エピローグ
本人の希望で、棺には桜の花が詰め込まれた。アイリスであった身体は、白から紅まで色取り取りの、様々な種類の桜の花びらに包まれて、穏やかな顔で永遠の眠りについている。
〔自分の葬式をするってのも、妙な気分ね……〕
(でも、ちゃんとやらないと。心は生きてても、身体は死んじゃったんですから)
桜は桜で、妙な気分だった。今埋めようとしている身体に入っている心臓は、元々は桜のもの。やはり、自分を葬っているような感覚がある。しかも、ただの心臓ではない。夢幻の心臓であり、ジーラントを支えていた心の象徴。
二人の想いが、たくさん詰まっているに違いない。それらはこの竜の心臓の方にも、きちんと宿ってはいるが、とても名残惜しくて、どうしても涙が浮いてしまう。
さあっと風が吹いて、棺から花びらの一部が舞い上がった。桜吹雪と化した淡い紅は、レイアムワルトの首都近くにある、緑溢れる美しい丘の上に散っていく。
周囲にはたくさんのアヤメと百合の花が植えられ、レイアムが花と一緒に取り寄せてくれた、本物のミヤマザクラの苗木も置かれている。
最後に桜がもう一度アイリスの頬を撫でて別れを告げると、棺の蓋が閉められた。カンっ、カンっと、釘が打ち込まれていく。クラクスと十二神将の中の男たちが皆で持ち上げると、予め掘って置いた穴へと棺を納めた。
「最初はお前からだ、桜」
レイアムに促されて、近くに山となっていた土を両手に取り、そっと棺の上に被せる。参列者皆が順番に、同じようにして少しずつ土で覆っていく。最後に手にしたエミルは、握りしめた土を放そうとしなかった。
「アイリス……アイリス……」
先程からずっと子供のように泣き喚き、アイリスの名を繰り返している。彼には知らされていない。アイリスが桜の中で生きていることを。
それは、エミルに対しての罰であり、桜の身の安全を確保するための保険でもあった。
既に正気を取り戻してはいるが、どこからが邪竜神ヴァーヴェルに操られての愚行なのか、エミル自身にも判断がつかないようだと、クラクスから聞いた。
少なくとも、アイリスを最初に見つけたあのラブコメ領域での偶然の出会いのときには、まだ邪竜神の支配下になかったのは確実。それでも、桜を殺してまで、アイリスを自分のものにしようとした。
この先だって、どうなるかわからない。彼には厳罰が下され、一生陽の光を浴びることはないそうだが、またその執着心を、何者かに利用されてしまうかもしれない。だからそれを断ち切るために、アイリスは完全に死んだことにした。
彼に情報が漏れないように、ごく一部の人間しか本当の事情を知らない。そのため、これはただ遺体を葬る形だけの儀式というわけではなく、きちんとした葬儀として執り行われている。
「早くせよ。ドラゴンハートの厚意で、特別に参列を許されただけということを忘れるな!」
いつまでも手放さないエミルを、クラクスが小突く。土よりも涙の方が多くなってしまったのではないかと思えるほど号泣しながら、名残惜しそうにその手を開いた。
最後にもう一度桜が土を被せると、十二神将たちがショベルを手にして、どんどんと土で覆っていく。ジーラントの兵士に引きずられるようにして、エミルは立ち退かされていった。
その後ろ姿を、桜は微妙な気持ちで見送る。心の中のアイリスもまた、同様のようだった。
「本気で愛していたよーだな。奴が知っているアイリスは、ドラゴンだったにもかかわらず」
喪服代わりに黒いローブを着たレイアムが、桜の隣に並んで感慨深そうに零す。クラクスが反対側に立ち、哀し気な瞳で見つめながら、呟くように応じた。
「我には彼奴の気持ちがわからなくもない。愛には種族など関係ないのかもしれぬ」
桜にもわかるような気がする。ペット禁止のマンション故、飼ったことはないが、かつて近くの家にいた犬は、桜にとっては兄弟みたいなものだった。
