第三話 砂の惑星タトゥーン
結局朝までぐっすり。起きたら案の定あちこち痛い。硬い木の床に座ったまま寝たのだから仕方がない。毛布を転移門の向こうにしまい込むアイリスを横目に、ストレッチをして身体をほぐした。
「あーちゃん、ここってどこなんですか?」
すぐに幻想世界へ行くのだから、今知る必要はないのかもしれない。だが、昨夜の星空は、まるでCGかと疑いたくなるほど綺麗だった。いつかまた二人で見に来たいと思う。
「ここ? 岐阜県北部の山の中」
桜の首が段々と傾いでいく。頭の中に思い浮かべた日本地図の真ん中あたりで、ふらふらとマーカーが動いている。
「旧国名で飛騨って言った方がわかりやすいかしら?」
マーカーがぴたりと止まる。徳川埋蔵金がある――と勝手に思っている場所で。
「わかりやすいです! 埋蔵金! 埋蔵金!」
腕を突き上げて飛び跳ね始めた。魔法で探せそうなどと考えてしまう。
「本当、朝から元気よね。こんな時だってのに……」
〔だから好き。挫けそうになった時、いつもそうやって励ましてくれる〕
いつもの調子に戻ったのか、涼しい顔のまま、心の声でだけデレてきた。それはお互い様と思いながら、立て付けの悪い引き戸を開ける。
「ふおおおおお! すごい景色!」
目に飛び込んできたのは、冬の絶景。ここはそんなに高い場所ではないのか積もっていないが、向かいに見える大きな山脈の大部分は、真っ白に雪化粧が終わっていた。
「ここは積もってなくてよかったわね。――って、その方があなたは喜んだかしら?」
ぶんぶんと笑顔で首を縦に振る桜。とはいえ、積もっていたら、ローファーで下るのはとても大変な気がする。肌を刺すように空気が冷たく、空もどんよりと曇っているので、少々不安になってきた。
「あーちゃん、さっさと行こっか。雪はそのうちってことで」
「ええ。トクメイ先生、もう起きてるかしら……」
少々古めかしい雰囲気の名前。どんな漢字を書くのだろうと考えながら、アイリスに先導されて山道を下っていく。それなりには整備されている場所のようだが、本来軽い気持ちで登る山ではないのかもしれない。雪ではなく雨でも、かなり大変と思える荒れ様だった。
「こんな山の中に住んでるんですか、トクメイ先生って人?」
「ええ。車で上がれるようにはしてあるけど、ちょっと変わった人みたいで。――あ、喧嘩しないよう気を付けてね。あなたは発言禁止」
そこまで信用がないとは心外。誰彼構わず噛みつくような狂犬ではなく、争奪戦が起きるほど愛らしい子犬のような、人懐っこい性格のつもりなのに。
先生という敬称からしても、なんとなく人物像が見えてきた。きっと偏屈爺さんに違いない。しかも竜騎兵に対抗出来る領域の、夢幻の心臓の持ち主。つまり何かしらの創作者と考えられる。創作論争を心配しているのだと判断した。
三十分以上は歩いただろうか。進みの遅い山道故、大した距離ではなかったはずだが、それなりには大変。ほぼ全部下りだったにもかかわらず、アイリスは息が上がってしまったのか、白い靄を盛んに吐いていた。すっかり健康体の桜は、まだまだ元気一杯で飛び跳ねたいくらい。
趣のある大きな山荘の屋根が見えてきて、間もなく終わりであることを示していた。
「あーちゃん、頑張って! あれでしょ?」
「ええ。煙出てるから、もう起きてるみたいね」
確かに煙突から煙だか湯気だかが出ている。暖炉でもあるのだろうか。アンティークな感じの木造家屋で、なかなかにセンスが良さそう。どちらかというと、芸術家気質なのかもしれない。中が気になり走り出したくなるのを堪えて、アイリスを見守りながらゆっくりと下りる。
(なんて読むんでしょ?)
