第二話 世界を消滅させる竜
門の向こうは城のテラス――だと思っていたのだが、違っていた。
「ひえええええ!」
桜とアイリスは、転移門を通り抜けた後も更に大きく落下した。そして眼に飛び込んできた光景で、アイリスは確かにテラスに出る転移門を開いたつもりだったのだと知った。
「よっと」
くるりと身を翻して、アイリスを受け止めつつ着地する。押し倒されてしまったものの、怪我をするような落ち方ではなく、すぐに起き上がって周りの光景を確かめ直した。
「なんなんですか、これ……?」
そこは、城があったはずの場所だった。赤い煉瓦や白の漆喰が乱雑に山となっていて、窓枠やガラスの破片が散らばり、塔の上にあったはずの時計がひしゃげて転がっていた。
「城が……粉々に……」
想定外だったのだろう。アイリスも驚きに目を見開いて、呆然とした様子で周りを眺めていた。あの暗闇の世界に助けにきてくれる前には、きっとまだこうなっていなかったのだ。
ドーンという衝撃の後、ガラガラと瓦礫が崩れる音がした。舞い上がった埃の中から、ずたずたにローブが裂け、血みどろになったレイアムの姿が現れた。
「やっと帰ってきやがったか、アイリス。貴様、なんてことしやがるんだ! 勝手な行動をとるんじゃねー! タイミングを逸したことで、この有り様だ!」
杖で何とか身を支えるようにして、よろよろと近付いてきながらも、レイアムは怒声を張り上げた。氷青色の瞳が、それを跳ね返すようにして睨み付ける。
「あなたこそなんてことを! 桜は殺させない。桜が死んでも何の意味もない!」
ばっとレイアムのローブが翻り、その左手が桜たちの背後の空を指した。
「あれを見てもそう言えんのかよ? もはや桜を殺す以外に解決方法はない!」
ギャオオオォォオと、恐ろしい咆哮が轟く。身の毛もよだつ響きに桜は凍り付いた。ゆっくりと後ろを振り返ると、天空には山よりも大きな竜の影。
その巨体、その刺々しい形状。漆黒の身体に深紅の魔力が流れ、脈打つように明滅する姿には、見覚えがあった。いや、考え覚えがあった。
「あれは……邪竜神ヴァーヴェル……?」
よく目を凝らすと、その周囲に多数の小さな竜が舞っていた。黄金に輝く一際大きな竜騎兵は、クラクスと竜王ギィーヴェルだろうか。敵であるはずの彼らが、このユーロスを守ろうと必死に戦っているように見えた。
他の七色の竜王や、さらに大きな竜皇や竜帝までが来ている。その背に人の姿はなく、自らの意思で戦っているようだった。
「なんで? なんであんなの来てるんですか?」
「追い打ちをかけるようで悪いがな、これを見ろ」
レイアムが差し出した手鏡に映っているのは、邪竜神の背と思われる場所。そこには狂った表情のエミルが、棘の間に半ば取り込まれるような形で乗っていた。
アイリスの顔が悲痛に歪む。この事態を引き起こした犯人であろう姿を見て。
「まさか……更なる禁忌を犯したというの? 私を奪い返すためだけに?」
「もうそういう次元の話じゃあねーんだよ。どう見ても奴の方が邪竜神に従わされている。古代竜の盟約なんかで支配出来る存在のわけがない。封印を解くためだけに利用されたんだよ、奴は!」
〔それでも私のせい。彼の中の執着心と復讐心が利用された。それを生み出してしまったのは、私〕
その場にへたり込みながら、アイリスが心の中で後悔する。それは桜も同罪だった。同じように自らを責め、呆然とした表情で座り込んだ。
(わたしのせい、これもわたしのせい、世界そのものを消滅させる力を持つ邪竜神なんて考えちゃったのは、わたしじゃないですかー!!)
心の中で絶叫する桜。もう予言は避けられない。逃げられない。剣士を名乗る以上、やることは一つ。
「責任取って自分で死にます。なんか武器貸してください」
虚ろな表情で自然と言葉が漏れた。切腹しかない。単なる罰ではない。形だけの責任の取り方ではない。実際にそれで解決する。夢幻の心臓が破壊されれば、あの邪竜神は消えるか、弱体化する。あとはレイアムたちユーロスの有志がどうにかしてくれるだろう。
「桜、駄目!」
取りついて制止しようとしたアイリスを、レイアムが乱暴に突き飛ばす。
「お前は自分一人の愛のために、この領域ごと消滅させる気か!」
魔法の力も込めていたのか、アイリスは派手に吹き飛んで瓦礫の山に突っ込んだ。それを追った桜の視線を遮るようにして、毒々しい紫に光る剣をレイアムが差し出してきた。
「暗殺用の無痛剣だ。これなら苦しまずに死ねる。お前はアホだが、いい奴だったよ。出来れば救ってやりたかったが、ユーロスの億単位の人間の生命を守るためだ。許せ」
呆然とした表情のまま、機械的にその剣を受け取った。逆手に持って腕を伸ばすと丁度良い長さで、左胸に向けて両手で握り直してから、眼を瞑った。
(あーちゃん、ごめんなさい。わたしは先に死にます。でも、お空からずっとあーちゃんのこと見守ってますから……)
操られているわけではないのだろう。しかし、その手はほぼ自動的に動き、自らの心臓目掛けて、躊躇いもなく剣を突き刺した。
確かに痛みなどなかった。流石魔法の剣。そう思ったが、いつまでも感覚は消えず、邪竜神の咆哮が聞こえ続けていた。
「アイリス!」
レイアムの声に瞼を上げると、剣は身体に刺さっていなかった。左胸のところに小さな転移門が現れて、剣先はどこか別の領域に消えている。
「あーちゃん、お願いだから邪魔しないで! これはあーちゃんのためなの!」
瓦礫の中から立ち上がろうとしているアイリスに向かって、桜は強い口調で叫んだ。気持ちはわかる。アイリスが死のうとしたら、自分だって全力で阻止しようとする。だがもうそんなことをしていられる状況ではない。このままでは、どちらにしろ桜も死ぬ。
それでもアイリスは主張する。桜が死ぬことの無意味さを。
「あなたが死んでも何も解決しないって言ったでしょ? あの場所だからじゃない。どこで死んでも解決しない。だってあなたはドラゴンハートだから。その胸に宿るのは竜の心臓。夢幻の心臓じゃない」
「そ、それは設定で……わたしは本当はただの人間で、でも夢幻の心臓ってやつで……」
ゆっくりと、しかし強く首を振って、アイリスは否定した。大真面目な氷青色の瞳で、桜の深紅の瞳を真っすぐに見つめてくる。その唇からは、衝撃的な言葉が漏れた。
「違うの。あなたは本当にドラゴンハート。証拠ならあるわ。だってその心臓、私のだから」