アイリスと出逢う前は、その犬が一番の友達。毎日会いにいって、言葉は通じないものの会話して、それで気持ちだけは通じ合っていた気がする。死んだときは大泣きしたし、あの犬と見知らぬ人間の生命を天秤に掛けることになったら、犬の方を選んでいたような気もする。
「しかし、理由はどうあれ、彼奴のやったことは許されることではない。幻想世界の禁忌を犯し、現実世界の人間を殺した。そしてあのスタローグ崩壊の危機を招いた。それだけではない。邪竜神ヴァーヴェルの封印を解くなど、幻想世界どころか現実世界すら滅ぼしかねない愚行。擁護は出来ぬ」
「愛だけでもなかっただろーしな。歪んだ功名心や復讐心。そーいったもんもなけりゃ、邪竜神に操られるなんてことなかったろ」
「違いない。彼奴の処分は、我らに任せよ。陛下も大変御怒りだ。死よりも苦しい罰を与えるとな」
既に与えられた気がする。エミルにとって自らの死よりも辛いことは、アイリスを失うことではないかと桜は思う。彼にとっては三十七年も経っての再会、しかも人間の姿に変わっていたにもかかわらず、一目でアイリスと見分けたのだから。それだけ愛は深かったに違いない。
アイリスの葬儀はそのまま滞りなく行われ、最後にミヤマザクラの苗木を、棺を埋めた場所に植えた。これはアイリスの希望。自分の身体は、桜と同じ名前を持つこの桜の樹の養分としたい。そう彼女は語った。
だから桜は、アヤメと百合の花を周りに植えることを提案した。二人を示す花と、その関係を表す花を植えることで、互いの気持ちを永遠にしようと思って。
「さてさて、桜さんはそろそろ帰らないと」
現実世界には、アイリスの天賦魔術を使って戻れる。彼女の部屋にマーキングがしてあるから、そこに出ればすぐに実家に帰れる。両親と再会出来る。
アイリスの父だと桜が紹介されていた人物は、やはりこのユーロスの人らしく、本当の父親ではないそうだ。仕事の都合で、アイリスもあの部屋を引き払い、海外へ渡ることになったと、説明してくれる予定。
「もう帰っちまうのか? こっちのもんを持ち出すのは余り勧められねーから、褒美を断るのは、まーわかるけどよ。せめてまたうちの料理長自慢の、絶品ディナーを食ってけよ?」
名残惜しいのだろう。レイアムがそう言って引き留めてくる。だが桜は満面に笑みを浮かべて返した。
「お父さんとお母さんが待ってるんで。お友達も。お母さんの作ったご飯、早く食べたいです。桜さんにとっては、そっちの方がずっと御馳走!」
「そーか、それもそーだな」
何しろ桜の体感時間では、一年と五か月近く食べていないのだ。早く会いたいし、色々と話もしたい。この幻想世界のことは話せないが、アイリスが引っ越してしまう前にたくさん想い出が作れたと、そう報告しておかないとならない。
「それよりも! 帰った瞬間喧嘩しないでくださいね?」
腰に両手を当て、ジト目になってレイアムとクラクスを見比べる桜。この先また戦い始めてしまわないか心配である。
「安心せよ、ドラゴンハート。我らが戦う必要なぞ、最初からなかったのだ」
「どーだか? 予言の解釈的には、うちとやり合うことを想定していたとしか思えねーが?」
早速レイアムが、喧嘩を売るような発言をしている。クラクスは動じた素振りもなく、泰然とした様子で返した。
「それはそちらも同じであろう。我らは、夢幻の心臓の持ち主がユーロスに来ないか、見張っていただけに過ぎぬ。予言を回避するために保護しようとな。それを侵攻の下準備と受け取ったのは、そちらではないか」
「少数とはいえ、先に竜騎兵を送ってきたのは、お前たちの方だろ?」
「我らジーラントの夢幻の心臓を封印したと聞けば、探さざるを得まい。非武装にしておいたのに攻撃されれば、自衛せねばならぬ」
「そりゃ兵士の方だけだろ? ドラゴン一匹で、うちの国民何人ぶっ殺せると思ってんだよ? 親書でも送ってきて、話し合いで解決すりゃー良かっただろ?」