玄関横についている表札を見て、桜は首を捻った。匿名小説家と彫り込んである。匿名はそのままトクメイ。小説家はどう読むのだろう。姓名共にとても珍しい名前。
桜の視線に気付いたのか、呼び鈴を押そうとしていたアイリスが指を止め、ちらりとこちらを見ながらボソっと言う。
「これペンネームだからね? トクメイショウセツカ。本名は私も教えてもらってない」
ぶしゅーっという音とともに、湯気が出たのではないかと錯覚した。恥ずかしさで顔を真っ赤にしているのが自分でもわかる。
(流石アホの子。我ながら発想がステキ過ぎますね……)
収まるのを待ってくれたのか、少々間を置いてからアイリスが呼び鈴を押す。三十秒ほどして、扉が内から開かれた。
出てきたのは、大体想像通りの風貌の人物。既に老年に差し掛かろうかという年頃の男性で、大分白くなった短めの髪に、眉間に寄せた深い皺。確かに偏屈そうと桜は思った。
「匿名先生、朝早くに申し訳ありません」
深々とアイリスが頭を下げるのを見て、桜もそれに倣った。顔を上げると、深刻そうな瞳でアイリスと桜を交互に見遣った後、匿名先生はしわがれた声を出した。
「危惧していた通りになったのかね?」
「はい、残念ながら。予言はやはり確定のようです。ジーラントの竜騎兵が現れました」
匿名先生はがっかりしたように首を横に振った後、背を向けて奥に戻りながら言った。
「入りたまえ。その恰好では寒いだろう。話は中で聞こう」
「あまりゆっくりはしていられません。ここが嗅ぎつけられても困ります。許可だけください。あなたの領域の力なら、きっと撃退出来ます。お力添えを」
温まりたいのではなく、外から見られたくないだけなのだろう。アイリスは玄関を入ってすぐの位置で立ち止まり、扉だけ閉めてその場で訴えた。
くるりと振り返った匿名先生は、どこか残念そうに溜め息を吐いてから答える。
「わかった。ならば、私の作品の価値を存分に味わってくるがいい。最近の若い者でも、実際に体験すれば、あの素晴らしさを理解するだろう」
「ありがとうございます」
再び深々と頭を下げるアイリス。桜ももう一度倣いつつ、一言だけ気持ちを伝えた。
「お借りします。先生の情熱を」
「いい瞳をしている。無事帰ったら、土産話をたっぷりと聞かせてくれたまえ」
そう言って、匿名先生は優し気に微笑んだ。意外といい人なのかもしれない。桜は最初の印象を改めた。その目の前で再び転移門が開く。匿名先生はもう見たことがあるのだろうか。特に驚く様子もなく、桜が飛び込んでいくのを見守ってくれていた。
着地した先は、銀色に光る金属製の床。眼に入ったのは、広大な砂漠。身体を襲ったのは、猛烈な熱気。
「ひええええ、今度はめっちゃ暑いんですけどー!?」
「文句言わない。――匿名先生、この御恩は忘れません。今度三人で恒星間ドライブにでも行きましょう」
頭上の転移門に向かってそう言いながら手を振ると、アイリスは門を閉じた。匿名先生が何と答えたのかは、桜には聞こえなかった。
改めて周りを見渡してみると、一面の砂漠の中に建つ金属製のピラミッドの頂上のようだった。その視界を何か虹色の幕のようなものが遮っていく。ぐるりと周囲を覆って、ドーム状に取り囲んだ。すーっと周りの空気が冷たくなっていって、過ごしやすい温度に変わった。
「ようこそ、砂の惑星タトゥーンへ」
