第三話 アイリスの覚悟
コンコンと扉をノックする。すぐには反応がなく、桜は持ってきた枕を抱いてその前で待つ。
(さっきからそこで待機してるの、わかってるんですけどねー?)
来るのを期待して扉の前でそわそわしていたのは、心の声で筒抜けである。部屋は個別に与えられたものの、アイリスが待っているようだし、明日以降のことを考えると桜も流石に一人では心細い。一緒に寝ようと思ってやってきた。
「なーに、桜? ……本当、お子様ね。一人じゃ寝られないなんて」
ややあって扉が開くと、アイリスは枕に視線を遣って、澄まし顔でそう言う。もう借りたネグリジェに着替えていた。もちろん心の中ではキャーキャー歓声を上げているのが聞こえる。
「一緒に寝よ? まだ聞いてないこと結構あるし、少しお話もしたいです」
仕方ないとばかりに溜め息を吐いたアイリスに続いて、部屋の中へと入る。とりあえずベッドに跳び乗ると、明日の朝食の話を聞いた時に疑問に思ったことから訊ねた。
「ねえ、あーちゃん。予言の巫女って、結局何なんですか? 曖昧ってのは聞きましたけど、新しい予言をしてもらえるのなら、どうすればいいのか、わかるんじゃないんですか?」
頼んではいたようだが、役に立つ予言がなかったというところが気になった。
「あの人の予言はね、一種の魔法なのよ。一度唱えると、一つの予言が得られる。内容は結構曖昧。でも実際それが起きると、確かに当たっていたと実感出来るくらいには具体的」
ならば、役に立たないということはない気がする。首を傾げた勢いで、桜はそのままベッドに倒れ込んだ。
「問題はね、予言の内容は選べないってこと」
「そりゃ、未来なんですから、選べなくて当然と思うんですけどー?」
何か可笑しなことを口走ってしまったのだろうか、アイリスは苦笑しながら横になった。
「何について予言をするのか選べないってお話。つまりはランダム。さっきみたいに、どこかの誰かの、明日の朝食の内容だったり、何千年も先のある場所の天気だったり。まったく知る意味のないもののことが多いの」
そういう意味での選べない。つまりは、役に立つか立たないかすら選べない。
「まあそんなわけで、今までにした予言のほとんどが、知る意味のない内容。だから実際に当たったかどうか、確認もとれてないのが大半。まだ予言の時期が来てないのも多いしね。でも、その中に時折重大なものが混じる。少なくともそれらについては、外れたことがない」
「えっと、予言は曖昧って言いましたよね? 今回気にしてる予言って、もう終わっちゃってたりしません? 夢幻の心臓の破壊。あの匿名先生が死んじゃったのなら、それで終わりなんじゃ?」
だとしたら、アイリスはもう逃げ回ったりしていないのだから、違うのかもしれない。あるいは、他にも予言があって、そちらが残っているのかもしれない。桜はそう思いつつも訊ねた。
アイリスは仰向けになり、天井に虚ろな視線を向けて小さな声で答える。
「破壊されるのはこのユーロスの中で、という予言なの。彼はここに連れてこられて殺されたわけじゃない。だから、あれはまた別の出来事。予言はまだ有効」
よく考えてみたら、当たり前のことだった。匿名先生が殺されるという意味の予言だったのなら、彼を一人残すことはなく、皆で護衛するはずだった。
誰が殺されるのか全く手掛かりがないのだったら、そもそも回避しようとすらしない。何をすればいいのかさっぱりわからないのだから、完全に不可能。ならば、曖昧ではあっても、ある程度は推測出来るような内容ではあるはず。
だからその条件を満たさないように行動していた。このユーロスの中で殺されるのなら、来させなければいい。それが出来る能力を持ったアイリスを隔離することで。
そしてユーロスの人間たちが予言を阻止しようと努力するくらいだから、破壊されると困るのはユーロスだということ。つまりは、このユーロスを維持する夢幻の心臓の持ち主を守りたい。
「ね、ユーロスの夢幻の心臓を持つ人を、現実世界まで守りに行けばいいんじゃないですか? わたしたちじゃ役に立たないでしょうけど、向こうでも戦えるような人って、このユーロスにはいますよね? 超科学とかの領域に協力頼んでもいいし」
「ここの夢幻の心臓は、誰の中にあるのかわからないの。スタローグの夢幻の心臓が、あの匿名先生にあるって特定出来たのは、私が彼のネット小説を読んだから。エミルもそうでしょう。現実世界から情報を仕入れて、手に掛けた」
「え……あれ? じゃあ、わかんなくなんてないですよね? あの聖典の作者の人じゃないんですか?」
アイリスは肯定も否定もせず、桜の方に視線を向けて質問で返した。
「この城の中や、外の風景、人々の着ている服や出てきた食べ物。そういうのを見て、桜はどう思った? その聖典って呼んでる作品に、どんなイメージを持ってる?」
「え、えっと、なんか、テンプレ的……というか、その……」
