ、この町の市民です!」
タディの目が鋭くなった。
「判った!すぐに向かう。リズ、悪いが...」
「ああ、こちらは任せておけ。」
リズはすぐさま頷いた。
「頼むぞ!
おい、急患の特徴は分かるか?」
「はい、年配の御婦人で...」
リズはタディを見送りながら、静かに昨日負った傷を撫でる。指先に僅かな熱を感じた。
『大丈夫だ。やれている』
視界がぐらついているのは気のせいに違いない。
そんな彼女は、背後の陰を知らない。
雄たけびにも、悲鳴にも聞こえる叫びが無ければ〝彼〟の存在に気付かなかっただろう。
「おおおおおおお」
ザシュッ
刹那、リズの鮮血が舞い落ちる花弁のごとく飛び散った。
「うぐっ」
ガポ、とリズの口から血の塊が溢れる。
真っ直ぐに槍を構える老人は、激しく肩を上下させていた。
「こんなもので、なにかを変えられるとは思っとらん...だが、黙って妻を殺させる訳にはいかんのだ。頼むから退いてくれ、帝国の民よ」
祈りにも近い言葉で、名も知らぬ老人はリズに裁きを下した。
ガシッ
リズは、腹腔内を貫通している槍を握りしめ、掠れた声で言う。
「刺すのならば心臓を狙うべきだった。これでは内臓は壊せても即座に殺しきれない。」
老人を睨みつけ、脳内で今からでも殺す手順を構築する。
この距離であれば、頸動脈を斬ることは可能だ。普段のリズであればの話だが。
彼女は腰に手をやるが、痛みによって強制的に脱力した手はホルダーからうまくダガーを引き抜かせてくれない。
「...よくも私の邪魔をしてくれたものだ」
「!
儂は....」
老人は怯み、リズの視線から逃れるように得物も置いて逃げ出した。
リズの手は感覚が薄れていき、一瞬体が浮くような感覚を覚える。
老人の姿が見えなくなる頃には、リズの瞳はもう既に何も映していなかった。
遠くで聞き覚えのある声が、自分の名を呼んでいる気がする。
先程までとは打って変わって、リズの心は凪いでいた。
なるほど、今まで死にかけたことは無かったが、意外と穏やかな気持ちになれるものだ。
せめて、自分に来世がこないことを願おう。
『...やっと、終わったんだな。私の悪夢が...』
薄れゆく意識の中、リズは奥歯を噛み締め、口角を上げた。




