2、急な訪問
「…ねぇ、翔平。今日の夜、…時間ある?」
朝食のとき、向かいの席でスマホをいじる翔平に話かけてみた。
「今日の夜?なんかあったっけ?」
「うん。もうすぐ排卵日みたいだから…」
わたしがそこまで言うと、翔平は小さなため息をついた。
「…疲れてなかったらな」
それだけ言うと、朝食のトーストを押し込むように頬張り、まるでこの話から逃げるように着替えに行ってしまった。
…はぁ。
ため息をつきたいのは、こっちだ。
毎日の基礎体温の記録と、今朝の排卵検査薬の結果からすると、おそらく今日か明日に排卵予定だ。
だから、タイミング的には今日がベストのはず。
それなのに、当の翔平はあんな感じ。
『この日!』と言われると、やる気が削がれるんだとか。
…その気持ちもわからなくもない。
わたしだって、言わなくていいなら言いたくない。
だけど実際、妊娠する可能性がある期間なんて、排卵前の月に2〜3日ほどしかない。
それ以外の日にタイミングを取ったって、無意味に等しい。
もともと翔平は淡白なほうだから、レスじゃなくても1ヶ月ほどしないときだって珍しくはない。
だからこそ、ここぞという日にタイミングを合わせたいのだ。
しかし男の人って、そういうことに関しては無頓着。
きっと、期間関係なく避妊をしなかったらいつかはできる。
なんてくらいにしか思っていないのだろう。
現実は、そんな簡単なわけないのに。
わたしはというと、将来の小作りのために、翔平と結婚するとなったくらいから、基礎体温をつけ始めた。
そのおかげで、毎月の生理周期や排卵日のだいたいの予測はできるようにまでなっていた。
あとは、翔平がタイミングを合わせてくれるだけ。
その日の夜。
「…ただいま〜」
「おかえり、翔平」
翔平は、いつも通りの20時頃に帰宅した。
先に夕食を済ませ、そのあとお風呂に入りに行った。
ちゃんと帰ってきてくれた…!
これまでは、今日とお願いしていても、忘れて飲みに行ったり、残業で帰りが遅くなったりしていたから。
そして、翔平のあとにわたしもお風呂に入った。
この前新しく購入した下着もつけて――。
…いざっ!
と思い、寝室のドアを開けると…。
…あれ?
なんか…暗い。
いつもなら、オレンジの常夜灯がついているはずなのに、今日はなぜか真っ暗だ。
「…翔平?」
小さくそうつぶやきながら、翔平が横になっているセミダブルのベッドへ足をかける。
しかし、そこで言葉を失った。
なんと、翔平は気持ちよさそうな寝息を立てて、眠っていたのだった。
もしかして、…寝落ち!?
そう思いたかったけど、寝落ちなら常夜灯がついていたはずだ。
それを消して、部屋を真っ暗にしていたということは――。
これは、ガチ寝だ。
「ねっ…、ねぇ翔平…!」
「……ん?なに…?」
わたしが体を揺すると、わずかに目を覚ます翔平。
「なんで…寝てるのっ!?」
「なんでって、明日朝早いから…」
「…って言ったって、まだ10時だよ!?」
「いいじゃん…、俺が寝たいんだからっ」
…なにそれ。
「今朝、約束したの…覚えてる?」
「…約束?…なんだっけ?」
わたしは、ため息をつくしかなかった。
わたしが、毎月毎月気にしている排卵日。
だけど翔平は、いつまでたっても気にしてくれる素振りはない。
「わたし…言ったよね?もうすぐ排卵日だからって」
「ああ〜…、そのことか。…明日じゃダメなの?」
「明日じゃ、排卵してる可能性もあるから…。できれば、今日がいいんだけど…」
「え〜…。こんな状況で、やれって言うの〜…?」
渋い顔をして、わたしに視線を送る翔平。
こうなるのがいやだったから、朝のうちに言っておいたのに…!
