悪役騎士が悪役令嬢のために戦うだけの話
東の果て、大きな大きな大陸の一部を占めるその国は、領土のスケールが示す通り、文化と人の活気で賑わう、平和な公国であった。
文化水準においても、軍隊の強さにおいても、この国に敵う地域は、近隣には存在しない。
平和な公国の中で、騎士達の刃の切先は、国外の略奪者から、いつしか血腥い自国での権力争いに向かっていた。
(この国は、温い)
長閑な日の光を受けて四方八方が灼々と輝く廊を、音一つ立てずに影が進む。
簡素に揃えられた短髪に、生地の割に地味な型のシャツとズボン。腰の物は帯びていないが、武人であろうことがその佇まいから伺える。
その者の名はアオ。精悍な顔立はまだ年若いが、国王から称号を受けた、れっきとした騎士である。
真っ赤なカーペットが一本、細く長く続く廊の先には、どっしりと大広間が構えている。
「失礼いたします」
声をかけると、ここの城主──公国の公子が振り向いた。
「あっ、アオくん。全然気が付かなかった」
公子は、名をハク・リエシタといった。若年にして城を一つ構えるこの男、所謂カリスマと呼ばれる人間で、先の大洪水から見事首都を復興させた功績を持つ。国を統べる国王が老衰し、職務を全う出来ない今、政治を仕切っているのは実質彼だ。
「また、御本ですか?」
「ふふ、読み出したら止まらなくなって」
ハクの細い指が、パタンと本を閉じる。彼は玉座には腰掛けず、その前のカーペットに直に座り込んでいた。その両隣には、彼の側近が二人、やはり思い思いに腰を降ろしていた。
「だけど、お伽噺ならともかくそれケーザイの本だろ?ほんとにおもしろい?」
「面白いよ。この本には、今まで解けなかった問題の糸口がありそう」
「へえー、俺はあんま字読めねぇし、分かんねぇなぁ」
「アホ、お前の覚えが悪いんだ」
「なんだって!?」
「文字の綴り教え終わるのに、誰が何年かけたと思ってるんだ」
無作法よろしく目の前で茶番劇を繰り広げる二人に、主はまあまあと笑って宥めている。齢より若く見られる顔は、笑うと一層幼く映った。
この三人は旧知の仲。本の山を虫でも見るかの様に顔をひきつらせる赤髪の男、ベキと、そんな彼を皮肉たっぷりに見つめる聡明そうな緑髪の男、スイは犬猿の仲でもあるようだが。
「ベキさんとスイさん、今日はお休みですか?」
側近二人は、アオの先輩。もちろん騎士の称号を受けている。
「んーん、俺らもアオくんと一緒」
「一緒、とは?」
「公子サマに呼ばれて来た。あともう一人だな」
だが、こうして年甲斐もなくはしゃいでいる所を見ると、どうにもそれを忘れてしまう。稽古時はきちんと強いのだが、それ以外の時は、パタリと覇気が消え失せるのだ。
公子においても、それは当てはまる。
身長の割に痩せている体躯はひょろりと四肢が長く、線の細い顔立ちは母親似。不動不振の統治者には程遠い儚さを秘めている。まるで女のようだと揶揄される事も少なくない。
そんな済ました顔で、実質この国を牛耳っているのだから、末恐ろしい話だ。
(まぁ、どうでもいいか)
公子が恐ろしかろうと、か弱かろうと、アオには知ったことではない。
大事なのは、彼が確かに王位継承権を持つ公子であり、腕力はなく、虚弱体質である事。
(誰か来るな)
扉の向こうから荒い呼吸の気配がする。整えるために、一度深く呼吸をついた。気を取り直して、ドアに手をかける。
「失礼いたします……!遅れました……!」
早足で広間に入ったのは、些か地味ななりの女。
「お、シオンちゃんお疲れ!会議だったんだって?」
「ええ……意外に延びてしまって。すみません、待たせてしまいましたか?」
「いいよー、のんびりしてただけだし」
「……僕も、今来たところなので」
「いきなり呼び出してごめんね、シオンちゃん」
女はスカートを履いているが、やはり騎士の称号を持つ武人。彼女が使うのは、自身の腕力ではなく、頭脳だ。
