第五話 死すべき者
すとんとベッドの上に落ちた。
「はれ?」
座り込んだまま周囲を見回すと、白と黒のモノトーンの内装。アイリスの部屋だった。住んでいるマンションの。
今までのは夢――ではなかった。両手に村正宗を握っている。はっと上を見ると、転移門が開いていて、アイリスが飛び込んでくるところだった。慌てて村正宗を放り出し、その身体を受け止める。
「あーちゃん!?」
「ちょっと卑怯だけれど、一旦退却。これ以外に助ける方法思いつかなかった」
押し倒す形になったまま、アイリスは退いてくれない。むしろぎゅっと抱き締められた。
「このままずっとここにいたい。私とあなただけの、アホの子百合百合ワンダーランドに」
ここは、アイリスの妄想から生まれた幻想世界なのだろう。壁に貼られたカレンダーは、二〇二四年になっている。現実世界の方のアイリスの部屋ではない。
「でもそれは許されない。戻るわよ、ユーロスに」
名残惜しそうに身を剥がすと、アイリスはベッドから下りて転移門を開いた。桜は村正宗を拾ってから中を覗き込む。繋がった先は、城のテラスだった。そこでは、十二神将たちが竜騎兵と戦っているのが見える。
「これで何度も逃げ回り続けたら、流石のクラクスもブチ切れるわよね?」
「ちょっとズルいと思います。……でも、あーちゃんを助けるためだったら、それくらいしてもいい。けど、酷い目に遭うのは、ユーロスの人たちですよね?」
「ええ。やっぱり許されないわよね、自分たちだけ逃げるなんて」
深紅の瞳と氷青色の瞳が絡み合う。互いに強く頷くと、順番に転移門へと飛び込んだ。
「なっ、お前ら、何やってやがる? クラクスはどうなったんだよ?」
目敏く見つけたレイアムがすぐに駆け寄り、問いかけてくる。
「ごめんなさい、やっぱりそう簡単には倒せなくて。一旦別の領域通って逃げてきたとこです」
ぺこりと頭を下げて謝った。最後のピンチはアホやったからだが、あれがなくても先に力尽きていたのはこちらとしか思えない。
「くっそ、戻ってくるぞ、あいつ!」
確かに湖の向こうの森の上を、猛スピードでこちらに向かってくる金色の竜王の姿が見える。
「レイアム、複製の魔鏡、持ってるだけ全部出して」
「そんなもんどう――いや、わかった。全部使え」
二人の間では何か共通のアイデアが浮かんだのだろう。アイリスの求めに応じて、ローブの中からポイポイと手鏡を取り出す。どこにそれだけ入っているのか知らないが、床にうず高く積み上げられていった。
「これで全部だ。足りるか?」
「何とかしてみる。桜、竜騎兵を全部遠ざけて。レイアム、十二神将、あなたたちも!」
なんだかよくわからないが、ここはアイリスが思いついたのであろう秘策に頼るしかない。桜は村正宗を構えて、テラスのギリギリまで走り出た。
「桜花一刀流奥義・花霞!」
舞うようにして両手の村正宗を振るう。その軌跡に沿って発生する淡い桜色の霧を、テラスの縁に撒いていった。まずは、何をやるのか悟らせない必要がある。
「それいいな。ミラージュ・テンペスト!」
レイアムの手からも煌めく靄が立ち込めてきて、テラスの向こうの空を覆う。物凄い勢いで視界が遮られていって、目隠しはレイアムに任せ、桜は下りてきていた竜騎兵の駆逐に回った。
「みなさん、落っことすのは頼みましたよー! 桜花一刀流究極奥義・百花繚乱!」
竜の角を狙い、桜は次々と村正宗を振るった。テラスに入り込んでいるのは、小型の竜だけ。その強度は竜王とは比べ物にならないほど脆く、村正宗の一撃で簡単に折れていった。
魔力が集中する器官の一つである角を失い、循環系が狂った竜たちは動きが怪しくなる。そこを狙って十三人いる十二神将たちが押し込み、テラスから突き落としていった。
「準備はいい?」
アイリスの声に振り返ると、先程レイアムが取り出した手鏡が、床に整然と並べられていた。その数、百を超えるだろうか。放射状に四重の円を描いている。その中心に立つのがアイリス。
「やってくれ。うまくいくことを祈ってるぜ!」
閉じられていたアイリスの瞼が上げられる。氷青色の瞳がキラリと輝いた気がした。
「転移門多重開錠!」
手鏡が一斉に青白い光を発し始めた。同時に、ふらりとアイリスが倒れていく。
「あーちゃん!」
村正宗を放り出し、慌ててその身体を受け止めた。脂汗を流しながら、アイリスが桜を見上げてくる。
「大丈夫、成功したから」
安心させるように微笑んでくれた後、アイリスは視線を桜の後ろに送った。
「レイアム、これ私が気絶したらどうなるの?」
「問題ねー。もう魔法は複製の魔鏡が吸い取った。どれくらい保つかはわからねーが、砕け散るまでは維持出来る」
「そう。良かった。流石にもう限界」