「じゃあ…もういいよっ」
「うん、わかった。おやすみ、陽葵」
それだけ言うと、翔平は本当に寝てしまった。
この日のために、いつもしている半身浴をせずに早めにお風呂から上がって、新しい下着だってつけたっていうのにっ…。
そのすべてが無駄になってしまった。
そして、次の日の夜。
なんとか頭を下げてお願いすると、翔平は渋々タイミングを取ってくれた。
しかし、わたしはまったく満足できなかった。
…なぜなら、朝の排卵検査薬の結果が陰性になってしまっていた。
つまり、排卵してしまったと思われる。
排卵直後ならまだしも、陰性になってからタイミングを取っても…それはもう遅い。
やはり、昨日がベストだったんだ。
わずかな希望にかけて、今日タイミングは取れたけど…。
…今月も時期を逃した。
そう思うと、日々冷えを防止したり、妊娠しやすい食事や適度な運動を心がけたりしていることすべてが無駄になったような気がして、…悲しくなる。
望みは薄いとはいえ、排卵後の基礎体温が下がらないことを祈ったけど――。
排卵日と思われる日からちょうど14日目に体温が下がり、そして次の日に生理がきてしまった。
今日は気分転換で、前の職場で仲のよかった同期とランチをいっしょにする約束をしていた。
同期は半年前に出産して、今日はその赤ちゃんもいっしょだった。
8月の夏日。
赤ちゃんは、水色のストライプ柄のかわいいロンパースを着ていた。
「かっわいい〜!手足のムチムチ感がたまんないねっ」
わたしのもとにも、いつかこんな赤ちゃんがっ…。
と夢見るのと同時に、それがいつなのかがわからない不安にかられる。
同期の赤ちゃんはずっとベビーカーで寝てくれていて、ゆっくりとランチをすることができた。
「…で、前に言ってた妊活。うまくいってないんだ?」
「うん…。翔平があんまり協力的じゃなくて」
わたしは同期に愚痴りながら、デザートのケーキをひと口食べた。
「確か、去年の秋くらいに最後に会ったときに、緩く妊活始めたって言ってたよね?」
「…うん。基礎体温は結婚する前からつけてたから、排卵検査薬試してみたりして」
「そうなんだっ。で、翔平くんが合わせてくれないんだ?」
「そうなんだよね〜…。約束してるのに、急に飲み会が入ったとか、その日はゲームのイベント日だから無理とか言われちゃってさ」
「あ〜、旦那あるあるだね」
仕事で遅くなるや、急な飲み会も…まだ許せる。
でも、ゲームのイベントがあるっていう理由は納得がいかない。
子作りよりも、ゲームを優先だなんて。
「だから、毎月タイミングを合わせられてるわけじゃないんだよね…」
「そっか〜。でも、タイミングが合った日は何回かはしてくれるの?」
「…え?排卵日前の1回だけだけど?」
わたしが何気なくそう言うと、同期は口をポカンと開けた。
「もしかして陽葵、毎月その1回だけにかけてるの…?」
「な…なにか間違ったことでもしてた…?」
「…いや。べつに、間違ってるわけじゃないんだけど…」
そのあとに続く同期の話に、わたしは驚愕した。
なんと健康な夫婦でも、1回で妊娠できる確率は20%ほどしかないのだと。
しかもその確率は、年齢が上がると共に徐々に低下していく。
だから、妊活をするのであれば、排卵日前に複数回タイミングを取って、その確率を少しでも上げる必要があるのだと。
『数撃ちゃ当たる』…という考えだ。
「最低2回、できれば3回しておけば、妊娠できる確率は今よりも確実に上がると思うよ」
月に1回でさえも、お願いしてなんとかタイミングを取っているというのに…。
そんな…2回も3回もできるわけがないっ。
「まぁ、それはどちらも『健康』っていうのが条件だからね。タバコ吸ってたり、ストレスが溜まってるとかで、妊娠率って落ちるしね」
幸い、わたしも翔平も喫煙はしていない。
でも…、『ストレス』。
不必要なお義母さんの電話や訪問にはうんざりしていて、それがストレスに感じていることは確かだ。