清潔なもののメイドよりもフリルの少ない服はまるで村娘のそれだが、彼女曰く、この格好が都合が良いらしい。髪留めも地味な黒でひっつめているところに、他とそう変わらない武人気質が伺える。
アオとシオンは同い年で、城内へ出仕するのは、アオの方が日が浅い。だが、騎士となるのはアオの方が早かった。
精算して、同期のように接している仲である。
「さて。じゃあ、みんな揃ったね」
ハクは簡単に本をまとめると、スッと立ち上がり、上座にかけた。臣下四人も、改めて膝を付き、敬意を表する。
「皆を呼んだのは、他でもない大事な話があったからだよ」
いざ上に立つ者として話し始めると、彼の男性にしては高い声には不思議な、人を従わせる力がある。
「今朝ね。父上のご様態を伺いに行ったんだ。……あまり、良いとは言えなかった。多分、一年持たれるかどうかだと思う」
そこで、声のトーンが落ちた。
「王位の継承も、そう遠くないだろう」
四人の間に緊張が走る。
公子として、ハクは継承権を持つ。但し、二番目に。恐らく数ヶ月経たない後に王位を譲り受けるのは、今のところ彼ではない。彼の姉であり公女である、ネロ・イレリナだ。
姉弟で性が違うのは、二人が異母兄弟であることと、公子の幼名は母の性で呼ぶ決まり所以。
そして、ネロが公女であるにも関わらず第一継承権を持つのは、彼女の母が古くからの名門イレリナ家の生まれであることに大いに関係している。反対にハクの母は貴族の生まれという名目こそあるものの、その名はすでに没落したようなもので、王室に後ろ盾を用意できるような家柄ではなかった。
「俺は、王位を受けたい訳じゃない。受けられなくても領土はもらえるし、行政権もあるからね。ただ___」
硝子のような透き通った瞳が、前を見つめ、キッと唇を噛む。
「公女……ネロ姉さんにだけは、王位を譲っちゃダメだ……!」
イレリナとリエシタは元々反りの合わない家同士だったが、ハクがここまで義姉に王位を譲りたがらない訳がそこに無いことを、四人はよく心得ていた。
「ネロ姉さんが、彼女がこの公国の支配者となれば、先代が百年築き上げて来た平和が、簡単に壊されてしまう……彼女がそれを望んでいるから……!」
先程まで穏やかだった顔を怒りに歪ませる姿も、彼らにとっては、それ程珍しい景色ではなかった。
「だから、俺がその権利を奪う。ネロ姉さんにこの国は任せられない」
「……その為には、人の血が流れるかもしれませんよ」
「分かってる」
アオの言葉に、ハクはまた違う感情に顔を歪ませた。
「それに、向こうも同じことを考えているかと思います。ハク様__」
「死をすぐ側に感じたことは、あられますか?息も覚束なく、身体が我が物にならない感覚を、知っておられますか?」
細い首の喉仏が、こくと微かに上下する。
「幸いな事に、この十数年はない。……でもね、すぐ側じゃなくても、俺は、死と何時も隣り合わせだ」
権力争いは、彼が産まれ、公子が二人になった時から始まっている。実際に、臣下達がいなかったら危なかった場面も、一度や二度ではない。
水晶の瞳が、しっかりと、臣下を見つめた。
「覚悟は出来てる。……皆、俺に命をかけてくれないか?」
次の王の為に、ややもすれば死ねと。
その命に、四人は、口元を綻ばせた。
「御意」
・
・
・
・
・
獣は美味い獲物を狙う。脂が乗り、血肉の詰まった、生きた、生温い獲物を。
文化と商業に栄えながら、軍の弱体化に蝕まれていくこの公国は、まるで恰好の餌食じゃないか。取り込めば、どんなに美味い利益がその国にもたらされるだろう。終いには、それを自覚しないまま、政権の生暖かいのに惹かれて、自分で剣を突き付けようとしている。
なんとも可笑しな話だと気が付いたのはいくつの頃だろうか。彼女に忠誠を誓った時、その事が頭に過ったのは確かだ。
公子に謁見した後、アオは城下の繁華街へ降りていた。変に絡まれるのは御免なので、騎士の称号は、それとなく崩した服の内に隠している。左耳には小さなオニキスのついたピアスも着けていた。雫型の玉に、黒の飾り紐が靡く。
「さーァさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!どれも活きの良い取れたての魚!安いよぉ!」
「おい!そこのあんちゃん!あんただよ!奇妙奇天烈、摩訶不思議な霞市の見世モン、見逃すにゃ惜しいぜ?」
「紅に反物、櫛に簪。何でも揃っておりますえ。寄って行きなんし」
猥雑としたざわめきを作り出しているここの人間達は、何を思って今日を生きているのだろう。少なくとも、今日この繁華街が炎に包まれるかもしれないなど、夢にも見ていないようだ。
商人達の客引きを払いながら、アオは進んでいく。魚なんてもっての他。見世物も綺麗な服飾も、興味に値しない。
裏通りへ入ると、喧騒はいくらか収まった。一本道だった大通りから一転、細い路地が連なる迷路を、足取り一つ、表情一つ変えずに曲がっていく。ピアスの飾り紐だけが、忙しなくパタパタと揺れる。
何本目かの通りを、左に曲がった時だった。
「……ヨ、元気にしてタ?」
その声に、アオの足が止まった。左脇、鍛冶屋の裏口に誰かが背を凭れている。
「変わらないよ。リツは元気そうだね」
アオは声の主を見やった。リツと呼ばれた少女は、シャツワンピースに黒のショートパンツを合わせ、襟元のリボンには、黒玉のブローチを留めていた。
「まーネ。相変わらずかナ」
「それは何より。……彼女は?」
アオの脳裏を、自身の主の顔がかすめる。
胸元の黒を鈍く光らせて、リツはお転婆っ子らしくにやっと笑った。
「……勿論、ネロ様も、ご健勝でいらっしゃるヨ」
「なら結構」
「少しはあたしらの心配もしろよナー」と、リツは呆れ顔をする。
「ネロ様に何かあられたら、元も子もないだろ」
「まあ、色々と大詰めになってちょっとばかし気は張りつめていらっしゃるみたいだけド。……そっちの若君から聞いただロ?」
「ああ。今朝一番に」
「どうだっタ?」
「どうもこうも、公子は端から継承権を奪う気だからね。文字通り命懸けで」
「おお、そりゃ怖イ。普通、命と権力を天秤にかけるかネェ」
「笑い事じゃないよ。僕の命だってかけられてるんだから」
「ははッ。それが、その駒は天秤に乗っていないどころか、自分の命に手をかけようとしているんだからナァ」
今度はアオが呆れる番だった。
「リツ、少しは口を慎め。誰かに聞かれてたらどうするんだ」
「あはは、ごめんっテ」
「……で、何か新しい指示はあるの?参謀長官殿」
その呼び方に、リツはまた、にやりと口角を上げる。
「今は騎士団長代理、ネ、国家スパイさんの代わリ」
そう、彼女も頭脳を使う騎士だった。
「……そうだなア。指示としては、″こちらからは特に動かないこト″、″そちらが動き次第、公子の身柄を拘束、もしくは暗殺するこト″。この二つかナ」
「あくまで待つんだな」
「うん、ネロ様と公子の力はほぼ互角。もし何もなければ、王位はネロ様のものダ。余計な画策はするだけ労力の無駄だからネ」
「なるほど」
「まあでも、何も起きない、なんてことはないだロ?」
アオは、今朝の、月の光を宿したような静かな怒りを灯した目を思い出した。
「そうだな。遠からず、暗殺に踏み切るかと思う」
「そこで、警備が薄くなった所を狙ウ!暗殺側に回るなヨ?スパイの意味がなくなっちゃうからネ」
「分かってるよ。何があっても、公子の首を落とす」
「……あたし、拘束″か″暗殺って言ったんだけド?」
「その方が分かりやすいだろ?」
「……ふッ、」
路地裏にケラケラと笑い声が響いた。
「……今の、笑うところ?」
「あっはハ……!ごめんごめン!」
「何がおかしいのさ」
「いや、流石に何年も潜り込んでて、絆されやしないか心配してたけど、とんだ杞憂だっタ!」
弁解を聞いても、アオは眉を潜めたままだ。
「絆される以前に、公子の考えは僕と相容れない。僕は彼の統治を望んでいないから」