声のした方に振り向くと、人型ロボットが立っていた。銀色に輝くメタリックな表面で、角ばった形状の如何にも機械らしいデザイン。アンドロイドではなく、あくまでも人型ロボット。
「お久しぶり……なのかしら? お願いしていた戦力って、もう集めてあるの?」
「各星系から完成品はもちろん、資材も大量に運び込み、備蓄済みでございます。生産ラインも拡充し、半永久的に戦闘可能な状態を維持してあります。こちらをご覧ください」
ロボットが指し示したピラミッドの下を見ると、開いたゲートから、綺麗な隊列でロボット兵士が続々と出てきた。どこから飛んできたのか、空には無数の戦闘機が群れを成している。
「あちらが最新のBR七八式砂漠仕様バトロイドと、SF六三式多目的星間戦闘機でございます。衛星軌道にはSA三二式空母三百隻と、SD五四式重駆逐艦八百隻、DS七式攻撃惑星三機が待機中。必要に応じて、いつでも他星系からの援軍がワープアウト可能でございます」
ずらずらと独自の固有名詞が出てきて、桜はなんとなく察した。あの作家、受け入れられていないと。最近の若い者が、などと言っていた。つまり、底辺作家というやつなのだ。
「現在、フルカネルリ式推論コンピューター合計四千九十六台のアレイにて、更なる新型攻撃機を開発中。予測によれば、実戦投入後瞬間火力は三十二パーセント上昇、資材効率が――」
「ストップ。桜の頭がパンクしちゃうから、設定語りは今はいい」
アイリスが制止してくれて、桜は助かったと思った。既に脳内のアホの子アルゴリズムはオーバーヒートして暴走しかけている。ふらふらと歩いて、近くのデッキチェアに座った。
「えっと……ここって、どういう世界なんですかね?」
首を傾げながら桜が訊ねると、ロボットから引き継いでアイリスが説明してくれる。
「恒星間戦争を描いたようなSF世界のものが集まった領域。と言っても、ほぼあの匿名先生の専用領域みたいね。SFも作品同士で設定の矛盾が起きやすいからかしら?」
確かにそんな気がする。恒星間戦争といっても色々とありそうに思える。ワープ的なものの仕組みが作品ごとに違っていそう。謎粒子や謎エネルギー、謎空間の存在など、ファンタジー以上に作品間の融合が難しいと思える。
「ここの兵器なら、きっと竜騎兵部隊にも対抗出来るわ」
アイリスの言葉に、砂漠を埋め尽くすバトロイド軍団を指して、桜は当然の感想で返した。
「あれじゃ、対抗どころじゃなくて、瞬殺じゃないですかね?」
致命傷にはならなかったようだが、逸姫刀閃一撃で竜を墜落させられた。そこから考えると、バトロイド一体で、竜騎兵一騎より強い気がする。目の前の砂漠に展開しているのは、どう見ても万単位。そして空には、見える範囲でも数百は超える戦闘機。
おまけに衛星軌道に空母や駆逐艦、更には攻撃惑星とかいう物騒な名称のものまであると言っていた。全く勝負にならない気がする。
「――と思うでしょ? ところがそうはいかないのが幻想世界。あなたあのバトロイドより間違いなく強いわよ?」
「ふぁっ!?」
いったい何度奇声を上げさせれば気が済むのだろうか、アイリスは。ただの女子中学生である桜が、あのバトロイドより強い。ありえない。
「たぶん、一人で軽く千体斬りぐらいは出来るんじゃないかしら、村正宗と桜花一刀流があれば。もしかしたら、万単位かも」
「ふぁっ!? ふぁっ!? ふぁっ!? ふぁっ!?」
もうやけくそになって、この先の分もまとめて叫んでおいた。
(千体? 生身で? 日本刀で?)