「あと、毎月タイミング取っても半年妊娠しなかったら『不妊』って言うから、心配だったら一度病院で診てもらったほうがいいよ」
たった半年できなかっただけで、…『不妊』。
数えてみたら、半年以上は妊活はしている。
だけど、毎月タイミングを取れているわけじゃない。
「ちなみにアタシは、病院で診てもらったらすぐにできたから、陽葵も今年中にできなかったらとか、期限決めておいたほうがいいと思うよ」
『不妊』という響きは、思っていたよりも重たくのしかかった。
わたしには無関係だと思っていたし、それに自分が不妊だなんて、できることなら信じたくもない。
だけど、同期から話を聞くには、病院で診てもらうことにそんなに身構える必要もなさそうだった。
エコーで卵胞の大きさを見てもらって、いつ頃に排卵しそうかの予測を立ててもらうのだとか。
基礎体温や排卵検査薬で自分で予想するよりも、専門家に診てもらったほうが正確で、タイミングも取りやすくなる。
もし、本当に妊娠したいのなら、自己流を続けてなかなかできないと嘆くよりも、はるかに妊活にかける時間が省かれると同期は話してくれた。
自分は妊娠できる体だと、勝手に思い込んでいた。
翔平だってそうだ。
だけど、もし…どちらか、いや両方に不妊の原因があるのなら…。
今、がんばってタイミングを取ったところで、それは意味のないこと。
同期の言うとおり、今年中に妊娠できなかったら病院に行ってみよう…!
わたしは、新たに妊活に向き合う覚悟をした。
それから、数週間後。
わたしのもとに、1件のメッセージが届いた。
開いてみると、それは高校で同じクラスだった友達からだった。
連絡先なんて知らない程度の仲だったけど、どうやらわたしのSNSを通じて、メッセージをくれたようだ。
内容は、10月に高校の同窓会をするというものだった。
仲のいい友達は、今でも年に数回会うことはあるけど、それ以外はさっぱり。
わたしたちも30歳だし、卒業してから12年がたった。
もうどれがだれだかわからないだろうけど、久々にこうした集まりがあるのなら…行ってみたいな。
その夜、翔平に話してみると、快く「行っておいで」と言ってくれた。
どうやら、会場はホテルで、立食パーティーのようだ。
その同窓会に向けて、わたしは新しい服を購入し、前もって美容院にも行き、その日がくるのを楽しみにしていた。
そして、いよいよ同窓会当日。
土曜日のその日は、翔平は休みで家にいる。
朝からゲームをしている翔平を眺めながら、わたしはせっせとキッチンに立って作業をしていた。
集合時間は、17時。
立食パーティー後、二次会に行くことも考えたら、帰るのが遅くなる。
翔平1人だけじゃ、まともな夕食も作らないだろうし、せっかく遊びに行かせてもらうならせめてものお礼として、翔平の夕食を作り置きしていた。
献立は、翔平の好きなトンカツ、ほうれん草のお浸し、ポテトサラダ、お味噌汁だ。
それに加え、買い物に行ったときに人気の焼き鳥屋さんが催事できていたから、晩酌用に焼き鳥も買っておいた。
「翔平、あとは夜に温めて食べてね」
「オッケー」
14時頃。
洗い物もすべて終え、わたしは同窓会へ出かける準備を始めた。
この日のために買った、タイトなネイビーのワンピース。
結局、先月も妊娠できなかった。
だけど、妊娠したらこんなワンピースも、それに合わせる高いヒールのサンダルも履けなくなるしね。
それを前向きに捉え、わたしはワンピースに袖を通した。
普段、妊活を気にして飲酒を控えているから、今日だけは久々に飲んじゃおうかな。
そんなことを考えていたら、同窓会が楽しみで仕方なかった。
――ところが。
…ピンポーン
気分よく支度をするわたしの耳に聞こえた、不穏なインターホンの音。
できれば翔平に出てほしかったけど、今はゲームで手が離せないらしい。
わたしだって、手が離せないのに。
〈はいっ〉
仕方なく、インターホンの通話ボタンを押した。
宅配便か、なにかかな?