平和の維持を謳いながら、事実、目的の為に手段を選ばない。国を豊かにするのは結構だが、元々この国は、大河の下流、湿った貧しい平野にある。洪水、昨今の移民増加、西部の国の勢力。この温みきった公国で、それらに立ち向かっていけるとは、到底考えられない。
何より__、
「優しい平和な世界なんて、作られた物に過ぎないだろ?」
黒の雫石が風に踊る。
「はは。そうだっタ。アオはそういうヤツだったヨ」
「だから、それ、どういう意味?」
「ンー、あたしもアオと、それから、ネロ様と同じ考えって意味!」
同じように、黒の玉が留められたリボンも、 ふわりと揺れる。
「……箱庭の天使より、現実を見せてくれる悪魔の方が、よっぽど優しいヨ」
府兵制の再開、運河の開設、税の増加を主張する公女、ネロは次期暴君と批判を受けることもあるが、それは確かにこの国に必要な事である。
「じゃあアオ、伝えた段取りで頼んだヨ」
「了解した」
詳しい策略を共有しあった後、何事もなかったかの様に、二人は別れた。
・
・
・
・
・
うねる路地を、来た通り折り返し、一本道の通りへ戻る。途端、世界が変わった様に、町の喧騒まで元通りにざわめいた。
その中で、一際大きな怒声が上がり、ふとそちらへ視線が動く。合法ギリギリの露天で、店主と客が揉め事を起こしているようだ。
怒声に続いて、決して大きくはない、高い声が通る。
「……それは、一体どういうことでしょう」
「ァア゛!?小娘が生意気な口聞いてんじゃねぇぞ!てめぇにこれは売れねぇっつったんだ!」
まるで山賊の様ななりの店主に怒鳴られて、客の肩がピクッと跳ね上がったが、それでも、そこを動く気はないらしく、キッチリ足を揃えて立っている。
なるほど確かに年若い女だ。しかも、ガタイの良い従業員に囲まれているせいか、それともその出で立ちが地味なせいか、随分とまあか弱く見える。
アオは女の姿を目に留めると、ふいと立ち止まった。
「なぜですか?お金なら、十分あります」
「ほぉー?下等民族の言うカネを、俺達に信じろと?」
一文字の口元が、一瞬、キッと下唇を結んだ。
「……下等民族?」
「ああそうだ。教えてやろうか?てめぇら紫眼人は、身勝手に人の国に住み着いて、金と仕事を奪う、薄汚ぇ民族ってことさ」
周りの大男達からも野次が飛び交う。
「こちとら、お前らのお陰で、商売上がったりなんだよ!」
「移民の醜女にゃ売女がお似合いってとこだ!」
「さあ、帰れ帰れ!」
「…………」
女は何も言い返さない。数秒、屋台の土台辺りをじっと見つめ、それから急に、
「そうですか。それなら、失礼しました」
それだけ言って、踵を返してしまった。
ただ、店側として、それでは立場がない。店主が番台をダンッと打ち鳴らし叫んだ。
「っ!?おい!タダで帰すと思うなよ!?紫眼人は入店だけで有料だ!」
男の一人が、飛びかかるが、
「__え?」
「下等民族にタカるなんて、プライドの無い人達」
狙いを定めて殴ろうとした瞬間、女はそれを軽々避けて、振り向きざまに金貨を放った。
チャリンチャリンと、福が愉快に音を立てる。
「なっ!?……金だ!」
「本物だぞ!何枚ある?」
「ひぃふぅみぃよぉ……」
「おい!お前ら、何してやがる!」
男達がその虜になっている内に、女はさっさとそこを離れて、人混みに紛れ、見えなくなってしまった。
アオは早足で、その足取りを追う。
「……シオンさん」
「あら、アオくん。奇遇ですね」
女__シオンは笑っていた。まあ、彼女が笑っているのはいつものことだが。
「さっきの、全部見てましたよ」
「ああ、そうでしたか」
端的なアオの物言いに、シオンはそこで一度区切る。それから、
「……意気地なしだと思いました?」
ため息を吐く様に、そう言った。
「いいえ。やりあっていたら、街のためにも、君のためにも良くないことになっていたでしょうし」
「それはどうも」
