5.変化の兆し
営業部長は金に困っていた。レコーディング等で遊んでいる場合ではない。私も同じだった。しかし、私は仕事より大事だった。金を借りてまでしなくてはならない事だったのだ。嘘つきにはなりたくなかった。不動産屋は誠実でなければならない。私がレコード作りを止めても、誰1人文句を言う人はいない。しかし、私自身がそれを許さなかった。
私はカラオケの収録に立ち会い、部長のレッスンに立ち会い、そして2曲の吹込みに立ち会った。プロの人達の隣でレコードの作成プロセスを一通り経験した。
1か月後、レコード700枚、カセットテープ100個、8トラテープ30個が納品された。早速、事務所のカセットデッキでテープを聴いた。次に喫茶店に行き、有線放送にリクエストした。当然の様に2曲が流れた。私には、それが天国から響いているように聞こえた。
営業部長は全く無関心を装って、仕事に専念した。私は30個の8トラを一緒にスナックに配りに行こうと言ったが、部長は固辞した。仕方がない。私一人で再びスナック巡りをした。それぞれの店で有線放送にリクエストしてもらった。
「これ、うちの営業部長が歌っています。私の作詞、作曲です」
しかし、店の人は面倒なのか、勝手に私を歌手にしてしまった。そして、歌を歌うように奨めた。仕方がない。私はプロの歌手になりきって歌う事にした。1晩に3軒しか行けない。30軒回り終わるとプロの歌手と言われるのに抵抗がなくなっていた。有線放送で曲が流れると、誰もが私を芸能人と認めた。
「芸能界は近いのだな」と私は思った。
その頃、不動産業は個人事業だったが、従業員は私の他に3人いた。私は<新曲発表会>を開くことを決めた。結婚式場の玉姫殿を予約した。経理と事務員に案内状を300枚郵送させた。そしてファックスを可能な限り送らせた。そして電話で確認を取るように命じたが、恥ずかしがって何もしなかった。取引先と言える者は殆ど存在しなかった。
私は「100人分の食事を用意するように」と言ったのだが、二人の女性は「30人しか来ない」と言った。
「じゃー、35人分用意して」
結局、その日集まったのは110人だった。
私が挨拶を終え、数少ない取引先の社長が乾杯の音頭を取った。5分後に、テーブルの上には食べるものは何もなくなった。玉姫殿は持ち込み禁止であったが、頼み込んで従業員に食べ物を買いに走らせた。同時に寿司の出前を頼んだ。30分後に何とか格好がついた。ラウンジのママが花束を舞台にいる私に手渡ししてくれた。私は営業部長が歌手になりきって歌っている間も、舞台の端に立っていた。舞台を降りた時にはママは消えていた。
部長はレコーディングした2曲の他に、持ち歌を3曲余興で歌った。日本舞踊の師匠が、私のカラオケで踊りを披露した。私は事前に聞いていなかった。師匠はひそかに用意していたのだが、発表会の出来栄えを見ていたのだ。そして成功を確信して、踊ることを決めたのだった。
発表会は大成功だった。花束を持ってきたママのラウンジに10人で行って夜中の2時まで慰労会を行った。全く予定には入っていなかった出来事であった。
これを機に、従業員が3人増え、不動産事業は大幅に拡張することになった。業界での地位も上がった様であった。銀行との信用も上がった。レコードを出すという約束を果たしたご褒美は絶大なものであった。
しかし栄光はいつまでも続かなかった。




