闇と咆哮
アルカは一人であれば、対象を発見した時点で即座に行動に移していただろう。しかし、今回はハスクとリーネ、戦闘経験のない二名との共同行動である。状況確認には最善の環境を選択する必要があり、アルカは日が完全に暮れるのを待つ判断を下した。
やがて、太陽が地平線の向こうに完全に沈み、深い闇と静寂が森を支配した。身を隠すには最適だが、夜の帳はわずかな足音すらも増幅させる。慎重な行動が求められることに変わりはなかった。
アルカは静かに二人へと指示を発する。
「日没、完了。これより任務を遂行する。目標物は現在、光源を確保し、夜間の栄養補給を実施している可能性が高い。光を吸収した瞳は暗闇に対する適応性が低下している。貴様らは、闇への順応性が高い。音響に対する警戒を徹底すれば、捕捉される確率は大幅に低下する。足音の制御に最大注力を図れ」
ハスクとリーネは無言で、しかし確かな頷きで応じた。
「では、行動を開始する。私に追随せよ」
アルカは木々の陰を縫うように、まるで液体の如く音を立てずにゆっくりと前進を開始した。ハスクとリーネは、アルカが踏みしめた足取りを一寸の狂いもなく辿る。アルカの眼は暗視機能を搭載しており、昼夜の区別なく状況を把握できる。彼の後を追うことで、二人は確実に目標地点へとたどり着くことができるはずだった。
およそ30分が経過した頃、微かな火の揺らめきが闇の奥に見えた。
「対象物を視認。解析を開始する」
アルカから目標物までは約300メートル。深い静寂が支配する暗闇の中、不自然なざわめきと、下卑た雑音が漏れ聞こえてくる。アルカはじっくりと状況を確認した。ハスクの肉眼ではこの距離での識別は不可能だが、アルカにとっては問題ない。
「対象物、男爵家追手である可能性、80パーセント。川で投擲された物体との関連性、100パーセント。対象人物は、川で流出確認された死体と同一規格の鎧を装着。舗装路を検出。当該経路が山岳地帯に通じる可能性、100パーセント。対象物を迂回し、馬車での山岳進入は不可能」
アルカは300メートル先の追手に決して聞こえない、低い声量で解析結果を二人に伝達した。その瞬間――。
「ああ……お母さん、お父さん、私のためにごめんなさいなの。ごめんなさいなの。私は何もできなくてごめんなさいなの」
リーネが突如として、張り裂けんばかりの大声で泣き叫び始めた。感情の制御を失った彼女の咆哮は、夜の静寂を打ち破り、森の奥深くまで響き渡る。
ハスクは突然の事態に狼狽したが、反射的にリーネの口を塞ごうと手を伸ばした。しかし、その時、リーネの顔に浮かんだのは、ただの悲しみではない、深い絶望と狂気に似た表情だった。町での凄惨な記憶がフラッシュバックし、彼女の心を破壊し始めたのだろう。ハスクは口を塞ぎ黙らせるのではなく、衝動的にリーネを強く抱きしめた。彼女を落ち着かせ、現実に引き戻すため、理性ではなく本能に従った行動だった。
リーネの泣き叫ぶ声は、当然ながら300メートル先の追手の耳にも届いた。驚愕した対象物の数名が剣を手に取り、光源から離れ、アルカたちの方向へと身体を向けた。
火を囲んでいた三人のうち、ひときわ大柄な男が松明を掲げ、低い声で唸る。
「おい、あっちの方からガキの泣き声が聞こえたぞ」
中肉中背で顔に傷のある男が、警戒しながら腰の剣の柄に手をかけた。
「ああ、間違いない。だが、なんでこんな場所にガキがいるんだ?」
痩せた、どこか冷酷そうな眼つきの男が、唾を吐き捨てるように言った。
「あの町の生き残りが紛れ込んだんだろ。あの町の残党は、殺したところで問題にならねぇ」
大柄な男が下卑た笑いを顔いっぱいに広げ、松明の火を揺らす。
「ガハハハハハ!そうだなァ!『紅蓮の猟犬』の『死の掟』に背く行為じゃねぇ!」
顔に傷のある男は、少しの不満を滲ませる。
「しかし、あいつらも馬鹿な連中だ。掟さえ守っていれば、自由と金が手に入るってのに」
痩せた男が肩をすくめ、闇の奥を睨んだ。
「ああ、首を刎ねられるのは御免だぜ。だが、殺戮ができないのは、ちっとばかり物足りねぇ」
「全くだ」と、大柄な男が剣を抜きながら同意する。
「俺も同感だ。また嬲り殺しにしてぇもんだぜ」
顔に傷のある男が、残忍な期待を瞳に宿す。
「同感だ。だが、今からそのガキを存分にいたぶって殺れるぜ」
最後に、痩せた男がニヤリと口角を上げた。
「そうだなァ、俺たちに獲物を届けやがった神に感謝だ!」
ゲスな笑みを浮かべ、汚い言葉を吐き散らしながらも、三人の団員たちは松明を掲げ、周囲を警戒しながらゆっくりと前進する。彼らの瞳は闇に慣れていないため、松明の光が頼りだ。凶暴な欲望を剥き出しにしながらも、彼らの動きは冷静で慎重だった。子供相手とはいえ、闇の中での遭遇戦の危険性を理解しているのだ。松明の炎が、ゆらゆらと闇を切り裂きながら、アルカたちに近づいていた。