と、何気なく出てみたけど、モニターに映し出された人物を見て、わたしは一瞬言葉を失った。
…なんで、こんなときにっ。
思わず、心の声が漏れそうになってしまった。
なぜなら、そこに映っていたのは……お義母さんだったのだから。
〈お義母さん…!急にどうしたんですかっ…!?〉
〈ちょっと遊びにきたの。ダメだったかしら?〉
〈い…いえ、そういうわけでは…〉
〈じゃあ、早く開けてちょうだい〉
お義母さんは、たまに連絡もなしにこうしてやってくる。
まるで、ゲリラだ。
それに備えて、部屋の片付けは常日頃からしている。
だけど、まさか…わたしが出かける直前なんかにわざわざこなくても…!
「こんにちは〜♪」
玄関のドアを開けると、にこやかな顔したお義母さんが立っていた。
しかし、わたしの服装を見て表情が変わった。
「あら、陽葵さん。そんなおしゃれなんかして、どこかへお出かけかしら?」
「…あ、はい。今日はちょっと、高校のときの同窓会に…」
「…同窓会?亭主を家に残して、1人だけいいご身分ね」
そうぼそっとつぶやくと、お義母さんは許可なく勝手に上がり込んできた。
狭い廊下でお義母さんと交差し、お義母さんの荷物がわたしにぶつかった。
あまり見かけたこともない、茶色のボストンバッグだった。
「ちょっと翔平〜!いるの〜?」
まるで、自分の家かのような振る舞いだ。
「どうしたんだよ、母さん。急にきて」
「ちょっと翔平、聞いたわよっ。陽葵さん、今日は同窓会に出かけるんですってね」
「ああ、そうみたいだな」
「あなた、そんなのんきなこと言って…。夕飯は、どうするつもり?」
「それなら大丈夫だよ。陽葵が作っておいてくれたのが、冷蔵庫の中にあるから」
翔平のその返答に、わたしはお義母さんの後ろでうんうんと頷いていた。
よく言ってくれた、翔平!
なにも、旦那さんをほったらかして出かけるわけじゃない。
夕飯の用意があるとわかって、きっとお義母さんも納得したはず――。
「夕飯の準備って、…これかしら?」
なんと、さっきまで翔平と向い合せで話していたお義母さんが、気づいたらキッチンに立っていた。
いつ移動したのかもわからないほどの…早業!
しかも、人の家の冷蔵庫を勝手に開けて、中を確認している…!
「…え〜っと。トンカツと…、こっちはほうれん草のお浸しかしら?あとは、ポテトサラダとお味噌汁なのね」
「…はい。翔平さんが好きなものを作っておきました」
まるで品定めかのように、作り置きした料理にまじまじと視線を移される。
「…トンカツも衣ばかりで脂っこそうね。それに、このお味噌汁…。味が濃そうな色をしているけど、体に悪そうなものばかり食べさせて、翔平を病気にでもさせたいのかしら」
「い…いえ!決してそういうわけではっ…」
「だったら、なんなのこれは?」
そう言って、お義母さんは冷蔵庫の奥のほうから、トレイに入ったままの焼き鳥を取り出した。
「これ、スーパーのお惣菜なんじゃないの?いくら自分が遊びに行くのに時間がないからって、亭主に出す大事な食事をこんなお惣菜なんかに頼るなんて…。陽葵さん、あなたそれでも専業主婦なの?」
確かにその焼き鳥は、スーパーで買ったものである。
だけど、催事のときは行列ができるくらい人気の焼き鳥だ。
味は間違いなくおいしいし、べつに楽して買ったわけでもないのに…。
「普段からこんな食生活をしていたら、そりゃまだ子どもができなくて当然ね」
お義母さんのその言葉が、わたしの胸をえぐる。
「子どもを授かるには、まずは毎日の食生活から!しっかりとお野菜中心の食事を心がけることね、陽葵さん」
「…はい」
わたしだって内面から整えようと、食生活には気をつけていたのに…。
なんで、なにも知らないお義母さんにそこまで言われなくちゃいけないの…。
「まぁまぁ母さん。陽葵、時間大丈夫か?そろそろ行ったほうが――」
「ほんとだっ、もうこんな時間…!すみませんがお義母さん、わたしはこれでっ…」
翔平が珍しくナイスパスを出してくれたおかげで、この場から抜け出せそうだ。
バッグに財布やスマホを詰め込んだ。
「お義母さんは、ゆっくりしていってください…!」
本当はそんなことは一切思っていないけど、一応そう伝えておく。
ゆっくりしてもらったところで、わたしは二次会も行くだろうから当分は帰ってこない。
その間に、お義母さんは帰っているだろうから。
…そう思っていたのに。
「言われなくても、ゆっくりさせてもらうわ。今日は泊まりにきたから」
……えっ…?