「ただ、絡まれるのが嫌なら、何か対策を講じるべきでは?」
二人の黒髪は、金や茶ばかりの頭でひしめく繁華街の通りでは、よく目立つ。シオンの長い髪は特に、だ。
黒髪に黄みの強い肌、それに深い紫色の瞳。
紫眼人と呼ばれる移民の特徴通りのシオンの容姿に、道行く人の何人かは、あからさまに顔をしかめて行く。
「争いが嫌いなのでしょう?」
シオンはまた、ほんの数秒、黙った。
「してないことはないのですが……仮面や頭巾は、逆に怪しまれてしまうし、女が帽子を被っていたら、それこそ街の笑い者でしょう?」
シオンが言うのは、帽子は貴族の男のみ被る物だという慣習のことだった。
「いえ、そうではなく。例えば、白粉をはたくとか、髪を染めるとか」
「……ああ、なるほど。白粉なら試した事がありますよ。すぐにバレて、頭から水を浴びせられました」
「それは……化粧が下手だったからではなくて?」
「ふふ、酷いなあ。生憎、メイドさんに手伝ってもらいました」
シオンはおかしそうにクスクスと笑った。
「どうもね。色の前に、顔の造りや仕草で分かってしまうものらしいのですよ。髪を染めてもきっと無駄ですし、それに、それはしたくないんです」
「なぜです?」
「誇りですから」
おかしそうに笑う顔の下がり眉が、少し寂しそうに見えた。
「瞳の紫はね、紫眼人の誇りなんです」
それから、今さら気が付いたように、
「ですから、元々隠す気なんて、さらさら無かったのかもしれません」
そう付け加えた。
「誇り、ですか」
彼女の口から出るとは思わなかった単語だ、とアオは感じた。
「ええ。国を喪った民族に残った、誇りです。私が騎士になろうと思ったのも、この誇りあるゆえです」
斜め下に俯く、黒とも藍とも紫とも取れない色を見て、アオはなんとなく、さっきまで話していたもう一人の騎士を思い出していた。どちらも、剣ではなく頭を使うという点で、同じだからかもしれない。
(立場以外は、正反対だけど)
奴なら、飛びかからないにしてもよく回る口で男共を論破していただろう。大方、それで逆上されて面倒なことになるんだから。アオには思い当たる節がいくつもある。
そして存外、頭脳派にしては単純明快なそのやり方が、アオは分かりやすくて気に入っていたりする。
「……でも、そろそろ短くしようとは思っているんですよ?長いと邪魔なことに、変わりはありませんしね」
「そうですか」
なんとなく返事が素っ気なくなる。女の騎士は少ないが、シオンは本人が自覚している以上に面倒くさい女の性格をしている、とアオは認識していた。
「シオンさんは、どうしてそこまで紫眼人であることに誇りを?」
そう訊ねると、シオンは色の濃い目元を瞬かせる。質問の意味をはかり損ねたらしい。
「どうしてって……」
「年を考えると実際、故郷にいたのは幼い頃……大きくても、七つの時まででしょう?それだけで、そこまで誇りを感じるものですか?」
「ああ……」
シオンは合点のいった顔をした。
「確かに、記憶は曖昧ですね……。覚えている事といえば、一面に燃え盛る火の海です。私の住んでいた村は戦渦に巻き込まれたので。その後、ある旅団にくっついて移住したんですけどね、大人達は皆、呪いの様に繰り返していたんです。紫眼人であることを誇りに思えと」
「そうでしたか」
「元々誇り高い民族なのだろうし、外部からの侵略でしたから、皆気が立っていたんでしょうね。お陰ですっかり身に染みてしまいました」
初めて聞く話だった。事実を淡々と並べられた話に、本人の感情は一切含まれていなかったが、彼女から笑みは消えていて、アオはシオンが戦争を好まない理由がなんとなく分かった。だから、これ以上何も聞かないでおく。
返ってこない答に、今度はシオンから質問が降ってくる。
「アオくんの誇りは、なんですか?」
「……僕の、誇り?」
「ええ。どうして騎士になったのか、そういえば知らないと思って」