複製の魔鏡に転移門の多重開錠。桜の頭の中で、ペカペカと電球が点滅する。
「もしかして、たくさんの転移門で、お城ごと覆っちゃいました?」
「正解。行き先は百合百合ワンダーランド。あそこなら誰もいないから、入ってしまっても戻ってくるはず。仮に破壊されても、困るのは私だけ」
「桜さんも困ります。あそこにはあーちゃんとの想い出がいっぱい詰まってるんですから!」
アイリスは力なく微笑み返してくれた。大量の魔力を一度に使ったのか、かなり消耗しているようで、眼を開けているのも辛そうだった。桜は優しく抱き締めながら耳元で囁く。
「あーちゃん、お疲れ様。少し眠った方がいいですよ」
「そいつは困るな。もう一仕事だけはしてもらわないと」
背後から掛かったレイアムの声。桜は当然口を尖らせて振り返る。
「疲れてるんですから、後にしてあげてください!」
はあっと溜め息を吐くレイアム。それから十二神将たちを指して言った。
「疲れてるどころじゃねえんだよ、みんな」
よく見てみれば、皆満身創痍。腕を失っている者すらいた。全員生きてはいるようだが、確かに疲れているどころではない。
「なるほどね、こういう状況なわけね。確かにこれは、予言通りにするしかないし、そうしろとお膳立てされたくらいに条件が揃っているわな」
一人得心したかのように頷き続けるレイアム。何を言っているのかよくわからず、桜は首を傾げて問いかけた。
「えっと……どういうことですか?」
すっとレイアムの手のひらがこちらに向けられる。
「こういうこと」
がばりと起き上がったアイリスが、桜を突き飛ばして立ち塞がった。
「やらせない!」
「それも予測済み。我が始祖と古代竜との血の契約を、今ここに実現せよ! 古代竜の盟約!」
「こ……これは……」
アイリスの身体が白銀の光に包まれ、瞳だけが冷たい蒼に輝く。
「あーちゃん! あーちゃんに何したんですか!?」
弾かれたように起き上がると、二人の様子を見比べながら、桜は問う。レイアムは意地の悪そうな笑みを浮かべると、その疑問に答えた。
「何って、オレ様の奴隷にしただけよ。――あ、勘違いすんなよ。性奴隷じゃあねー。百合の間に挟まろうとするほど愚かじゃないんでね、オレは」
何を言っているのかよくわからない。何をしたいのかさっぱりわからない。何故今、古代竜の盟約の呪文を唱えられたのかわからない。
「どうしてあなたが古代竜の盟約を? ジーラントの出身でもないのに、どうして!?」
何かに抗うように身を震わせつつ、アイリスが問う。更に意地悪そうな顔に変わって、レイアムは質問で返した。
「お前をドラゴンから人に変えられたのは、何故だと思う?」
氷青色の瞳が大きく見開かれた。内から魔法の光を放ちつつ。
「まさか……一度ドラゴンになったの?」
「正解。オレのチートスキルの内容知ってて、今まで気付かなかったのか? 過去に人をドラゴンに変化させる魔法と、ドラゴンを人に変化させる魔法を受けて、両方ラーニングしたからこそ、お前を人間に出来た。あとは簡単な話だろ?」
自らを竜に変えて、誰かジーラント人から古代竜の盟約を掛けてもらった。そしてまた人に戻った。だから、古代竜の盟約をラーニングしていて、使うことが出来る。
だが理由がわからない。何故そんな手の込んだ準備をしてまで、アイリスに古代竜の盟約を掛けたのか。
「えっと、あの、なんでチート魔法使いさんが、あーちゃんを従えようとしてるんですかね?」
さっぱりわからない。ジーラントの者がやるのならわかる。簡単にアイリスを殺せる。ユーロスの夢幻の心臓を破壊出来る。だが守るべきユーロス人であるレイアムがやる意味は、想像もつかない。
「殺して……殺して、桜……私の心臓を貫いて、早く殺して!」
「え? え?」
アイリスまで訳のわからないことを言い出した。そしてぎこちない動きで桜に歩み寄ってくる。その身体は震えていて、必死に抗いつつも、無理やり動かされてしまっているかのよう。
「お願い、早く。私はやりたくない。お願い!」
血走った眼から涙を流して懇願しながらも、アイリスは戸惑う桜に覆いかぶさるようにして押さえつけてきた。
「なんで? なんで? どういうこと? これ、あーちゃんを守るための戦いですよね? なんで殺すの?」
「心配すんな。流石に愛する者をその手で殺させやしねーよ。後味悪すぎらあ」
ガシャリ。この二日ほどの間、何度も聞いた金属音が背後で響いた。ギギギギギと音が鳴って、閂が動くのを背中で感じる。そして開いた隙間に桜は落ちた。転移門の向こうへと。
「桜!」
「あーちゃん!」
桜だけが落ちていった。真っ暗な闇の世界に。頭上高くに見える光の枠の中には、アイリスの首根っこを掴んでこちらを見るレイアムの姿があった。