頭の中が混乱して、くらくらしてきた。デッキチェアに力なく横たわる。太陽が眩しい。と思ったら、自動保護機能でもついているのだろうか、頂上を覆うドームの一部が黒く変色して、眼を守ってくれた。
「幻想世界の文物の能力の高さは、その存在を信じる心の強さで決まるのよ。あるいは、実在して欲しいと願う気持ちの強さ」
「心の強さが力となる。――あ、なんかかっこいい!」
「そう。あなたは妄想力――もとい、想像力が逞しいし、それが実在して欲しいって気持ちも強い。だから、その力を得ている桜花一刀流も、それと戦う竜騎兵もとても強力なはず」
矛盾の話を思い出した。設定通りの性能を発揮するのは、それが存在する領域内での話。もし最強の矛と最強の盾が持ち出され、どこかで激突したらどうなるか。必ずどちらかが破壊される。その時の勝敗を決める法則があって然るべき。
〔考えた人のアホの子パワーの強さで決まるって言った方が、わかりやすいのかしら……?〕
続けて聞こえてきた心の声で、せっかく真面目に考えようとしたのが台無しにされた。しかし、とてもわかりやすい。妄想力の強さこそすべて。中二病重症者ほど強い。そういう世界。
「もしかして、アホの子パンチ一発で、惑星粉砕とか出来ちゃったり?」
顔を上げてそう訊ねると、隣のデッキチェアに腰かけながら、涼しい顔でアイリスが答える。
「領域の力関係次第では、そんな馬鹿馬鹿しいこともあり得るのが、この幻想世界。でもあの匿名先生のアホの子パワーも相当なものだから、そんなに心配しなくても大丈夫」
ついには口に出してアホの子パワーなどと言い出した。もうそれで通す気らしい。そして心の声で、また余計な一言。
〔ここに天下一のアホの子がいるんだし、そうそう負けるわけないわよね〕
それはスルーして、桜は最初に話しかけてきたロボットに訊ねた。
「あの、ロボットさん。――じゃ、あれだから、先に名前教えてください」
「名前……とは個体名または個体番号のことかと存じ上げます。この機体の個体番号のことならば、日本人が認識出来る表記にすると、三千七百五十三文字になります。少々覚えるのも呼ぶのも難しいかと……」
桜の顔がわかりやすく引き攣る。あれだけ沢山いるのだから、重複しないようにすればそうなって当然。更にロボットは追い打ちをかけてくる。
「ちなみに、現在お話しいただいているのは、この機体そのものではなく、制御している分散型コンピューターシステム上のAIとなります。そちらには、個体名という概念自体がございません」
名前を付けていないというのならわかる。が、概念自体がないというのは理解出来ない。桜は首を傾げつつ訊ねた。
「それって、どういうことですか?」
「現実世界で例えましょう。インターネットに繋がっているコンピューターには、それぞれ個体名や識別番号などが必ず設定されております。通信に必要ですので」
つまりはコンピューター名。桜のPCは、AHNK55に設定してある。スマホは設定した記憶がなく、わからない。機種変更のときにはカードを入れ替えたから、そこにあらかじめ記録されているのだろう。
「わたくしはいわば、インターネット上のすべてのコンピューターがリンクして動作している、分散型AIのような存在となります。どの個体でもありつつ、どの個体でもありません。それら繋がったコンピューター全体を表す名称が必要になりますが、存在しません」
「え? え? インターネットじゃないんですか?」
「それは通信システムの名称であって、個体名ではございません。そのルールを適用するなら、桜様たちを日本語と呼称しなくてはならなくなります。個体間の通信に、日本語を用いておられるようですので」
言っていることがさっぱりわからなくなった。隣でさも可笑しそうにアイリスが見ているのが癪に障る。心の声では、アホの子最高とか、ポンコツぐうかわとか、そんなのばかりが聞こえてくる。
「えっと……あの、なんか、呼ぶのに困るんで、何でもいいので短い名前つけてください。システムでも概念でも何でもいいんで」
墓穴を掘ったと思いながら、とりあえずそう要求する。ロボットは涼しい顔――なのだろうか。そもそも表情も感情もないのかもしれない――で答えてきた。
「では、概念として集合知とお呼びください。分散型AIの集合体でございますので」
(最初からそう言えばいいのにー!)
