選択の義務
ハスクは、瓦礫の山から救い出した少女リーネの、透き通るような白い肌を見つめ、意を決した。彼女はリーネを抱きしめることで、守護の感情という新たな生命力を得たが、その決意とは裏腹に、心は恐怖で震えていた。
(私は今、リクトを殺した逃亡者。紅蓮の猟犬に追われる身。マナの運用はまだ未熟者だ。リーネちゃんを誘うのは、安寧の場所ではなく、修羅の道へ引きずり込むことと同じかもしれない)
しかし、この荒廃した町に置き去りにすることはできない。ハスクは意を決して、リーネに尋ねた。
「リーネちゃん。私と一緒に旅に行かない?ここはもう、安全じゃないわ」
リーネは故郷の町から出たことは一度もなく、その言葉にすぐに頷けなかった。両親を失い、故郷を失った幼子にとって、昨日の惨劇はまるで夢。明日には元の平穏な生活に戻れるのではないかという淡い幻想が、まだ彼女の心を占めていた。リーネは寂しそうな目で黙り込む。
そこに、アルカが唐突に介入した。
「貴様の両親は機能を停止した。貴様の生まれ育った町は破壊され修復不可能だ。この荒廃した環境における貴様の単独生存率は、解析不能なほど低い」
アルカの非人道的な言葉が、静寂の町に響く。
「貴様が生きたいと思うのならば、私たちに付いてくるしか手段は残されていない。このまま、この荒れ果てた場所で、両親や町と同じように朽ち果てるのを待つか、私たちと一緒に世界の修復を手伝うのか。どちらかを選べ。貴様の未来は、貴様自身で選択しろ。それが生きるということだ」
ハスクは、アルカの冷たいがデータに基づいた正論に、何も反論できなかった。彼の言葉は、ハスク自身が目を背けようとしていた現実の厳しさそのものだった。リーネはアルカの言葉の意味を全て理解できたわけではないが、自分の置かれている状況が幻想ではないことを悟った。もう両親はいない。故郷は戻らない。一人では生きていけない。リーネは悲しくて、怖くて、不安で、大声で泣き叫んだ。その泣き声は、町の静寂を打ち破る、唯一の生きた声だった。
アルカはリーネの泣き叫ぶ姿を観察した。
「解析続行。この行為は、生命維持には極めて非効率的だが、人間という種族においては、感情の負荷を排出するために必要なプロセスであると推論される」
ハスクはかける言葉が見つからず、ただリーネを抱きしめた。負の感情をすべて吐き出すように泣き続けるリーネを、ハスクは母性を思い出すように強く抱きしめ続けた。この行為こそが、ハスク自身の空の器を満たす、最も重要なプロトコルだった。
そして、涙とともに負の感情を出し尽くすと、リーネは泣き止んだ。涙で真っ赤になった目で、体を震わせながら、ハスクに告げた。
「わたしも、付いて行くの」
リーネは、運命の選択をした。アルカはリーネの決意を確認すると、「ちょっと待て」と言って、全力で町を出た。十分後、アルカは町へ戻って来た。彼の右手には、瓦礫の間から見つけ出した二本の美しい花が握られていた。
「人間は機能を停止すれば、廃棄処分の証として花を捧げるというデータがある。これを貴様の両親に捧げるとよい」
アルカの機械らしい言葉と、その裏腹に人間らしい行動に、ハスクは笑みがこぼれた。それは、アルカが感情的な儀式を、論理的なプロトコルとして学習し、実行した証だった。
ハスクはアルカに心からの感謝を伝えた。
「ありがとう、アルカ」
ハスクはリーネに、優しく声を掛ける。
「リーネちゃん、両親にお別れをしましょう」
リーネは小さく頷いた。
三人はリーネが埋もれていた瓦礫の場所へ行き、瓦礫の山となったリーネの家に花を捧げて手を合わせた。
こうして、ハスク、アルカ、リーネの三人は荒廃した町を後にした。