「わりーな。オレもこのレイアムワルトとユーロスを守らなきゃならないんだわ。そのためになら、どんな汚いことだってする。それが王の務めだ」
門がゆっくりと閉まっていく。アイリスは気絶させられたのか、力なくレイアムに吊り下げられたままだった。その顔は穏やかで、しかし頬には涙の筋がはっきりと見えた。煌めく一滴が垂れてくると同時に、光は消えた。
ぽつんと、桜の頬にアイリスのものだった涙が落ちた。それは桜自身の涙と混ざり合って、すぐに流れていってしまった。
「あーちゃん……」
いつまでも、いつまでも落ちていった。絶望の底へ。何も見えず、何も聞こえず、何も感じることの出来ない世界。
既に落ちているのかどうかすらわからなくなっていた。本当はもう底に辿り着いているのかもしれない。しかしこの世界は何もない空虚な場所で、そこには光も希望も一切残っていないかのようだった。
「あーちゃん……あーちゃん……あーちゃん!」
自分の身体が砕け散ってしまいそうで、魂ごと拡散してしまいそうで、桜は必死にアイリスの名を叫び続けた。アイリスのことを考え続けた。
初めて出逢った時の、ジト目でボソっと自己紹介をしたアイリス。よろしくと手を握り、満面の笑みと共にぶんぶん振ったのに、薄い反応しかしなかったアイリス。
竜を拾って助けた話を一方的に語り続けたのに、じっと黙って聞いてくれていたアイリス。夢のある話だと思うと、自分も友達になりたいと言ってくれたアイリス。
意識不明の状態から回復した瞬間、真っ先に飛びついて喜んでくれたアイリス。深紅に変わった瞳を気持ち悪がらず、女の子っぽい可愛い色と褒めてくれたアイリス。
ずっとずっと自分を支え、自分と一緒にいて、愛し続けてくれたアイリスのことだけを考えて、桜は自我を保とうとした。それを忘れたら、そのときこそ心が死んでしまうのだと思って。
時間の概念すら意味をなさないのか、それとも単に指標がなく感じることが出来ないだけなのだろうか。永遠とも思える刻が過ぎ、アイリスとの想い出をもう何周したのかすらわからなくなったころ、突然声が聞こえた。
「よー。まだ自我は保っているか?」
桜が心待ちにしていた声ではなく、仇と化したレイアムの声だった。どこかに小さな転移門でも開いているのだろうか。それとも遠隔会話が出来る魔法でも使っているのだろうか。その声は、物理的に桜の耳に届いていた。
「なんなんですか、ここ? 何がしたいんですか?」
「とりあえずは、奪われないよう隠しておきたいだけ。そこは既に滅びた領域の残骸。どこにも繋がってねー。故に脱出不能。奪還も不可能」
奪還。アイリスを想定した話ではないだろう。ここへ繋いだのはアイリスなのだから。誰に桜を奪われたくないのか? 何のために奪われたくないのか? その疑問は、続くレイアムの言葉で明らかになっていった。
「やはり予言の回避は出来ないようだ。もう夢幻の心臓を破壊してしまうしかない。奴らは化け物過ぎる。それでも、最大の禁忌を自分たちの手で犯すわけにはいかねー。お前には明日、一人で突入して散ってもらう」
「散ってもらうって……死ねってことですか? わたしに?」
「そうだ。夢幻の心臓を誰がどういう理由で、どう破壊するかというのは、予言には含まれていねー。奴らには自分たちの手で、自分たちの領域の夢幻の心臓を破壊してもらう。お前のその胸に宿る、夢幻の心臓をな」
予言で破壊されるのは、ユーロスではなくジーラントの夢幻の心臓。それがあるのは、桜の中で間違いない。あのジーラントに最も影響を与えている逸姫刀閃の作者であり、一番のファンでもあるのだから。
すべてが繋がった気がする。アイリスが桜を自分のラブコメ領域に隠していた理由。ここまでに予言の内容をはっきりと言わなかった理由。
アイリスとレイアムの会話や、クラクスが口にした言葉に覚えた微妙な違和感。すべての説明がついてしまう。
「アイリスを守りてーのなら、自らの手で終わらせることだ。お前が死ねば、奴らは弱体化する。この領域は守られる。もちろん、アイリスの生命もな」
死ぬべきは、桜だった。始めたのは桜。ジーラントを生み出し、あそこまで強くしてしまった。そして終わらせるのも桜自身。死ねばすべてが終わる。予言が達成されれば、もう誰も戦わなくていい。誰も傷付かなくていい。
そもそもこれは、桜を巡る争奪戦だったのだから。ジーラントはここへの侵略を企んだのではないのだろう。ただ予言を回避するために、自分たちの夢幻の心臓を守るためにやってきただけ。破壊されてしまえば、戦う理由を失い帰るはず。弱体化してなお復讐を企むほど、クラクスは愚かではない。
桜が出した答えは――