と心の中で叫ぶ桜。今のやり取り、さっぱり理解出来なかったが、一つだけわかったことがある。それは、あの匿名小説家がこの作品に懸けた情熱の強さ。
これは恐らく作品中に登場するAIだろう。それがここまで熱く設定を語ってくるのだ。作者の情熱の表れに違いない。世界の隅々まで緻密に設定し、SF的科学解釈にてきちんと理由付けする。膨大かつ難解過ぎて、今の若者には受けないだけ。
「ふっ、匿名先生も、なかなかのアホの子パワーを持ってますね! これは楽しみです」
仮に桜一人でバトロイド千体分の力があるとする。それが逸姫刀閃の主人公ドラゴンハートの持ち主と同等ならば、作中通りの戦力のジーラント全軍が来ても持ちこたえる気がする。
何しろロボットたちは疲れ知らず。衛星軌道や他の星から援軍も来るうえに、どんどん増産可能。補充速度さえ間に合えば、数の暴力で抵抗出来そうと思える。
「私がここを選んだ理由、そろそろわかった?」
頃合いを見計らって、アイリスが訊ねてくる。桜はもう一つ思いついた理由も付け加えて答えた。
「うん。負けないだけじゃなくて、誰も傷付かないからでしょ?」
見る限り、ロボットしかいない惑星。他の星には人がいる世界なのかもしれないが、戦場にはこのロボットだけの砂漠の星を選んだ。植物にすら迷惑が掛からない。
「そう。私もあなたも、思い切り戦える。ここのロボットたちは、みんなで一つの存在。壊されても、私たちの細胞の一つが破壊されたのと変わらない。そしてすぐ直せる」
全滅しない限りは、ロボットすら死なない。アイリスらしい気配りだと思う。頼りになる親友に、桜はたっぷりの笑顔を送った。
「あ、それで、集合知さん。桜さんたち、昨日からご飯食べてないし、お水も飲んでないんですよ。我が侭かもしれませんけど、何かあったらもらえませんかねー?」
正直、もうヘロヘロだった。せめて水分補給くらいはしたい。砂漠を見ていると余計に渇く。
集合知――が操るロボットの一体は、深く頭を下げながら答えた。
「これは失礼いたしました。状況確認を怠ったわたくしめの失態でございます。すぐに冷たいお飲み物をご用意いたしましょう。その後は、母星の一流料理人からの直送による、豪華ディナーをお楽しみください」
「ふおおおおお! 豪華ディナー! ――って、モーニングがいいんですけどー!?」
贅沢言わない、とばかりにアイリスがジト目で睨んでいるのに気付いた。桜はかしこまって座り直し、集合知にぺこりと頭を下げる。
「何でもいいので、お願いします」
「かしこまりました。ここが見つかって襲撃を受けるまで、時間の余裕はあると予測しております。その間、ごゆるりとお寛ぎください。この惑星タトゥーンでの生活は、わたくしどもで保証させていただきます。何か御用があれば、お気兼ねなくお呼びください」
角ばった形状の割に滑らかな動作で一礼すると、床がすいーっと下がって、ロボットはピラミッドの中に消えていった。
同時に、デッキチェアの側に棒が生えてきて、ぱかりと開くとビーチパラソルのようなものに変化した。それから床の一部が凹んでいき、水が張られていく。どうやらプールのようだ。
「おおー! リゾートホテルみたいです!」
「本当ね。椰子の樹まで生えてきたわ」
事前に育ててあったのか、それとも超科学で急速成長させたのか。端の方の床が開いて、そこから立派な椰子の樹が出てきた。隠されていた太陽も、適度な陽射しになるようドーム全体の色調が調整され、気温もやや上がって南国のような暖かさに。
ブレザーを脱ぐと、丁度いい位置にハンガーポールが生えてきた。掛けようとするとロボットアームが伸びてきて、自動的にやってくれた。汚れを落とし、しわ取りまで始めてくれる。
「これサイコー! なんて快適! 桜さん、SF作家に転身しちゃいますかねー?」