「なんだよ、母さん。泊まるつもりなの?」
「ええ。お父さんが前の職場の人と旅行に行っちゃって、今日は1人だから」
…なにそれ。
そんな話、今聞かされても……。
…そうかっ。
だから、見慣れない茶色のボストンバッグを持ってきていたのか。
あんな荷物持って、どこへ行くんだろうと思っていたけど、あの中にはお泊りセットが入っていたのか…。
「陽葵さんのお味噌汁、お鍋にたくさんあったから、私もいただくわね。足りないものは、自分で作るから安心して」
「は…はい。お願いします…」
料理に自信がないわけじゃないけど、薄味派のお義母さんにはきっと味が濃いはずだ。
泊まりにくるとわかっていたら、それに備えて作っておいたのに…。
「そうそう!それとこれ、陽葵さんにと思って持ってきたのっ」
「わたしに…ですか?」
お義母さんが、わたしにプレゼンなんて珍しい。
誕生日すらも忘れられているのに。
なんだろうと思い眺めていると――。
茶色のボストンバッグから、小さなだるまの置き物、犬のぬいぐるみ、どこの神社かわからないほどの大量の御札などが次から次へと出てきた。
「…これって、もしかして……」
「そう、子宝グッズよ!あなたたち、子どもはまだいらいとか思っていそうだから、早くできるようにね」
わたしだって早く子どもはほしいけど、一体こんな大量の子宝グッズを、この狭い部屋のどこへ置けばいいというのか。
しかも、友だちだって家に呼ぶことがあるのに、こんな『子作りがんばってます!』とだれが見てもわかるようなアイテム、家に置いておきたくない…。
そして、極めつけは――。
「これ、高かったのっ!でも、つけてたらきっとご利益あるわ!」
まるで、干からびた茶色い梅干しのようなものが輪っかに連なったブレスレット。
聞くと、その一つ一つの干からびた梅干しのようなものは、女性器を模して作られた子宝グッズなんだとか…。
「さっそく、今日の同窓会につけて行ったらどうっ!?色も、意外と合ってるんじゃないからしら?」
「い…いや、それは…」
そんなもの、つけていけるわけがない…!
