初めての笑いとマナの初歩
アルカがマナの力で開いた隠し扉の奥、エルフの里へ通じる洞窟は、予想に反して非常に歩きやすかった。自然の洞窟というより、人工的に掘削され、平坦に舗装された通路のようだった。アルカが作ったマナの松明が、その道のりを明るく照らしていた。
「まるで、どこかの神殿の通路みたいね」
ハスクは緊張しながらも、その道筋のあまりの完璧さに感心した。
二人は、リクトの捜索が本格化する前に少しでも男爵邸から遠ざかろうと、足を速めた。しかし、メイドとしての過酷な労働で蓄積されたハスクの体力には、限りがあった。二時間ほど歩いた頃、ハスクの足は鉛のように重くなり、ついに止まってしまった。肩で息をし、全身が震える。
隣を歩くアルカは、まるで疲れという概念が存在しないかのように、優雅な美しさを保ったまま平然としていた。彼はハスクの疲労をデータとして認識しつつも、理解はしていなかった。ハスクは壁にもたれかかり、アルカに訴えた。
「ごめんなさい、アルカ。少し休みましょ。もう、一歩も動けないわ」
アルカはすぐに立ち止まり、ハスクをデータ収集の対象のようにまっすぐ見つめた。
「貴様は、なぜマナを使わないのだ?」
アルカは、極めて当然の事実を問うように尋ねた。ハスクは、その冷静な問いにカチンときて、少し怒り気味に答えた。
「マナの使い方なんかわからないのよ!」
ハスクとアルカが出会ってから、まだ二十四時間も経過していない。その僅かな時間も、アルカの救出、リクトの襲撃と殺害、そして逃亡という緊急事態で埋め尽くされていた。マナについても、その存在と、自分が【器】であることしか聞けていなかった。
アルカは、ハスクの怒りや焦りという感情的な反応を、一切感知しない。彼はただ、手に入れた情報に基づいて、論理的な疑問を繰り返した。
「なぜ使い方を知らないのだ。貴様の体は、マナの運用に最適化された『良品』であると解析されている。マナを使えば、疲労物質は瞬時に分解され、肉体の負荷はかなり軽減されるはずだ」
その言葉を聞いた瞬間、ハスクは我慢の限界を超えた。
「はははっ、あはははは!」
ハスクは堪えきれず、洞窟の中に響き渡るほど大声で笑いだした。肩を震わせ、涙すら浮かべて、笑い続けた。そして、笑いが少し収まったところで、アルカに言った。
「アルカは精密機械のように冷静に分析して、最善の答えを導き出すのに……、私の気持ちの分析は全くできないのね」
アルカは、ハスクがなぜ笑っているのか理解できない。ハスクの表情筋や声帯の動き、呼吸パターンの乱れはすべて観測できても、その感情的な意味合いを読み解くことは不可能のようだ。
「解析不能。貴様の行動は、危機的状況下の論理的な行動ではない。この笑いは、何を意味する?」
アルカは真面目に、そして困惑という感情を一切含まない声で、問い返した。その答えを聞いて、ハスクはさらに大声で笑った。
ハスクがこんなに笑ったのは、生まれて初めてだった。白い髪と赤い瞳を忌み嫌われ、常に感情を押し殺して生きてきた彼女にとって、この命をかけた逃避行の中で、初めて心からの開放を味わった。
ハスクは笑いを収め、静かにアルカに謝った。
「ごめんね。あなたをバカにしたわけではないのよ。ただ、すごくおもしろかったのよ」
そして、ハスクはアルカの冷たい手を握り、真剣な眼差しで尋ねた。
「アルカ。マナの使い方を教えて。私もあなたのようになりたいの」
アルカは一瞬の解析時間もなく、即座に答えた。
「了解。貴様が望むのなら、マナの運用に関する初歩的なプロトコルをインストールする」
アルカは立ち上がり、洞窟の壁に触れた。彼の青い瞳が淡く輝く。
「マナの運用は、世界に満ちる根源的なエネルギーを、貴様の生体プロセッサを通じて体内の貯蔵領域に引き込む、極めて論理的なプロセスだ」
アルカは、周囲の闇を照らす松明を見つめながら続けた。
「マナは、土や水、石など自然界の物質から発生するエネルギーだ。マナは完全に密閉された空間では供給が途絶えるが、この洞窟は自然の通路であり、運用に問題はない」
アルカは淡々と説明を続けた。
「貴様は、その蓄積されたマナを、神代語によるプロトコルを用いて制御する。まず、周囲に満ちるマナに意識を集中しろ。地中にあるマナは直接太陽エネルギーを吸収していないため発光しないが、貴様は良品であるため、それを感覚的に認識できる」
ハスクは言われた通りに目を閉じたが、目に見えないエネルギーをどう把握すればいいのか戸惑いを覚える。
「次に、そのエネルギーを貴様の最も制御しやすい手のひらに、血液のように集束させるのだ。マナは貴様の意識が発した具体的な命令に従って、その機能を変化させる。その命令を正確に伝達するために、簡潔な意思伝達、すなわち神代語によるプロトコルの実行が必要となる。これは、マナに法則を刻み込むための鍵だ」
ハスクは、アルカが口にした神代語という言葉の響きに、古代の重みを感じた。しかし、疑問が湧き上がる。
「あなたは、そのプロトコルを発声していないわ。なぜ、あなたは言葉を必要としないの?」
アルカの青い瞳に、わずかな解析の動きが見られたが、すぐに停止した。
「不明。私の生体プロセッサは、この神代語のプロトコルの実行プロセスを、発声なしで演算領域内にて瞬時に代行できる構造を持つことは確認できる。しかし、なぜその機能が組み込まれているかは、記憶装置にデータがないため説明不能」
アルカは感情のない声で結論づけた。
「しかし、貴様にとっては、このプロトコルの発声が必須のプロセスだ。すぐに、疲労回復のプロトコルを試せ」
ハスクは、自分の疲労と、目の前の不可思議な少年が持つ力のコントラストに、改めて圧倒されながらも、言われた通りにマナの操作を試みた。