自分のことを聞かれるのは苦手だ。そもそもスパイである以上、あまり踏み込まれたくない。が、自分も聞いて答えてもらった以上、こちらも返さねばなるまい。
(どうして、か……)
誇りと聞いて、頭にパッと思い浮かぶものはなかった。強いて言うならば、この世で唯一の主に誉められた剣術、だろうか。ただ、
「騎士になったのは、世界を自分の目で見るため、ですかね」
「……世界を?」
「世界っていうのは、色んな国や地域もそうですけど、僕は僕の周りを取り囲む世界の理を知りたいんです。何かの問題に、きちんと自分の考えで対処できるために」
懐から何か取り出した右の手元がキラリと光る。
「例えば、__今は僕も貴方も隠していますが、この騎士の称号は、僕達に騎士としてのあらゆる権限を与える物です」
シオンは不思議そうにしながらも、こくりと頷く。
「でも造形は、ただの洒落たピンバッジとなんら変わりません」
アオは称号を傷付けないように、懐へしまい直した。
「西域や海の向こうへ渡れば、この称号は、ただの服飾にしかなり得ません。無論そこでは、身に付けている異民族にも特別な権限等あり得ない。このピンバッジに価値があるのは、この国の全員がピンバッジに価値があると思っているから成り立つ。言ってしまえば、見せかけの価値です」
「なるほど……言われれば、確かにそうですね。……それなら、貨幣も見せかけの価値の上に成り立っているのか」
「この場合は国のルールとして必要な見せかけです。でも、僕はそれがあくまで見せかけであることを知るべきだと思います」
そうでなくても、必要でない″見せかけ″なんて、世の中にいくらでもある。それが当然であるふりをして、僕達の考えを決めつけてしまう″見せかけ″が。
「それを知るためには、知識が必要です。そして、知識を身につけるためには、この国では権限が必要になります」
「だから、騎士になったんですね?」
「その通り。お陰で、子供の頃と随分考え方が変わりました」
あのまま育っていたら、自分は今頃、公子についていたかもしれないと、アオはふとそう思う。
そして、それは自分にとって恐ろしいことだとも。
「子供の頃ですか」
「ああ、シオンさん、そろそろ城が見えてきましたよ」
これ以上は話す必要のないことだと、アオは話題を変える。シオンは何か言いたげな顔を笑って誤魔化して、
「称号を出しておかないとですね」
と、巾着の中を探し始めた。
こういう時、彼女は必要以上詮索しないので助かる。軍人として甘いが。
「じゃあ、僕は自室に戻るので、この辺りで」
門番の警備を抜け、城内へ入ったところで、二人の向かう方向は別れた。
「ねえ、アオくん」
背中を向けようとしたアオを、シオンは引きとめた。
「何か?」
「いえ……その、貴方が世界を自分の目で見ているなら、本当に、公女と争うことが一番だと考える?」
アオは思わず、珍しく驚いた顔を人に見せるところだった。 一番どころか真っ向から否定している。そのことを仲間に話したばかりでは、流石のアオにもぎょっとするものがあった。
「……それは、公子のやり方が、間違っていると?」
思わずついでに、また素っ気ない返事になってしまう。
しかし、その言葉にシオンは目を見開いた。笑顔が崩れて、紫色の目が虚ろに斜め下を泳ぐ。
「あ……いや、違うの、そんなつもりじゃ……!ご、ごめんなさい、忘れて下さい。……それでは」
しどろもどろにそう言うと、シオンはパタパタと走り去っていった。
(……″執着″に似ているな)
何がとは言わない。自分が自分の目で彼女を見た答えだ。ただし、いつかの切り札にはなるだろうか。
アオはシオンの走っていった廊をしばらく見つめ、それから、踵を返して自室へ帰っていった。
その足取りには、やはり音も気配もなかった。
・
・
・
・
・
長閑な日の光を受けて四方八方が灼々と輝く廊を、音一つ立てずに影が進む。先に続く大広間を目指して。
その影が、ふと立ち止まった。