「せっかくいただいたものなので、汚したりしたら大変ですし、大切に保管しておきますっ…」
そう言って、フフフと苦笑いを浮かべるしかなかった。
「早く孫の顔が見たいわね〜。そろそろかしら?」
と毎回言ってくるお義母さんの気持ちも、わからないわけではない。
だけど、会うたびにデリカシーもなく「1人目はまだか?」と聞かれ、頼んだわけでもないのに、こうした子宝グッズの押し付け。
なかなか子どもができないわたしにとっては、それがストレスになって仕方がない。
せっかく楽しみにしていた同窓会。
だけどわたしは、重い足取りで向かうのだった。
「陽葵〜!久しぶり〜!」
同窓会の会場であるホテルのロビーに着くと、さっそくわたしに駆け寄ってきた人物が。
「ミチルじゃん!久しぶり!これたんだっ!」
「うんうん!旦那に無理言って、きちゃった♪」
このショートボブがよく似合うのは、わたしの高校時代、一番仲のよかった友だちのミチルだ。
大学生の間までは、頻繁に遊ぶ仲だった。
しかし、ミチルが就職で東京に行ってからはなかなか会う機会がなく…。
最後に会ったのは、ミチルの結婚式のときだ。
わたしの結婚式にも呼びたかったのだけれど、ちょうど第2子妊娠中で、予定日も間近に迫っていたことから、きてもらうのを諦めた。
旦那さんが転勤族のため、数年に一度引っ越していて、それからも気軽に会える距離でもなかった。
だから、今日の同窓会も『保留』になっていたから、てっきりこれないものとばかり思っていたけど…。
「ミチル、今日は早めに帰るの?新幹線の時間とかあるんじゃない?」
「だ〜いじょうぶ!今日はこっちにホテル取ってるから、明日の朝に帰るの♪」
「1泊できるんだ!でも、お子さんは?旦那さんが見てるの?」
「それもあるけど、旦那のお義母さんもきてくれてて。せっかくの同窓会なんだから、楽しんできてって言ってくれてるの♪」
「…そうなんだっ。いいね…!」
同じ“義母”であるのに、こんなにも対応が違うものなのか…。
と、わたしは落胆してしまった。
そして、同窓会の会場の部屋へと案内された。
久々に会う高校時代の面々は、当たり前だけどみんな変わっている。
女子はメイクや服装でまったく違うし、男子も高校のときはイケメンだったのに、今ではただの太ったおっさんになっている人もいて、だれがどれかがいまいちピンとこない。
間近で見て、話してみたら、なんとなくあのコだとわかるくらいだ。
…まぁ、わたしも周りからそう思われているんだろうけど。
30にもなれば、だいたいの女子の左手薬指には指輪がはめられていた。
男子も結婚している人はいるけど、どちらかというとまだの人が多いよう。
それに、中にはすでにバツがついている人までいた。
聞こえてくる話は、高校時代のこと。
あとは、自分の現状についてだ。
結婚した。
子どもができた。
子どもが生まれた。
家を建てた。
保育園に預けられなくて、困っている。
…などなど。
高校のときのような、話す内容にフレッシュさなんてものはなく、どれもリアルな話ばかりだ。
みんな、通る道は同じか…。
なんて聞き耳を立てながら、バイキングの食事をお皿に盛り付けていると――。
「もしかして…、陽葵?」
ふと、背後からわたしを呼ぶ声がした。
ミチルは、今違うコと話していて近くにはいない。
それに、後ろから聞こえたのは明らかに男の人の声だ。
…だれだろう。
わたし、あまり男友達なんていなかったと思うけど。
そんなことを考えながら、ゆっくりと振り返ると――。
「やっぱり陽葵だっ」
わたしと顔を合わせるなり、その人はふわりと柔らかく微笑んだ。
緩めのパーマのあたった、茶髪の短髪。
ヒールを履いているわたしよりも、頭一つ分高い身長。
そして、変わらないその爽やかな笑顔で、…すぐにわかってしまった。
「晴馬…」
わたしの口から、小さく声が漏れる。
わたしを呼び止めたのは、河野晴馬。
高校1年生から3年生まで、すべて同じクラスという腐れ縁。
そして、高1のときから大学に入るまでずっと付き合っていた…、元カレだ。
「10年以上…ぶりだっけ?なのに、全然変わってねぇなー」
「…うるさいなぁ!晴馬だって、全然変わってないじゃんっ」
