第三話 現想世界のドラゴンハート
カラン、と音がして、毒々しい紫に光る剣が地面に転がった。呆然とした表情で、桜はアイリスに問い返す。
「この心臓は……あーちゃんの?」
「そうよ。あなたが死にかけたのは、私が無理やり自分の心臓を放り込んだから。転移門を使って交換したから。幻想世界の竜人の心臓なんて、現実世界の人間に簡単に定着するわけがない。だからあなたは、原因不明の病で死にかけたの」
病の後、急に身体が丈夫になった理由がはっきりとした。虹彩が人に非ざる深紅に変わった原因も。桜花一刀流なんて、魔法のような剣術が本当に使えてしまうことも。
桜は本物のドラゴンハートになっていたから。元ドラゴンの竜人であるアイリスの心臓を、この身に宿しているから。
設定ではなく現実に。幻想世界から持ち出された幻想の力が、桜を変えていた。現実と幻想が入り混じった存在、現想世界のドラゴンハートに。
「あーちゃん、ありがとう。愛してる!」
前が見えなくなるほど一気に涙が溢れてきた。ずっと思っていたことは真実だった。ドラゴンハートの設定の話だけじゃなく、魔法で助けてもらったという話も、本当だった。
身体を丈夫にしてくれたのは、やはりアイリス。直接的に治癒の魔法を掛けたわけではないから、勘違いだと彼女は言ったのだ。魔法で入れてくれたこの竜の心臓が、桜を救った。強靭な生命力と、膨大な魔力を併せ持つ、幻想の象徴ともいえる竜の力が、桜を救った。
その後の幸せな人生をくれたのもアイリス。街を駆け回り、樹に登って飛び跳ねて。それまで出来なかった桜の夢を叶えてくれたのは、すべてアイリスだった。
まさに竜の恩返し。あの時拾った傷付いた小さな竜が、下手くそな手当と粗末な食事のお礼に、この幸せをくれた。そしてその後の輝かしい想い出も。人となったアイリスとの、楽しい生活も。そちらの方こそ幻想と思える。
「くそっ、アイリス、やってくれたな!? どう収拾つけるんだよ、これ? 夢幻の心臓は今どこにある!?」
血相を変えたレイアムが、アイリスに向かって詰め寄る。氷青色の瞳を意地悪そうに輝かせると、アイリスは言ってのけた。
「そのチート能力でわからないの?」
ギリリと歯ぎしりをすると、レイアムはローブの中から銀の手鏡を取り出し、虫眼鏡のようにしてあちこちに向けて、何かを探すような動きを見せた。
その様子を、目をぱちくりとさせながら眺めるアイリス。小首を傾げながら、ボソっと呟く。
「案外頭悪いのね。自明の理じゃない。交換したって言ったわ、私」
(まさか……)
桜の脳裏でペカペカと電球が点滅した。アイリスの口から明かされていなかった最後の謎。その答えが、頭の中にポンと飛び出てきた。
アイリスの心の声が聞こえるのは、アイリスの心臓が桜の中にあるから。心の象徴たる心臓を伝わって聞こえているから。ならば桜の心の声がアイリスに聞こえるのは、アイリスの中に桜の心臓があるから。
「正解よ、桜。死ぬべきは、私。あなたの心臓はここにある。ジーラントの夢幻の心臓は、ここにある」
自身の左胸を指しながら、アイリスは告げた。今までひた隠しにしてきたであろう真実を。
「私が死ねば、あの邪竜神は弱体化する。予言も実現する。その先のことはわからない。でも私は信じてる。ドラゴンハートのあなたなら、きっと邪竜神をも倒せるって」
ふっと寂し気にアイリスが微笑った。氷青色の瞳は温かく融けて、優しさと愛情に満ち溢れていた。その言葉を聞き、表情を見て、これから何が起こるのか察して桜は駆け出した。
「あーちゃん!!」
ガシャリ。絶望の音が響く。桜の伸ばした手は届くことなく、空を掴んだ。
転移門から飛び出した村正宗の鋭い刃は、アイリスの左胸を貫いていた。
その瞳は桜だけをじっと見つめて。その表面には泣き叫ぶ桜の顔だけが映り込んで。次第に光を失っていった。そして桜の慟哭が木霊する。
「あーちゃーん!!」
大気を震わす大音声。その魂の叫びすら搔き消すようにして、世界を揺るがすほどの強い波動がアイリスから広がっていく。桜やレイアム、ユーロスのものたちをするりと通過して、邪竜神ヴァーヴェルと竜騎兵たちだけを叩き落とした。