「……貴方でしたのね」
その先には、地味ななりの女が、らしくない仁王立ちで突っ立っていた。紫の瞳を、静かに怒りに染め、左手には短剣を握っている。
「……やはり、バレていましたか」
こちらを睨む彼女の目を見据え、影__アオは、表情一つ変えずに答える。
本来ならアオは今頃、公女ネロ暗殺のために、ベキと共に最前線にいる筈だった。
「おかしいと思ったんです。こちらの情報が、確実にあちらに漏れている。しかも、上位の騎士しか知らない機密情報まで」
「なるほど。僕は働き過ぎてしまったのですね」
やはり表情を変えないアオに、シオンの顔が歪んだ。
「それで、僕がスパイだったらどうするんです?他の騎士達は、ほとんど前線でしょう?」
シオンは数秒黙り込んでから、口を開いた。
ああ、彼女はいつもとなんら変わらないと、アオはふと思う。
「一つ、貴方に質問しておく事があります」
「どうぞ」
「……いつからですか?いつから、どうして私達を裏切っていたんですか?」
「僕がここに仕える前、ネロ様に御命令をいただいた時から。僕があるべきと思う世界、ネロ様の世界の為に」
質問の回答は、なるべく完結な方が良い。
「そうでしたか」
シオンは納得して頷く。
「ではもう一つ」
シオンは、短剣を胸の前で構えた。
「貴方を、ここで倒します」
アオは予想通りだと首を鳴らす。
「貴方が、一人で、その短剣で、僕を倒そうと、思っているんですか?」
「ええ、そうです」
予想通り過ぎて、ため息が出た。
「……本当に甘いんだな」
「えぇ?」
「甘いんですよ。その短剣しかり、その普段通りの服装しかり。大体、″倒そう″なんて、″殺す″気ありませんよね?」
シオンが唇を噛んだ。自身に向けられた刃の切っ先が震え出すのを見て、アオは更に畳み掛ける。
「頭脳に特化した騎士を名乗っておいて、戦い方に頭が回らなかったのですか?その称号はお飾りらしい」
まるで暴言のような発言は、きっと、彼女の甘さに腹が立っているのだろう。
しかし、その言葉は引金に十分だった。
「____っ!ああああああああっ!!」
奇声に近い金切声を上げて、シオンは真正面から突っ込んでいく。裏切者の心臓目掛けて。
横に振りかぶる剣の構えは、腐っても騎士として様になっているが、アオにとって見切るに及ばない。
「あっ!?」
一撃かわしたところで左手首を掴み、捻り上げ、手から離れた短剣は宙を舞う。
右横から平手が飛んでくる前に、そちらも捕らえ、両手が塞がったところで床に投げ倒す。
「う゛っ!」
力ではこちらに分がある。アオはすかさず、仰向けに倒れたシオンに馬乗りになり、喉元を押さえつけると、舞い降りてきた短剣をパシッと受け止め、左肩ごと床に突き刺した。
「あ゛あ゛っ、ぅあ゛、かふっ……」
シオンは言葉にならない声で悶えている。恐怖と怨恨と使命感とを混ぜた様な顔を、アオは眉一つ上げずに見下ろす。
「がっかりです。貴方の頭脳だけは、僕の親友と同じ位買っていたのに」
抵抗はしてこない。余裕がないのか、それとも諦めただけか。
少しだけ、言葉の自由のみ効くように手の力を弱めた。アオもシオンに、聞いておきたい事がある。
「貴方は、どうして僕と戦おうとしたのですか?」
「ケホッ……だって、……貴方なら、気づくで、しょ?ハァ……元々、戦力不足なのに、ベキさんかスイさんのどちらかを城に残したら……」
「そういうことじゃない。どうせ捨て身だろ?なぜそこまでする?」
「……さあ、」
シオンはそこで、ふっと微笑んだ。
「後悔するつもりはないわ」
「はっきり答えろよ」
その顔がまた苦しげに歪んで、アオはいつの間にか加減が狂っていた事に気づく。
「なぜ、公子にそこまで命をかけるんです?彼は統治者としてあまりに不十分だ」
「……ハク様の理論が完璧でないこと位、分かっています。でも、それは公女も同じです。あれじゃあ、国は生きても人は力尽きてしまう」
「…………」