…あっ。
晴馬と自然に会話できた。
そのことに、内心驚いていた。
晴馬とは、大学に入ってしばらくして別れた。
お互い別々の大学で、会う時間も取れなくなって。
そしてほんの些細なケンカで、カッとなってしまったわたしが電話で別れを切り出して、そのままになってしまったのだった。
だから、会うのは別れて以来だ。
でも、こうして普通に話せることに安心した。
「あっ!お前また、メロンだけ別で食べるつもりだろ〜!」
「…えっ?」
晴馬が指差すのは、わたしがお皿に盛り付けた生ハムメロン。
メロンも好き。
生ハムも好き。
だけど、いっしょに食べるのはどうも苦手で、いつもメロンと生ハムを別々で食べていた。
「生ハムメロンは、いっしょに食うからうまいんだよっ」
「そうかな〜。絶対、別々のほうがおいしいと思うんだけどな〜」
そんな他愛もない会話に、思わず笑ってしまう。
晴馬、そんなことも覚えてくれていたんだ。
なんだか、ちょっぴりうれしかった。
「え〜っと、そこの2人!このあと二次会あるんだけど、もちろん行くよな?」
ほろ酔い気分の幹事の男子が、わたしたちのところへやってきた。
「俺は行くつもりだよ。明日も仕事休みだし」
「オッケー!」
「わたしは…。これで帰らせてもらおうかな」
本当は、二次会まで行く予定だった。
だけど、家にはお義母さんがきている。
遅くなったら、またなにを言われるかわからない。
「陽葵、二次会行かないんだ」
幹事の人が去ったあと、そう言いながら晴馬がわたしに新しいドリンクを差し出した。
「…うん」
そのドリンクを受け取る。
「ちゃんと、いい奥さんしてるんだな」
「…えっ?」
わたし、晴馬に結婚したなんて、まだひと言も話してな――。
「それ。つけてるから」
わたしが思っていたことが、顔に表れていたのだろうか…。
キョトンとするわたしに対して、晴馬は自分の左手をかざすジェスチャーをしてみせた。
…あっ、指輪。
なぜだかわたしは、とっさに右手で左手の薬指を隠す素振りをした。
見られて恥ずかしいものではないのに、なぜそんなことしたのか…自分でも不思議だった。
「家に旦那さん残してるから、早く帰らないといけない?」
「べつに、そういうのじゃないけど…」
旦那じゃなくて、義母がいるから。
そして、そのあと自然と晴馬の左手の薬指も気になった。
だけど、さっきかざしてくれたとき、そこに指輪はなかった。
「晴馬は?結婚はしてないの?」
「ああ、俺はまだっ」
照れくさそうにそう言う晴馬の横顔が、妙にかっこよく見えてしまって…。
思わず、見入ってしまった。
…そして。
なぜだろう…、この安心感。
別れて、もう10年以上がたつ。
その間に、お互い違う人と付き合っていたことだろう。
晴馬とは、別れて以来連絡は取り合ってないし、だれと付き合ってどうなろうと、わたしには関係ないはずなのに…。
最終的にはケンカ別れだったけど、なにも晴馬のことが嫌いになって別れたわけじゃない。
仲直りして、ヨリを戻せるチャンスはあったはずだ。
それなのに、わたしが素直になれず…。
当時、晴馬との別れを引きずったのは確かだ。
でも、べつに今でも好きというわけではない。
ただ、晴馬はわたしのことをよく知る人物。
もしかしたら、翔平よりも。
だから、高校時代の淡い恋の思い出が少し蘇っただけ。
晴馬が当時のままのような気がして、まだ結婚していないとわかって、少しだけホッとしたのかもしれない。
――しかし。
「でも、もうすぐ結婚する予定なんだ」
晴馬のその言葉に、一瞬表情が固まってしまった。
心臓がバクバクと、煩わしいくらいに鳴っている。
なにを…そんなに動揺するなんてっ。
だって、もう30。
結婚してたって、なにもおかしい年齢なんかじゃない。
「そ…そうなんだ〜。おめでとうっ」
なのに、素直に『おめでとう』が言えず、表情がぎこちなくなる。
「サンキュー。だから、独身でこうして羽伸ばせるのも、これが最後かも」
「…そっか〜。相手の人は…?同い年とか?」
「いや。6つ下」
それを聞いて、飲みかけていたドリンクを吹きそうになってしまった。
「むっ…6つ下…!?」
晴馬って、そんなに年下好きだったっけ…!?