言い方が悪いと怒られた記憶を思い出して、言い淀む。書き始めた当時は、他の人の作品はどんなのだろうと、ランキング上位作品を頭の方だけつまみ食いしていた。少なくとも世界観は、桜の目にはどれも大体同じに思えた。
細かく見ればきちんと違う。しかし、どこか同じ世界を元にして、変えたいところだけ変えたように思えた。自分の妄想の産物というよりは、他人の作品に自分の妄想を混ぜた感じ。
「その感覚で合ってるわ。最初に言ったと思うけど、ここはそういう創作物に登場する文物が集まった領域。ネット小説でよくあるような、ある種の共通設定とも言える世界観から、はみ出しすぎていないもので出来ている」
「えっと、つまり、妄想力の強い一人の力で出来た領域じゃないから、誰が作ったのかわからないってことですか?」
「作ったというか、維持しているか、かしら。ここには、数多くの人の創造力が影響している。そして、それを維持するのは創作者本人とは限らない。言ったでしょ、信じる心が力となるって。あなたみたいのが書いた素人小説は、大抵作者自身が夢幻の心臓を持つ。でもこういう場所は違う」
なんだかよくわからなくなってきた。そもそも存在しないという話なのか、それとも夢幻の心臓がいくつもあるという話なのだろうか。このレイアムワルトは、あの聖典の作者に夢幻の心臓があって、他の国はそれぞれの作者に、ということなのだろうか。
「匿名先生はね、きっとスタローグだけの夢幻の心臓。意味わかる? あれしか書いたことがないわけじゃない。先生は恐らく、本来は有名なSF作家よ」
「あ……読者がいっぱいいるから?」
「そう。今となっては、作者以上にのめり込んでいる人が存在する可能性が高い。夢幻の心臓はきっと別の人の中にある。そしてこのユーロスの場合、まず作者の中にはない。商業主義色がとても強いから、自分の書いた作品世界を、自分で信じてない人が多いと思うの」
作る人と維持する人は違う。この世界を一番大好きな人が、一番信じている人がここの夢幻の心臓の持ち主になる。多数の作品が集まり、商業化されているものも多い世界では、確かに膨大な数の候補がいて、とても特定は出来ない。
となると、守ることは不可能。ならば、逆に考えればいい。桜はそれをそのまま口にした。
「じゃあ、こっちから攻め込むってのはダメなんですか? ここで破壊されるってことは、ここに来させなければいいんですよね?」
「今までは似た発想で動いていた。夢幻の心臓を破壊する理由自体が発生しなければいい。発生しても、ここに連れて来られなければいい。私があのラブコメ世界にあなたと一緒に閉じこもっていたのも、その一環」
あのレイアムとの話では、転移門を任意に開ける能力者自体が、とても貴重であるかのように言っていた。特異体だっただろうか。エミルがアイリスに拘ったのもそれが理由。
「普段から繋がっている転移門は狭くて、大軍は通れないって話はしたわよね? その出口を守れば、竜騎兵と言えどそう簡単には侵攻してこれないから、それで対応してたの」
「だから、今まではそれでよくても、もうダメなんですよね? 転移門を開ける人が、向こうにもいる。大軍が来れるし、どこに現れるのかもわからない。なら、やっぱりこっちから攻めればいいんですよ」
はぁー、っと長い溜め息をアイリスが吐く。氷青色の瞳が、桜の深紅の瞳を間近で覗き込んできた。
「桜はそんなに戦争がしたいの?」
ぶんぶんと首を横に振って否定した。人が死ぬところなんて見たくない。元は味方ということもあったが、狂った集合知のバトロイドを破壊するのも忍びなく、守りに徹したくらい。
「誰だってそうよ。どちらにしろ、その作戦は成功しない。このユーロスは幻想世界内で最も広く、最も人口が多い。でも個々の力は弱いの。もしあのスタローグのバトロイドが来たら、簡単に大虐殺が起きるわ。ジーラントの竜騎兵の方が異常なの」
確かに異常としか言えない光景ではあった。しかし、ユーロスがそんなに広く、人口も多いのなら、その中には強い人間が多数いる気がする。チートスキルまである世界なのだ。
しかし、無敵のチートスキルを持っていたとしても、設定通りに機能するのは領域内の存在に対してだけ。他の領域の存在に対しては無敵ではない。
「もしかして、あのチート魔法使いさん、実は弱い……?」
「彼は強いわよ。あのクラクスには流石に敵わないけど。ああいう特異体も、このユーロスには多数存在する。けど、それら全員を集めて攻め込んでも、ジーラントには敵わない。だからこそ、夢幻の心臓の破壊が行われるのでしょう」
明日以降の戦い、負け試合になるということなのだろう。そしてこのユーロスは……。
「本当、アホの子パワー恐るべしよね。そのうちパンチ一発で、銀河ごと吹き飛ばすんじゃないの?」
(なんか、桜さんが悪いみたいなんですけどー!?)