「信用出来るわけがあるまい、策略にて成り上がった王なぞ。このユーロスはそんな国ばかりではないか」
「んだと、てめー、悪政布いてる王をぶっ殺すのは、単なる革命だっつーの」
口喧嘩が終わらない。やはり信用ならない。今回の一件、結局は単なるすれ違いだった。予言の解釈違いと言ってもいい。
ジーラントは、国力を増す自分たちを警戒し、最大領域であるユーロスがその立場を守るために、先手を取ってジーラントの夢幻の心臓を破壊するものとして捉えた。
一方のユーロスは、当然ジーラントからの侵攻があり、守り切れず已む無くジーラントの夢幻の心臓に手を掛けることになると解釈。ジーラントの密偵を確認した時点で、竜から人に変えた時の恩を利用して、アイリスに桜を隔離するよう命じた。
二人が言うように、互いに予言を回避しようと動いた結果、逆に相手にとっては予言通りに事を進めるための行動に見えてしまった。それが積み重なり、最終的にこの様である。
「転移門開錠。来れ、村正宗!」
ゴチン。両手に村正宗を握ると、その峰で二人の頭を叩いた。深紅の瞳をジト目にして、口を尖らせて二人を睨み付ける。
「だーかーらー、喧嘩するなって言ってんじゃないですかー!」
かなり痛かったのだろう。二人とも目に涙を浮かべながら、桜に頭を下げた。
「済まぬ、ドラゴンハート。貴殿がこちらに残ってくれれば安心なのだが……」
「聖典の続き書いてもらってくれよ。ジーラントと仲良くなれるようにさー」
どちらも無理難題を押し付けてくる。ふんすと鼻息も荒く、村正宗を転移門の中に戻すと、桜は宣う。
「喧嘩したら、どっちも成敗しちゃいますからね、このドラゴンハートの桜さんが!」
たっぷりと両方を睨み付けた後、現実世界への新しい転移門を開いた。下を覗くと、モノトーンの布団が掛けられた、アイリスのベッドが見える。
「ではでは、桜さんは本当に帰ります。何かあったらいつでもこれでやってこれるんですから、おイタしちゃダメですよ?」
更に念押ししつつ、ぴょんと転移門へ飛び込んだ。アイリスの声が心の中に響く。
〔桜、私死んで良かったと思う。あなたと一つになれたのだもの。文字通り身も心も一つに。愛してるわ、桜。あんなことやこんなことが出来なくなっちゃったのは、とても悔しいけど!〕
(そういうのは勘弁してほしいんですけどー!?)
〔あなたの身体、私の意思で動かすこと出来ないかしら? そうしたら身体は一つでも可能!〕
可能って、いったい何が可能なのだろうと考える桜。アイリスの厭らしい忍び笑いが聞こえてくる。
〔うふふふふ、実年齢十八歳になったら連れてってあげるわ。幻想世界の桃色面に!〕
どうやら存在するようだ。それはまあ、そういう妄想もたくさんあるだろうから、無い方がおかしいのだが。
〔その前に、今ここで一足先に登りましょう。オトナへの階段を!〕
桜の中で、どんどんアイリスのイメージが変わっていく。こんな人間だっただろうか? 愛が重過ぎるどころか、方向性が拙い気がする。クーデレからヤンデレに進化する日も近そう。
普通の恋は恐らく一生お預け。でもこれでいい。きっと桜が心のどこかで望んでいたから、幻想世界はアイリスをこう変えたのだろうから。
幻想は現実となる。願えば叶う。それが幻想世界。だがきっと、現実世界だって同じ。強い心を持ち、正しく努力すれば、きっと夢は叶う。
桜はまず逸姫刀閃を最後まで書き上げる予定。その合間に、匿名先生が書いたスタローグ銀河の話を読むのだ。両方終わったら、彼の遺志を継いでみるのもいいかもしれない。あの素晴らしい世界を、後の世まで語り継ぐために。
それが今の桜の夢。これは、現実世界の方で叶えなくてはならない。ただ願うだけでは実現しない。きちんと努力して、一歩一歩前に進まなくては。それが現実世界なのだから。
了