6つ下ってことは、…24歳!?
少し前まで、大学生だったってこと…!?
わたしが、ポーカーフェイスでは隠しきれない表情をしていたからだろうか…。
晴馬は、お腹を抱えて笑った。
「この話したら、同じような反応される!『お前、ロリコンだな』って!」
べつに、ロリコンだとは思わないけど〜…。
まさか、晴馬がそんな年下にいくとは思わなかったから…つい。
晴馬のプライベートを根掘り葉掘り聞くつもりじゃなかったけど…。
いつの間にか、そうなっていた。
6つ下の24歳の婚約者とは、職場の人の紹介で知り合ったんだそう。
当時、彼女はまだ23歳にもなっていない、初々しい社会人1年目だった。
初めは、ジェネレーションギャップも感じたそうなんだけど、何回かデートをするうちに意気投合。
相性もよく、付き合うことにしたんだそう。
晴馬の中では今の年齢的に、次に付き合う人とは結婚したいと考えていた。
そして、その彼女もまた、お母さんが自分を25歳のときに生んだらしく、自分もそうなりたいと思っていたんだそう。
だから、若くして結婚願望が強かった。
そのため、付き合って1年で晴馬がプロポーズし
、今に至る。
「今は、式場探しをしてるところ。たくさんありすぎて、もうわけわかんねぇっ」
そう話す晴馬の会話でさえも、右から左へ流れていくだけ。
晴馬が結婚するとわかってから、うまく話が入ってこない。
「…そういえば、仕事はっ?夢だった保育士にはなれた!?」
幸せそうな晴馬の結婚話を遮るように、わたしは話題を変えた。
高校時代から語っていた晴馬の夢は、保育士。
子ども好きの晴馬にピッタリだと思って、わたしも応援していた。
その夢を叶えるために、教育系の大学へ進学した。
だからてっきり、夢を叶えているものと思いきや――。
「…いや。仕事は、公務員してる。市役所で」
「あ…、そうなんだ」
「就活してるときに付き合ってた彼女に言われてさ。保育士は給料が低いから、もっと安定した職のほうがいいって」
晴馬なりにもいろいろと調べて、将来結婚して子どもを養っていくと考えたら、堅い仕事のほうがいいと思ったんだそう。
だから晴馬は、長年思い続けていた保育士になる夢を諦めて、公務員になったのだ。
「保育士にはなれなかったけど…。今の部署も保育課だから、少なからず子どもと触れ合える機会はあるし。だから、今の仕事に満足してる」
どうやら晴馬は、地元で就職をしたくて、わたしの実家近くの市役所で働いているらしい。
待機児童問題等で、なかなか保育園に入れないお母さんのクレームを聞くこともあるけど、そんなお母さんや子どもの助けになれるようにがんばっていると。
「大変なこともあるけど、今の仕事のおかげで彼女ともこうして結婚できるわけだし。…保育士だったら、そうはいかなかったかもしれないからな」
当時は、あんなに保育士になりたいと言っていたのに…。
憧れていた理想の結婚とは違い、窮屈な結婚生活を送っているわたし。
そのわたしと同じで、晴馬も理想と現実の違いに阻まれてしまったんだ。
当たり前だけど、晴馬もこの10年以上の間で、わたしの知らない晴馬になっていた。
そのあと、二次会へは行かずにまっすぐ家へと帰った。
翔平とお義母さんは、コーヒーを飲みながら、わたしの帰りを待っていた。
結婚したけど、すべてが幸せとは限らないよ。
そんなこと、『結婚って、どんな感じ?』と目をキラキラさせて聞いてくる晴馬に、あの場で話せるわけがなかった。
あのとき、晴馬と別れなかったら…。
わたしの未来は、違ってたのかな。
そんなことを、その夜ふと考えしまった。