新しく出てきたテーブルに載った、青く透き通ったクリームソーダを手に取りながら、桜はそんな妄想に思いを馳せた。考えたものが幻想世界で全部実現するのなら、まさに夢の生活が送れそうな気がする。
しかしその夢を打ち砕く、アイリスの冷たい指摘が耳に飛び込む。
「SF界からは『これはSFじゃない。ファンタジーだ』と言われ、ファンタジー界からは『これはSFだろう』と言われる、よくわからない作品しか生まれない気がするんだけど?」
全くその通りだった。まずは苦手な理科を勉強しなくてはならない。しょんぼりとしながら甘いクリームソーダに心を癒してもらおうとすると、期待通り心の声でのデレが聞こえた。
〔主人公がポンコツロリアホの子なら、私は読むけど〕
とりあえず読者一名確保、と思いながら、冷たく爽やかな甘みのソーダで喉を潤す。
「ねえ、あーちゃん。これ、ここにいつ襲ってくるかって、予言にはないんですか?」
「あの人の予言って、すごく曖昧なのよね……。詳細がついてれば苦労しないのに」
どこから取り出したのか、サングラスをかけて寝そべりながら、アイリスがぼやく。ネクタイを解き、襟元も少しボタンを外して、すっかり寛ぎモードのよう。
「とりあえず、ここでの攻防やら、私たちが追いかけられることについての予言はないの。だから、いつ来るのかまったく予測がつかない。ただ、無数にある領域のどれにいるのか、広い領域の中のどこにいるのか、特定するには時間がかかるはず。すぐってことはないと思う」
言われてみれば、ここは恒星間戦争の世界。ワープが出来ないと探し回ることは不可能。ジーラントに、惑星間移動が可能な魔法まであるとは思えない。
見つけるのも、ここへ移動するのも、この領域の他の惑星の技術を借りる必要がありそうだ。この惑星、タトゥーンと言っていただろうか。敵対国家などは当然ある世界だろうから、共闘されると簡単に負けてしまうかもしれない。
「ねえ、あーちゃん。この星の敵って、この世界にある?」
「あることはあるけど、少なくともジーラントの援軍には来ないはずだし、来ても戦況には影響ないと思う。ここはこのスタローグ銀河を統一した第七次銀河連邦の領土。他の銀河は設定されてないから存在しないし、銀河系内には抵抗勢力はいくつも残ってない」
ということは、見つけても、そもそもここに来られない可能性すらある。
「じゃあ、ずーっと先の可能性高いですね。時間の流れだって違うんですし」
「そうね。私たちの体感時間ではそうかも」
澄まし顔であまり興味なさそうに言ったアイリスだが、心の声が再び台無しにした。
〔ってことは、ここで半永久的に桜とイチャラブ生活出来るかも!? 水着! 水着用意させないと。フリフリの可愛いやつ? それとも際どいやつ? 人いないし、生まれたままの姿でもオッケー!?〕
心の中では大興奮である。ここでの生活は快適そうだが、この開放的な雰囲気に流され、アイリスがエスカレートしそうで怖い。そして桜は、いつもやる通りにさかさまに考えてみた。
「逆に言えば、こっちの時間では、一秒で見つかっちゃうかもしれないわけで」
「否定は出来ないけど、それはいくらなんでも……」
その瞬間、ビーっ、ビーっ、とけたたましい警告音が鳴り始めた。こんな音を流す理由は一つしかない。
「やっぱりお約束なんですねー。せめて御馳走いただいてからにしてくれればいいのにー!!」
天に向かって叫ぶ桜。隣では、夢破れたアイリスが膝を抱えて落ち込んでいた。
〔私のイチャラブ生活が……サービス回のない百合ラブコメなんて滅んでしまえ!〕
ここでひん剥かれて、あんなことやこんなことをされるくらいなら、さっさと敵を倒して元の生活に戻った方がマシと思えた。その後現実世界で、普通にのんびり青春すればいい。百合色に染まりそうな気がしてならないが、それはそれでまたよし。