実際に悪そうなので、心の中でだけ叫んだ。考えたのは桜。竜の実在を知ってしまったことが大きいとはいえ、信じる心で力を与えてしまったのも桜。それを制御出来ないのも桜。まったく弁解のしようがない。
「桜、愛してる」
突然脈絡のないことを言い出したアイリスに、桜は目をぱちくりさせた。先程から間近で瞳を覗き込んだままだったが、その距離が更にぐいっと縮まる。
「最期かもしれないから、いいわよね?」
唇に柔らかいものが触れた。深紅の瞳の前には、焦点の合わない至近距離に伏せられた、アイリスの銀色の睫毛。そのまま永遠とも思える時間が過ぎた。
パチッと眼が開いて、氷青色の瞳が悪戯っぽく輝く。それを引き金として、ぶしゅーっと音がしたような気がした。白い深山桜から紅色の寒緋桜に改名した方がいいほど頬を上気させて、視線を彷徨わせながらしどろもどろになって答える。
「ささささ、桜さんはですね、あのですね、アホの子JCなわけで、つまりこれは犯罪でですね、逮捕で発禁処分で、回収騒ぎがですね――」
「慌てすぎ。冗談に決まってるでしょ?」
そう言うと、桜の頭を掻き抱くようにしてアイリスは目を瞑った。
「いつ攻めてくるかわからないから、もう寝ましょう」
冗談なわけがない。今実際に唇が触れた。何秒間だったかはわからない。ほんの刹那の間だったのかもしれない。しかし間違いなく、ファーストキスを奪われた。その証拠に、哀し気なアイリスの心の声が聞こえる。
〔男性にしてもらってれば、受け入れてもらえたのかな……〕
本気だった。桜に少しでもその気があれば、先のステージに進んでいたに違いない。
(あーちゃん、わたしのこと、そんなに……)
性的な意味での『愛している』だとは気付いていた。駄々洩れの心の声は、からかっていただけなわけがない。何しろ心の中で思っているだけのこと。相手に伝わらないはずのこと。それであれだけ桜に執着していた。
アイリスの愛の真剣さを知ると共に、何かを覚悟しているかのように桜は感じた。桜の性癖はそうではないのを知っていて、それでも唇を奪った。一方的であっても、今そうしてしまいたいだけの理由があったのだろう。
柔らかい胸に顔を埋めながら、これまでに聞いた話を振り返った。気になることがある。
領域は作品一つごとに生まれるわけではない。一つの領域に複数の作品が混在することもある。このユーロスがそう。作品と領域は、一対一の関係ではない。
それは同時に、作者と領域も、一対一の関係ではないことを示す。矛盾の発生する複数の世界を使って複数の作品を書いていたら、複数の領域の夢幻の心臓の持ち主になる可能性があるということ。
アイリスもまた強い妄想力を持っている。現実世界人ではないのに、あのラブコメ世界の領域を生み出してしまった。
もしアイリスがあのラブコメの他に、このユーロスに分類されるようなファンタジーも書いていたら? あるいは、あの聖典を始め、このユーロスに分類されている作品群が大好きな読者だったとしたら?
(もしかして、この領域の夢幻の心臓の持ち主って、あーちゃん……?)
可能性は十分にある。作品に一番影響を与えている人物ではない。所属する領域に一番影響を与えている人物。そして幻想世界の文物は、誰にも認知されていなくても発生する。
アイリスが密かに書いて、誰にも見せずに大事にしまっている作品が、最も影響を与えていたとしたら。それに気付くのは、アイリス本人と、そして恐らく、それを見抜ける天賦魔術の持ち主だけ。エミルはあの短時間で、スタローグの夢幻の心臓の持ち主を見つけてきた。ならば――
抱き締め返す腕の力が強くなる。いつも桜を助けてくれる親友で、姉で、誰よりも桜を愛し、今はもう友達以上恋人未満のような存在のアイリス。それを失うことは、何よりも辛い。
心の声では嘘が吐けないだろう。しかし、桜に聞こえるのは、今考えていることだけ。記憶が読めるわけではない。そして把握出来るのは恐らく、強く思ったことだけ。
ユーロスの夢幻の心臓の持ち主が自分だと知っていても、それを悟らせずに『誰の中にあるのかわからない』と言ってしまえるような気がする。
簡単に確認出来る。強く意識してしまうような質問をすればいいだけ。『ユーロスの夢幻の心臓は、アイリスの中にあるのか?』口ではどう答えようと、何も思わないわけがない。動揺や、罪悪感や、謝罪など、何か特定出来る心の声が聞こえるはず。
しかし桜は何も訊けなかった。知ってしまうのが怖くて。明日の朝食を、別のものに変えてみようとするのと同じ。心が折れてしまうのを恐れた。避けられない運命なのなら、戦って抗うよりも、甘い誘惑に浸りながら、共に幸せに逝ける道を選んでしまいそうで。
だがアイリスは望んでいない、そんなことは。だから何も言わない。運命に立ち向かって戦うのが彼女の意思なら、桜の意思もまた同じ。絶対に守る。続きはお預けなだけ。大人になるその時まで。