「……ふ、どちらかを選べなんて、酷い話よねぇ?私、本当は、二人一緒に国を治めてほしかった。本人達には、その気はなかったようですけど」
黙るアオに、シオンは淡々と言葉を重ねる。
「だから、私は、自分のついていきたいと思う御方を選んだんです。ハク様は、私に役目を授けてから選択を後悔させることは、一度たりともなさらなかった」
「彼は貴方に、剣を握らせたのに?」
「そんなの、二人のどちらに着いても変わらな__」
「だって、騎士になったのも公子のためなんでしょう?」
アオはシオンの言葉を遮る。シオンは驚いて目を見開くと、いつものように笑ってみせた。
「……彼があまりに優しかったから、なんて言えれば素敵ね。おあいにく様。私は私の目的の為に、必要な手段として争いを取った。この先、この国が私の故郷みたくならないように」
「……だから、感情論だと言っているんだ」
アオは呟くと、懐から拳銃を取り出し、左手で迷わず心臓に当てる。右は改めて短剣にあてがった。
そして、引き金を引く。
その間、コンマ一秒に足らず。
「カっ……!ガハ、」
赤黒い飛沫が女の口元を汚したのと、ほとんど同時。
「……!」
アオの右手を鈍い痛みがつん裂いた。剣の柄ごと、女の血の気の失せた指が、アオの手の甲に爪を立てている。所謂、最期の足掻きか。
__呆気なかったな。
アオはその指を剥がそうとして、女の右腕が不自然に上がっていた事に気がついた。
「……なっ!?」
避けたが、一瞬遅かった。
鉄塊がデタラメに落ちてきて、アオの左肩を掠める。
軍服の破れた所から、じわりじわりと朱に染まっていく。
肩で息を吐きながら態勢を整え、既に息絶えた女を見ると、銛状になった刃を脇腹に突き刺して静止していた。柄を持っているのは利き手と逆だった。
赤黒い色が、今度は床に流れ出て、女を染めていく。
そして、アオはいつの間にか、彼女のスカートの裾が捲れていた事に気がついた。露になった太腿に巻かれた黒いガーターには、所狭しと飛道具が取り付けられている。何度か使った形跡もある。
(用意した上で、死ぬ寸前に右腕を振り上げて、重力で首を狙った?)
アオは珍しく驚いていた。そもそも、彼女がこんな危なっかしい物を普段から持っていたことさえ知らなかった。
(……それにこれ、)
ヒュッ……と吸う息が苦しくなっていく。傷口から血が広がるように、ゆっくりと確実に体が痺れ出す。
(即死ではないが、大分ヤバいな……全く、とんでもないことをしてくれる)
銛には毒が仕込まれていたらしい。アオは笑いながらヨロヨロと立ち上がる。
本当に、その頭だけは、どこかの誰かに対抗できる位素晴らしかった。一回、二人の頭脳戦も見てみたかった、なんて。
時間がない。公子を殺さなければ。
廊の先を向くと、いつの間にか、そこに誰か立っていた。
「……シオン、ちゃん?アオくん?どう……して……?」
見ると、公子が初めて、死をすぐ側に感じて青ざめていた。腰を抜かさなかっただけ大した物だ。
アオの口元が再び弧を描く。そろそろ毒が頭に回ったのかもしれない。
けれどまるで、小説みたいに仕組まれた鉢合わせだと、おかしくなってしまった。
「ククッ……」
カチカチと震えながら、突然笑い出した家臣を見て、ハクは訝しげな顔をする。アオはそれを気にも止めずに、女の躯が浮かないよう足をかけ、まだ毒の残る銛を引き抜いた。
「え……」
柄に嵌め込まれた水晶が、キラリと瞬いて、ハクを写す。
危険を感じた公子が後退り、戸惑いながらも逃げ出す。
瞬時にそれを捕らえ、刃を構えようとするアオの意識も、もう飛び始めていた。
fin.
一度アップした作品ですが、直したい箇所が多すぎたため削除してからの再投稿となります。評価をくださっていた方は申し訳ありません。
連載中の続きをあげられなさそうだったためその代わりの短編読み切りとなっております。よければ評価、いいね、ブクマなどよろしくお願いします。コメントも励みになります。